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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

自分の世界観に籠らない

2025-05-09 | 真理
  自分の世界観に閉じこもると、
また、自分の世界観はこうだと決め込むと、
これもまた昨日の話である世界観に閉じめ孤独になる。

いろんな人や出来事との出会いでいろんな自分に出会うけど、それで終わりではない。
世界観は宇宙観にまでどんどん広がる。

閉じこもり過ぎて自分の世界観しか見えなくなる、
目に症状が出たりするのもそうで、
人の世界観を聞こうとしない理解しようとしないのは耳の症状にもでる。

閉じこもり過ぎで鬱にもなる。
それが悪いわけではない、
もちろん籠り過ぎていろんなところに症状が出るのも鬱も同じだけど、

世界観がどれだけ素晴らしいかと溜め込んでる場合もあるのです。
芸術家なんかもそうです、人には理解されがたいカタチで表現したとしてもそれは凄いエネルギーでもある。
誰か同調する人へ影響も与える。

ただ鬱になるまで溜め込んでいるだけ。
外を歩くだけでも良い、心を開く気持ちになればいい。
自分のペースでも良いから深呼吸してみればいい。
外の世界観を味わってみればいい。
外の空気感と混ざってみればいい。

今まで閉じ込めて来た自分の世界観は宝の山かも知れない。
人に話すと面白いかも知れない。
まあ親兄弟家族の温かさを感じたいだけかも知れない。
自分に向いて欲しいという願望かも知れないのも鬱症状。
鬱はそう表現している自分の世界観。

世界観を融合するという事は自分の解放でもある。
まずは自分の心を開くと、相手の心も開く。
自分の心を開くと循環が始まる。

私もサービス業してて、
お客さんと話しますが、
髪型をどうしたいかも、その人のライフスタイルや服装にも合わせないといけないので、そんな事も聴いたりします。
先ずは話を聴きます、そして髪型を想像します。
ズカズカとお客さんのプライベートには入り込みませんが、自分の事も話し、徐々に相手のプライベート部分にも入り聴き、共感し、
それを無意識にやっていたようです。
これが交流だと思います。
これが世界観の交流で共有。

たまにリラックスすると悩みなんかも話される人もいます。
そんな時には共感はして寄り添ったとしても同情はしないようにします。
世界観の融合は理解だと思っているから。
昔はそんな事分からなくて、同情しそうになったけど、案外昔から客観的な人間だったかも知れません。
自分が悩まない性格だったし、それが良いとか悪いとかというよりどうやれば解消できるかという事を考えていたからだと。

いつでもどうにかなるとしか思っていなかったかも知れない。
そのためにも人の世界観を聞きまくって解決策を練る方が好きだった。
それが根本的な自分を作っている世界観だったと。

人と話していても一緒に解決しようと、世界観を共に共有しようよと思う人間だったと思う。
そんな努力をし続けてしんどくなった時に初めて混ざり合わない人っているんだと気づいたりしてた。
混ざり合わない人とどう接すれば良いのか対策も考えるけど、やっぱり一方通行はどうしようもないんだと諦めれるようになったりね。
何で混ざり合えないんだろうと考えるので結構しつこく努力もするタイプだけど駄目なものは駄目なんだなと、
理解の方向を変えたりしてた。
どうやったら人の世界観を尊重するのかも考えた。
やっぱりそんな時でも自分の世界観は変えるので変える努力もしたりするけど、自分の世界観も確認しながら自信を持つことも必要だと気づいたりするしね (^.^)
凛とする姿勢は大切だなと我見失なわない自律ということも大切だなと。
自分なりの富士山信仰で学んだなと (^^;)
だからこそ孤独であっても孤立しない、自分に籠らない。
世界観は宇宙観まで広げるという !(^^)!



