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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

[仏教について。

2017-06-14 | 気ままなる日々の記録

   お陰様で毎日24時間暇である、食事は毎日3食部屋に届けられるし、トイレも部屋についていてドアーをあけるだけである。

 毎週3日、一日45分のリハビリが義務付けられているが、後は自由時間である。

そこで、必然的に多くなるのが読書の時間である。

本は昨年までにアマゾンで買った新書版や文庫本が手元にある。そこで、いよいよタイトルの本であるが、具体的には岩波ジュニア新書「仏教入門」松尾幸剛次著「仏教入門」である。ちょうど僕に合った入門書であった。

 我が家では毎月父と祖父の月命日にお坊さんが来てお経をあげていて、 盆正月にお礼を持って行っていた。我が国の代表的な仏教徒の家庭であったが知 らないことが多すぎ僕に適した入門書であった。

 江戸時代家康がキリスト教や一向一揆に困ってお寺に戸籍係のようなことをさせたために仏教が「葬式仏教」として定着し釈迦の教えを何も知らないまま仏教徒になった気でいた。今から思うと「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏にお任せしますと云う信仰告白であると云う事さへ知らなかった。

 だから仏教徒のつもりでいたというべきだった。

 宗教を考える時もっとも大切なことはその宗教は人の世をどう見ているか、ということである

。キリスト教の場合は全てのことは神様の思いのまま動いているという世界観であるし、 仏教の場合は全てのことは何処かに原因があってその結果によって動いていると考えていると云えよう。つまり「因果報応」というか、 どこかに原因があって今こうなっている、と考えているということである。 よく分からないときはご先祖様に原因があるということにしてしまうようである。

 オソマツ君の場合半身不随になったのもオソマツ君が相当の悪事を働いたかおそまつ君の先祖が悪事を働いたからということになる。 ところが、そのどちらも、訊いていないし心当たりもない。もっとも無意識の内に何か悪事を働いたのかもしれない。

 つまり何もわからない。こういう時はもうまとめて阿弥陀如来にお任せするしかない。

 つまり、南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏は、カタカナで、「ナムアミダブツ」と書いた方が感じがいい。

 何もわからずにお念仏を云っているという感じがでるからである。シツレイシマシタ。(T)

  

                                                            蓮池の半夏生

 

 

 

 


旧制中学の入試

2017-06-13 | 気ままなる日々の記録

   突然昔の話しが出てきて、面食らう人が多いかも知れない、私でさえ少し混乱している気配がある。同じ階へ入居中のSさんから旧制中学入学の時の話を聞いた。その中学は京都府内にあり当時は綴り方のみの入試で合否が決められたそうだ。今大学入試で行われている小論文というのに似ている気がする。「綴り方の題は覚えてみえますか?」と尋ねると「防空演習の夜」とすらすら口にされる。だが同級生の中には大変だったらしい人もいたとか。きいたこともいないひとがいたから。私自身も内地に住んでいなかったので、その当時のことは何も分からない。

   後で主人に聞くと警戒警報とか、空襲警報とかいろいろ関連した言葉が出てきて、ますます分からなくなる。警戒警報とは敵機が近づいているときにでる警報で学校があるときなど、通学班ごとに並んですぐ帰宅になったという。空襲警報はモット緊迫した状態のようで、部屋の明りを暗くしたり壕の中へ逃げ込んだりしたという。入試では警報が発令された時の訓練の様子を作文にしたのではないかと推定する。

  主人の話しとは地域も時代も少し異なるのでわからないこともある。

 経験の無かった同級生の方も無事入学され長い間弁護士をなさっていたとか。見たこともない人の話しだけど、本当に心からホットした。

 本日はその友達の弁護士の話を聞いた。土地問題で困っている時助けて貰ったと。いい友達をお持ちでSさんはお幸せだなあと主人と話し合った。(E)

    

                                           中庭の紫陽花

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語について2題

2017-06-13 | 気ままなる日々の記録

その1 「大丈夫?」の大流行

  今日は6月13日[火)でオソマツ君にとってはお風呂の日。時間通りに行動しないと皆様にいろいろ迷惑をおかけするので、緊張して腕時計を見ながら行動した。

 お風呂ではケアーさんが慣れた手順で次々に衣服を脱がせて下さる。

 時々麻痺している左腕を伸ばしてシャツを脱がせて下さるが、体の硬いオソマツ君に半身まひが起こっているのだから、スムースにはいかない。

 そこで、少しくらいなら腕がねじれても曲がっても、エイと引っ張ってしまうこともある。そんな時には肩や背中に激痛が走る。思わず「痛い!というとケアーさんたちが「だいじょうぶ?」と聞いてくださる。お湯が熱くないか?も「大丈夫?」だし頭を洗う時も「大丈夫?」だ。

