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エスペラントと情報整理学についての自分史

2006-05-08 05:16:39 | Weblog
エスペラントと情報整理学についての自分史

私が初めてエスペラントのアルファベットの現物に接したのは1957年5月。神戸高校に入学直後のことだ。海外文通クラブというクラブ活動があり、文化祭の展示で見た。このときの海外文通クラブの部長(3年生)は池上徹。現在、神戸市で弁護士を開業している。
文化祭での展示は、神戸市外国語大学貫名美隆教授(英文学・参考科目としてエスペラントを講義)の援助で作成したと聞いている。その年の秋、私は伊東三郎「エスペラントの父ザメンホフ」(岩波新書)を読み“感動”した。そして城戸崎益敏「エスペラント第一歩」(白水社)を購入、独習を始めた。翌年には日本エスペラント学会に入会する。更に1959年1月には、神戸エスペラント協会の新年会に参加、そこで初めて音声としてのエスペラントを耳にした。由里忠勝、宮本新治等全国的にも有名なエスペランティストを知る。
神戸大学経済学部に入学したのが1960年、エスペラントを学習していたので、迷わず第二外国語は(ラテン系の言語である)フランス語をとった。経済学部の約90%の学生はドイツ語を選択する。そのため、文学部・工学部の学生たちで構成されるクラスに配属となる。同じクラスに後年落語家となった桂枝雀(文学部中退、本名前田達、1939-1999)がいた。桂枝雀は、落語家になってからエスペラントを学んだらしい(週刊現代1981年3月12日)。しかし、彼の死により、フランス語の教室の思い出やエスペラントについて語り合う機会は永久に失われてしまった。大学入学直後は、所謂「60年安保」の嵐が吹き荒れる。神戸高校の4年先輩にあたる樺美智子の死の衝撃は大きかった。神戸大学では、高校の同級生として生前の本人を知る人も多く、また樺美智子の父(樺俊雄)がかつて神戸大文学部教授であったことから子供時代の樺美智子を知る教授もいた。この年の秋、中央公論社から『学者商売』が出た。著者は一橋大学の野々村一雄教授(ソビエト経済論)。大学教授の貧乏話があるかと思うと、色っぽい話もでてくる。その後、20年近く経った1978年に、『学者商売』は新評論社から新版が出た。もうひとつ、『学者商売その後』という続編も同時に刊行された。野々村一雄は大阪商大(現大阪市大)予科時代にエスペラントを学んだことがある。そのことが『学者商売』に出ていた。なお、『学者商売』という本は「情報整理学に関する先駆的文献である」という説が1978年11月6日付読売新聞に出ていた。確かに『学者商売』の目次には「書物の集め方について」、「書物の整理について」、「読書について」といった項目が並んでいる。まさに至言だ。後年分かったことであるが、野々村一雄は亡くなるまで日本エスペラント学会の会員だった。それなら一度ぐらいは謦咳に接するチャンスはあったのに、今更ながら残念に思う。
大学4年の時、父が東京転勤。私はカトリック教会が経営する学生寮六甲会館で一年間を過ごした。この寮の一部の部屋を利用して語学教室が開かれていた。そのためドイツ人エスペランティストS.Knorr神父の姿を時々見かけた。寮の食堂でKnorr神父と交わしたエスペラント会話。約40年前の懐かしい思い出である。
大学卒業間近の1964年1月、学生寮の石油ストーブで暖をとりながら、加藤秀俊『整理学 いそがしさからの解放』(中公文庫)を読んだ。この本は『学者商売』を除くと初めて読んだ情報整理の本。今でも折に触れ参照している。『整理学 いそがしさからの解放』に、「無限の情報のなかから使うに価する情報を主体的にえらぶ」(136ページ)という箇所があり、傍線が引いてある。情報整理の真髄は、この言葉で十分に言い尽くされている。要るものを保存・整理し、不要のものは廃棄するか(それを必要とする)友人・知人に贈呈する。または、図書館に寄贈する。また、近所の図書館で容易に読める「ありふれた本」は、買わない。以上は、私が日常的に心がけていること。一人の人間があらゆるテーマに関心が持てるわけがない。個人個人の関心事はおのずから絞り込まれているはずだ。 
社会人になってからの1969年、梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)が刊行された。この本は発売と同時に購入、7月21日付の初版本をいまだに所持している。エスペランティストの著者だけあって、エスペラントについての言及があり、そこには同じく傍線が引いてある。この本では、カード式情報整理に特色があるが、この点について私は全く影響を受けていない。本以外の紙情報としては(古典的な)一件一葉のスクラップファイルを使い、必要に応じてそのファイルに封筒を綴じ込み、その中に来信ハガキや封書を入れたり、小型のチラシを放り込んだりもしている。このファイル帳の増加が悩みの種。40年間続けているので、自宅内の棚を占領しはなはだ評判が悪い。しかし、モノを書く身になると、このファイルが極めて役に立つ。リアリティーのある文、説得力ある文を書くためには独自に集めた資料が必要だ。本稿冒頭で読売新聞の記事を紹介したが、これは現物を持っているからこそ可能となる。情報整理の本は好きなので板坂元『考える技術・書く技術』(1973年・講談社現代新書)、立花隆『「知」のソフトウェア』(1984年・同)なども読んだ。野口悠紀夫『超整理法』(1993年・中公新書)も読んだが、これは走り読み程度。
最近になって、情報管理のオーソリティー中村幸雄(1917-2002)のことを少し詳しく知った。中村幸雄は東京帝大理学部卒。逓信省勤務を振り出しにNTTに勤めたり大学で情報論を講じたりした。おびただしい数の情報管理の本や論文を書き、1981年から1992年まで情報科学技術協会の会長の職にあった。外国語が得意で英独仏西伊にはじまりフィンランド語やインドネシア語も学んだ。エスペラントも勉強し、一時は日本エスペラント学会の会員だったこともある。ただし、エスペラントに関して自分はEsperanto-uzanto(エスペラント使用者)であり、エスペラントの「使徒」ではないとチョット距離を置いている。中村幸雄とは一度だけ会ったことがある。赤坂泉クラブ開かれた記録管理学会の会合で、丁度前の席にいて差しさわりのない話をしていたが、「外国語を色々勉強している」との発言があったので、「エスペラントを話しますか」と、エスペラントで質問したところ、直ちにエスぺラントで答えが返ってきた。ここまで書いて気づいた。情報整理の本を書く人たちに何故エスペラント関係者が多いのだろうかということだ。これはおそらく「合理主義的考え方」をする人はエスペラント(例外のない文法規則、例えば名詞はtomato、piano、banano、bombo、societo等すべて“o”で終わる)に惹かれることによるのだろう。