緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

魂のイメージ。

2024-08-06 | 魂・潜在意識
  魂の話をずっとしている私です。
すべて私の見解で、自分の体験や経験を通し哲学してきたことを伝えたくて、誰とでもシェアしたくて言葉や文章にしています !(^^)!
それに付随させて体験話を付けているので長文になってしまう事多々で、つたない文章になっていますが、
まあカッコいい文章や格言や名言を残したい訳ではないので許していただけたらなと思ってやってます (^.^)

私が今生で初めて『魂』という言葉を聞いて、自分でイメージしたのは、
結婚して一年目ぐらいで、25歳の時。
ブログにも書いた事はあるんですが、
私を21歳の時から指名してくれていたお客さんで、
凄く霊視や透視ができる霊能師がいるよと紹介してもらった。

全く霊の世界も知らない私でしたが、
私自身が自分の事を観えていなかった頃でもあり、
占いとかで自分の事を言ってもらうのが好きだったのもあり、
興味本位とそのお客さんとの付き合いから連れて行ってもらった。

それで初めて幽界霊界、先祖や供養、カルマや業の世界を知った。
振り子の法則や徳を積むなど、因縁や因果応報という事に繋げた話をたくさん聴いたり、実際の実例や鑑定話を聴いたりした。

その時に私が『魂』をイメージしたのは、
私の魂は本当はきっとガラス玉か水晶玉で透き通っているんだ。
そこにいっぱい今までの輪廻転生している間のカルマや因縁のエゴや業がペタペタとこびりついているんだというイメージでした (>_<)

だからそのペタペタを綺麗に外したり磨く事だと単純に思ったんです。
ただそれだけ。
こびりついたところに一筋の光が入って行けば突破口になると思いながらです。
それをその後にどう解釈していくかはかなり時間かけて行きましたが、
未だにその最初のイメージとやり方は変わっていません。

自分の魂は水晶玉のように透明で純粋無垢な球だという事を信じ思い込むようにして来ました。
自信から確信へ向かう道をどう生きるかです。
そうなるにはどうしようかと悩み考え実行してきた、
これだけで、未だにそれを続けているだけ (^.^)

本質のところは変わっていない、
その道や、方向決めに対しては随分進化や成長をしたと思っています。

いくらその後にどんな人にいろいろ話を聴いたとしても、
世の中では偉い人や有名な人の話を聴いたとしても、
自分のその本質に繋げて検証確認してきただけです。

誰もが水晶玉のような純真な魂、
それがだんだん透明に細かくなれば、繋がり、くっつき大きな玉になる。
それが大きなひとつの魂だという本質の考えも変わっていません。

その本質を基に人生を哲学しながら解いて行ってるのかなと。
それが悟りの道なのかなって (^.^)

魂のイメージって、
魂の存在すら気づいていないとか、知らないとか、
この3次元ではまだ多いのでイメージも出来るわけもなく。

魂って言葉を発する事もどうなんだろうと思ってしまうぐらいで、
何か身近な親しみのある言葉は無いもんだろうかと思った事もあったけど、
これもイメージや想像の世界だし、感覚の世界。
色んな方向からシェアするしかないんだなと思ったりしているし、

若い世代でまたアニメや空想の世界で伝わって行けばそれもありかと思ったりする (^.^)

魂のイメージが広がればなというのが今の私の思いかな !(^^)!


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フィルターに纏われず外していく。

2024-08-05 | 魂・潜在意識
  魂の話や感覚の話を続けて話してますが、
そんな事も人それぞれなので、理解されなくても当然の事 (^.^)
たまたま理解するよと言われてもやっぱりニュアンスが少しずつずれている事もある (^^;)
それも良しなのです。
感覚はその人のもので、その感覚から自分の哲学をしていくものです。
同じ課題であっても、
共通した哲学であっても、
シェアしたとしても、
道は違っても、途中まで平行だったとしても、
最後は同じ到達点です。

なので、どんな話をするのにも自分自身の体験や経験を添えて話したくなる私です (^.^)

それが時に愚痴や悩みだとしても、私なりに答えを出すための哲学です。
その仕組みや方法を知ってもらえればいいぐらいに考えています (^.^)