普通「いいですか?」と聞くところをすべて「大丈夫?」とおっしゃる。

 思えば「大丈夫?は、女学生言葉だ。女子高校生たちは友達同士「大丈夫?」と云い合って友情を深めている。

 お風呂のおばさんたちもいつの間にか若返った気持ちになって「大丈夫?」「大丈夫?」と云って、若返っておられるらしい。そう思って聞くと余計に小母さんたちの若返り願望の強いのに驚かされる。

小父さんたちは高校生の頃に戻りたいなどとは1センチも思わない。

その2 鼠蹊部について。

 オソマツ君は発病前に比べると圧倒的に運動不足である。

そうすると皮膚病に罹りやすくなる。

 多分、運動不足は毛細血管の血流を弱め、白血球の劣化が起こり、いろいろな皮膚病に罹りやすくなるらしい。とまあこういうことでオソマツ君は皮膚科で塗り薬を貰っていて、 お風呂から出るとそのお薬を塗って貰う必要がある。

 そこで「ポケットのチューブの薬を鼠蹊部におねがいします。」と云うと「ハイハイ」といって塗って下さる。

 そのとき、オソマツ君が「女性の鼠蹊部は何と云うのかしら」と聞いたら「やっぱり、鼠蹊部でいいと思いますよ」とケアーさん。「でも、ネズミがいないがいいですか?」と僕。ケアーさんは、キョトンとしておられた。

 多分ケアーさんは、「この人も痴呆になられたか・・・・・・」と思われたに違いない、(T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今年も我が家にツバメは来ただろうか?

2017-06-11 | 気ままなる日々の記録

  住宅型有料老人ホームに夫婦揃って入居して3年になります。

 僕が明け方の5時にトイレに起きてその場に崩れ落ち救急車のお世話になって近くの総合病院に運ばれたのが12月25日。 そこでいろいろ応急手当てを受けて最後に脳のCT検査を受けて戴いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」というもので、総合病院から専門病院へ転院となり、さらにそこから、再度リハビリ設備が充実しているからということでここへ移るように云われて、今日に至っています。

 僕が育った生家は純粋な農村地帯にあって、廻らには田圃も畑もたくさんあって、夕暮れともなれば田圃からは蛙の鳴き声が聞こえ夜には蛙の鳴き声の大合唱に眠られないほどであった。5月ごろには前年我が家で育ったツバメが帰って来て巣の修理を始めそこに卵を産み2羽のツバメが交代で抱卵し子ツバメに餌を運んだ。子ツバメが大きくなる頃沢山の糞を落とすので毎朝巣の下を掃除するのが子どもの仕事になっていた。

 此処へ来てからも3階や5階の窓から眺めるのは決まって田畑でありその上を飛び交うツバメである。ここで発見したことはツバメは羽ばたきもせず何もしないのにスーッと天に昇って行くということである。よく見ていると、そこに上昇気流が起こっていてツバメはそこへ入って羽を広げているだけで天高く登って行きある高さまで来たとき少し羽を動かし45度下方へ向かって滑空する。

 その途中にとんでいる昆虫を食べて食事としているということである。毎年5月下旬にツバメが我が家に来ていたが、それは、昨年ここを巣立ったツバメだと云っていたが印をつけて調べたわけではない。ただ我が家の場合ツバメが出入りしやすいように壁の一角を切り取っていたが来たばかりのツバメがその穴を上手に使って出入りするので、子供の時に覚えたルートを思い出していると云えなくもない。

  

                     梅雨の合い間に

 

 

 

 

 


「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」

2017-06-11 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日、終日何の予定もない。僕はよほどの自由人願望が強いのか、これだけで、ワクワクする。

