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「自分は良いけど……」ってどう良いんでしょうねと。
この言葉をいう人多いなと感じていましたと。
遠慮したり、自分を後回しにしたり、
自分は良いけど人はどう考えるかとか人がどう思うかとか、
自分の意見も後回しなのか、自分の意見が無いのか。
自分の人生をおざなりにしていませんかという事で話しました。
私も昔よく使っていたなと思い出した。
「私は良いよ良いよ、あの人に聞いてあげて!」とか、
「私は良いよ良いよみんなの言う通りで!」とか「みんなと同じで!」とか。
その時は本当にそう思っていたんだと思う。
「自分は良いよ」とか「良いけど」って。
もしかしたら自分に気づいていなかったかもしれない、
自分を大切にしていなかったかもしれない、
自分の人生をおざなりにしていたんでしょう、知らないうちに。
ある時から、というより、自分の事を考えたり、自分の事を好きになろうとしたり、精神世界に意識が進むほどに自分の考えや思いを人にも言えるようになって、言ってみようって変わって行ったように思う。
今では図々しいほどになったかも知れんけど、自他尊重の精神も培っているつもり (^.^)
自分の母親の介護をしている友達がいて、ずっと話を聴いていて、
自宅の近くに実家があって、仕事帰りに実家に行き母親と晩を過ごしているという。仕事場と実家の往復、たまに自宅へ帰るという生活がここ数年続いている。
父親が2年前に亡くなったがその父親が具合が悪くなりせん妄に悩まされその頃から一緒に夜泊まりに行ってて、最後には施設に入ったりしてそれ以来だから結構長い。
母親は耳が遠くなり、会話があまり成立しない、
母親は昔の人だから色んな所に気が行き気になる事が多く、心配事も多い、その対応に会話も成立しないし意思疎通できないと疲れてくるのでしょう。
仕事で疲れている上に大きな声を発して喋らなければいけなくなっていって、会話も成立しないでいると段々邪魔くさくもなるし、意思疎通も出来ないと段々寂しくなってくるという。
決して母親の事を嫌だと思っていないし、感謝だけど、長く続くと孤独を感じると。
お母さんもきっと孤独を感じていると思うし、すまないねと感じていると思うのも分かるから余計に自分を責めてしまうんでしょうね、
たまに娘が交代してくれるし、旦那さんもいろいろ手伝ってくれるし、有難いけど、そうなると余計に寂しさを感じるんでしょう。
自分を責めると自分を追い込む、そうすると自分だけが……となり、
自分だけがという意識がプラスにもマイナスにも働く。
誰が悪いわけではないのに心が疲れるのって胸も詰まりますね。
気になる事も悪いわけではない、
心配する事も悪い事ではない、
それでも答えのない要らぬ心配は解消も出来ない。
そのお母さんの浄化するのに波動を感じてみようと思い意識を繋げました。
その時にふと感じたお母さんの意識が……、
自分の人生がいい加減だった、おざなりだったという思いを感じた。
その思いが気づかぬうちに詰まっている。
昔の時代の女性って、男性を立て旦那さんのため、子供のため、親のためという意識が強かった。
それに反する気持ちが強かったんだなと。
気づかぬうちにそれは塊になり頑固なまでの生き方にもなる。
「自分は良いけど……」って、気づかぬうちに解消されない事となり、人生おざなりになるのはやっぱり自分の責任なのかなって。
それを身をもって教えてくれているのだから、私たち子どもは学び成長しないといけないなと思う。
それが母親の人生の浄化にもなるんだろう。
先祖のから継がれてきた意識の浄化にもなる。
そう感じる。
お盆に向けて……合掌。
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