百醜千拙草

何とかやっています

まあ、いいか

2020-08-07 | Weblog
いろいろ仕事の行き詰まりとか資金問題とか人間関係とか健康問題とか悩みは尽きぬ日々であります。しかし、一日一日着実に、ゴールの日に近づいているという事実は最終的に残される希望だと思って、前向きにやっています。

振り返れば、若い時に望んでいたものの多くは手に入らないまま、この年まできたわけですが、幸いなことに、もはやそうしたものには興味がなくなってしまいました。もうちょっとすればやりたいことをする自由も手に入るだろうとと思っているわけですが、じっと考えてみると、はて、やりたいこととはなんだろう、若い時にはいろいろあったはずなのに、という気分になります。(今の生活でまずまず満足しているからかも知れません)

それでも「まあ、いいか」と思えるようになったことは年をとることの効用ですね。体力の衰えはもうどうしようもありません。多くのことが面倒くさくなりつつあります。それでも、「まあ、いいか」と淡々とやれるようになりました。若い時は様々なものに対する願望とかもあり、その分、焦りとか不満とかも多くありました。夢とか目標とかもありました。今から思えば、若いというのはなかなか大変です。

先日、約二年間、技術員として働いてくれた若者が、研究や医学ではなく別の道に進む決心を固めたと話にきました。パン作りが趣味なのは知っていたので(因みに20台男性)、異国の料理学校に一年半、留学してパティシエの道を目指すのだ、と言われても、驚きはなかったです。料理と実験は似たところがあって、普通、実験ができる人は料理もうまいです。全体のプロセスをみながら、要点を押さえつつ、段取りして各手順をこなすことができる人、問題が起きた時に、その原因をすばやく突き止めて、すぐに解決法が思い浮かぶ人、それでいて、小さなことを邪魔臭いと思わずに丁寧にできる人、はどんどん上達していきます。彼の場合は、仕事が安定しており、退屈なルーティンな仕事でもキッチリできるので、パティシエは向いていると思います。

夢を求めて体一つで国を飛び出せる若者は眩しいです。私も若い時は、ヤマハに入ってピアノ職人になるとか、船医になって世界中を回るとか、保健所に勤めながら小説を書くとか、そこそこ具体的な夢がありましたが、結局、小学生の時の卒業文集に書いた漠然とした将来の夢に沿った人生になっています。

若い時に、もうちょっと頑張って冒険していたらよかったかなあ、とも思いますけど、今となっては、「まあ、いいか」で、後悔することもなくなりました。後悔があるとしたら、過去の人間関係ですね。もっと親切にしておけばよかったとか、身勝手な振る舞いをしたとか、素直でなかったとか、大昔ことでいまさらどうしようもないし、多分、相手はすっかり忘れてしまったようなことでしょうけど、時折、思い出しては後悔します。
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