百醜千拙草

何とかやっています

No Nukes! (23) 空気を読んでいる場合ではない

2011-06-10 | Weblog
原発事故、全く収拾の目処がつかぬまま、3ヶ月以上が経ち、福島県のみならず、関東一円で飛散した放射線物質による汚染状況が深刻なものであることがわかってきました。それでも、このような危機的な事故は史上初めてであり、政府は国民の健康よりも我が身の保身を気にして情報制限するし、無根拠に「直ちに心配はない」とか言っているし、関東住民もどう対応して良いのかわからないので、原発事故は遠くの違う県の話だと割り切って、事故前と同じ日常をとりあえず継続している、そんな感じではないのでしょうか。この放射能による影響が出てくるのは多分数年後で、少なくともそれに備えてしっかりした疫学調査プロジェクトを今から計画しておくべきでしょう。既に、放射性物質の吸引などが原因と考えられる鼻粘膜、気管粘膜の障害で鼻血が出たり、気管支炎を起こしたりしている関東住民の話を聞きます。彼らが持続する放射性物質への被曝で晩発性障害が出てくるのが数年後、その時にはおそらくかなりの数の患者数になると思われます。直ちに影響のないレベルの放射線は数年後には相当なレベルの健康被害を生むのは間違いないでしょう。その時に国や東電が被害者の人を救済できるとはとても思えません。例によって、彼らは責任から逃げようとするはずです。
 ならば、国民は国も加害者の良心も当てにできない以上、自分の身は自分で守るしかないのではないでしょうか。可能であれば、できるだけ西へと移動し、口に入れるものは放射性物質の混入の有無を確認して

日本はあれだけの土地とその土地での人々の生活と経済基盤を失ってしまいました。失われた土地は、原発事故の収束が見えない今、更に拡大していく可能性が大きいです。
にもかかわらず、日本政府は、ドイツのように原発を止めると言えないのです。政府が原発を止めるという方針を打ち出して道筋をつけないことには、いつかまた確実に起こる次の原子力大災害まで危険を先送りするだけになってしまいます。今ある50基余りの原発は多くが耐久年数を越えつつあり、原発はますます危険なものになっていっています。あと、一二回、福島並みのことがおきれば、日本は壊滅するでしょう。

日本の優柔不断さについて、高野さんはThe Journalの中で次のように言っています。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/06/post_772.html

 日本ではなかなかそうはいかなくて、誰もが「原発はもうダメなんだろうなあ」とは思いつつも、なおその巨大利権を貪ろうとする政治家がおり、電源開発3法による政府交付金や電力会社のバラマキに運命を託した自治体があり、「そんなことを言っても停電になったらどうするんだ」と怯える国民もいて、すべては情緒的なレベルで漂うばかりで、「原発をどうするのか」という本格的な議論はまだ始まってもいない。



情緒的レベルで漂って、空気を読みながら、言葉によらずに集団合意を形成するという日本の昔ながらのやり方は、原発の議論においては通用しないと思います。日本人は理詰めで言葉を使って議論して、その言葉に誠実に決断を行うということを嫌がります。これではいつまでたっても民主主義国家になれません。言葉に責任を持ち、誠実に己の意見を語るという人間としてのintegrityが民主主義の前提となっているわけですが、日本の政府にはウソつきやペテン師が多すぎるのです。アメリカでは議員が不倫をするということが、辞任を求める理由になります。特に、それを隠そうとしてついたウソがばれた場合は、ダメです。ウソをついたり、誠実さがない人間に民衆の代表として国家を任せてはおけない、ということだと思います。

自分の考えを誠実に語り、自分の言葉に責任を持つ、そのあたり前のことができて初めて日本で民主主義が始まるのでしょう。鳩山氏、空きカンを「ペテン師」と呼んだことを「冷静さを欠いた」と謝罪したそうですが、その必要はないと思います。ペテン師をペテン師と呼ぶのが悪いという遠慮の方がペテン師をつけあがらせる原因です。西岡議長のように、己の立場で責任を持って正しいと思ったことを正直に主張することから議論が始まります。理詰めの議論を嫌って、空気を読んで行動する、そのような悠長なやりかたでは、この緊急状態では原発の汚染は広がる一方です。

しかし、原発の問題は日本の民主主義の成熟を待ってはいられません。空きカンの後の人が、原子力政策に強いリーダーシップを発揮することができないのなら、私は、日本はもう一回、外国にでも占領されて、力ずくで動かしてもらう方が、長期的にはまだマシなのではないかと思ったりするのですけど、空きカンの後の困難を引き受けれるような器量のある人間を若手では私は思い浮かべることができません。
コメント
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