今日は朝から雨。一昨日、イチゴとエンドウの除草と施肥(醗酵鶏糞を根元に埋め込む)をしたので恵みの雨です。そこで旅の二日目に訪れた小浜の常高寺について報告します。
このお寺はJR小浜駅の近くの国道27号線沿いにありました。NHK大河ドラマの主人公「お江」のすぐ上の姉「お初」が眠る寺で、ドラマにあやかって観光客誘致に力を入れているようです。山門は江戸時代のもので歴史を感じましたが本坊は数年前の再建でイマイチでした。
でも案内に出て下さったここの和尚さんが話芸の達人。格式の高い臨済宗のお寺で、多分、説教師としてのご経験も豊富ではないかと推察しました。「お初さんは京極高次の正室でしたが、残念ながら子どもに恵まれませんでした。ところで今日ここにお越しのご婦人方は、皆さん正室ですか、側室の方はおられませんか?」と言った調子。これだけで私たち一行は大騒ぎ。元気なおばさんが「ワタシ、どっちだか分らん」と大声で答えられて、また大笑い。しばらく真面目な説明が続いたあと突然声の調子を変えて「1609年、夫高次は小浜城内で病を得て没します。享年46歳、お初は41歳。若いですねぇ~。夫の死を悼んでお初は落飾して高常院と名乗ります。偉いですねぇ~。ところでお越しのご婦人方で、夫が亡くなったら出家しようと思っておられる方はおられますか?」と。この声が名調子で、またまた大笑い。
上の写真はこのお寺で頂いた観光案内「お初が愛した小浜」からスキャンしたものです(以下の写真も同じ)。高次の死後京極家は高次の側室の子忠高が後を継ぎますが、後継者忠高の正室はばっちりお初の姪初姫(妹お江の娘、父は二代将軍)です。これは子どもの無かったお初が妹お江の娘を養女にしていたからで、忠次が認め推進した養子縁組でした。以下に浅井三姉妹に関する家系図を載せておきます。
お初は、夫と自分の両親(浅井長政とお市)の霊を弔うために高常院を建てます。私が感心したのは、お初のきめ細かな心使いが分かる遺言状が残されていることです。「かきおきのこと」がそれで、亡くなるひと月ほど前に書かれ、城主忠高に宛てられたものでした。お初は晩年江戸の京極屋敷で大勢の侍女や侍に護られて暮らしていましたが、自分の死後その者たちの身の振り方をきめ細かく頼んでいました。例えば、年老いた侍女たちには常高院の近くに家と扶持を与え出家させて寺を護らせること、若い侍女には本人の希望をよく聞き結婚させるなどの面倒をみてやった欲しい、というようなことです。
訪ねたお寺には「おかきおきのこと」の拡大写真が掲げてありました。ここで再度解説の和尚さんにご登場頂きます。「お初の直筆がこの寺に残されていて、その拡大写真がこれです。達筆ですねぇ~。きちんと書かれていてお初の性格がよく現れていますねぇ~。ところで皆さんはこれが読めますか? 私にはチンプンカンプン、さっぱり読めません」「英語より難しい。英語は辞書を引けば大体のことは分かりますが、お初の字は辞書の引き方も分からない」。一同納得。