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世界観の解放

2025-05-08 | 真理
  世界観の話です (*^^*)
人の世界観もそれぞれで良いという話でした、
そして受け止め理解し尊重すれば、嫌なものは嫌だと、好きなものは好きだと受けいれることが出来ればそれで良いという話でした。

嫌だと好きだとかを判断するという事は自分の世界観とすり合わせたり歩み寄る事によってわかる事、
なので、自分の世界観も知ることが出来、好きであろうが嫌であろうが、自分の事を知った上での判断でもあるので、
自分の世界観を確認する事も出来るし、振り返る事も見直す事も出来る。
それは自分の世界観が広がり、アップデートする事にも繋がる。

受け止める事もしないで端っから否定したり非難したり、批評したり、壁を作ったままでいると、自分の世界観の殻に閉じこもってしまう事になる。

その世界観がある程度広ければいいけど、
それに自分の世界観すら分からず無意識に壁を作る場合だってある。

自分の世界だけに没頭してしまう場合も、
没頭してて癒される場合もあるけど、
本来の意味では解放は無い。
芸術家などの様に自分の世界観に没頭してても、それをカタチにし、世に出す、アウトプットしていればいいけど。

没頭し過ぎて解放が無ければ循環も広がりも無いので作品を生み出すにも苦しみとなる。

例えば、秘密や嘘もですが、
それも個人の世界観、
人に対して嘘をついたり、秘密にしたりするけど、自分のものであって、自分の世界観です。
自分の世界観をある意味自分の中に真実を閉じ込めてしまう事になる。
それは、いつしか孤独の世界に苦しめられることになる。
人に話せない疎外感からも孤独になる。

その孤独に耐えれればいいけど、
いつか爆発する。
秘密や嘘はバレる。
バレた方が良いのです。
魂が解放されたいと願っているからです。

その嘘でも秘密でもどこからどんな感情から来ているのだろうと、
なんの後ろめたさからなのか、何の罪悪感からなのか、何の悲しみからか、何の寂しさからなのかと……憎しみや怒りもですが。
自分の中で解明すれば納得も出来るだろうけど、
嘘をつくとそれがバレそうになると、また嘘を重ねる、
秘密も隠そう隠そうと重ねる。
そうしている間に重くなる、苦しくなる、必ずです。
よく嘘も秘密も墓場まで持って行くというけど、
いつかまた次の後世に続きます。
自分に納得するまで魂が納得して感情のバランスが取れるまで続くのです。

そんな嘘や秘密の感情の元である自分の世界観にも向き合って、理解して、
自分の世界観を解放する事も生きている目的でもある !(^^)!



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世界観の融合、その潤滑油は理解。

2025-04-30 | 真理
  世界観の話まだ続きます (*^^*)
人それぞれで良いという世界観、
自分の世界観の中だけでは深くも広がりも無いので、いろいろ出逢うのです。
体験で物事や人と出逢う。
視点や接点で外側と出逢い、その出遭いで自分の内側に入り込み深く浸透し広がる。
世界観はいろいろあって良い、それぞれで良いと言っても、そうやって接点や視点から共有しないといけない事が自然とやって来る。

昨日の話でも合ったように波長が合ったり波動があったりして近づくけど、それが決して丸ッきり同じという事でもない。

反応は同じレベルでもプラスの波動かマイナスの波動かで違う場合もあるように。
同じ反応で共有しあい学び合うために。

常に共有しあっているだけなんだけど、
自分が正しいのだと決め込んで壁を作ったり、
自分に自信がないんだと他の世界観を訳分からないまま自分に浸透させたり。
そうなると波長や波動の乱れが自分の外がと内側でバランスの崩れも起こすのです。

冷静に考えると……こんな事って簡単で単純だと思うのですが、
自分軸で無かったり、自分の中心がブレていたり、他人の反応に敏感すぎたり、目の前のことではなく別の事を意識していたり。

