↑のリンク先によると、本物のエリザベス1世は、 Elizabeth is well known for having the deep amber brown eyes of her mother (Anne Boleyn) and the bright-red coloured hair of her father (Henry VIII). なんだそうで。 ヘンリー8世、赤毛だったのか・・・。
実は私も、今月11日の書き込みでは Wikipedia の「サンチョ4世」の記事(英語版、スペイン語版)に書かれている「Don Juan, his uncle」や「hermano de Alfonso XI」というのを鵜呑みにして、よく調べずに記事を書いちゃってたので、いつかは訂正せねばと思ってたんです~(苦笑)。 ホアン叔父(マヌエル王子)がフェルナンド王子の息子のアルフォンソ王子派だったように書いてしまってますが、そういう事実があったかどうかはわかりません(他のソースを探してないし)。 むしろ、1282年頃にはサンチョ派だったというような説があったりします(苦笑)。
Wikipedia の「サンチョ4世」の記事に書かれている「叔父ホアン」は、内容からすると「弟ホアン」のことだと思われます。 ビスカヤ領主ロペ・ディアス3世・デ・アロが処刑された事件は1288年で、弟ホアンもこの件で投獄されていますし、タリファ城の攻防もソースによって1291年~1294年とばらつきがありますが、いずれにせよ、マヌエル王子のことではないです。 多分、Wikipedia の記事を書いた方が勘違いしていたのではないでしょうか。
リンク先の ― 172 ― のブロックの下よりに、次のセンテンスがあります。 a tournament at Smithfield, at which Richard II presented John of Gaunt with a golden crown in anticipation of his coronation in Spain これによると、どうやら、リチャード2世がランカスター公のカスティーリャ王としての戴冠のために王冠を用意したというのは、本当のことらしいですね。 その王冠がどうなったかまでは、わかりませんが・・・。
因みに↑の頁は、カリフォルニア大学の運営するサイトで公開されているコレクション「eScholarship Editions」の中の1冊で、チョーサーに関するもののようです。 タイトルは「The Naked Text Chaucer's Legend Of Good Women」 著者は Sheila Delany さんです。
ここのサイトさん、背景色がグリーンベースになっているほうが「Surname=苗字」、ブルーになっているのが「First Name」となっていて、「Behind the Name」というロゴをクリックするとそれぞれのトップページに行けるようになってます。 検索窓では、名前そのものからだけでなく、意味からも検索できるようになっていて、とても便利(笑)。
家名としては、王様の場合は「Borgoña=Burgundy」で、Wikipediaスペイン語版の王様の記事には「Pedro I de Borgoña」の表記がありますが、他では見たことがないです(苦笑)。 「Borgoña」の他に「Anscarids:アンスカリ」とか「Ivrea:イヴレア」という表記を使ってる系図サイトさんもありますが、「イヴレア家一覧」などのように使っていても、王様の名前の綴りに入れているのは見たことないですね~。
私の脳たりんの頭ではチトもう限界・・・(あはは)
>染髪料
執事に揃えさせているとみた!!
だって少佐はZと違い、床屋さんにあまり行って無さそうなんでもん
アップになったとき生え際みたら、白いのがあったりして~~!!
金髪は金髪の両親からしか生まれない・・・というのは、
「表現型としての金髪の両親からしか生まれない」
ではなくて、
「両親から金髪になる遺伝子を受け継ぐことが必要」
っていう意味だったのですわ~(苦笑)。
つまり、↑の英国王室の例だと、
「チャールズ皇太子も、金髪になる遺伝子を持っている可能性」
が、限りな~く高いってわけで。
息子君達の髪が金髪といっていいような色なのは、何も特別なことじゃなかった・・・と。
この例じゃあ、
「金髪の人も、濃い色の髪になる遺伝子を持っているかもしれない」
などというのは、まったく説明不可能だってことで(苦笑)。
ううむ、また別の可能性を探らなくてはなりませんな~。
でも、髪色の遺伝については、完全には解明されていないらしいしね~?(←しつこい!)
>少佐染髪疑惑
あの激務ですからねぇ・・・(苦笑)。
タバコ吸ってなくても、若いうちから白髪が出てる可能性は大有りかと。
馴染みの床屋で染めてもらっているのか、はたまた執事に買いにいかせているのか・・・自分で買ってたりして?(爆)
確か金髪でも生活する場で色が変わったり・・・という事はあるみたいですよね~
ずいぶん昔の話ですが、ケント・ギルバートさんが日本に来日されたとき、とても綺麗な金髪でしたが、ずーっと日本で暮らしていると、髪が茶に近くなっていたような・・・
>王様のハゲ疑惑
うんうん、レオノールの家系のせいにしてしまいましょう~
じゃないと、少佐にまでハゲ遺伝子が(汗)
でもさ、少佐って見事な黒髪だけど、御年を考えると白髪だってかなーり出ててもおかしくないのよね・・・
(私は白髪だらけなので染めてまーす)
やはり染髪疑惑??
風呂場で♪フンフンフンと鼻歌歌いながら、上半身裸でビ○ンのワンプッシュなんかで染めているのかしら?
いや~ん、伯爵並みの妄想全開(爆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AA%E3%81%AE%E8%89%B2
に行き着き、ヘビースモーカーの少佐にはうれしくないお話が出てきました。
少佐染髪疑惑…。
ま、ウィキは間違っていることもあるし…。
そういえば、禿の遺伝って、どうなってるんだ?
母方は関係ないですか?
ところで、王様の髪って、どういう感じの金髪だったんでしょうね?
ほら、金髪って言っても、いろいろあるわけですし・・・。
今のイギリス皇太子は、若い頃の写真などを見ると黒っぽい色の髪で、故ダイアナ妃は金髪、生まれた王子達は二人とも金髪と言っていいような色の髪ですよね?
ってことは、「金髪は金髪の両親からしか生まれない」というのは、混じりけのない純粋な金髪に限った話なんじゃないか・・・なんて思ったりするんですが。
それ以外の金髪ならば、案外、親から「濃い色の髪」になる遺伝子を受け継いでいたりするんじゃないのかな~?
もし王様がそういう遺伝子の持ち主なら、子孫に黒髪の形質が遺伝することもあるかな・・・と、あくまでもこだわる私でした~(苦笑)。
と、殆ど意味なきことを書き連ねました。
でもさ、王様の遺伝子ってことはエンリケともつながっているんだよね??
金髪であの髪質、そして晩年のエンリケの髪型・・・
ティリアンも長生きしたらパゲになっていた可能性もあるのかしら?(汗汗)
そして少佐の父上の現在が気になるんですがー!!
渋いロマンスグレイなのか、執事さんなみのツルツルぴかぴか(あるいはバーコード)なのか・・・
クラウスパパ~!出てきて~!!
だから、10年近く前の公開だというのを初めて知ったんですよ~(笑)。
今度のも、多分TV放送待ちかな~。
何年待たされるかな~?(苦笑)
>金髪→黒髪
えっとね、あくまでも「王様からの」黒髪の形質の遺伝ってところにこだわりたかったんです~。
だから、王様が実は金髪だったと知って「そんなぁ~!」と思ったのですよ(苦笑)。
でも、例外はきっとある筈・・・(無理かしら~?)
やはり。同じ名前が多いから、こういう間違いってあるんですね~
誰か訂正してくれないかな?と思っているんですが・・・
(日本語以外のページだったので私には無理ですけど)
>エリザベス
そっか~日本公開していたエリザベスの続編になるのね~
いつか○曜ロードショーで二夜連続でやってくれないかしら?
(あるいは2週連続でも可)
ビデオ屋が遠いので、TVに頼りきりの私です(笑
)
>ティリアンと少佐の黒髪
王様が金髪でも、彼らが庶子(ディエゴくんか?)の子孫だとしたら、愛妾となった人の髪によっては黒髪は十分ありえるかと・・・
つーか、ティリアンの時代には黒髪になっていた可能性の方が強いかも
だってティリアンのお母さんもジェラード・ペルーも黒髪だったしね~
これじゃ、Wikipedia の間違いのことなど言えませんわ(苦笑)。
誤 子孫の項に「王様の孫のペドロ」
正 子の項に「王様の孫のペドロ」
「子孫」の項なら、「王様の孫のペドロ」の子供が書いてあるのは当然ですからね~(苦笑)
。
記事中の名前に貼ってあるリンクから、同名異人の記事に飛ばされたこともありますし・・・。
誰でも編集できてしまうので、仕方がないんでしょうかね~(苦笑)。
王様関係では、日本語版でホアナの代わりに捨てられたことになっていたマリアの部分は、その後修正されたようですが・・・(苦笑)。
ポルトガル語版では、子孫の項に「王様の孫のペドロ」の子供達が載っているのが、いまだに直ってないんですよ~。
1369年に亡くなってる人物の子供が、1487年まで生きてるっていうのは・・・
この時代にはちょ~っとどうよ~?(爆)
>映画
ケイト・ブランシェットのエリザベス1世、前にも見たことあるよな~と思ったら、やっぱり続編でした~。
というわけで、日本で公開されないなんてことはないと思うよ~(笑)。
Wikipedia 英語版にも、あらすじ付きの記事がありました。
「エリザベス」(1998年公開)
http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_%28film%29
今回の続編は、前段から30年近く経っている設定のようなんですが、余り老けてないわね~(笑)。
(突っ込むところはそこかい!)
↑のリンク先によると、本物のエリザベス1世は、
Elizabeth is well known for having the deep amber brown eyes of her mother (Anne Boleyn) and the bright-red coloured hair of her father (Henry VIII).
なんだそうで。
ヘンリー8世、赤毛だったのか・・・。
そういえば、「金髪は黒髪に対して遺伝的に劣性」というアレ、100%確実ではないらしいですね~。
とすると、金髪の両親から濃い色の髪の子が生まれることも稀にはある・・・と考えていいのかな~?(笑)
王様(金髪)→ティリアン(黒髪)→少佐(黒髪)は、全く不可能ではないのかも?
いくら早婚の時代だとは言え、12才で出産は大変ですよね~
今でこそ、「14才の母」なんてものが話題に上がってますが、食糧事情というか、栄養の面から考えてもなんとなく昔の人より今の人の方が早熟だと思うんですよね~
ミゲルくんの死亡もB型さんの推測どおりなのかもよ?
