五十歳で三井物産を退職、本職の作家になった高任和夫
高任和夫(たかとう・かずお)は一九四六年宮城県の生まれ。高校時代、「法律をやったほうが、あとあとつぶしがきくぞ」という友達のことばもあり、東北大学法学部に進む。後年、そのことを「安易なのである」と本人は述懐している(『依願退職 愉しい自立のすすめ』二〇〇二年・講談社文庫)。一九六九年に東北大学法学部を卒業、大学の学生課で勧められ、商社が何をする会社かを知らずに三井物産に職を得た。当時は、現在と違い就職戦線は売り手市場。その時代を彷彿とさせるエピソードがある。高任和夫は『四十代は男の峠』(一九八九年・講談社)の中で、自動車メーカーのスカウトから特上の鰻をご馳走になったことを回顧している。食後、そのスカウトが鰻屋で領収書をもらうのを目撃し、会社における「接待費」というものの存在を知った(一二二ページ)。ところが、鰻をご馳走になった自動車メーカーは、試験日の都合か何かの理由で受験はしなかった由。
三井物産広報室編『物産マン 地球まるごとレポート』(一九八五年・オーエス出版)という本がある。総合商社三井物産は世界各地に一五九の支店がある。そのうちの約八十店から集めた「世界の素顔」が寄せられている。例えば、上海のページには「共通語は北京語だが、子供をしかるときは上海語」、フランスのページには「ワインの国だけに“飲酒運転”は黙認」といった項目が並ぶ。高任和夫が三井物産で携わったのは、この本に出てくるようなグローバルに活躍する総合商社のイメージとは全く異なる職種。取引先企業の与信審査が仕事だ。法律の素養はもちろん財務・簿記などの知識を必要とする専門職である。目立たないが商社にとって重要なポジションにある。高任和夫は、入社四年後に広島に転勤になった頃から、俄然仕事が面白くなっていく。取引先が倒産しそうだ。日帰りで出張、延々と続く会議・・・・。そんな毎日。どんどん仕事に没入していった。
仕事熱心だった高任和夫。しかし、五十歳で三井物産を退職して本職の作家になる。その契機は前出『依願退職』に出てくる。最初の小説は一九八五年に刊行した『商社審査部25時』(商事法務研究会)。もともとは雑誌「NBL」に連載されたものだった。法律専門雑誌「NBL」の編集長から「商社の与信管理手法について、ウチの雑誌に連載しないか」という依頼が来る。それに応えて出来たのがこの作品。経済小説の形式をとって掲載した。この作品を連載した一年半は苦しみの連続だった。会社では通常の仕事をこなしながら、土日曜日中心に小説を書く。徹夜して気がつくと夜が白々と明ける。そんな経験を何度もした。それでも小説を書き続けられた理由。それは、上司とのソリが悪かったからだ。「サラリーマンが上司に恵まれるのは、一生をつうじて二割か三割だろう」と高任和夫は語る。当時の上司は債券管理などという泥臭い仕事を嫌った。派手で大向こう受けする成果を部下に求める。そんな人物だった。そんな中、高任和夫は地道に債券管理に苦闘する男たちの物語を書いていた。二冊目の本は四十二歳のときに出したエッセイ集『四十代は男の峠』(講談社)。小説を書く苦しみに懲りて、新聞に八〇〇字の字のエッセイを週一回連載したのだった。次に引用するのが、同書第二章「四十歳の峠」の中の「研修」という作品の一部。『四十代は男の峠』の徳間文庫(一九九三年)の「解説」で、江波戸哲也も引用している印象的な部分だ。
○
入社したてのころ、那須高原で合宿研修があった。このとき、新入社員が初めて一堂に会した。
――しまった。間違った。
と、思った。
私はそれまで東北のほかに世間を知らない。ところが、同期入社の男たちは圧倒的に東京の私大が多いのだ。
(中略)
いかにも都会的な男たちを横目で眺めながら、間違ったと思うと同時に、連中、ちょっと軽薄そうで嫌だな、とも感じた。
○