 そこで、新潮文庫の見出しの題名の文庫を読み始めた。 僕らが高校時代に習った日本史では、そこをキチンと教えてもらえなかった。戦犯裁判というものがあって、東条英機氏を始め7人ほどが死刑の判決を受けて処刑されたが、この裁判を行ったのはGHQで、日本政府ではなかった。 本来ならば戦後の新政府の手で、何故我が国は世界を相手に戦争をしてしまったかを、分析し「過ちは二度と起こしませんと」国民に示してほしかったが政府が主催する検討委員会も開催されなかった。

 日本人は本当に論理的でなく、都合の悪いことはすぐに「水に流す」ことが好きで、なかったことにしようとする傾向がある。 そのうえ「お祓い」をすれば、責任は問われないという傾向もある。新年を迎える時お宮で大切なことは、「水拭き」と「お祓い」である。日本人の傾向は、神道から来ているかもしれない。

  最後に、見出しの件ですが、日本のマスコミ(主に)新聞の罪を忘れてはならない。特に朝日新聞が顕著だったようだ。 日清戦争の頃から従軍記者を派遣し、「勝った勝った」と云う記事を書いたという。そうすると、新聞購読者が増加し、新聞社は増資をし、 発行部数を増やしたという。今まで新聞を摂っていなかった、家庭が新聞をとるようになって、新聞市場は活気に溢れたという。

 2.26事件や5,15事件によって、リベラルな貴族や知識人が軍人によって暗殺された影響で、リベラル派が口をつぐんだことも忘れてはならない。

 我が日本民族は短絡的なところがあり、複雑化する国際情勢の中で複眼思考とか、人道的思考を見失うことなく目立たなても、他国から尊敬される国でありたいものである。(T)

    

                                                             ブルーベリーのみ


子供の頃の思い出Ⅱ

2017-06-10 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君が子供の頃は7人家族だった。

 祖母に子供がなく、自分の妹を養女に迎えその養女に養子を迎えた。 其の養子がオソマツ君の父親である。

 ところで、僕が子どもの頃、母屋の東側にチョットした空地があって、そこに大きな枇杷の木があって丁度今頃、沢山黄色い枇杷の実を付けたものだ。 完熟を待って、収穫すると、これが、本当においしい。

 この木は鳥の落とし物から生えたのか、苗を買ってきて植えたものではなかった。

 子どもの頃はこの枇杷が美味しくて、よく食べたものだ。

 ところが。その頃祖母は偏頭痛に悩まされ、よく床に臥せっていて、そのうえ、「枇杷の木を屋敷に植えると、その家に病人が絶えない」という迷信を信じていて、 枇杷の木を切るようにといつもいっていた。子どもたちは大反対、で母は板挟みになって困っていた。

 その時、父が枇杷の木を中心に半径50センチくらいの円周上に槇の木を植え、この枇杷の木は屋敷の外の木だと云えばよい、と云い張った。

 というのも、我が家は屋敷の周りに槇の木が植えてあって、いわゆる生け垣が槇の木だったのだ。これには祖母も観念して枇杷の木を切るようにとはいわなくなって子どもたちは父を尊敬したものである。

 勿論養子の父が姑に直接そんなことをいうはずもなく、全ては母を通してのやりとりで、母も苦労が多かったものと思う。

 参考までに;琵琶には、薩摩琵琶とかいう浪曲に似た語り節があって、それを「唸る」と云っていた。

 その槇の木も今ではヒョロヒョロで見るも無残な姿になっていることだろう。第一日当たりが悪くて槇の木の新芽が育っていないだろうし、枇杷の木に押され槇の木は根を伸ばす余地もないことになっているだろうからである。(T)

    

                                                        淡路島からの琵琶 ↑


携帯騒動。

2017-06-08 | 気ままなる日々の記録

 主人の携帯が突然故障した。電源を入れると画面が出てくるが少し経過すると消えて真っ暗になってしまう。たまたま帰省した娘に相談すると即座に「買い替え」「買い替え」という。

私の気持ちも10年近く使っているのでそろそろ買い替えの時期かと思い始めた。

 気がかりなのは、新しく買い替えた携帯が、果たして操作できるかということ。本人は気落ちして入浴もしたくない様子。兎に角早くと思い次の日近くのドコモショップへ出かけた。

 私としては小さな電気製品でも買うつもりで出かけたが、それがとんでもない間違いであることが判明した。

 アンケートに記入したり、相談したりしている内に、新規購入ということになった。本人でないため委任状は持っているか、本人確認の書類はあるか、同居を証明できる書類はあるか。手帳はもっているか。と矢継ぎ早の質問にうんざりしてしまった。時計を見ると1時間半も経っていた。携帯一つ買うのにこんなに時間や書類が必要なのかと、改めてびっくりした次第である。次の日出直したらまた1時間以上かかかった。