つーか、そうとしか、思えないような・・・
昔はお産って命がけだったと言いますよね。
最初のレオノール王妃(アラゴン王女)も出産で命を落としているもんね~マリアだってアルフォンソを産んだ時、死ぬ目にあっているし・・・
そっか~ベアトリスってホアンが亡くなった後もそのままカスティリアにいたのね・・・
まぁあんな王位継承があって、ジョアンが治める国へは帰りにくかったんでしようけど、女の一生として考えたとき、ちょっと可愛そうですね
ほんと、同じ家系に同じ名前が沢山いるので混乱しちゃいますよね~
きっとウィキはいろんな人が書き込んで出来る百貨辞典なので、書き込んだ人が訳し間違えたか、勘違いをされたんでしょう。
他でもあったんですよ~
王様の庶子でホアナが産んだ子をマリアが産んだことになっていたり・・・(苦笑)
なのでお気になさらず~どんどん訳文を載せてくださいまし~
英語がチンプンカンプンの私はKE007さんの訳文が頼りですんで(笑)
>JUNE
皆さん、お悩み中なのね~(笑)
ほら、処分するとき、他の本もいっぱい持っていってダミー化するとか?(爆)
お友達にそちら系のご趣味のある方に譲るのが一番楽ですけどね
私はそういう友達からBL本をタダで貰いました。
やはり処分するのが恥ずかしかったらしい・・・
そして嬉々として貰って、他の方に貸している私もどうよ?!って感じですけど(爆)
>エリザベス
見ました~!!
すごいですね~!なんかよく肖像画でみるエリザベスとクリソツですね~
この間のヘンリーのカッコ良さには驚きましたが、これもまた違う意味で驚き・・・
何かの本でエリザベスは痩せていて背が高かったという表記を読んだことがあるのですが、まさしくそんな感じですね~
でもさ、あの美男子ヘンリーを父に持ちながら、この娘ってちょぃとお気の毒?
母アン・ブーリンも肖像画は美人だったんだけどなぁ??
やはりアレかな?
ヘンリーの梅の花の病気が彼女に影響を与えたとか?(汗)
それはともかくドレスに使われているレースに釘付けの私・・・やはり海外モノは本格派ですね~
日本では公開しないのかしら??
http://www.elizabeththegoldenage.net/
なんだか、歴史モノばかり気になる最近。この辺の歴史に登場する人たちって、みんな繋がっているし…。なんだか妙な感じ。
やはりJUNE系のモノどもは、それ系の方達にただでもいいから引き取って頂くのが一番安全かも…。
なんだか、押入れのずーっと奥に隠したエロ本が親にでも見つかったらヤベ~と思っている男子学生の気分です。とほほ。
死因を調べたわけではないので、当たってないかもしれませんが・・・。
12歳で出産っていうと、やっぱり身体は未熟だったと思うし、生まれた子にも何がしかの影響はあったんじゃないかな~。
ホアン1世は最初の王妃を3人目の出産時に亡くしているんだし、そういう危険には考えが及ばなかったのかな~?
「ポルトガル王位」という目先の欲にとらわれて、結局大事なものを亡くしちゃったんじゃ・・・?
系図サイトのベアトリスの項を見ていて発見したのですが、彼女はホアン1世と結婚する前は息子のフェルナンド君と婚約してたらしいんですね~。
もしもレオノール王妃が亡くなっていなかったら、ホアン1世と結婚することもなく、ちょっと年下の夫とのそれなりに幸せな人生を送れたのかもね~(苦笑)。
ホアン1世の死後は再婚しなかったようですし、血のつながりのない息子たちや、同い年の嫁(カタリナ)のいる宮廷で、どんな風に暮らしていたんでしょうね・・・。
>「JUNE」の処分
以前、BOOKオフで、発売後数年たってはいたけれど新刊同様にきれいな文庫本をまとめて売ったことがあるんですが、1冊450円くらいのものが平均して10円くらいにしかならなかったです。
見た目のきれいさ同様に、発行年月が新しいことが一つの基準になっているようで、何でも買い取ってくれるわけではないので、事前に問い合わせたほうがいいかも。
それから、古本を売る時は住所氏名を書かされるので、やっぱりちょっと恥ずかしいですね~。
かといって、子供会の廃品回収になど出せませんしね~(苦笑)。
買う時は、それほど躊躇しなかったのにな~。
初めて「JUNE」を買った時こそ、いかにも誰かに頼まれたような顔をして、そそくさと売り場を離れたもんでしたが、何回か買っているうちにすっかり図太くなっちゃって・・・。
馴れってコワいですね~(苦笑)。
今の時代は婚期が遅く、結婚しても子供を持たない夫婦も多いので、10歳そこそこで結婚したりするのは想像すらしがたいものがありますが、日本だってちょっと前まで14歳ぐらいで結婚して子供を産んでいたことがあったことを思うと、何百年も前に政略で無茶無茶な年齢で結婚したりするのは全く事前な出来事だったんでしょうね~。40歳そこそこまでしか生きられなかった世の中ですから、ま、10歳で結婚してもしょうがないかなと。以上、思いついたまま…。
ところで、B型殿。JUNE小説も大量に隠してある私です。へへへ。今度、日本に帰省したらBOOKオフとかに持っていくのがいいのかしら。でも、ちょっと恥ずかしいな…。
そっか~サンチョ4世の叔父に当たるホアン(マヌエル王子)はそんなに以前に無くなっていたのですね~
じゃやはり潜王ホアンはサンチョの弟なんですね
ほんと2代3代と同じ名前があるんで判らなくなりますよね~
あちらの方はよく間違えないものです・・・感心だわ。
漢字を使う日本はかなりバリエがありますが、欧州はほんと名前の種類が少ないですね~
何でなんでしょう??
>ホアンとベアトリス
あっ・・・・ほんとだ(苦笑)
結婚の翌年に息子・ミゲルくんが生まれていますな
やっちゃいましたね(苦笑)
でもさ今の日本なら初潮の年ですよ、小学校5年生だもん。初潮があったからといって、すぐに妊娠可能ではないし(子宮の成熟度もあるから)昔の人って体は小柄だけど、成長は早かったのかも??
誤「hermano de Alfonso XI」
正「hermano de Alfonso X」
アルフォンソ11世は、サンチョ4世の時代にはまだ生まれてません、もちろん(苦笑)。
3連続になってしまってごめんなさい。
が、リンク先(系図サイト)のアドレスがやっぱりはねられるようなので省略(苦笑)。
>マリアの画像@毒婦バージョン
す、すみません~!
会社のパソコンでご覧になってるのを失念しておりました(汗)。
裸婦ばっかりのページだと書いておくべきでしたね。
「アルカサル」の世界とかけ離れたイメージになっちゃうのは、もう、仕方ないような気がします。
肖像画の類は、正確に描かれているのはむしろ少ないのではないかな~と(苦笑)。
宮廷画家に描かせたものなどはおおかた美化されているでしょうし、後代に書かれたものは画家個人のイメージに左右されてしまうでしょうし。
>床入り
新郎新婦のどちらかが法定年齢に達していない場合の「床入り」は、日延べされているかもしれません。
某系図サイト(以前、アルバレスのコメントの時に参考にしたところ)の「エンリケ3世」の項には、カタリナとは「1388年9月にパレンシアで結婚、1393年2月にマドリードで床入り(consummated)」という意味のことが書かれています。
ホアン1世とベアトリスは・・・どうなんだろう?
息子君が1384年に生まれているってことは・・・やっちゃったのかしら(爆)。
サンチョ4世の叔父のホアン(マヌエル王子)は1283年12月になくなってしまってますので、1296年に「即位宣言」することは不可能です。
↓ご参考 Wikipedia 英語版「Juan Manuel, Lord of Villena」
http://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Manuel%2C_Lord_of_Villena
実は私も、今月11日の書き込みでは Wikipedia の「サンチョ4世」の記事(英語版、スペイン語版)に書かれている「Don Juan, his uncle」や「hermano de Alfonso XI」というのを鵜呑みにして、よく調べずに記事を書いちゃってたので、いつかは訂正せねばと思ってたんです~(苦笑)。
ホアン叔父(マヌエル王子)がフェルナンド王子の息子のアルフォンソ王子派だったように書いてしまってますが、そういう事実があったかどうかはわかりません(他のソースを探してないし)。
むしろ、1282年頃にはサンチョ派だったというような説があったりします(苦笑)。
Wikipedia の「サンチョ4世」の記事に書かれている「叔父ホアン」は、内容からすると「弟ホアン」のことだと思われます。
ビスカヤ領主ロペ・ディアス3世・デ・アロが処刑された事件は1288年で、弟ホアンもこの件で投獄されていますし、タリファ城の攻防もソースによって1291年~1294年とばらつきがありますが、いずれにせよ、マヌエル王子のことではないです。
多分、Wikipedia の記事を書いた方が勘違いしていたのではないでしょうか。
いつも和訳ありがとうございます
えっ・・・潜王ってサンチョ4世の叔父のホアンなんですか?
私はてっきりサンチョ4世の弟(つまりフェルナンド4世の叔父)のホアンかと思ってました。
外国の名前は親と子、はたまた子孫に同じ名前がうじゃうじゃ居るので混乱しちゃいますわ~
あちらの方はどうやって区別というか、読み分けをしているんでしようかね??
さぞかし歴史の授業は混乱のるつぼと化しそうな・・・(苦笑)
うわ~ほんとだ(苦笑)
いかにも色香で王様をたらしこんだ女と言う感じですよね~
なんか絵の雰囲気が新しいなと思ったら1800年代の絵なんですね~
きっと妄想力で描いた絵なのかも・・・
それにしても昔の絵に描かれてくる王の愛妾ってなまめかしく描かれているコトが多いですよね~
一方、正妻の王妃は清らかというか楚々とした感じだよな~と思うのは私だけ?
なのでポルトガルのテリュス王妃を見たときはぶったまげました。
あれじゃ、古代ローマを賑わせた「悪妻」そのものなんだもん
結局肖像画って後世の画家のイメージでどうとでも描かれているのが実情なのかしら?(苦笑)
>エレーナ叔母(レオノール)
なんと12歳と22歳ですか・・・
今で言う小学校6年生だもんね~
それじゃ~ロリコンじゃないと萎えるかも・・・(苦笑)
そういえばあの当時の結婚(床入れ式)は両国に公開なんですよね~
ってコトはエンリケの息子ホアン1世(結婚当時25歳)とポルトガル女王ベアトリス(結婚当時11歳)もかなり凄い・・・
しかも法定結婚年齢より下じゃん
もしかして、淫行か?ホアン1世(爆)
行ってきましたよ~、「毒婦」イメージのサイト。いきなり裸婦なんでビビっしまいました。会社のPCだし…。思わず周りを伺ってしまいましたよ~(笑)。きれいに描かれていますが、王らしきおっさんは、ちょっとね~って感じですね。なんだか、調べれば調べるほど、アルカサルの登場人物たちが遠くに行ってしまうという印象をもってしまうのは私だけかしら。
まだまだ続く、このページ。
http://www.gutenberg.org/files/18642/18642-h/18642-h.htm
このページの上のほうにある画像は、マリア・デ・パディーリャを描いたものなんですが、この絵、実はオリジナルではありません。
もともとの絵は、Google で
Padilla 1895 "Paul Gervais"
と入れてウェブ検索すると、現時点で上から3つめの、タイトルが「Album de」で始まるサイトさんにあります。
(Yahoo! では検索にかかりませんでした)
椅子に掛けてマリアを見ている男は、オリジナルの絵を載せているサイトさんの解説によると、王様みたいですよ~。
う~ん、個人的には微妙かな~??(苦笑)
それにしてもこのマリア、いかにも「王をたらし込む毒婦」というイメージですね~。
>レオノール(エレーナ叔母)
よく調べてみると、レオノールは1307年生まれ、ハイメ王子との結婚は1319年、12歳の時だったようです。
12歳・・・一応法定年齢はクリアしているけど、ちょっと微妙な年齢ですよね~。
22歳のハイメ王子にしてみれば、あまりに幼い相手だったでしょうし、気の毒に思って拒否した・・・とかかな~?