どんな事が起きて考えたとしても、人それぞれがその仕組みを知って、
問題文なら先ずその問題文を時系列で解釈して、仕組みも理解して、
そしてそれなりの方程式を選択すればいいのです。

他人事でも自分に置き替え、自分なりに解釈していく。
そして活用して行かないと意味がない。

悩みや考え事が表面化した時、
人の体験に当てはめてみたりして、考え方や方向性を入れ替えてみて、方程式を選択するヒントにするだけ。

占いや鑑定を受けたとしてもメッセージや答えをもらうだけでは駄目です。
それを自分の体験に当てはめながらどう活用するかです。

人生の中で、座右の銘や名言や先人の言葉、偉人聖人の言葉にしたってそうです。
そこかでもらった印象に残る言葉や他人の行動だって。

自分に置き替え、活用し、自分のものにした後に自分哲学となるんだと。
いつも言うように、自分哲学で、自分の答えは何だっていい。
同じ出来事でも段々奥深く次元が高く深くなるからです。
いつも常に進んでいる。

他人の経験や、他人事をそのままどうのこうのいう前に、
その他人事を自分の体験とリンクさせていくと、自分なりの答えがふと降りてくる。

自分の体験を文章にしてみると、自分の行動も客観視することが出来る。
私もそのためにこのブログに書いてみたりしている。

同じ出来事、時にそれが愚痴や悩みだとしても、
その同じことが40歳に起きて書いた時と、60歳で起きて書いている時には既に次元は変わっているもんです。

文章というのはそれを客観的に観れるし、
自分の事なら俯瞰できる。
そしてその時にどれだけ自分のフィルターまで変わっているか分かれば最高の俯瞰となるのでしょう。
そしてまた進む。
また次のフィルターが外れていく。

自分自身のフィルターって俯瞰して行かないと中々外れません。
昨日までの話の母の事ですが、それも私は母親に学んだと思っています。

眼の白内障もレンズが曇っているだけです。
緑内障も視野が狭いだけです。
耳もです。
それらにもフィルターがどう掛かっているか、かけているか。
眼も耳も外からの情報がダイレクトに入ってくる器官です。
入って来るし、入れるし、出すし。
そこにフィルターがどれだけ影響しているか。
魂は私たちの体験経験全て必要だと教えてくれているのに、肉体がフィルターをかけている。

心の眼や耳も使ってあげないと。
心の眼や耳を守ってあげないと。
自我(エゴ)に籠るだけになってしまう。

フィルターだって観えるものではない。
自分にはないよ、クリアだよ、純真だよとどれだけ言えるか。

必要な情報と、必要でない情報と精査できる自分で在るか。
ましてや自分の生きてきた時代背景や価値観は既に進化しているのにいつまでも古いフィルターで良いのかどうか。

同じ情報を取り入れていたとしても全然違っているのです。
それらのフィルターを外しながら方程式を選択し、解いて行かないと。
肉体に負担や異常、ストレスがかかってしまうのも拭えないのでは?

イチイチ情報にとやかく言う前に、たとえ言ったとしても。
人のやる事、人から言われる事が気に入らないとしても。
そんな時にはまず何故そう思うのか、何故気に入らないのか、
そんな時こそ自分をフィルターなしに俯瞰してみると良いのでは?
魂は必要として教えてくれていて、メッセージを伝えてくれている。

自分の魂は孤独だけど、一番の味方で、一番私達を求めて見守ってくれている(^.^)
フィルターを外したいと思っていて、一体化になりたいと思っている。




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魂の記憶、魂の理解。

2024-08-03 | 魂・潜在意識
  輪廻転生を何度も繰り返し、今一度肉体に宿って、魂の記憶を辿りながら、魂の表現、魂の人生を送っている人間の肉体。

そんな話を続けています。
昨日にはLGBTQなどのカミングアウトの話もしましたが、
それを親や家族や友達、職場にカミングアウトするにもカミングアウトだけでは終わらないという話をしました。

そこから先が大変です。
どう受け入れられるか、どう捉えらるか、どう理解してもらえるか。
どう否定されるか、どう非難されるか。
その影響がどれだけのものか、どう広がるか、不安心配恐怖。
自分だけの問題でもなく、家族だけの問題でもなくなっていく事。

