今日はいわゆる2.26事件の日である。新聞は何を書いているだろうか、といそいそと新聞を読みに出かけたらなんと読売が少し書いていただけで他紙は無言、あたかも何もなかったがごとしであった。
日本人は本当に忘れっぽい。厭なことはどんどん忘れて何もなかったかのようにケロッとしている。
名古屋の本町通りに通称長者町と呼ばれている一角がある。そこの老舗問屋のご主人が日本人は感情と勘定で動く人種だと云われたと聞いたことがあるがけだし名言である。
厭なことを忘れる速さもこの言葉の中に含まれている。呆れるばかりは明治維新である。
あの時,討幕運動が起きた原因は幕府がアメリカに開港して鎖国をやめることを朝廷の許可を得ずに決めたことへの抗議であった。
薩摩と長州の連合軍の合言葉が「尊王攘夷」であった。彼らが幕府を倒し明治政府を造ったとき東京へ天皇を迎えて尊王は確かに実現した。が攘夷はどうだったかといえば、
ご存じのとおり開国してイギリスから軍艦を買いまくり海軍の強化を図った。
「あれ?攘夷はどうなったの?」と国民の誰も聞かなかったし薩摩や長州の人たちの間からもそんな疑問は起きなかった
此処に日本人の危うさがあります。
美空ひばりの歌に「お祭りマンボ」という歌がありますが、日本人はあの歌の通りでわっしょいわっしょいのお祭り騒ぎが大好きで火事の最中もわっしょい、わっしょい、をやっています。
昭和天皇だけが、軍部をあまり懲らしめるとまた反乱を起こすかもしれないと実録の中で述べておられたということを読んだ記憶があります。
此処も難しいところで、天皇的な反省だけが独り歩きすると軍は事件の効果を高く評価することになります。
こうゆう場面での優れたリーダーを我が国は育てることが下手な国である。
若い人たちよ心しておいて欲しい。さらに補足すると7月7日の日清事件へとつながる昭和史に中で、忘れてならないことは当時モスクワに有ったコミンホルムと云う秘密組織から出ていた指令である。
日本は長い間蚊帳の外でコミンホルムからどんな指令が出ていたかを知らなかった。尾崎・ゾルゲ事件を知りながら国際共産主義運動の指示通りに清国との戦争を拡大し結果は毛沢東に利益供与的戦争を拡大した。
国際的にみてオソマツを絵に描いたような外交であり戦争に明け暮れた。有能な外交官が育たず世界の秘密が何と一つも聞こえてこない国であった。それでもイギリスと同盟関係を結んでいた間はそれなりに情報が入りイギリスのアドバイスで何とかなっていたが、
ドイツとの友好を優先して日英同盟を破棄してからは、井の中の蛙となった我が国は破滅への道を突き進んだ。外務官僚も国会議員も国際感覚の乏しい連中ばかりで手の付けようもない盲目の国家となっていった。(T)
2月の夕焼