この場合、結婚が完了しなかったってことで、無効にしてもらうのも簡単だったかもしれないけど・・・後始末は大変そうです(苦笑)。
数年待てば上手くいったかもしれないのに、急いで結婚させなきゃならない理由でもあったんでしょうかね・・・?
家族を守ろうとして、身内で戦うって究極のアホやと思うのは私だけ?
以下は英語版ウィキのサンチョ4世の項の抜粋翻訳です。サンチョ4世のウィキ日本語版は、なんだか怪しい。
+++++++++++++++++
サンチョ4世は、大部分の貴族や都市の賛同と協賛を受けることができた。しかし、その一方で、一握り程の対抗勢力が、サンチョ4世の在位中継続的に彼を悩まし、フェルディナンド・デ・ラ・セルダの後継者達を旗印に戦は続いていた。
抵抗勢力のリーダー達の1人に、サンチョ4世の叔父ホアンがいた。ホアンはビスカヤの領主ハロ家ロペ・ディアス3世の正当性を謳って挙兵した。サンチョ4世はその報復として、ロペを処刑し、ホアンを投獄した。年代記の語るところによると、サンチョ4世は、4千人ものフェルディナンド・デ・ラ・セルダの息子アルフォンソの賛同者をバダホスにて処刑することで自らの地位を固めたという。他にもタラヘラで4百人、アビラとトレドで多くの賛同者達を処刑している。
サンチョ4世は、抵抗勢力の一掃が終息した頃、叔父ホアンを赦免・解放した。ホアンは時節を待って、再び反乱を試みた。タリファの反乱である。モロッコのマリーン王朝に応援を求め、アロンソ・ペレス・デ・グスマンをその居城で包囲した(1291年)。
+++++
で、このあと反乱は失敗に終わります。挙兵したり戦っていた頃に王様宣言をしたのではないでしょうか。
最近、なかなか書き込めなくて、実はついていっていない私です。大ハズレだったらごめんなさい。
詳しく教えてくださり、ありがとうございます。
へぇ~!!ホアンってば、妻の父が投獄された時に一緒に投獄されているんだすか~!!
仮にも自分は王族だし、サンチョ4世とは実の兄弟なのに、いつの世も王位継承にまつわる事って血なまぐさいですね!
やはりサンチョ4世にとって、自身の結婚が正当な結婚と認められなかったという部分が大きいのでしょうか・・・
そのまま認められなかったら自分が亡くなった後のフェルナンド4世の行く末は最悪命の機器にもさらされそうですもの
親としてはなるべく、そういう脅威の元を排除したかったのかもしれませんね~
でもホアン1世(仮)は投獄されたり、その後で王位を主張したり・・・かなりヤバ目な橋を渡ってますね~
殺されなかったのが不思議・・・
でもこれだけ兄弟や貴族の思惑が入り乱れる王位継承なんですね~
王様が絶対王権の確立とともに、王位継承権を庶子に与えず、マリアの子達に限定したのはこそういうこともあったからかも
>エレーナ叔母
なんですと~!!
床入り拒否ですか!!
それが事実なら女にとって屈辱ですよね~
最初から僧籍希望ならまだしも、仮にミーも長男で王位継承も1位だったろうに、途中からそれならかなりショック~!!
アラゴン側もこれには慌てたでしょう
だってカスティーリアの面目丸つぶれですもんね~
だから、なんとしてでも次男との結婚を強行したかもね・・・
国と男に振り回されたエレーナ叔母(レオノール)かわいそう
エレーナ叔母の性格の悪さがこんなトコが原因だとしたら、ちょっと同情(苦笑)
それにしてもこれほどまでに拒否されるなんて・・・
何が原因なんでか・・・
ブス姫ホアナでさえ、結婚できたと言うのに・・・(爆)
アロ家は同名の人物が多く混乱気味ですが、なんとかまとめてみました~(苦笑)。
二人が結婚した翌年の1288年に、マリアの父ロペ・ディアス3世・デ・アロがサンチョ4世の命で殺されてしまい、その場にいたホアンも投獄されてしまいます。
ロペはアルフォンソ王子派でしたから、サンチョにとっては邪魔な存在だったはず。
また、ロペの奥方ホアナ・デ・モリーナは、サンチョ4世妃マリアの異母姉妹(母はデ・ララ家出身)にあたり、背後の力関係も影響したかもしれませんね。
ロペの死後、ビスカヤは息子のディエゴ・ロペス4世が一応継ぎますが、翌年亡くなってしまいます。
そのあとの正統な相続人がホアンの妻マリアなのですが、実質的にはサンチョ4世の支配下にあったようです。
1295年にサンチョ4世が亡くなると、今度はホアンの不在中にマリアの叔父ディエゴ・ロペス5世にビスカヤを横取りされてしまいます。
やっと自由の身になったホアンが領地を取り戻そうとしたけれど、結局失敗したというわけです。
(マリアが相続したのは、ディエゴ叔父の死後)
ディエゴ叔父はフェルナンド4世派で、マリア・デ・モリーナは、その頃正統とはいえなかった息子の王位を守るためにアロ家の相続問題を利用したようです。
王権にとって脅威になるような大貴族は抑えておきたい・・・というのも、あったかも~(苦笑)。
http://es.wikipedia.org/wiki/Mar%C3%ADa_D%C3%ADaz_de_Haro
>レオノール(エレーナ叔母)の最初の結婚
ハイメ王子は、レオノールとの結婚式当日に王位を継がず僧籍に入ることを宣言した・・・というような記述をどこかで読んだ記憶がありますが、ウロです。
英語版Wikipedia「ハイメ2世」の記事中の、ハイメ王子のところには「カスティーリャのレオノールとの床入りを拒否した」みたいなことが書いてあるんですが・・・ってことは、敵前逃亡しちゃったのか??(苦笑)
みました~!!
フランス語はおろか英語もチンプンカンプンの私なので、フランス語から日本語の機械翻訳に頼りきりですが、確かにフランス語版のウィキに「彼の叔父がジーンⅠ世という名前でカスティリャの王様と宣言」という表記がありますね~
領地が没収されたのはこの後のことなんでしょうかね??
正当な王位継承者の地位を脅かした罰則ということなのかな??
そうだ~王様の父・アルフォンソ11世は2才ほどで即位しているんですね~
漫画の中では妹になっていたエレーナ叔母って系図サイトによると実は妹でなく姉のようですし・・・
それはそうとこのエレーナ叔母(史実ではレオノール)ってアラゴン王・アルフォンソ4世の後妻として嫁いでますが、その前はその兄に当たるハイメ王子とも結婚していたんですね~
没年がはっきりしていないげと、長男のハイメじゃなく、次男のアルフォンソが王位を継いだということはハイメくんは早世したんだと思いますが、確かキリスト教の教義では兄弟の妻と結婚することもタブーだったはず・・・
(英国王ヘンリー8世が兄の婚約者だったキャサリン王女と結婚するときもこれに該当して、教皇から特別の許可を受けたと記憶が・・・)
エレーナ叔母もよく結婚できたな~とつい思ってしまいました。
近親婚がタブーと言われつつも、結局許可があればなんでもオッケーなんでしようかね??
なんとこの二人の結婚については、サンチョ4世の死から6年後の1301年になって初めて教皇の特免状が出されたそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mar%C3%ADa_de_Molina
つまりは、即位後6年もの間、フェルナンド4世の「正統性」は疑問符付きだったのですね~(驚)。
従兄弟アルフォンソ君が王位を要求するのは当然として・・・。
以前はアルフォンソ君を支援していたホアン叔父(サンチョ4世の弟)も、今度は兄がしたのと同じように、甥っ子の王位に異議申し立てをしたそうです。
で、1296年には自分が王だと宣言していたらしい・・・。
スペイン語版では見つかりませんでしたが、Wikipedia仏語版「フェルナンド4世」の項で発見しました~(苦笑)。
すぐに抑え込まれてしまったようなのですが、「ホアン1世(仮)」とはやはりこの方だったみたいですね~。
それにしても、「結婚の許可」って、一方が死んで6年経ってからでも出るもんなのね~(苦笑)。
マリア・デ・モリーナが辛抱強く教皇庁に働きかけなかったら、フェルナンド4世の王位には正統性が与えられず、ホアン叔父もアルフォンソ君も諦めはしなかったかも・・・。
しかも、フェルナンド4世夫妻も次代のアルフォンソ11世が1~2歳の時に亡くなっているし、まるで綱渡りのように危なっかしい王位継承ですね。
王様のところまで、よく回ってきたもんだわ~(苦笑)。
>ポルトガルのペドロ1世の2番目の妻
そうそう、ホアナ・マヌエルの異母姉のコンスタンサです。
んでもってこの方は、幼児期に結婚して2年後に無効になった、アルフォンソ11世の最初の妻なのですね~。
イベリア半島の王国って、ほんと婚姻関係が複雑ですよね(苦笑)。
>近親結婚を理由に甥の息子から王位を奪ったらしいサンチョ4世ですが、自分とマリア・デ・モリーナも近親婚じゃん
うわ~気が付かんかった!!
さっそく系図サイトで見てきたところ、王妃マリア・デ・モリーナの父がアルフォンソ9世に繋がってました。
アルフォンソ9世と3番目の妻マヨール・アルフォンサ・デ・メネセスの3女なんですね~!
つーことはサンチョ4世はアルフォンソ9世を曽祖父として持ち、妻マリアは同じアルフォンソ9世を祖父にしているってことか・・・
うう~ん、ややっこしい(苦笑)
>サンチョの王位簒奪
そうなんですか~!
それじゃ無理がありまんもんね。
それに言われてみれば、あのデ・ララもフェルナンド王太子の次男の男系子孫になるんですよね?
長男アルフォンソくんに子孫がいるんなら、そちらが優先か・・・
あっ系図みていると、ポルトガルのペドロ1世の2番目の妻はファナ・マヌエルの異母姉妹になるんですね~!