本当に単純に、簡単に、「理解」と言うのはいろんなことを謎解いてくれるように世界観の融合だって理解が潤滑油のように混ぜてくれて溶かしてくれてとなるのだと。

私は、昔からメイク落としをクレンジングオイルでやっています。
最初に使った美容室でのシュウウエムラのオイルから始まり、色々変わっていますが、今はオリーブオイルだったり。
最初に言われたシュウウエムラの美容部員さんの「油はオイルで取る方が良い」という言葉をずっと信じているからでもあって、その時の乳化がポイントだという事を忘れていません。
乳化って結構難しいんですが、お客さんにもレクチャーしないといけなくて凄く練習しました。
気が短い人には無理だと思います。
この乳化の時には汚れと皮脂とオイルが混ざって乳化するイメージしながら行うんですが、最初はオイリーなんですが乳化が進むと一瞬手触りが変わるんです。
そして乳化が完璧になるとサラサラになって洗い流すのが簡単になるんです。
こんなイメージが全てに活かされてると思うし、
私にとってはいろんな場面で活用できていると思うんです。
こんなしょうもないと思われる事でも私にとってはイメージするための世界観で必要な視点。

何でもちょっとした事でも融合とか乳化とか混ざると分子が細かくなる感覚で効果覿面だと信じているんです。
その分子とかが細かくなると効力が倍増する感覚と言うか (^^;)
そんな気がするだけなんだけど、
そんな気が自分の根本にもなっているというか (*^^*)
イメージで生きてる人なんで (^^;)
色んな世界観が混ざりまくってる人間でもあるのかなと (^^;)

人とも波長や波動も融合すると細かくなります。
世界観だってそう!
その融合の潤滑油が「理解」「コミュニケーション」
理解して行くと、ある時一瞬にして腑に落ちて交わる感覚。

自分に合わない世界観だって、どこかでは交わっているかも知れない。
そしてどこかで交わっていくと細かくなって行ってるんだと思う。
だから自分に合わない世界観だとしても、一旦離れれば良いと思う。
そのスピードが宇宙では早くなっているので、我見失わないように自分の中心を見失わないようにしていればそれで良い。
世界観が無限だという事を知っているだけでも理解力が進むし、一旦距離をとるという事も早く判断できる。



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世界観は無限無数

2025-04-29 | 真理
  世界観という話を続けます。
世界観が物事や言葉の数かける人の数分あるし、いろんな角度から観る事でその物事や言葉の世界観ももっと無限になる。
でもそれを全て自分と合うとか、自分が好きになるとか、自分にとって正しいとかっていう答えも無限で良いと思う。

自分と合う波長というか波動で選んで行けば良いのだと !(^^)!
そうやって無意識に選んでいるから波長や波動の合う人と近づいたりするんだと。
同じような世界観をもっている人と巡り合い、また離れるという繰り返し。

離れるのは自分が違う波動でその概念を捉えるようになっているだけであって、くっ付いたり離れたりという現象にはこれといって理由もない。
そんな時にも正しいとか間違いとか、良いとか悪いとかの基準でもない。

その世界観の波動が大きく集まり過ぎて波動が重くなると重いエネルギーのカタチとして現れるので破壊も起こるけど、それが結果どうなったかにもほぼ理由もない。
悪かったからだ!と良い方が勝ったとか、勝ち負けでもない。
それを見て考える側の世界観があるだけ。

この地球の根本からそういう事がずっと繰り返されているだけ。
それをいろいろな見解で研究されたり、探求されたり、哲学されたり、発表されたりしているけど、その研究発表ですら後世に伝わってたとしてもそれを哲学書などで読み解いた人がいたとしても、それすらもそれぞれの見解で世界観のひとつでしかない。

どれだけの事をどれだけの哲学書が証明したりしてたとしてもです。
もちろん後世の役に立ててる分野も多いけど、それはそれで意識や考えの同じ世界観のバトンで繋いでいってるものであって、それもほんの一部である。

ふと、この世界観が自分の中では正しいと感じてたとしても違う体験をした時に別の世界観が生まれるという事も出てくるし。

自分の中に無限の世界観や答えが全て在るわけだから、これが!という一つを選択できるわけでもない。
今自分の眼の前の事に向き合っていれば目の前の事に対しての自分の世界観が出てきてそれで良い。
だからこそ目の前の「今」に向き合うって大切だなって思う。
他の者が観て聴いて言葉にしたものは他の者の世界観、
ただそれだけ。
今の心……は、念でもあるし。
自分の心……は、息でもある。
今の自分の世界観と向き合うだけで良いと思う。