そこで忘れていけない事、それは自分自身の事。
まわりに知られる事により、性的、セクシャリティーの部分でも色々想像される。
今のネットでも起こる誹謗中傷。
全く関係のない人からも様々へ影響与える分、そこからも意見が聞こえてくると、我失ってしまう。

何が正しいとか正しくないとかだけの問題に変わってしまう場合もあるし、
一言で決めつけられたり、一括りにされたりして、
自分自身も分からなくなり、自分自身までも受け止められなくなる。
だからこそ我見失う事のないアイデンティティ、自我同一性、魂と心の一体化、自分らしさ。

みんなが考え迷う。みんながどの次元で哲学しながら答えを出していくか。
自分自身も体験しながら答えを出していく。
全てがオーケーだと。
全てが自分自身だと。
全てが自由だと、心の自由だと。

こういった事って、何もLGBTQに至っての事だけではないんです。
親や家族などと価値観が食い違う事なんてなんぼでもある。

自分の思いや考えを親に伝えたら否定されるやろうとか、
自分の心の自由を伝えると悲しむやろう寂しがるやろう、怒るだろう。

私も母親と世界観が大きく違う。
と言っても、母も基本的には愛があり優しく思いやりがあるけれど、
世界観が外に向けられてるか、内側だけか、自分と向き合っていないかでも全然違う。

私の母は、自分の世界観が全ての人だけど、反面自分を否定している。
人との付き合いを一切しない人なんで世界観も狭いし小さい。
父親がいた時は自分の感情を封印し、息子である兄にもぶつけることは無く、
今では私の長女と兄嫁だけが母に寄り添っている。
感情をぶつける相手は娘の私だけ。
でも私もある時からぶつけられると自分が傷付き悲しくて辛く、それは自分で自分を傷つけている事だと気づき、無理に母と向き合わないと決めた。
全く世界観も次元も違うので平行線です。
母の人生は客観視し分析しいろいろ理解したので、それをすべて尊重しようと決めた。

何を言ってもどんな話をしても私の話はまず却下!否定!非難!
でも却下否定非難した直後に母は後悔して自暴自棄に落ち込む。
それが態度で直ぐ分かるのです。
ある意味DV的な人と同じ。
私は何を言われても言い返せない、逆上するから!
だから受け入れ黙る。
そのだんまりになる私はそれが自分の嫌な癖になってしまったり、
「言っても無駄だ」とか、「どうせ理解できないだろう」とかの。
普通に話を聴いて普通に答えたところで意見や価値観が違うと、母は「あんたは聴くだけで良いねんと!」と怒るからです。
話が交流しない、私だけは娘で昔のまんまで自分の支配下で自分の世界観の中に閉じ込めて置いておきたいのです。

母は、重い内臓の病気は持っていないけど、三叉神経を長年患い、眼・耳・肋間と、全て神経関連が命一杯弱ってきている。
それは全て神経で、神様の道だと私は思っている。
他人と繋がり自分の成長を生きようとしないからだと。
魂を生きようとしないからだと。

今更87年間生きた人間にそんな話をしたところで理解できるわけもなく、
愛の光を送る事しかできないのです。
これが母の人生だった、我慢し続けた傲慢な身勝手な人生で、
心を守って囲っている肋間神経までももう耐えれないところまで、
痛み苦しみの中で考え悩む人生なんだとそのままを尊重している。
母は自分でも言葉にしている、「私は我慢我慢の人生だった」と。
自分で分かっているのに、本当は分かっていないのです。
それは、いつまでも「誰か」に我慢していると思い込んでいるから解放されない。
自分自身の母親に我慢していた、環境に我慢していた、旦那(私の父)に我慢していた、子供に我慢している。
遠回しにそう言っているのです。
ありがとう感謝していると言いながら我慢しているのを分かってくれという事が伝わってくる。
そして母の魂の記憶が母にどう伝えたとしても、自分に向き合ってない限り気づかない、

傷み苦しむ人生だって、娘の私に色んなことを学ばせてくれた、
肉体に鞭打ってでも無駄な人生では無かったのです、娘の私にとっては。
長年かけて私は母親と向き合いながら自分を観て、理解したからです。