何気に、ペドロ1世って、カスティリアの女性がお好きなのかしら?(笑)
なんか頭ぐるぐる~(苦笑)
>サンチョ4世の弟ホアン
あらら~そんなに落ちぶれていたのね
ビスカヤの領地と言うと、後のテリョの領地だ~
彼の業突く張りのトコロは、このホアンの怨霊の仕業なのかも~(苦笑)
なーにやってんだか、自分!(苦笑)
エンリケとホアナ・マヌエル(母方)も、アルフォンソ10世を共通の祖としていて、4親等(4世代)内の近親婚なんですよね~(苦笑)。
他にも、調べると近親婚にあたるケースが出てきそうですが、教会の許可があればOKなわけで、無効とされていないのであれば、その結婚による子供たちは正当な嫡子なはず・・・。
4親等内を全面禁止にしてしまうと、ただでさえ限られた範囲から相手を選ぶ王族の結婚では、捜すのが容易でなくなりますもんね(笑)。
近親婚とは別の話になりますが、ホアン1世の正統性は、サンチョ4世の王位簒奪を根拠とするとしても、まだ問題があるように思われます。
早世したフェルナンド王太子の子供は二人いるんですが、長男アルフォンソ君の子孫が、ホアン1世の時代にはまだしっかり残っているんですね~。
この家系(メディナセリ伯爵家)、イサベル女王の時代になって公爵位を授けられたらしいですが、やはり後ろ暗いところがあったのかな~?(苦笑)
ホアナ・マヌエルの母方は次男フェルナンド君のほうの家系ですから、このへんが、「正統」とするには決定打に欠けたのかも~(笑)。
>サンチョ4世の弟ホアン
途中から父・甥サイドに味方したものの、「父の死後サンチョが即位するとこれを認めた」・・・と、Wikipediaスペイン語版には説明されています。
その後も、奥方と領有していたビスカヤが没収されるなどしていて、とても戴冠できるような状況じゃなかったみたいですね~(苦笑)。
やっぱり、「僭王ホアン」は書き間違いか~?
若年が原因ではなかったのですね~
でも近親婚も教会の特別な許可があれば、正式に認められていたと思うんですが。。。もっと近い婚姻もありますよね??
サンチョ4世が亡くなる時、王妃マリア・デ・モリーナをまだ9歳だったフェルナンド4世の摂政に任じたそうですが、案外この時に公には認められていないけど、ホアンが戴冠したという可能性はないのかしら?
ほら、また漫画ネタになりますが「天上の虹」の中で日本でも昔、皇極天皇が亡くなって、次の天智天皇が決まるまで「仲天皇(なかつすめらみこと)」といたという表記があったと書いてあったのよ。
里中先生はこれを天智天皇の妹・間人皇女じゃないかという形で作品を書かれているんですが、まぁ現代日本の歴史では抹殺されていることなんでしょうね。
これと同じことが謎のホアン1世(仮)にあったのかな~と妄想してしまいました
うう~ん、深まる妄想(爆)
やはり思いました?(笑)
そうなんですよね~系図サイトなどではエンリケの息子のホアンくんがホアン1世なんですよね・・・
歴史に抹殺された王なんでしょうか?
>ヘンリーくん
見ました~!!
ヘンリーと言えば、デブ、ハゲ、てんてん眉毛(←これはイブの影響か・爆)というイメージだったので、あんな美丈夫のヘンリーくんを見ると同一人物とは思えませんね~
しかも短髪・・・まるでサッカー選手のようなお姿
きっとこのヘンリーくんは自信満々でコンプレックスなどはなかろうて・・・(←どこまでもイブねた・爆)
そうだ~!!何処かのサイトで見ましたよ!その話。
ホアン1世側とコンスタンシァ側が話し合った時、ホアン1世側はこのサンチョ4世の王位簒奪を持ち出して、カスティリアの正当な継承者はフェルナンド王太子の息子・アルフォンソを祖にするファナ・マヌエルの血統であり、ペドロ側こそ王位簒奪者の家系であると主張したとあったように思いました。
ファン1世の母(エンリケの妻)ファナ・マヌエルの父方も確かアルフォンソ10世の弟を祖にしているので、父母ともれっきとした王家の出身なんですものね~
案外このエンリケと結婚したのだって、あのままアルフォンソ11世が健在なら、いずれはエンリケに王位をと与えたいと考えたレオノール・デ・グズマンの思惑もあったのかも??
庶子は王になれなくても女王の夫しての王位なら貴族を納得させれたのかもしれないし・・・
そう考えるとレオノールの政治的才覚というのは凄いのかもな・・・
アルフォンソ11世が気位だけ高いマリア王妃を退け、レオノールを寵愛し続けたのもちょっとわかる気が(苦笑)
再び暴走する妄想でした(苦笑)
ホアンって本当にありふれた名前というか、サンチョ4世の周辺にも、叔父、従兄弟、弟、甥といるわけで、英名が John になりそうなのを入れると、姻族の中にもまだ候補者がいるかもしれませんね(苦笑)。
その中で一番「僭王」になりそうなのは、たれぞ~さんもおっしゃる通り、弟ホアンですかね~(笑)。
なんでもこの弟ホアン、はじめは父相手に反乱を起こしたサンチョに味方していて、途中から父・甥サイドに寝返ったらしいので。
サンチョの叔父のホアン(マヌエル王子)も、フェルナンド王子の息子のアルフォンソ王子派だったらしいけど、早くに亡くなってしまっているし・・・。
1296年というと、サンチョ4世が亡くなった翌年ですし、ワカランですね~(苦笑)。
(案外、サイト主さんの書き間違えだったりして・・・)
フェルナンド王子の子のアルフォンソ君がなぜ王位に就けなかったのか、ですが。
単に若年だったからというのではなく、両親が近親結婚であるというのが、サンチョの言い分のようですね。
フェルナンド王子の妃ブランシュの曾祖父アルフォンソ8世は、王子の高祖父にあたり、ローマ法だか教会法だかで禁じられていた、4親等以内(4世代=共通の高祖父・高祖母を持つ関係)の者同士の結婚ということなんですが・・・。
この理屈だと、王様の両親もいとこ同士で、フェルナンド王子の子供たちの場合よりもさらに近親の両親を持っていることになってしまいますね~。
ホアン1世との交渉の際、コンスタンシア側が自爆したとかいうのは、ここら辺も関係しているのでしょうか?
だとしても、どちらの場合も、結婚そのものは無効になったわけでなし・・・。
アルフォンソ王子のケースには、他にも何か理由があったのかもしれませんが、難しい所ですよね~(苦笑)。
>ヘンリー8世
見ました~!
ホルバインのあの絵を見慣れた目には、若くて四角くない(笑)ヘンリー8世はとても新鮮ですね~!
チューダー朝の祖ヘンリー7世は、ジョン・オブ・ゴーントと愛人キャサリン・スウィンフォードの子孫ですが、妃のエリザベス・オブ・ヨークはイサベルの子孫ですよ~。
B型さんもおっしゃる通り、だめですね、ホアン1世。全然出てこなくって。フアン1世でも駄目。誰かマニアックに研究しているような人に聞かないと…。でも、そんな人に聞いたら、延々と話を聞かなくてはならなくなるかも…。(恐)
ところで、昨晩テレビの番組をガチャガチャ(古!)とかえていましたら、カナダの番組で歴史物っぽいものがやっていたので、ガチャガチャをやめて見入りましたら、「チューダー朝」物語!ヘンリー8世の若いときのドラマ。「イブ息子」に出てくるようなだるまさん的なヘンリーではなく、若い時の物語と言うことでとても色っぽい役者がヘンリー君をやっています。ちょっとのぞいてみてください。www.cbc.ca/tudorsです。チューダー家にもカスティリア王家の血が流れているんですね。(そうですよね???ちょっと不安…)
アルフォンソ10世の跡継ぎフェルナンド王太子が亡くなった時、フェルナンドの弟(アルフォンソ10世の次男)が父を追い出し、王座を継いだという経緯がありました。
王座を追われたアルフォンソ10世は王位奪回を目論んだものの失敗し、失意のうちに亡くなっています。
ここからは勝手な推測なのですが、系図サイトを見るとアルフォンソ10世にはバレンシア公となった4男ホアンがいます。
アルフォンソ10世はサンチョを王と認めなかったはず・・・
なので亡くなるとき自身の後継者はサンチョ4世ではなく、自分が指名したホアンだという事にしたかったのではないでしょうか?
勿論、歴史上では、サンチョが王位簒奪をし、そのまま系譜を繋いでいくので抹殺されてしまったのでしょうけど、最後の戴冠式がアルフォンソ10世で途絶え、サンチョ4世以降執り行われていないのは、案外戴冠式用の王冠が手元に無かったからかも???
と、勝手に妄想してみました(笑)
なので餌の種類を変えてみたら、意外にも捜索中の別の獲物が釣れました~(笑)。
http://content.cdlib.org/xtf/view?docId=ft9h4nb69s&doc.view=content&chunk.id=d0e5462&toc.depth=100&anchor.id=0&brand=eschol
リンク先の ― 172 ― のブロックの下よりに、次のセンテンスがあります。
a tournament at Smithfield, at which Richard II presented John of Gaunt with a golden crown in anticipation of his coronation in Spain
これによると、どうやら、リチャード2世がランカスター公のカスティーリャ王としての戴冠のために王冠を用意したというのは、本当のことらしいですね。
その王冠がどうなったかまでは、わかりませんが・・・。
因みに↑の頁は、カリフォルニア大学の運営するサイトで公開されているコレクション「eScholarship Editions」の中の1冊で、チョーサーに関するもののようです。
タイトルは「The Naked Text Chaucer's Legend Of Good Women」
著者は Sheila Delany さんです。
さて、王冠の話。私も1巻から読み直しているのですが、読み始めると眠くなってしまって、知らないうちに寝ちゃってます。なさけない…。で、全然進んでいません。とほほ。
1巻表紙の折り返しに、先生のコメントで「史実としてドン・ペドロの髪が黒色」というのがありますが、これは後にどこかで、「このような物語を長く書いていると、後から新たに発見することが多く、以前に描いた事が大間違いだったことがある」と言っておられた話に繋がります。王冠に関しても、話がどんどんと進む中で、先生自身色々とお調べになって、描かれているんでしょうね。小物にも手を抜くことない先生だから~。
では、また新たなネタを仕入れて来たいと思っています。
http://homepage.mac.com/crowns/e/avreg.html
イサベル1世の王冠と王笏の写真があります。
透かし模様が綺麗~!
その下の王冠が今使われているものなのかな?
紋章にデザインされているのとはちょっと違うみたいですが・・・。
それよりも、その下にずらずらと書いてある「SPANISH CORONATIONS」を見て吃驚!
カスティーリャ王国での最後の戴冠式が1296年って本当~?!
(pretender John Iって誰のこと~?)
王様も、戴冠式やってないんかい!
スペインで最後の戴冠式は、これによると、1484年のナバーラ王のもののようです。
今はもう、ヨーロッパの王室では戴冠式をやらずに即位宣言(就任式)で済ましているところが多数派らしいけど、カスティーリャはずいぶんと早くやめてしまってたのね~(苦笑)。
完結編でも出てましたが、エンリケは自分の治世と父アルフォンソ11世の治世を直結したかつたみたいですから、ドン・ペドロの痕跡わ抹消したかったのかも??