一九九六年、五〇歳を機に会社を辞める。その直後に書いたのが『転職』(一九九八年・講談社)。この本はタイトルを変え『依願解雇』として二〇〇二年に講談社文庫の一冊として出版された。最近、講談社文庫の新刊として発行されたのが『告発倒産』。百貨店を舞台にした総会屋への利益供与事件を扱う。身に覚えのない利益供与の疑いで逮捕された総務部長の倉橋信彦(四十七歳)。身の潔白を訴えても信じてもらえない。「会社も弁護士も変だ」と思っていたが、会社ぐるみの犯罪だったものが、個人の犯罪にと決め付けられていく。会社は、成瀬を突き放したまま。成瀬の罪に対しては、懲役六ヶ月、執行猶予二年の判決が出る。『告発倒産』を読み進んでいくと物語はサスペンスに変じていく。最初の作品『商社審査部25時』の印象が強く残っており、『告発倒産』のサスペンス調が意外に思えた。高任和夫はいつの間にか作品の分野の幅を広げてしまっている。
私が初めて高任和夫に会ったのは一九八七年六月十九日。辛口評論家として知られる佐高信が主宰する勉強会「財界研究会」でのことだ。その日のスピーカーは漫画家の杉浦日向子だった。高任和夫が『商社審査部25時』を出版した翌々年に当たる。場所は、私の勤務先から歩いて五分もかからない神田の新東京ホテル(今はない)の会議室。財界研究会も終わりを告げ、最近は高任和夫と会うことが殆どなくなった。本稿を書くにあたって『四十代は男の峠』を初めて読んだ。面白かった。この本が出た当時、私と高任和夫とは財界研究会の月例会(最終回は一九九二年六月十九日)で何度も会っていたはずだ。ところが、『四十代は男の峠』を読んでいなかった私は、この本をネタにすれば(どちらかというと無口で愛想がない)高任和夫と会話を発展させていけたのに。今になってそう思う。財界研究会では、時々思い出したように「同窓会」のごときものを開く。次回、高任和夫に出会ったときには『四十代は男の峠』をサカナに大いに語り合いたい。
高任和夫(たかとう・かずお)は一九四六年宮城県の生まれ。高校時代、「法律をやったほうが、あとあとつぶしがきくぞ」という友達のことばもあり、東北大学法学部に進む。後年、そのことを「安易なのである」と本人は述懐している(『依願退職 愉しい自立のすすめ』二〇〇二年・講談社文庫)。一九六九年に東北大学法学部を卒業、大学の学生課で勧められ、商社が何をする会社かを知らずに三井物産に職を得た。当時は、現在と違い就職戦線は売り手市場。その時代を彷彿とさせるエピソードがある。高任和夫は『四十代は男の峠』(一九八九年・講談社)の中で、自動車メーカーのスカウトから特上の鰻をご馳走になったことを回顧している。食後、そのスカウトが鰻屋で領収書をもらうのを目撃し、会社における「接待費」というものの存在を知った(一二二ページ)。ところが、鰻をご馳走になった自動車メーカーは、試験日の都合か何かの理由で受験はしなかった由。
三井物産広報室編『物産マン 地球まるごとレポート』(一九八五年・オーエス出版)という本がある。総合商社三井物産は世界各地に一五九の支店がある。そのうちの約八十店から集めた「世界の素顔」が寄せられている。例えば、上海のページには「共通語は北京語だが、子供をしかるときは上海語」、フランスのページには「ワインの国だけに“飲酒運転”は黙認」といった項目が並ぶ。高任和夫が三井物産で携わったのは、この本に出てくるようなグローバルに活躍する総合商社のイメージとは全く異なる職種。取引先企業の与信審査が仕事だ。法律の素養はもちろん財務・簿記などの知識を必要とする専門職である。目立たないが商社にとって重要なポジションにある。高任和夫は、入社四年後に広島に転勤になった頃から、俄然仕事が面白くなっていく。取引先が倒産しそうだ。日帰りで出張、延々と続く会議・・・・。そんな毎日。どんどん仕事に没入していった。