今、
母親の眼科に月イチ車で送迎しているんですが、診察には兄嫁が付き合っているという不思議な感じでしょうが、それも母親にとっての考えで。

そんな時、母のマンション前に車を止めるんですが、
先日、今の酷暑に「あ~痛い痛い、肋骨が痛い」と、肋間神経痛です。
ご飯も数日食べれてないし、もう病院行きたくないというんです。

じゃあ病院お休みしたらと私は言うんですが、無理していく必要ないんじゃないかと。
そんな事良いの?薬が無くなるやん!って言うから、
そりゃ良いと思うよ、無理していくよりも。
そんなんアカンやろと言うんですよ、
もちろん昭和な考えですから真面目に決められたことを遂行したい気持ちは分かりますが、
無理してまでご飯も食べれなくてしんどくて痛くて、
そんなまで行く必要はないんじゃないかと。
自分の意見や考えは本当はどうなの?って思う。
そんな自分の意見を言うのも我慢なのです。
夏の間、薬も多い目に貰うとか、先生に相談してみれば良いやん、
一週間や二週間、薬を飲まなかっただけでそんなにすぐに良くなったり悪くなったりするもんじゃないやろと。

その言葉がもう母にしたら私は母に寄り添ってないと思って怒るんです。
あんたに言うたらそう言うと思ったわ!だからあんたに話す時は考えて話さなアカンねん、「私はあんたに話す時はいつも考えて話してるねん、考えて話さなアカンねん」と何度も言うんです。
なのをどう考えて話すんやろう。

もうそうなったら言い返す言葉も出ません。
涙も溢れてきました。そりゃ魂も泣いてる、母の魂も私の魂も。
誰だって、考えて話してるんです。

小さな狭い世界観で何をどう考えて話すんでしょうか。
正直に本音で話せない相手、親子って何なんでしょうか。

母に応えた言葉も正直な言葉です。
でももっと正直に言えば病気の本質の話だってしたいぐらいです。
理解できる訳もないって思っているのは私だけか、ぶちまけた方が良いのか?なんて思った事はこれまで何度もあります。

でも母は逆上して冷静さも崩壊してしまいます。
祖母も同じで、祖父としょうもない言い合いして逆上してそのまま脳卒中で一気に亡くなりましたから。
それを知ってて、私との最後がそんな感じになるのは避けたいし、

いつでも寄り添った言葉を伝えたところで理解できない人もいます。
うちの元旦那もそうでしたから。
いつでも許し、労わり、寄り添ってても、相手が自分の魂に向き合っていないと、その相手は自分が自分に腹が立つんです。
どうやっても怒りを受け止めるのは私。
私はそれを宇宙に流すしかない (^.^)
親にどう思われても、親にどう認められても認められなくても、それは親のアイデンティティ。
私は、私のアイデンティティを大切にする。

それでも魂の記憶と魂の理解は繰り返される仕組みなんですよね、この世は。


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魂の表現 (^.^)

2024-08-02 | 魂・潜在意識
  魂の話を綴っています (^.^)
魂が輪廻転生しているという前提ですの話ですが、

それなら魂はこの世の今生よりももっともっと沢山の経験をしてこの今の肉体に宿てくれているのです (^.^)

今の現実は40歳とかであっても、その時の魂の表現は60かも知れないし、
今生では女性の肉体を選択したかもしれないけど、何度も男性性を経験しているとか、
もう二度と男性に生まれたくないと思っているけど、魂は男性性をもっと表現して課題をクリアしたいと思っているとか。

美に興味があると思い込んでるけど、魂は二度と美をもつ事で苦い思いをしたくないとか、

魂の経験は無数です。
その都度違うし、その都度捉え方も課題のクリアの仕方も違うとか、

だからその魂にしか分からないのです。
だからその魂が宿っている肉体にしか理解しがたいのです。

表面的な相手の行動や言葉や表現だけを観てても理解できないで人間関係にエラーが起こるのは当然なんでしょう。
人間関係だけでなく、
自分の肉体と魂の間にも乖離やエラーが起こっているのですから!!
そんな話をしていました。

そんな事が今の世の中の様々なシーンで露に表面化され出しているという話。
いろいろな間のボーダーレス、ジェンダーレスもそうだし、優劣も、地位も階層も、表面的には格差とか言われているけど、

格差というのは意識の格差でもあり、
中間層の多くが意識どころの次元ではないという事。
意識の次元を上げるか下げるか問われている時で淘汰されるときの象徴で。

今のこの時に自分の価値観を見直し、改めるところは改め、
魂のバランスを取る時。

自分の肉体に宿る魂に気づき、魂の経験をしている事に気づき、
その価値観をアップデートしているのだと !(^^)!