王冠もあの性格なら義母弟のお古を被り続けるというのエンリケのプライドが許さなかったのではないかな~とも思えるし。
とっとと鋳潰した可能性大ですよね~(苦笑)
コレクションのコメでも書きましたが、宝塚舞台の配役みましたか?
なんか知らない登場人物が多くて、どんな舞台になるかある意味興味があります。
でも宝塚の舞台ってこんなに登場人物がいるんですね~
普通の舞台も見たことないけど、舞台ってこういうものなんでしょうか??
人の顔を覚えられない私には見ても何がなんだか判らなくなりそうですけど(苦笑)
第1部では、「いつもの王冠」は全く出てなかったですね~(苦笑)。
アルフォンソ王が生まれたばかりの王様をお披露目している時に冠っているのや、王様が王子時代に冠っているのが、似ていると言えば似ていますが細部が違ってますしね。
「いつもの王冠」が本編で初出したのは、第2部が始まった3巻で、王様が2mのマグロを謁見する場面でしたね~!(爆)
ということで、私もたれぞ~さんと同じように感じました(笑)。
王国を受け継いでしばらくは、いろいろあってそんな事している暇はないのかもしれないけど、落ち着いたらやっぱり「My王冠」が欲しくなるもんなのかも~。
「自分の治世」が実質的に始まった記念・・・とか(笑)。
エンリケも最初のうちはやっぱり王様の「いつもの王冠」を冠っていて、「New王冠」初出は、例の高笑いの時ですしね。
代々の王冠、たいていはそのまま宝物として取っておくみたいですが・・・。
王冠を「治世の象徴」と考えると、奪ったものを作り変えるって、エンリケならやりそうよね~(苦笑)。
13巻のカラーと10巻作中でのマリアの戴冠式の王冠は全く同一の王冠みたい。
そして王様はいつもの王冠。
面白いので1巻を引っ張り出してみたら、これまた違う王冠でした(笑)
んで、2巻の巻末、マリアを皆に紹介する時も1巻と同じ王冠。
肝心の13巻の表紙の王冠がいつ出てくるのかと思ったたら3巻の表紙にて使われ始めたみたい
ってことは、王様が自分の治世になってから新しく作ったMy王冠なのかしら?
んで、エンリケも自身の勝利を知らしめるためにドンペドロの王冠を使ったものの、自分だけの王冠が欲しくなり、鋳潰して、NEWデザインで作り直したとか?!(爆)
いや~王冠1つでこんなにも妄想が広がってます
恐るべし、青池ワールド(爆)
完結編・前編が掲載された姫金誌の裏表紙のほうのイラストは、いつもと違うデザインの王冠に剣とオーブ(球体)を持っていて、衣装はそれほど豪華ではないけれどなんだか戴冠式みたい(笑)。
ただ、このイラストだと王様の雰囲気が、傀儡だった15歳の少年にしてはちょっと~という感じです(苦笑)。
これとよく似たデザインの王冠を、完結編・後編で死の床にあるエンリケの回想中に登場するアルフォンソ11世と15歳当時の王様が冠っているようなのですが、同じものかしら?
そして13巻のカラー口絵によると、マリアの戴冠式の時は、衣装は豪華だけどいつもの王冠???
う~ん、これも謎だわ(笑)。
ところで、KE007さんご紹介のページにある、菊の紋章の斜め右上の模型(スペイン王の紋章に描かれている王冠と同じ形)からアーチ部分と赤い布の帽子部分を取り除くと・・・王様のいつもの王冠の出来上がり~(笑)。
青池先生、王冠のデザインは紋章を参考になさったのかも・・・。
そっか~!そうですよね!!
あの漫画の展開だと、ホアンに被せた王冠は元々は英国王リチャード2世より、カスティリア女王の夫であり、カスティリア王の資格をもつランカスター公へ下賜されたもの
その王冠をホアンへ与えたということは・・・・
なんか対外的な部分でも英国側上位の雰囲気もありそうです。あくまでこの王位は正当なる王位継承者コンスタンシアが「認めた」から成り立つ王位であると・・・
>エンリケの王冠
もともとはあの王冠はドン・ペドロが被っていたものですよね?(デザイン的に)
なので、あのシーンの王冠はエンリケが完全にペドロから王位を奪い取ったと言う象徴のようにも感じましたね。
浮かれているエンリケの頭上には、かつて「ドン・ペドロ」が被っていたはずの王冠・・・
未読だったシーンを含めて13巻を通して読むと、カタリナが絶望の淵へ落ちた瞬間を上手く現しているな~と感じました
そこにエンリケもいたのかどうかは、調べていないので判りませんが(苦笑)。
「アルカサル」作中だと、あまりそういった雰囲気はありませんでしたね。
初めてあの場面を読んだ時、私も、なんでエンリケはあんな格好で馬に乗っているのか?と思いましたもん・・・。
でも、幽閉されていたカタリナが、セゴビアのアルカサルにいたということは、何かの行事に呼ばれたという可能性もあるのかな~と思ったり(苦笑)。
多分、カタリナはあの時初めて、王冠をかぶったエンリケを見たのでしょう。
12巻続きの未収録分、例の一件の最後にカタリナが「もし(エンリケが)王冠を手にしたら・・・」というモノローグがありますが、青池先生の中では、この場面を描かれた時から、カタリナがああいった死を選ぶことは決まっていたんでしょうね。
>戴冠式用の王冠
アーチや宝石が余計についている分、相当に重い・・・とどこかで読んだ記憶があります。
それに~、あのような王冠には、ローブなんかもそれなりに立派なものじゃないと釣り合わないっていうか、あまり動けないような気が~(苦笑)。
>コンスタンシアがホアンに授けた王冠
もともとは、ランカスター公がカスティリア王として戴冠する時のためにと、英国王が用意したものなので、戴冠式用の王冠でいいんじゃないかな~と(笑)。
不要になったからってホアンに譲るとは、太っ腹(笑)。
もらったほうにとっては、ある意味失礼なことかと・・・。
それもまた狙いなのか~?(苦笑)
凄すぎます・・・さすが凝り性(笑)
書かれていた通り辿っていくと「LOUP」が「狼」だという説明に行き着きました
でももう無理無理(苦笑)
英語がダメダメな私には自分では探せれませんわ~~
お任せいたします(笑)
>ロペスの紋章
12巻にて確認しました~
冠を被った牛に見えますね~
イマイチ可愛くない顔の牛さんですが・・・(苦笑)
う~ん・・・宝冠、難しいですね。
ドン・ペドロが被ってる宝冠とエンリケとホアン親子が被っている宝冠の書き分けからすると何かしら意味はあると思うんですよね~
コンスタンシアがホアンに授けている王冠が唯一13巻の中で宝石がついているから、あれは戴冠式用の王冠という意味で良いのかしらね??
戴冠式などの儀式にはアーチつきのクラウンが利用されていたようですが、それ以外は宝冠とかのちょこんと頭に乗せられるものという理解でいいのかしら…。13巻を読みながら、いわゆる家紋のようにファミリーによってデザインは統一されているのね~なんて思っていたのですが…。もう一度良くみないと…。
エンリケの妹が飛び降り自殺をしたとき、エンリケは宝冠を頭に載せて馬に乗っているように記憶しているのですが、あれはなぜかな~。王になれたんで喜んで見せびらかしてるのかしら????(んなことないか…。)
正確には、「ロペス(Lopez)」は「ロペ(Lope)の息子」の意味で、「Lope」が狼を意味するラテン語名「Lupus」のスペイン語形ということのようです。
↓のページの「Lopez」の説明の「lope」から順に「LOUP」へとリンクをたどると、意味が説明されたページに行けます。
http://surnames.behindthename.com/php/search.php?terms=lopez&type=n&operator=or
ここのサイトさん、背景色がグリーンベースになっているほうが「Surname=苗字」、ブルーになっているのが「First Name」となっていて、「Behind the Name」というロゴをクリックするとそれぞれのトップページに行けるようになってます。
検索窓では、名前そのものからだけでなく、意味からも検索できるようになっていて、とても便利(笑)。
名前の意味を調べたりするのが昔から好きなもので、しばらく楽しめそうです(苦笑)。
いや~見ているトコが細かいですね~!
朝起きて、このコメントを見て「アンヘラ
引っ張り出して確認しましたよ~!!
確かにアンヘラの親族が出した騎士はイノシシさんでした~
やはり青池先生にとってイノシシは特別なのか?(笑)
それはそうと「ロペス」って「狼」って意味なんですか~!!
ずーっとアルカサル読んでても気がついていませんでしたよ、私(汗)
ロペスの紋章、牛の頭でしたか?!
あ~また帰ってからチェックだ~!!
>クレスト
なるほど~!!
まぁ日本の戦国時代の武将の兜も今見ると「なんじゃ?!そりゃ!!」的なモノも多いですからね~(苦笑)
様は目立ちたかっただけなのかも(←そういう言い方をするとやはりロレンスと一緒か・苦笑)
とはいえ、古くからある家のクレストなら、兜飾りだった可能性もあるらしい・・・。
戦う相手の兜にあんなものが付いていたら、私なら正直言って、戦闘意欲がなくなってしまいそうなんですけど~(苦笑)。
兜で顔を覆ってしまっても誰だか判るように付けたものらしいですが、もしかして、そういう狙いもあるのだったりして(笑)。
KE007さんが貼って下さったリンク先に、今のスペイン国王の王冠の模型らしきものが掲載されているのですが、本物の王冠の写真が、画像検索しても見当たらないのは何故~?
Wikipediaには、イラストしかないんですよ~。
スペイン王室の公式サイトらしき所にも写真がないなんて~。
>イノシシ
「アンヘラ」作中で、決闘裁判の時にアンヘラを訴えた側の騎士の胸についている紋章、イノシシじゃありませんでした?
少佐と関係あるとは思えないけど・・・(苦笑)。
紋章といえば、作中のロペスのも気になってます。
私には「牛の頭」にしか見えないのですが(爆)。
なんで「ロペス」が意味するところの「狼」じゃないんだろう~?
懐かしいイラストから書き下ろしまで、イラスト集の魅力を兼ね備えた塗り絵でしたよ~
やはり勿体無いので直接は塗れません・・・
っていうか、ウチには塗る道具すら無かったわ(苦笑)
コレの中のケルトの扮装をした伯爵の隣のロレンスを見た瞬間、KE007さんの貼ってくれたおちゃらけ宝冠を思い出しました(爆)
そっか~!!スペインでは15世紀までしか戴冠式をしていなかったんだ・・・ホアン1世がコンスタンシアら王冠を戴いた時はまだ戴冠式があった時代だから、全くの創作ではない可能性もあるってことですね~
15世紀と言うと、カタリナの息子ホアン2世か、はたまた孫のイザベル女王の時代か・・・
なんにせよ、妄想が膨らみますね
サイト拝見いたしました~!
