東日本大震災から7年が経ちました。国立劇場で開催された東日本大震災七周年追悼式を自宅のテレビで視聴しておりました。
被害にあわれた方の言葉を聞いていると、震災をつい昨日のように思い出しました。被害にあわれた皆様にお悔やみ申し上げます。そして健やかな日が戻られることを祈念申し上げます。
WHO(世界保健機関)の定義では、
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
被災された方は、いま健やかなのだろうか、健康なのだろうとかと考えさせられながら、聞いておりました。
(さらには現在WTOが提案中の健康の新定義には、spiritualにも満たされた、さらには動的な状態が健康とされています。同感です。この話はまた今度にいたします)
ど同時に、テレビを視聴しながら思わず涙しておったのですが、その涙は被災された方を思いやってのものではなく、自分自身のことを思い出しての涙でした。いろいろ思い出して思わず泣いてしまったのです。私は埼玉県で暮らし、大きな被害にはあっておりません。亡くなった家族や親せきもおりません。
それなのに、7年経った今でも泣いてしまうくらいの衝撃でした。
となりますと被災された方のご心中は、、、、どんなであろうと存じます。想像することさえできません。
そのようななか、「一歩一歩」「前向きに」という言葉が印象に残りました。自然に前向きな人はわざわざ「前向きに」とはおっしゃりません。前向きになろうと努力されているからこその言葉でしょう。
その言葉を聞いたとき、日々の生活に忙殺されがちな私ですが、せめて震災の起こった日など、何かの折には立ち止まり、振り返り、少しでも気持ちに寄り添いたいと、微力ながらおもいました。
おりしも、オンデマンド放送で、平昌オリンピック閉会式の模様を視聴いたしました。お祝いムードのなか、「弔いの祭典」というパフォーマンスがありました。この場に参列できなかった人のことを忍び、死者の記憶を風化させないためとのこと。すばらしい試みだと存じます。
2020年の東京オリンピックで、私たちはどのような弔いの祭典を実施するのでしょうか。楽しみです。
私もひとりのヒーラーとして、ひとりの芸術家として、自分だったらどのような弔いの祭典をするかを考えてみたいです。
今日も元気に生きていることに感謝を込めて
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
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