最近、私もボーイズラブのドラマとか恋愛リアリティーショーの番組を好きで見ているのですが、

以前にも記事にした事もあるのですが、
そのボーイズラブのドラマを見ながらホント思う事があって、
人間の意識の成長を感じ感動していると。

普通でもまだ同性同士の恋愛などは受け入れられてないし、社会の仕組みも整っていないので大変なんですよね、
だからこそ、二人の間で問題が起きると周りに相談しても理解してもらえないからこそ二人の間で理解しあい、思いやりや優しさで接する事に努力して成長していくという。
その恋愛リアリティショーはゲイやバイセクシャルの人が集まっての恋愛ショーだったんだけど、ただ恋愛するだけではなく、
みんなで色々考えるという、
それを世に映像で出していく番組でした。

それは同性同士という事だからというよりも本来は人間同士がそうあれば良いと思うし、社会が人間同士だと気づく時なんだと。
そう学ばされるのです。

その人達はジェンダーレスをこの世に引っ張って行ってくれているだろうし、
それよりも先の次元のアイデンティティ、自我同一性というものを世に示していく人でもあるんだなと。
そこらのくだらない人間関係より余程素晴らしい意志を持った人たちだなと考えさせられる。
もちろん人間的に幼い未熟な人もいて面白くて可愛いからそんなショーも観てられるんですけどね (^^;)

親や家族、周りの身近な人達にカミングアウトする事でも悩むし迷う、
親が悲しむとどうなるか、世間体や体裁なども自分だけの話ではなくなる。
親も子供の人生を見てまた考えさせられ成長できるという。

ただカミングアウトして終わりではないんです。
まあ性的な嗜好は男女であっても同性であっても様々なので、そこにも次元があるので行き過ぎたり歪んだりすることはあるんだろうけど、
無理やり結婚という形式に拘ることも無いでしょうし、
無理やり肉体関係のみとなるのも違うと思うし。
肉体だけで心の交流も無い人間同士だって性的レベルではあるし。

その経験を経ての心や魂の問題へと進むんです。
心や意識の問題です。価値観の先の問題です。
その理解です。

親がどう思うか、人がどう思うか、社会の仕組みが整っていようがいまいが、そのアイデンティティの問題で、
自分がどうでありたい、
自分がどうしたい、
自分の気持ちはどうなんだという事、
それが心と肉体と魂が一致しているか
それを知る事、気づく事、理解する事なんだと思います (^.^)

中には自分は何故この肉体で産まれて来たか悩む人もいるし、何故相手が異性でないといけないのか、反対に同性が良いのか、
自分だって分からない時期も経験しながら考えるのです。
魂がそう生きたいと願うから。

魂がそう伝えたい、
社会の中で、この世の中で、そう言ったものをぶっ壊したい!!
肉体がどうであれ、どんな格好であれ、
魂が生きている。
魂が繋がっている。
魂が教えてくれている。
みんな一緒だよと、繋がっているよと。
男女というより、同性同士というより、人間同士、
人類同士みんな繋がっているんだと !(^^)!































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魂は奥深いですよね~ (^.^)

2024-08-01 | 魂・潜在意識
  途中話は外れましたが、魂の話を綴っていたりしています (^.^)
もうすぐお盆でもあるので、魂の事について語らいたい。

その中では、魂が肉体に宿りこの世を生きているという事を前提にお話ししています (^.^)
この世が現実と事実が全てだという価値観で生きている人には理解できない信じがたい話だとおもいますが、
そんな人であってもこの世であがいたり迷ったりして進んでいます、
だからシェアしたい、それが魂が喜ぶことだと信じているから (^.^)
私の魂だけではなく、人類みんなの魂、
そして人類発祥から今まで繋がって引き継がれてきた魂、全ての魂が喜ぶことだと信じているから !(^^)!