ほんと下に行くにしたがって「真面目にこんなの被っていたの?!」といいたくなるような宝冠ですね~
あぁ~王冠でなくて良かった(苦笑)
白鳥のはロレンスに似合いそうだと思うのは私だけ?!
イノシシのが無くて残念だわ・・・
きっと執事さんなら欲しがったと思うのに(爆)
http://www.heraldicsculptor.com/gartcres.html
どんどんと下の方にスクロールしていくと、「こんなの本当にあったのかいな!」な宝冠が笑わせてくれます。
頭の上に白鳥とかニワトリはやめてね~、って感じです。
どれもこれも重そう…。
http://www.cgl.co.jp/knowledge/02.html
B型様:やはり、時代のせいなんでしょうね。民主主義の世の中で王冠をかぶるというのはちょっと、って感じがあるかもしれませんね~。
ところで、スペインって、カソリックの国ながら、考え方は他の西ヨーロッパ諸国と同じく結構先進的で、同姓婚とかも法律で認められているんですって。
アメリカはヨーロッパのことを「オールド・ランド」とか言ってよく馬鹿にするけれど、本当はアメリカの方がシステム面でよっぽど遅れていたりします。
http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Coronation&oldid=160027110
(真ん中より下あたりを参照)
In Spain, although the crown is present and evident at the ceremony it is never actually placed on the monarch's head.
へえ~!
Wikipedia英語版「Crown_jewels」によると、スペインで最後に「戴冠式」をしたのは、15世紀だそうです。
即位式には、王位に就いたことを宣言はしても、実際に王冠を頭にのせることはしないんですって。
意外~!
そうそう!!
あのコンスタンシアからホアンへ王冠が授与されるシーン。
私も似たような感想を覚えました。
「正当なる王位継承者が認めたカスティリア王」というトコを表現しているんだな~と
あくまであの本ではエンリケは王位簒奪者であり、王位継承者ではないと・・・そんなことを感じました。
愛するカタリナが嫁ぐ訳で、いつまでもホアンが継いだカスティリア王家を簒奪者呼ばわりも出来ないんでしょうし、上手いまとめ方だな~と。
リンクみました~
ほんと、先生が書かれた碑と同じですが、王冠の向きがこちらの方が傾いているかも~(涙)
これってわざと?
さっそくのリンクありがとうこざいます
そっか~戴冠式と普段使いの王冠って別なことが多いんですね
13巻でコンスタンシアがホアンに被せた王冠も宝石がついていたように思うから、まさしくあれは「戴冠式」用に作られたの王冠なんですね
コロネットという宝冠が王様ではなくても被れるのを知ってちょっと驚いてます~
これってイギリスだけなのかしら?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%86%A0
フムフム…。
コンスタンシアが、英国王から下賜された王冠で、ホアン1世の戴冠式みたいなことをする場面がありましたが、あれも象徴的な意味合いを持たせようとしたものに思えますよね~。
コンスタンシアがホアンに冠をかぶせることによって、王様の権威のほうがエンリケより上なんだぞ、エンリケの血筋の者の戴冠を認めてやるんだぞ(けしてエンリケを、ではないところがミソ)・・・みたいな(笑)。
あれは、史実にもあったことなのでしょうか。
検索してみてはいるのですが、今のところ引っかからない・・・。
以前にもこちらで紹介されたページだったかもしれませんが・・・。
13巻の追記にあった、モンティエルの王様最期の場所とされるモニュメントの写真が↓のサイトさんにあります。
王冠を模したらしいものが、斜めにのっかっているのが、何やら哀愁を帯びてますな(苦笑)。
http://www.castillosdejirm.com/estrella.htm
私もこの方の存在を桐生さんの本で知ったとき「マジかよ」と思いました。ウィキにも出ているってことはかなーり知れ渡っている人なんですね。
でも未だにバチカンはこの人の存在を認めていないと聞いたような・・・
この1件があってから法王就任の際には穴の開いた椅子に座り。間違いなく殿方のシンボルがついているか調べる儀式が出来たと聞いていますが・・・
やだなぁ他人にそんにトコ掴まれるの(爆)
あのジャンヌ・ダルクでさえ、魔女のレッテルを剥がされ聖人の仲間入りをしたのは20世紀にはいってからですもんね。
何時の世にも認めたくないのを認めるというのは難しいことなのかも・・・
王冠の謎、気になるでしょ?
帰ってみたら、是非13巻を見比べてみて下さい
青池先生のなんらかの意図みたいのを感じるんですよ・・・気のせいかな?(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%95%99%E7%9A%87%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A
何とも、人間って身勝手なイキモノですね~。
「王冠の謎」は私も興味あります~!。調べてみますね~~。
ほんと王様のことを書かれた年代記と言うのは、失礼ながら、あまり良く書いているのってないですよね~(苦笑)
やはり歴史というのは後の支配者によって色々換算されるのが常なのか、はたまたそれも事実なのか・・・。
私もエジプト番組途中まで見てました。
ハトシェプストと義理の息子トトメス3世は不仲だったと長らく解釈してきたので、今回わかったことは目からウロコでしたね~
彼女が「女」というだけで抹殺したかった支配者はいたんでしょうし、推測だけで曲解されてしまう歴史って多いのかもしれませんね。
ありがとうこざいます~!!
んとんと、この30章って王様が黒太子に多大なる借金をしたその後ってことなんですね。
王様、借金返すのに、強盗していたんかい!!
これが本当なら、人の上に立つ人のすることじゃないんだけど・・・(苦笑)
まぁエンリケ側がドン・ペドロが王不適格者として広く知らしめ、自らを正当化するのに作られたことなのかもしれませんが・・・。
ロペスの陰謀事件は漫画そのまんまですね~
助けたのもグラナダ王の助言だったし・・・
漫画ではさらっとしか書いていないことでしたが、他の章でも触れていたし結構有名なことなんですね
そうそうアルカサル13巻を読んでて、あることに気が付きました。
コミックス表紙の王様の冠、及び完結編(前編)のカラーで使われた手を合わせた王様の冠、そして前編の最後、絶叫するロペスの脳裏に写る絶命した王様の冠、そしてカタリナが飛び降りた際、エンリケが被っていた王冠・・・これってどれも同じ冠ですよね。
一方、エンリケがエンリケ2世として即位した時と息子であるホアンが即位した時の冠はコレとは別の王冠
(エンリケが埋葬される時のも同じく)
私の勝手なイメージでは王冠って代々継がれるものだと思っていたのですが、こういうのって支配者が変わる度、潰されてまた新しく作られるものなんでしょうか?
英国の王冠などは今も尚、黒太子のルビーが飾られ、同じものだと思っていたのですが、金だけなどで作る王冠って1つの王家で沢山あるものなのかなぁ???
「復習」は「復讐」です。
王が復習ドリルをやってどうする!(爆)
以下はロペス謀反のくだりです。どこまでが本当だか…。
++++++
謀反と陰謀を企てたのは、エドワード3世のもとへ王特使として遣わされたマルティン・ロペス・デ・コルドバであった。
王の利益を代表しているかのように見せかけながら、ロペスはカスティリアの貴族達と組んで秘密裏に一揆を計画していた。
ロペスは、「リコ・オンブレ」や「ヒダルゴ」といった有力貴族たちに対して王国がいかに窮地に立っているかを説明した。国の荒れ様、地域格差による貧富の差、狂気に満ちた蛮行の横行、1人の王による統治が現実的に無理である事などがロペスの口から語られた。
ロペスは摂政政治の確立を提案した。それは有名無実の摂政制で、実際には全ての権力が貴族の手に委ねられると言うものであった。そして、名目上トップには「絵に描いたような騎士道の権化」であるウェールズ王子を推薦した。
王子が名目上カスティリアの摂政である一方、王国自身は4つに分割し、それぞれを貴族が統治するという案である。
当然のごとく、この分配案にはロペス自らも織り込まれ、マルシアとアンダルシアがロペスに統治されるような内容であった。
この計画は、カスティリアの地方領主達からおおよそ良い支持を得、成功するかのように思われたが、英国の侵略や、カスティリア全土に広がる社会不安や、あるいはペドロ王がもし再び権力を全面復活した場合、厳しく咎められるかもしれないという恐怖から、途中でしおれてしまった。
ウェールズ王子がこのような案に本当に賛同したかどうか、その証拠はどこにもないように思われるが、いずれにしてもこの案は実行に移されることは決してなかった。と言うのは、この策略はペドロ1世の耳に入り、実行前に握りつぶされてしまったからである。
ロペスはマルト城におびき寄せられ投獄されてしまった。
ペドロ王にとって唯一の友人であるグラナダ王国のムハマッドの強い働きかけで、ロペスの命は救われた。ペドロ王は後にロペスの復権すら果たし、ロペスの陰謀は完全に赦された。過去の行いに対して復習をしているような余裕はなかったからである。
一方、カスティリア王国はすっかり荒廃し、どん底状態と化してしまっていた。
++++++
このあと、ガスリンの容貌描写が出てきます。醜い男だったそうで。目は緑色、鼻はぺしゃんこ、なんて書かれています。
まさか、夜中に突然罪人の家に押し入って「処刑」した後、金品も持ち出してたんじゃ・・・。
落ち目とはいえ、一国の王のすることとは思えないよ~~(泣)。
・・・などと、こういう話を読むといやでも考えてしまいますね~。
ジョン・ディロン卿(Sir John Dillon)は、メリメより60年ほど前に王様伝を書いた人物らしいのですが、この人はどういう立場で書いていたのでしょう?
王様伝を書いた人は、他にも何人かいるみたいなんですが、好意的な書き方のものばかりではないようで(苦笑)。
何と言っても、資料の大半がエンリケ派のアヤラが書いた年代記ですもんね~。
1366年までは一応王様の臣下だったけど、エンリケに寝返ってから年代記を書き直してるかもしれないですし・・・。
たれぞ~さんはもしかしてご覧になっていたかもしれませんが・・・。
一昨日、TVで古代エジプトの特番があって、ハトシェプスト女王と家族との関係が、これまで言われていたのとは違っていたのではないか?・・・という話題のあたりで、ナレーションだったか誰かが言ったのか忘れてしまいましたが、↓のような科白が入ったのです。
「歴史は、後に残された者たちの都合で記述されていく」
思わず、どこでも同じね~と頷いてしまいましたわ(苦笑)。
>完結記念イベント
行けるもんなら、とっくに行ってます~(笑)。
日帰りできる距離ではあるけれど、交通費と物欲を刺激された場合の散財を考えると、迂闊には行けない~(苦笑)。
>13巻
25章と違って、疑心暗鬼に陥っても立ち直る王様、カッコよかった~!!