そうしているうちに
その違和感やその疑念にぶつかり葛藤しても良いのだと思う。
そしてまた世界観が広がるんだと (*^^*)



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世界観は無限。

2025-04-28 | 真理
  人それぞれの世界観があって良いと思う。
その世界観も一人に一つではないのです。
人生観といってひとくくりにするものでもない。
物事、言葉の数の限りの世界観というものがある。
それが人それぞれという事でもあり、
という事は、その世界観はある意味無限でもある。
広がりも無限なら、奥への深くも無限。

それが人とのわだかまりも作り、
自分を縛りつけてしまう場合もある。
人との世界観の違いで壁も出来る。

大概世界観が広い方や世界観を深く読み解く人は穏やかでもある。
相手の世界観が自分の中に既にあるのが分かるからです。

世界観が狭い人や理解が浅い人ほどその無数の世界観に感情が乗っかり、直ぐに感情的になってしまう。
それは明らかです。
世界観が大きく広い人ほど自分の事も俯瞰できる余裕があると。
それも自分自身を理解するのに答えが多いからだと。

全く世界観が違う人や今までにない知らない世界観と出逢ったとして、最初は唖然としたとしても自分の広い中から答えを探そうとするし、知らない世界観も認知する事ができる余裕もある。

それはなにもそんな人が凄いと言っている訳ではない。
本来は全ての人がそうなんだと。
自分の世界観は宇宙にも広がっているし、自分の奥の宇宙にも繋がっているからです。

それが自分の世界観に籠っていたり、
人と自分を比べていたり、
上とか下とか、近年ではマウント取り合いのような感じで、

自分の外側にも内側にも制限や壁がある人が
その上とか下とかマウントとかで制限しているんですよね 
自分の世界観を制限している。
それが無意識に出ている。
人との境界線も作られてしまう。

近年では精神疾患や精神障害も増えています。
それらを心理的や医学的に研究している人もいるためにそれぞれにカテゴリーや名前も付けられて、
その研究は人類にとっての概念にとってはある意味必要なものかも知れないけど、
名前を付けられるとそのカテゴリーの中にあてはめられてまた制限されてしまう。
その制限によって守られる場合もあるけど、解放されて自由になる事が出来ないほどに閉じ込められる。

ただただ概念の違い、世界観の違いだけだというのに。
病気だと勘違いし、病気の一部のカテゴリーの中に自分を閉じ込めてしまう。

これだって自分の世界観を広げ、自分の中の世界観の深くを知る事でカテゴリー分けをしないですむ事をただ知れば良いだけなのに。
それぞれの世界観の境界線をなくせば良いだけなのに。

最初に言ったように、物事、言葉の無限の数かける人の数分の世界観があって、
物事なんて言う世界観の組み合わせでも世界観が膨らみまた答が広がるのに、
知ろうとしないし、広げようとしないし、自分の奥の答えを探そうとしないで、直ぐにカテゴリーの中に閉じ込めて良いもんなのか?

病気だって、病気だと言われれば直ぐに病気だと信じてしまうけど、
医学的、物理的、心理的、色んな世界観が絡み合ってるのに、
自分で自分に向き合おうとしないから直ぐに病気かも知れないと病院へ行く。

そして病院の先生が正しいと信じる?……???
これはハテナでしょう。
だから医者は医学的見解だと述べるわけです。
もっと他の見解や世界観だってある事を知ろうとしない。
自分の心や自分の奥の世界観は無視してしまって、どこかに閉じこもろうとする。
それは閉じ込めた方が安心する自分がいて、現実逃避でもあるかも知れないのに。

それぐらい世界観って影響力あるのです。
あるってだけでも知ったとして、世界観を広げてみようとか奥を知ろうとすれば、どれだけの世界観と出逢うか。




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