かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は大晦日、明日はお正月となりました。

2014-12-31 | 気ままなる日々の記録

ここ有料老人ホームで、とうとう大晦日を迎え、感慨も一入(ひとしお)です。私の生涯で大晦日と元旦を生家以外で迎えた記憶がありません。更に、ここ数年は紅白歌合戦が終わるとすぐに沢山着込んで白山社(氏神様)へ初詣にでかけていましたが、今年は無理です。「牽かれモノの小唄でしょうか」自分と自分に、大晦日も元旦も普通の日と全く同じだと言い聞かせています。「一年の終わりと始めの日だから、やはり、記念すべき日でしょうと云う声が何処からか聞こえてきます。しかし考えてみれば「普通の日だって10年前を起点にすれば、その日は十年目の大晦日であり翌日は次の十年への元旦になります。十年前にまだ生まれていなかった子どもたちは別として、年寄りたちは、起点の取り方によって毎日が自分が若かったある日から数えて、15年目や16年目の大晦日や元旦だと云えます。つまり、通常の毎日が起点の取り方によって大晦日であり、次の人生への元旦なわけで、通常の毎日を、大晦日と元旦の感慨を持って大切に過ごすべきだということに気が付きました。これを私の新年の誓いとします。

 大学を出て最初に着いた職業を大過なく60歳の定年まで続け、第二に付いた私立大学の仕事も当初は5年をめどに、ということだったが、7年務め、やっと仕事から解放されたところへ町内会の仕事や農協の係り等を持ち込まれました。

 断りきれず「間に合いませんが」と引き受けてバタバタし、区長(町の町内会長か)をしたとき、前任者から、大晦日が近くなったら、お酒を白山社に奉納し初詣でには必ず出かけること、そして、、篝火を焚き、初詣で客にお餅入りのぜんざいを振る舞う仕事をしておられる方々にお礼を言うことと伝言を受け、それ以後スキー用の防寒具を着込んで初詣に出かけるようになっていた。それも今年から失礼することになった。これが、「齢(よわい)を重ねる」ということだ。

 (脚注)「牽かれモノの小唄」:江戸時代極悪犯罪人は台車に乗せられ、竹かごを被せて、町内を引き回し刑場では十字の丸太に縛り付けられて両脇を槍で突くという死刑が公開で行われていた。竹篭の中で恐怖を隠すため小唄を歌ってカッコウを付けている極悪犯人のことをいう。

 

 

私たち尾張北部の住民にとって、御嶽山は日本人にとっての富士山と同じです。白銀が輝く神々しい山容こそ、何かを祈り、全ての恵みに感謝したい気持ちをお届けするのに相応しい神様のお住まいになるお屋敷だと思われます。

 

元日の今日、ここ大口町方面は、朝から粉雪が舞うかと思えば薄日が差し、窓際での日向ぼっこが至福のひと時を恵んでくれると思いきや、牡丹雪が一面に舞う空模様に急変、つまり不安定な空模様の元日となっています。

 

 今、しまった!と思っていることがあります。それは、お正月に読むにふさわしい本を用意しておかなかったことです。今朝から目を通している本は「タックス・イーター」(岩波新書)と「永続敗戦論」(太田出版)ですが、どちらも読んでいると日本の現状がオソマツでイライラしてきます。タックスイーターの方は著者が大蔵省の主計局主計官を務めたトップ官僚ですから核心をついているとおもわれます。内容は、税金を貪り食う政財官の強力な影の組織のこと。特に「特別会計」と云う予算項目にそれが顕著だというのです。これをなくするには、サラリーマンたちが、自分たちが払う税金についてもっとよく知り、更に使い道にも関心を持つ以外にないとのことです。最低限国会議員のみなさんが、納税者目線かどうか、一部の業界の代表者ばかりだと収拾がつきません。

「永続敗戦論」(太田出版)の方は、拉致問題や領土問題の経過と我が国の戦略を分析していますが、「無条件降伏」「ポツダム宣言受諾」と「サンフランシスコ条約」の間の矛盾、など読んでいると頭が痛くなるはなしばかりです。要約はチョット難しいので是非ご購入の上ご一読をお薦めします。シツレイシマシタ。

        

上の写真はこの施設の受付に飾られたお鏡餅と干支の未です。

下の写真は談話コーナー(新聞閲覧コーナー)に生けられたお正月用の生け花です。