 ヒトツダケ運がよかったのは、私が「80歳以上の老人がつかうのだから、操作が今までとさほど変化がないこと、使う目的は通話のみ」と主張して、今まで使っていたガラ系の形態とそっくりなのを探してくださったことだ。

 本人はいまのところ気分よく使っているが値段は今までのと比べると倍以上はしている。いろいろな機能が付いているに違いない、(E)

    

 

 

 

 

 

 

 

 


3階の窓から広大な尾張平野を見ています。

2017-06-08 | 気ままなる日々の記録

   僕は暇ができるとすぐ、いそいそと3階へ車いすを漕ぎ眼下の田畑をみに出かけます。間もなく田植えシーズンです。此処大口町は立派に耕地整理を行い縦30メートル横20メートル位の田圃に揃え、耕運機が入りやすい農道も作っています。最近は田植え機も使われており農作業の機械化も画期的に進みました。

 オソマツ君は30×20=600平方mの土地を水平に耕すということは機械には随分難しいことじゃないかと考え込んでしまいます。これをキチンと行わないと水を張ったとき浅い所と深い所が出来て機械で田植えをしたとき稲が沈んでしまったところと沢山頭を出しているところができて、きっと収穫量にも影響が出ると思えるからです。キャタピラー進むブルトーザー出た階部分の土を低い部分へ押していくという方法ではきっとうまくいかないだろうと考え込んでしまいます。ブルトーザーを押して土を水平にするという仕事はかなり高度な技術と測量機器が必要と思われますが、眼下の田圃は其れを見事にやってのけ水面から出ている稲がほとんど同じ長さに揃っています。

 それに、給水用の水路と排水用の水路を別にして静かな差し水で給水をした様子が見てとれます、多分1枚の田に水を張るのに1昼夜を掛けていると思われます。

 オソマツ君の家の方の田圃はこんなにうまくはいきません。初期条件の違いや農家の平均耕作面積の大小にも影響するわけで、耕地整理と一言で言っても大変難しい問題を内包しています。水平の実現も耕地整理後の農地の配分に伴う端数処理の問題まで、全て数学の問題です。

 更に農地の場合特別な法律があって、ウッカリするととんだ制限を受けます。これらを農民にとって、都合がよいように気を配りながら耕地整理をするということは、大変なことでした。(T)

   

 


ポール・ヴェルレーヌの詩

2017-06-05 | 気ままなる日々の記録

これも高校時代の国語の時間に習った詩である。まず詩を思い出すままに書いてみます。

  秋の日の ヴィオロンのため息 

  身に染みて  ひたぶるにうら悲し

  鐘の音に 胸ふたぎ 色変えて

  涙ぐむ 過ぎし日の 想い出や

  げに我は うらぶれて ここかしこ

  定めなく 飛び散ろう 落ち葉かな《ベルレーヌ作 上田敏訳)

堀口大学さんの訳もあるようです。

  ベルレーヌはユダヤ系ドイツ人で、本人がユダヤ系であることを隠そうと幾つものペンネームやファミリーネームの書き換えをやってたようで、

 詩の底流にある深い悲しみは、案外その辺に大元があるのかも知れません。

 しかし、この悲しみこそセンチメンタルの根源で青春につながるような気がします。オソマツ君も高校時代誰かに勧められて覚えたような気ががします。

 突然この詩の一部を思い出し、忘れた部分が気になって、やっとネット検索で調べたところです。

 左半身不随になって、特に最後の二行が身に沁みます。しかし、こんなことを云うとベルレーヌに叱られそうですのでどうか御内密にお願いします。(T)

 

  


藤村の詩です。

2017-06-03 | 気ままなる日々の記録

 

昨日またかくてありけり         今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)      明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の          消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば          砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り          岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ           百年もきのふのごとし
                   (百年(ももとせ)もきのふのごとし)

千曲川柳霞みて             春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて         この岸に愁を繋ぐ
                   (この岸に愁を繋ぐ)

私の好きな部分は

 嗚呼古城なにをか語り          岸の波なにをか答ふ
 過し世を静かに思へ           百年もきのふのごとし

です。丁度今NHKスペシャル取材班編著「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を読んでいるからかも知れません。それにしても、のんびりと、信州に遊び、こんな詩を書き