赤面するロペスも、ツボです~(笑)。
なんか通して読むとまた一段と感慨深いですね~
別プリ連載時と完結編の間に青池先生らしい配慮とというか、メッセージあってそれを読むとこういう歴史モノって精神的にも肉体的にも大変な仕事なんだなへと感じました。
再開しようと決意した先生とそれを快く認めてくださった秋田書店に感謝!!
休刊、廃刊で未完になっている漫画を数多く知っているので、ほんとファンにとっても作者にとっても幸せなことだと改めて思いました。
そしてエンリケ~!!
何かい?!お前!!服を着たままいたして、脱いでもう一回いたしたの?!
タフね~(←変なトコに感心しているし・爆)
それは初耳でした~!!
いつの間に告知していたのでしょう??
ゴールドには載っていなかったですよね?
最近姫本誌は読んでいないから、あちらでの告知だったのかなぁ??
近かったら行くんですが、北海道だと無理です(泣)
B型さんは行かれたの?
「アルカサル」の番外編では間違って殺してしまった王様が、犯人として自分の銅像の首を晒したという話が載ってましたが、それとはまた違うお話なんですね~
夜な夜な人切り侍ならぬ、人切り王様が徘徊したわけね~
そんな言い伝えが残ってたなら「残酷王」の異名にも納得かも~
いか、ペドロ王物語の30章からの抜粋です。
+++++++
ナヘラの戦いも終わり、ペドロ王は、ブルゴスを経由してアンダルシアに向かった。その道すがら、多くの殺人・処刑を行い、ジョン・ディオンが言うところによると、コルドバで王は昔の「宵っ張り」癖が復活したとのことで、しかし今回はただ夜の町を興味深く歩き回るのではなく、死刑執行人として夜の町を徘徊していたらしい。数人の供を連れ、ペドロ王に破門になった人物の家に夜中に侵入し、その供の者達と一緒になって寝込みを襲い刺し殺した。この王の嗜好によってコルドバでは、16人の犠牲者が出たという。
++++++++
この「供の者達」のなかにはもちろんロペス君もいたんでしょうね~。
青池先生作品を読むことで養われた「妄想・想像力」を総動員して、展示会の事を想うしかありません。
B型様、貴重な情報をありがとうございます!!
最近、ちょっとこのページをご無沙汰しちゃっているのは、先日「ロペス物語」を訳し終えちゃって以来、何だか気が抜けちゃって…。ロペスのように1度誓ったことを最後までやり通しちゃう人に惹かれます。新撰組の土方もロペス系だな…。
あの長大な王様物語、少しずつ訳しているので、またアップすべく頑張ります。ふふふ。
東京は下北沢の三省堂で、こんなイベントをやっていたとは。
http://sanseido-shimokita.hontsuna.net/article/1930473.html
今日の先生の日記には、「15日から1か月間の予定」とあるので、先着30名の青池グッズは既にはけちゃってると思いますが、複製原画の展示等もあるそうなので、お近くの方、行かれてみては(笑)。
普通のストーリー漫画と違い、史実の人物にスポットを当てている段階でもうかなりなことが判っているし、それにほらもう完結編とか読んで、内容は把握してますんで、お気になさらずに書いてくださいな(笑)
私の13巻はたぶん明日届く予定です
ん~待ち遠しい
昨日はキャラブック眺めてエヘエヘしてました(苦笑)
私のはたぶん木曜か金曜だなー
あぁ気になる!!
そっか~私あのサイトをスペイン語→日本語の直訳にしちゃったので「苗字」という単語をうのみにしちゃっていたんですが、称号って意味もあるんてすね~
じゃー名前とは別個だもんなー
そうなんですよね~
カテゴリにはブルグンド(イヴレア)家という表記があっても王様の名前にそれが入っているのは見たことがないの・・・
ミドルネームがないのかな?
カスティリアでは1世だし?
そういうのは関係ない?
早っ!!そしたら発売当日にゲットされていたってことかしら?
凄いわ~!!丁度そちらに行ける人がいてよかったですね
私も雑誌掲載は未読なもんで、あのカタリナとエンリケのシーンはファンブックの1コマしか知らんのですよ~
あれに確か「長年の欲望を成就させたエンリケ」みたいな表記あったでしょ
あれで「ああーいたしてしまっのね~!」ってな位で
そっか~そんな表記があるんだ。。。
すごい気になる~~~~
しかし、13巻で初めて読んだ皆さんの反響は凄いものがありますね~。先生のHPのコメント。エンリケのことボロクソ…。でも、ま、「高貴な血(というか、つまりは肉)の繋がりには神もモンクなどいわんだろう~」みたいな発想する人物には味方はつかんだろうね~。
さ、わたしゃ、いかにしてぬりえをゲットするか、考えないといけません。
口絵の一番最初のは、イメージアルバムが出た時に付いてきたポスターと同じもので、私はアルバムは買わなかったのですが、懸賞で当たった先生のサイン付きのを持っておりまする(笑)。
12巻続きの未収録だった部分、読んだはずなのにほんと~に「こんなだったっけ?」ってくらい忘れてました。
エンリケとカタリナの一件があまりに衝撃的だったから、他がかすんでしまったのかも~(苦笑)。
>ぬりえの少佐
思ったより若々しいではないですか~(笑)。
まわりの親父に比べりゃ、長靴下だろうが全く違和感ありませんがな(苦笑)。
それにしても・・・悩むな~(苦笑)。
B型さん、これを見ると買いたくなっちゃうかもしれませんよ。
皆さんとは、加筆部分にかんして、また語り合いたいと思っています。では、明日。ふふふっふ。
たれぞ~さんのおっしゃるサイトさんで「Castilla」という家名を使っている方のルーツは、今のところはっきりわかってはいないみたいで、王家の流れの他にも、単にカスティーリャ地方出身という意味の可能性もあるようです。
家名としては、王様の場合は「Borgoña=Burgundy」で、Wikipediaスペイン語版の王様の記事には「Pedro I de Borgoña」の表記がありますが、他では見たことがないです(苦笑)。
「Borgoña」の他に「Anscarids:アンスカリ」とか「Ivrea:イヴレア」という表記を使ってる系図サイトさんもありますが、「イヴレア家一覧」などのように使っていても、王様の名前の綴りに入れているのは見たことないですね~。
サイトによっては、王様のフルネームに父親の名を示す「Alfonso」や「Alfonsez」が入っている場合があります。
王様の子供たちの名前に、同じ理屈で「Perez」が入っていることも。
ミドルネームっていうより、ロシア人の名前にある「父称」と同じようなもの?(笑)
ただ、必ずしもファーストネームの後に父親の名前を示すものがつくとは限らないので、系図サイトを作っている方も親子関係の判断に四苦八苦されているようですね(苦笑)。
マルティン・ロペスの娘の名前も、レオノール・ロペスで、レオノール・マルティネスではないですし。
>13巻
予約したのですが、休日が挟まる関係で手元に来るのは今日でございます(苦笑)。
カラー口絵付き、加筆ありとの情報もあるので、楽しみ~!
言われてみれば、王様のミドルネームって見かけませんね~
私がよく見る系図サイトでも
Pedro I, Rey de Castilla-León
との表示で、ミドルネームはないですね~
ただ日本語版ウィキによると、王様はじめアルフォンソ7世から王様ことペドロ1世までがブルグンド(イヴレア)家 というカテゴリに入っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7
他のサイトでは
苗字にde Castillaという表記をしている場合があるんですが、どちらなんでしょうね~
家と苗字の扱いって違うんでしょうか?
そうそう、ようやく13巻が発売になりましたよ
私も今日、ネットで注文しました。
今週末には届くことでしょう~
あ~楽しみ!!
ほぉ~!!
そういえばまたしても漫画の話ですが、河惣さんの「花巡礼」でも代母(あるいは代父)の話が出てましたよね~
血の繋がりが無くても、一旦「代母」となったなら、その代母の子とは兄弟になるので結婚が出来ないと・・・
実の父母と同じような考え方だったのでしょうね。だとするともしサンチャの代母がアルフォンソ11世縁の人ならばありえなくも無い話だわ~
やはり教皇の許可を得る結婚は「法廷年齢」が意味を持つのかしら?
結局は教皇が特例として認めれれば、結婚もありということなんでしょうか?確か禁じられた結婚でも教皇が許可を出せは結婚できたと思うのですが・・・
(ヘンリー8世が亡兄の婚約者のスペイン王女と結婚したのもこの特例だったような・・・)
王様は坊さん、嫌いだったから「特例」云々は申請したとは思えないし(苦笑)
>ベアトリス王女
そんなに幼くして2度の結婚しているのね~!
こちとら、30数年立っても一度もしていないのに~(自爆)
ってことは、いつからかわからないけど、スペインでは男女とも14歳からになったということか~。
しかし、法定年齢が守られてないケースが結構あるみたいですよね~(苦笑)。
アルフォンソ11世と最初の妃コンスタンサの結婚は、英語版Wikipediaによれば、2年後に無効にされたとなってます。
検索すると、そもそも摂政だったフアン・マヌエルの失脚を狙ってのことだったという説が引っかかるのですが、これが本当なら、最初から無効になるのを承知で結婚したってことかな~と(苦笑)。
それとね、イサベルの上の息子エドワードの最初の結婚も、双方とも法定年齢に達してなくて、後で無効になってます。
この時の相手、なんと後にホアン1世の2度目の王妃になったベアトリス、あの悪妻レオノール・テリェスの娘だったんですよ~。
ホアンの妻になった時も、10歳くらいでしたよね~(苦笑)。
>ロペスの妻サンチャ
アルフォンソ11世の「姪」というのが、どういう意味なのか、いまだにわからないのです(苦笑)。
レオノールの回想録には、母方のおばさんとしてマリア・ガルシア・カリリョの名が挙がっていて、サイトによってはアルフォンソ・カリリョというのがサンチャの父の名前となっているし・・・。
サンチャの母親が誰なのかがわからないので何とも言えませんが、血縁関係ではないのかも。
もしかしたら、アルフォンソ11世の姉妹の誰かがサンチャの「代母」という可能性もあるかもしれないと思っているのですが・・・。
わからないと言えば、ロペスの両親の名前も今のところ探し出せてないんですよ~。
イネストロサの「息子」なんて書いてあるところもあって、これもイネストロサがロペスの「代父」という意味か? なんて思ったりしてるんですが、確信はないです(苦笑)。
ほぇ~レオノールの投獄された年齢を考えると、結構幼くしての結婚だったのね~とは思っていましたが、6才ですが・・・
今なら小学校1年生か(汗)
ほんと何歳くらいからオッケーなんでしょ?とふと思いましたが、系図サイトなんかでは王様の父ちゃん(アルフォンソ11世)がマリアと結婚する前に結婚していた花嫁は2才とかとなってますからね~
政略結婚ではあまり関係ないのかな?