仕事熱心だった高任和夫。しかし、五十歳で三井物産を退職して本職の作家になる。その契機は前出『依願退職』に出てくる。最初の小説は一九八五年に刊行した『商社審査部25時』(商事法務研究会)。もともとは雑誌「NBL」に連載されたものだった。法律専門雑誌「NBL」の編集長から「商社の与信管理手法について、ウチの雑誌に連載しないか」という依頼が来る。それに応えて出来たのがこの作品。経済小説の形式をとって掲載した。この作品を連載した一年半は苦しみの連続だった。会社では通常の仕事をこなしながら、土日曜日中心に小説を書く。徹夜して気がつくと夜が白々と明ける。そんな経験を何度もした。それでも小説を書き続けられた理由。それは、上司とのソリが悪かったからだ。「サラリーマンが上司に恵まれるのは、一生をつうじて二割か三割だろう」と高任和夫は語る。当時の上司は債券管理などという泥臭い仕事を嫌った。派手で大向こう受けする成果を部下に求める。そんな人物だった。そんな中、高任和夫は地道に債券管理に苦闘する男たちの物語を書いていた。二冊目の本は四十二歳のときに出したエッセイ集『四十代は男の峠』(講談社)。小説を書く苦しみに懲りて、新聞に八〇〇字の字のエッセイを週一回連載したのだった。次に引用するのが、同書第二章「四十歳の峠」の中の「研修」という作品の一部。『四十代は男の峠』の徳間文庫(一九九三年)の「解説」で、江波戸哲也も引用している印象的な部分だ。
○
入社したてのころ、那須高原で合宿研修があった。このとき、新入社員が初めて一堂に会した。
――しまった。間違った。
と、思った。
私はそれまで東北のほかに世間を知らない。ところが、同期入社の男たちは圧倒的に東京の私大が多いのだ。
(中略)
いかにも都会的な男たちを横目で眺めながら、間違ったと思うと同時に、連中、ちょっと軽薄そうで嫌だな、とも感じた。
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一九九六年、五〇歳を機に会社を辞める。その直後に書いたのが『転職』(一九九八年・講談社)。この本はタイトルを変え『依願解雇』として二〇〇二年に講談社文庫の一冊として出版された。最近、講談社文庫の新刊として発行されたのが『告発倒産』。百貨店を舞台にした総会屋への利益供与事件を扱う。身に覚えのない利益供与の疑いで逮捕された総務部長の倉橋信彦(四十七歳)。身の潔白を訴えても信じてもらえない。「会社も弁護士も変だ」と思っていたが、会社ぐるみの犯罪だったものが、個人の犯罪にと決め付けられていく。会社は、成瀬を突き放したまま。成瀬の罪に対しては、懲役六ヶ月、執行猶予二年の判決が出る。『告発倒産』を読み進んでいくと物語はサスペンスに変じていく。最初の作品『商社審査部25時』の印象が強く残っており、『告発倒産』のサスペンス調が意外に思えた。高任和夫はいつの間にか作品の分野の幅を広げてしまっている。
私が初めて高任和夫に会ったのは一九八七年六月十九日。辛口評論家として知られる佐高信が主宰する勉強会「財界研究会」でのことだ。その日のスピーカーは漫画家の杉浦日向子だった。高任和夫が『商社審査部25時』を出版した翌々年に当たる。場所は、私の勤務先から歩いて五分もかからない神田の新東京ホテル(今はない)の会議室。財界研究会も終わりを告げ、最近は高任和夫と会うことが殆どなくなった。本稿を書くにあたって『四十代は男の峠』を初めて読んだ。面白かった。この本が出た当時、私と高任和夫とは財界研究会の月例会(最終回は一九九二年六月十九日)で何度も会っていたはずだ。ところが、『四十代は男の峠』を読んでいなかった私は、この本をネタにすれば(どちらかというと無口で愛想がない)高任和夫と会話を発展させていけたのに。今になってそう思う。財界研究会では、時々思い出したように「同窓会」のごときものを開く。次回、高任和夫に出会ったときには『四十代は男の峠』をサカナに大いに語り合いたい。