濁り酒濁れる飲みて 草枕暫し慰む。ですから羨ましいかぎりです。以上凡人の浅ましき感想です。シツレイしました、(T)

    

                                                  水が入り始めた田

 

 

 

 

 


アメリカの大統領トランプ氏について。

2017-06-02 | 気ままなる日々の記録

   アメリカファーストをかかげて大統領になったトランプ氏について、日本のマスコミは最近になって驚き、梯子を外されたように大騒ぎしているが、 僕はそれほど驚いていない。始めから分かっていると云った感じだ。

  僕は若い頃レンタカーでアメリカをフラフラした経験があるのでアメリカと云う国の「底の浅さ」をよくしっているからだ。

 「アウトオブデトロイド」というところでは白人街と黒人街の間には銃を持った警察官が並んでいたし、 職業として交通事故の被害者になって、家族を養っているという人たちがいることも知っている。決して伝統文化を誇る市民国家ではない。その点、イギリスと対照的だし、我が国の対極にある国と云えよう。

   地球温暖化防止のため各国が二酸化炭素排出量を規制しようというパリ条約からも脱退するという。

 アメリカと中国が共同歩調で難しい利害調整をしてやっと成立させたこの条約から脱退するということ自体参加各国に対する裏切りである。 たとえその条約を結んだのが民主党政権であっても、国としての人格に似た法人の様な責任がある。其れをトランプさんのようにあっさり破棄しては、とても、国際社会のリーダーたりえない。

 アメリカに指図されない外交権を確保し、独自の優れた外交官を育て、戦争をしない国になるよう歩み始めるべきだろう。トランプ氏は日本に米軍駐留費を請求すると云っていたこともあった。アメリカと云う国はスキャンダルを仕掛けて同盟国の政権を倒すということをする国である。このこともわすれないようにしたいものだ。(T)

    

                                                  蓮池にて  ドクダミ                        

 

 

 

 

 

 


真夜中の訪問者

2017-06-01 | 気ままなる日々の記録

   真夜中私の部屋のドアーがスーッと開いた。主人やケアーさんの場合、必ずノックをする。間違いと思いやり過ごしていたら、また、音もなく開いた。時計を見ると午前2時半である。それから、二度も三度も開いた。

   夢の中にいるのかと思ったが、念のため廊下に出てみると、キチンと洋服を着た白髪の老婦人が立ってみえる。「何階にお住まいですか?」と尋ねると「5階や6階位にいたことがあるが、昨日入ったばかりで分からない」とおっしゃる。分かるようで分からない話である。要するに自分の部屋へ帰れないのである。私の手には負えないと、ケアーさんを呼んだ。3階の部屋の方だった。

 四年前にも同じことが起きたことがある。私は難病に罹り市内の割合大きな病院に入院していた。重症にもかかわらず、治療方法はくすりを飲むのみということで、4人部屋に入っていた。

 或る日の夜中、大きなドスンと云う物音とその後同室の患者さんの「どうしたの?血だらけだよ・動いたらダメ。看護士さんを呼ぶから。」と云う言葉で目が覚めた。確か70歳前後の方だと思ったが、「私今どこにいるのか分からない」とわめいていた。点滴を受けている最中、出かけようとし、つまずいて転び、点滴の針が抜けてしまったようだ。看護士さんにひどく叱られていた。

 主人も一度だけ寝ぼけて真夜中私の部屋へきて、「今何をしたらいいのか」と聞いたことがある。私が「寝ればいい」と答えると、やっと寝ぼけていたことに気付いたという。

人間の脳は時々不思議なことを思うらしい。(E)

   

                                    前庭にて  テッセン

 

 

 

 

 


「ながら」運転事故について。

2017-05-29 | 気ままなる日々の記録

  今朝のテレビでチラッとみただけで、詳しくは分からないが、「ながら運転」をしていたトラックに撥ねられて息子を亡くした親が一審で言い渡された禁固2年とかの判決を不服として控訴したとかで、もっと重い刑罰をもとめているという。

 アメリカでは、同じような事故で、運転中には作動しないスマホを売り出すべきだという主張で、スマホのメーカーまでうったえられているという。

 確かに可愛い我が子が「ながら運転の」の車にはねられて亡くなっては親の気持ちはおさまりません。 それはよく分かりますが、だからといって「ながら運転」の刑罰をもっと重くすべきだとは思いません。