それとも結婚は結婚でもかのボルジア家のルクレツィアの様に「白い結婚」とかなのかもしれないし~
どうなんでしょうね~??
>青池先生の月一報告
これは「エレガンス・イブ」という漫画雑誌に掲載されているのですね?
ウチの町の本屋には置いていないので実際は読んだことはないのですが、掲示板等で聞いたところによると、旅行記や日常のエッセイだったと思います
ここで大和和紀先生のお母様が亡くなられた事も載っていたとあったような??(ウロですが・苦笑)
これも何処かのコミックスに収録されるといいですよね~
なんか未収録になると勿体無いわ
あ~そういえば、そんな事も載っていたような・・・
と、なると法定年齢ってのがありましたね~
じゃ~
花嫁2才だったアルフォンソ父ちゃんは淫行?(爆)
いや、淫行すら出来ん手、赤ん坊なんだし・(爆爆)
レオノールの結婚ってそんなに早くから決まっていたんですか・・・
まぁ漫画だとイネストロサと年の差がある様にかかれてますが、実際の二人の年は近いし、王様かにの信頼厚い側近同士ってことで意気投合しちゃったのかしら?父ちゃんズ(苦笑)
だって生まれる前からだなんて、性別か違っていたら無理だもんね~
「もし女の子が生まれたら、ウチの倅の嫁に」とか是非自分の子と結婚させたいと双方が子作りに励んだ結果だとしたら・・・・う~ん、だいぶイメージが(苦笑)
そういえばロペスの奥方は王家の血を引くかもしれない方ですよね?(アルフォンソ11世の姪でしたっけ?)
確か王家の血を引く人の結婚は王の許可がいると作中であった気がしたのですが、レオノールの結婚は王様が決めたって可能性もあるのかしら??
>ユーグ
そうそう!!それが「サラディン」の主人公です。
なんかファルコとダブるキャラですよね~(笑)
個人的にはファルコとか王様の話とか、歴史モノが好きです。もちろん、少佐は別格。B型さま、是非、ファルコをゲットください。青池先生の中世欧州ウンチクが地味に炸裂してます。
法定年齢。スペインは最近まで男女とも14歳になったら結婚できるようになっていたみたいですね。でも、もし未成年で結婚した場合、未成年という「肩書き」は剥奪されるとかで。ま、そりゃそうだ…。中世当時、男女で違うかどうか。まだ調査中です。(みつからなさそう…)
ところで、話は全く違うのですが、青池先生が何かの雑誌に「月一報告」とかいうエッセーを書いていらっしゃるそうですが、どんな内容なんでしょう。もしご存知でしたら、教えてくださいませんでしょうか、ごく簡単に。
王様が特出していたのは、もちろん覚えてますよ~(笑)。
メロディで再開されたのは知っていたのですが、その頃になじみの本屋さんが相次いで閉店してしまったので、途中までしか読んだ記憶がなくて(苦笑)。
読んだ記憶があいまいなのが、「サラディンの日」ですね~。
ユーグって、これに出てたんでしたっけ?
>レオノールの結婚
イネストロサの息子との結婚が決まったのは、1357年頃というから、彼女が生まれる5年も前のことだったらしいです。
http://www.ebiografias.com/44123/Fernandez-de-Hinestrosa-Juan.htm
イネストロサ家とロペス家の「同盟」ということだったようなんですが、ルイ・グティエレス(またはフェルナンデス)との年齢差が気になりますね~。
「婚約」した時、まだ二人とも生まれてなかった・・・っていう可能性もあるんでしょうか?(苦笑)
そういえば・・・ベアトリスに初めて縁談が持ち込まれた時、王様が「結婚は法定年齢(12歳)になってから」と言っていたけれど、これは王族同士に限った話なんでしょうか?
あれ? カタリナと結婚した時、エンリケ王子(後のエンリケ3世)は9歳だったような??
法定年齢って、男女でも違うんでしたっけ?
ネタ探しにレオノーラ関係の文書を読んでいましたら、この人、とっても早くに結婚しているんですね~。でも、昔って、日本でもそうだったように、結婚年齢、凄く低いんですよね。
6歳:結婚
8歳:一族とロペスの臣下達と共に投獄される
12歳:黒死病で殆どが死亡(このとき兄のロペは13歳で死亡。もう1人の兄、義理の兄も死亡。ロペスの13人の騎士たちも死亡。)
17歳:解放
のようです。大変な10代だったようで。
うんうん・・・ほんと痛いですよね~
私も敬愛する青池先生のは新刊で購入が基本なのですが、やはり1冊1000円以上だと痛い!
未だにブッキングの「水の中の赤い家」も買っていないの
まぁこれは講談社版のを持っているせいもあるけど。
おんや~B型さん、「ファルコ」お持ちじゃなかったのね~
王様もちらっと出てくるし、これは買いですよ~(笑)
でも大判だと確かに痛すぎる・・・もっとお安くならないんだろうか?(涙)
>着せ替え
ありましたね~
肩のトコに爪をかける形の着せ替え(爆)
着せ替えって事は少佐の基本スタイルは・・・
まさか裸?!
それともアンダーシャツ&パンツ?!
あぁ妄想で鼻血を吹きそうですがな(爆)
ひぇぇぇぇ~~~!!!
海外でお取り寄せだと送料でもおかかるのに本自体も2割り増しなんですか~!!
それは痛すぎる(涙)
少佐はダーク色のスーツが多いですからね~
どんな色になることやら・・・しかも勝手にフリルさかつけたぐらいにして(爆)
貧乏な私はスキャンして印刷、それに色を塗って遊びそうな予感大(苦笑)
制服フェチなので、少佐の軍服姿が載っていないかな~と妄想しています(あはは)
着せ替えもついてくるらしいのですが、それってもちろん少佐よね?と勝手に想像してます
もしジェイムズくんなら、ちと悲しい(爆)
少佐のぬりえは黒ベタとかで塗っても全く面白くないので、やはり原色系でチンピラ風に仕上げるか、パステル調で少女漫画チックに仕上げるしかないでしょう。日本中の少佐ファンに堅物少佐が蹂躙されることを思うと、笑いが止まりません。はははは。
って、こんなこと書いてないで、王様ネタでも探さなきゃ。
やっぱりお値段がね・・・万年金欠の身にはち~と痛い・・・。
(でも、見たい!)
ぬりえを買うなら、いまだに揃ってない「エロイカ~」31巻以降とか(爆)、「ファルコ」とか(爆々)、「サラディンの日」とか(爆×3)、そっちが先だろ~とも思うわけで。
本当にファンか?! と言われてしまいそうですね~(苦笑)。
あ、「アルカサル」13巻は、すでにポチ(予約)済みでございます~(笑)。
そういえば、ぬりえには「着せ替え」が付いてるらしいですが、どういう感じなんでしょうね。
昔、私が小学生くらいの頃までは、基本の人形と着せ替え用の服が全部切り抜きになっていて、肩のところに引っかける爪?みたいなのがついてるのとか、ノート型のぬりえで頭部・上半身・下半身が分かれていて、パラパラめくって服装を変えられるというものがあったのですが(笑)。
秋に発売と聞いていたあの「ぬり絵」がとうとう9/20に発売されるんですね~
もちろん買いますよ~!
でもさ、塗りたくもなるから2冊買うべきなのかしら?
そうなると3000円かぁ・・・ちと痛いな。
なんか買う冊数で悩むわ~
少佐に普段絶対着ないような色にスーツを塗ったら怒られるかしら?
それとも銃殺?(爆)
なんか中身が気になるわ~
密かにQも出ていないかしら?と思う今日この頃(爆)
http://book.magazine.co.jp/action/detail.do?seizoBumonCd=YB&seizoGosu=15
アルカサルのぬりえもあるとかで、120色の色鉛筆を買おうかな、なんて。
これで探すのが楽になったわ~
何処まで増えるアルカサル・・・
でも他の方もここをロムって下さっているようなので嬉しいです^^
先だってはメールをありがとうこざいました。
さっそくこちらでもリンクを貼らせて戴きましたので今後とも宜しくお願いいたしますね
うふふ~これが13巻の表紙ですか~
なんか、ちょっと王様っては髪が伸びた?
そんなトコに王様のご苦労を想像してしまった私・・・
9/13の発売が楽しみです~!
そうそう~!!そのアルバロくんですよ~!
以前B型さんが探してくださった文献の家系図にレオノールと異母兄弟と思われるトコロにロペの名前があって同母兄弟にアルバロの名前があって?状態だったのです~
でも他の文献ではアルバロの名前は出ていなく、ロペくんばかりたったので余計に不思議で・・・
レオノールはサンチャの娘という事で間違いないようですが、ロペスの2人の息子たちに関しては、色んな説があるんでしょうかね~
それにしてもアルバロ兄さんも有名人だったとは・・・ロペスが殺され、レオノール始め他の親族か幽閉されて殺されたのに、この兄さんの名前が無く無事だったのは幼い頃から修道院にいたからなのかしら?
跡取りたる男子の長子が修道院に入るというのもなんか不思議な気がするけど、ロペスの兄さんがそうだったから(漫画ではね)あの時代そんなに不思議なことではなかったのかも。。。
例の論文によると、ロペスの子供達は以下の通りです。
×妻:サンチャ・カリリョ
アルバロ・デ・コルドバ(1360頃-1430)
レオノール・ロペス・デ・コルドバ(1362/3-1430)
サンチャとの間の子は「少なくとも二人」となっているので、詳細の判らない子供が他にいるのかも。
×愛人:テレサ・アルバレス・デ・アロ
ロペ・ロペス・デ・アロ(1361-1374)
ロペスの記事と同じサイトにあるレオノールの記事のほうでも、ロペは愛人の息子となっております。
(参考文献の中に、この論文も入ってます)
http://www.ebiografias.com/73877/Lopez-de-Cordoba-Leonor.htm
「1363年頃、マルティン・ロペス・デ・コルドバは、宮廷に庶子ロペ・ロペス・デ・アロ(愛人テレサ・アルバレス・デ・アロとの子供)を送り込み、ロペはドニャ・レオノールと一緒に成長することとなった」
とあるので、もしかしたらロペの母親に何かあったのかも?
ロペが王様に領地をもらった・・・というのは、論文にも書いてありました。
アルバロはどこ行ったか? というと・・・
実はこの人も、有名人だったらしいのですな(笑)。
修道院で育って、長じてからは、カタリナ・デ・ランカスターの聴罪担当司祭 兼 ホアン王子の教育係をしていた・・・というから、レオノールが宮廷に出仕するきっかけを作ったのは、ひょっとしたらこの兄だったのかもしれませんね。
>河惣さん
イネスの悲劇を知ったのは、私もこの方のマンガからでした~(笑)。
『サラディナーサ』を読んで、フェリペ2世のイメージが最悪になったクチです(苦笑)。
http://www.akitashoten.co.jp/CGI/new/new_listput.cgi?key=syousai&isbn=075355