つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

太陽ありがとう、散歩が楽しかった、しあわせだった

2020-04-04 23:04:19 | 太陽

つぶつぶタンタンに愛猫太陽のことを綴るのを楽しみにしています。覚えていることを綴っておきたい。あたしの物語という言葉に甘え、勝手なことを書かせていただいています。
この場を使わせていただけること、感謝申し上げます。


早朝、24時間営業のスーパーまでコーヒーを買いに出かけた。早朝独特の空気感。太陽と早朝に散歩していたこともあったから、太陽のことをふと思い出す。

犬に遭遇。犬が飼い主に引っ張られながらも何度も何度もあたしのほうをみる。こういうのに遭遇すると太陽がまだ隣りにいてくれるような気持ちになってうれしい。

帰り道、朝焼けがきれい。そうだなあ、太陽の散歩をしているときに朝焼けをみたときもあったなあ。だんだんと太陽(天体)が昇ってきたこともあったなあ。
ときおり、ファミレスで朝までいろいろしていて帰宅すると、太陽がよく玄関で迎えてくれた。ドアの前で鍵を開けるのを手間取っていると、扉の向こう側からニャー、ニャーという鳴き声が聞こえた。玄関を開けるなり、トントントントンと2階から階段を駆け下りてくることもあった。

血栓症になって階段をまっすぐ上り下りできなくなったときがあったね。心臓や体力の問題で2階にあがれなくなっていたときもあったね。けれども回復してまた自分で動けるようになって、とてもうれしかったよ。太陽すごいなとおもったよ。亡くなる朝まで散歩できたのはよかったんだろうねえ。

亡くなる日も早朝散歩で、あたしは散歩を終えてから眠ったんだった。ファミレスから帰宅したわけではなく、ずっと家にいた。

24時間営業は2月いっぱいで終了となったから、朝に帰宅することはなくなっていた。ファミレスから朝に帰ったときに太陽のことを思いだすという機会は今後ないんだなあ。

外で四つ足で歩いて散歩している小さめの犬をみると、太陽を思い出す。そしてその犬が生きていることをうらやましくおもう。

だいたい14時すぎに起床することが多い。そのとき、いつも淋しいとおもう。目が覚めてすぐにおもうのは、あー太陽がいないんだなあということ。そのいないという気持ちから、少しずつ自身をポジティブに申しますか、悲観的になりすぎないところまでもっていって、それから起きる。

今までは、太陽が「早く散歩に行くにゃー」と起こしに来たり、あたしが目を覚ましたのを察して部屋にやってきた。やってこなくても起きて、水飲んだり、お湯を沸かしたりしていると、いつの間にか玄関で背中を向けて散歩に行くのを待っていたこともあった。

あ、でも最近は、寒いからこたつで眠っていたこともあったなあ。薬を飲ませるためにアールワンととろとろマグロペーストを混ぜたものをまずは配達して、するとそれを食べ終わると起きてくる。薬をあげて、薬が胃の中で溶けるまでしばらく待ってから散歩にというパターン。
できれば投薬後の30分は様子見をしたかったけれど、太陽があまりに散歩に行きたがって、待ちきれないこともあった。無視を続けますと、どこかにおしっこをかけるのです。
30分待てずに外に出たときは、太陽が草を食べようとしたら止めた。草を食べると即座に吐くことが多い。吐くために食べるのだろうね。冬の間は草もなかったけれど、春になって草がだんだん生えてきていた。

と考えると、春は猫の毛が生え変わる季節で、体をなめて飲み込んでしまった毛玉を吐く必要性もあるわけであって、自然ってよくできているなあ。

太陽は血栓症になってから、毛づくろいの回数が減った気がする。元気になってまたするようになった。けれど肺水腫になってからはほとんどしなくなったけれど、またときおりするようになってうれしかったなあ。顔も洗ったりしているのみるとうれしいよね。たまに手をなめてくれた。

ちなみに三毛猫由芽は毛づくろい狂でよくなめていた。由芽は、自分のペースを乱されるが嫌だから、毛づくろい中に体を触ると、前脚で人の手を押さえつけたりしていてた。たまになめてくれていた気がする。

もう1匹の猫はほとんど舐めない。猫によっていろいろだなあ。

昨日、冬の間に、窓にほどこしていた防寒対策を撤去した。来年に再利用することも考えたけれど、全部処分することにした。太陽と一緒に過ごしていたときにあったものが部屋から消えるときは、どれもちょっとした寂しさがつきまとう。


このところ散歩のときにはワークマンで買った黄緑色のサンダルを履いている。なんだかんだと昨年の6月頃から履いている。今もひとりで近場に行くときに履いているけれど、ここ数週間は、ちょっと遠出するときには履くのをやめている自分がいる。底がどんどんすり減って劣化していつかは処分しなければならなくなるサンダル。今はこのサンダルを手放すことさえためらう。逆にいうと、このサンダルを履いていると、太陽と散歩している気分になるから、元気をもらえるような気がしている。

足先こそ開いていないものの、夏でも履けるようなサンダルだから、冬に太陽とこのサンダルで散歩をしたときは足が凍えたなあ。レッグウォーマーして、さらには厚手の靴下を履いて散歩をしていた。散歩しているときはいいのだけど、寒ければ寒いほど、太陽は足が冷たくなるから歩けずあたしの膝の上でフリースにくるまれた状態でただ座っていたいわけであって、そうなると、動くこともなく地面につけているあたしの足は冷えきった。帰宅しても暖房にあたったくらいじゃ冷えが消えず、入浴してやっとあったまったりしていたなあ。

今となると、もう一度その冷えを味わいたいよ。そうしたら、太陽と一緒にいたときの気分になれるのかなとさえおもったりします。

普段はあまり人にくっつくのが好きじゃないのに、寒いとなると、膝に乗りたがるのはかわいかった。けれども膝に乗ると、あたしは台座係だから、動くと怒られたよね。噛んだり、頭突きしてきたり、そのわがままもかわいい。忘れたくないよー。

太陽ありがとう。すごい楽しかった。最高にしあわせだった。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

エネルギーサロン・タンタン
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