 筆者は、そもそも人間と云う動物はいい加減な動物で、どんなに刑罰を重くしても必ず違犯する人が出て、事故は起こると思うからです。 そしてまた、その「いいかげんさ」がいいところで、詩を作ったり音楽を聴いたりして楽しんでいることができると思うからです。

 人間の存在は気体的で決して固体的ではないと思うからです。

 だから、人間社会では必ず事故は起きる。勿論、事故が無いように精一杯努力はするわけだけれど、事故は起きます。 何故なら人間がやることだから、です。交通事故を皆無にするには、 人間が運転する車を無くし、人間が造った車もなくさなければなりません。新幹線の未事故記録も単に運がよかっただけで、 地震や突風に見舞われれば、何が起きるか分かりません。 そのときはそのときで、よく原因を調査し対策を立てて再開することになるでしょう。

 原子力発電もそうだと思います。運が悪いことが重なれば大事故になるでしょう。 そのときはそのときで、また対策をたてることになるでしょう。

 最悪の場合日本人が地球上から消えるかもしれません。

 だって、太陽がそのうちに大爆発をするという説もありますからね。 そんなとき、地球上で生きていても楽しくありませんし、第一生きておられないでしょう。

 人間という動物が原子力にまで手を出し始めた時から恐ろしことが始まったと思います。

 

また、大上段に構えてシツレイシマシタ。(T)

  

                    最近の蓮池

 

 

 

 

 

 

 


山吹の花

2017-05-28 | 気ままなる日々の記録

  春のこの季節,山吹の花を見ると思い出すことがある小学校5~6年の頃授業で聴いたはなしである。思い違いがあるといけないのでネットで検索したら少しの違いをみつけたのみであった。

  室町時代、若き日の太田道灌が鷹狩の帰り雨に合い蓑を借りるべくある小屋に入った。ところが、若い女の人が何も言わず山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後で山吹には{七重八重花は咲けども山吹のみの(蓑・実》一つだになきぞ悲しき」の意味が託されていたのだと教えられた。そこで自分の無学を恥じたという有名な話。

 今年になって、近所の散歩コースのある家の庭に山吹の木を見つけ毎日眺めていた。ところがある日ビックリした。白い4枚の花弁を付けた花が咲いたからだ。我が家にも山吹の低木があったが、色は黄色で八重であった。調べて見たら、白山吹と云うのもあることが分かった。

 もう一つびっくりしたことがある。数日後この白山吹が実を付けているのである。有名な話と矛盾してしまうがどうゆうことかと気になった。ひょっとして、山吹ではないのかと思ったりしたが、八重山吹の場合雄蕊が花びらに変化して八重咲きになり、雌蕊も退化するという。そのため実はならないが、一重の山吹には実がなることが分かった。

 有名な話が矛盾していなくてほっとした。(E)

   

                                         白山吹の実

 

 

 

 

 


ノイスバンシュテイン城

2017-05-27 | 気ままなる日々の記録

   「ドナウ川のさざ波」から話しが膨らみ脱線に次ぐ脱線で恐縮ですが最後に中世ドイツの名城中の名城が「ノイスバンシュテイン城」だといわれています。

 ところでドイツではそもそもお城とはなんであったか?。

 答えは国王の兵士の宿泊所であり、食糧や武器弾薬貯蔵庫でした。ところで、 名城中の名城として有名なノイスバンシュテイン城だが、このお城を造った王様は勿論近隣諸国で一番大きくて頑丈なお城をおつくりになった。ところが、完成して間もなく自分の領民の襲撃に合って殺されてしまわれたといいます。このお城の建築に莫大なお金が掛かり、確かに他国から責められる心配はなかったが、領民から多大な税金を取ることになり領民の襲撃に合い王の兵士も領民に味方し、王は殺されてしまったと云います。

 例えば日本が北朝鮮の襲撃を恐れて陸自、海自を充実させ、原爆も装備して外部からの攻撃は大丈夫となったころ、重税に喘いだ国民の反政府デモに合い、国民によるクーデターにあったようなものです。

 近代も中世も、更には東洋も西洋も同じで、政治判断の難しさがここにあると云えます。(I)

 

  ノイシュバンシュテイン城