現実を生きている間は理解できなくても、必ずみな向き合いますから。
死ぬときは魂が肉体を離れる時だからです。
なので、現実を生きている肉体に必死に伝える事はしないでも大丈夫だと思っています。
普段から肉体と魂が乖離していると理解できるものではありませんから (^.^)
しかし、現実をシェアしている間も魂は繫がっていますから影響はシェアしあっています
この世にいる間にひとりでも多くの人が魂の存在に気づいてもらいたい、
そして歓びと感謝が心の奥から溢れるほどに感じて欲しい!
ただそれだけです !(^^)!
魂と肉体の一体化です!


魂は何度か輪廻転生しています。(これも信じる信じないは自由でよろしく)
そんな魂は、いつどんな時代のどんな背景のどんな国のどんな家庭の下に生まれ育ち生きて来たかも様々です。
一つの魂が何度も同じ肉体を選ぶことなんてありません、
という事は、今現在生きている肉体ひとつの人生の中にもいろんな経験をした魂が宿っていると考えるようになりました。

私は40歳過ぎてからですが、
そう理解できると腑に落ちることがたくさんありました。
子育てしている時にもその理解が私を助けてくれたりもした。
家族一人一人の人生も理解しようと努めることも出来たし、
ましてや、その一人一人の中にもどれだけの人生があるんだろうという事を目の当たりにして、パニクリながらも理解へと進めていった
その腑に落ちた事で心が救われたこともありました。
一つ一つ人生を解明していく事で進めた事もありました。

不思議な世界です、魂の世界って (^.^)
深く感じれば感じるほどです。

自分の中にこんな自分がいるのかってどんどん興味も出てくる。
自分の中に年齢のギャップを感じたり、これは良い面も悪く働くこともです。
自分の中に色んなギャップを感じながらでもそれを楽しむ事も出来る様に。

現世では肉体は女性の細胞を選んで産まれているけど、
男性性も持ってるなと感じたり、
女性だとしても色んな顔があったり。
性格も両面性を感じたり。

そんなギャップをプラスに感じるかマイナスと感じるかでも環境や状況、魂の体験とリンクするんでしょう。
ちょっとやそっとじゃ理解なんてできるはずもない。

ただ人もそうなんだ、ちょっとやそっとじゃ理解できるはずも無いと感じると、人にも優しく思いやりを持てる。
それより自分の魂に興味を持つと、自分の魂に向き合う事をするようになる。

現代にもそういう事が観えるようになる。
現実、こんなに子供なのに大人で冷静で広い価値観持ってるなと思ったり、
こんなに大人なのにガキみたいだとか童心のようだと思ったりするでしょう。

現実現代では実際にやっとジェンダーレスという言葉で大きく変化もしています。
性別でも普通にいろんな表現をしようとする人も増えてきました。
まだまだ社会の受け入れ態勢が遅いので、大変でしょうが。

自分の中にはどれだけの性別の魂の人生経験があるのかという程です。
男性に生まれて来たけど、女性の格好したいなとか、その反対とか。
完全に別の異性を演じてみたいなとか、
同性を愛したいとか、人自体を受け付けないとか。

魂同士の魅かれ合いかもしれないし、
親子みたいな関係だったかも、憎しみあった関係だったかも。

現世では親子なのに、反対とか。
現世では恋人なのに兄弟だとか、その時の性別は反対とか。
現世では夫婦なのに親子だったり、その時の性別は反対とか。

こんな人間の関係を何も分からず、目の前のたった一つの出来事だけで理解できるわけもなく、
理解も、小さな世界観ではごちゃごちゃになり頭がパニクリ、
悩み、籠り、鬱になり、精神的整理も直ぐに出来るわけもない。

魂の仕組みを理解すれば少しずつでもその方程式に当てはめて頭も整理できて、心も整理できるのでしょう。

人生の人間関係の中には魂関係も常に同時に紐解いて行かないといけないのです。

もう定年も過ぎ、社会との縁も終え、人間関係はないよいう人でも
自分の魂に気づくというミッションは残っています。
魂のたくさんのミッションがある限り生きている、生かされている。
魂を哲学する事は人間学でもある。
これは、この世の体験の中でも最も必須科目かなと (^.^)

そうじゃないと、この世での魂人生は終われないのです。



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