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母親はこんな人だから、父親はこんな人だからというだけでない、
そんな人生から子供の私たちは何を学ぶのかって事です。
その親たちが幸せなら感謝もするだろうし、その幸せや感謝を広げて与えて行けばいい。
その親の生き方が不器用に観えたり、辛そうに観えているなら自分たちは学び気づき進化しないといけない。
それは親の本望であって、如いては先祖の願いでもあるし供養にもなる。
昨日は、親は身をもって教えてくれているという話でもあったけど、
世の中には我が子達が教えてくれている事も多い。
それも身をもって。
自分は良いけど……って、夫婦でもどちらかの為にとか子供の為に自分の人生をおざなりにして、言いたいことも言えず、意思を伝える事もしないで自分の事を後回しにしていたりして。
その子供たちもその体験で学び気づくけど、
それを見る体験で親も気づき学ぶこともあるという事です。
どちらが先に気づくかは問題ではない。
気づかない者に対してはまた同じような出来事が起こるので、
でも気づいた側にとれば、その本質に触れ学び進化する。
大概、親に起こる事は子の学び、子に起こる事は親の学び。
例にとると、小児喘息や小児アトピーなどは夫婦の問題の中に課題を含んでいたりする。
それは親が悪いと言っている訳ではなく、夫婦共有しながら問題をクリアしていく事があるということ。
気づき学び進化して行ってる側は問題を観る眼が進化してるので、問題の本質が変わって行く。
心配が心配ではなくなったり、不安が不安ではなくなる。
恐れるほどの出来事でも恐れが無くなり客観的に対処が出来るように進化する。
自分は良いけど……って言っている人は自分に起こる辛い事や苦しい事までも後回しにして我慢しちゃったりする。
自分の痛いところがあっても自分は良いのよなんて言ったりして。
自分は良いからこの子を助けてあげて……なんて言ったり。
子供だからこそ考えようとする。
だから子供が身をもって親に見せている事もある。
我が子なら心配で不安で何とでもしてあげようとする、特に母親は。
自分の命に代えてもって。
でもこれも昔の概念。
そんなことする親なんて少なくなりました。
それなのに「自分は良いのよ。自分は良いけど。」っていう概念だけ残っているんですよ。
それと混ざり「自分だけ……」という意識が根底に溜まって絡む。
現代の意識、特に今、宇宙意識が人類のいろんな感情をあぶり出しているので混在して変革が起こっている。
こんな意識も持っているけど、こんな意識もある、っていう風に。
どちらが良いとか悪いとかの概念ではないで客観視しないと。
常に陰陽、善悪、正誤、優劣、などの意識のバランスを取っておかないと、自分が狂う。
不安や心配や怖れなどの意識も混ざり合い精神のバランスも崩れる。
我が親、我が子、我が先祖などが示した人生、示している人生をどう理解するか。
その本質をどう理解するか。
そのために親が身をもって示してくれていて、
子供が身をもって示してくれている。
その身をもって示してくれていると感じ気づいたなら自分が進化していこうと成長するだけです。
だから……
世の中で同じ出来事があっても感じ方も違えば捉え方も対処の違いもあるという事です。
それがたとえ親の辛い事でも、子供の辛い事でも、大きな災害でも。
みんなと同じように感情移入する事ではない。
反対に変に周りがそうだからと同じように感情移入すると自分の精神バランスも崩すことになる。
自分をおざなりにしていると精神バランスも崩れる。
自分というエネルギーも知っておかないと、周りのエネルギーに持って行かれる。
目の前に起こる事を客観視する、俯瞰する事を日ごろからトレーニングしておかないと昔の概念に引き込まれる事にもなる。
一旦崩れ偏りかけても立て直す自分をもっておいた方がいいと (^.^)
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