つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

蓮ちゃんとの日々を思い出す 20年は長いけどそれでも短いなあ

2020-05-02 23:30:38 | 太陽

2020年4月29日(水)、愛猫蓮が亡くなった。20歳だった。淋しい。家族、20年一緒にいた。忘れたくないので綴っていく。
どうぞこの場を使わせてください。

2000年の春、三毛猫由芽ちゃん(メス)がやってきた。その数か月後、キジトラ猫蓮ちゃん(オス)がやってきた。2014年5月ベージュ八割れ猫太陽君(オス)がやってきた。

2016年9月、由芽ちゃんが亡くなった。それからは蓮ちゃんと太陽君の2匹で、蓮ちゃんは猫1匹だったことがない。
今回の医学的には原因不明だった体調不良・急変は、長寿だからというのもあるだろうけど、太陽君ロスだったんだろうなあとおもっています。

蓮ちゃんは孤独が苦手な猫だった。妹がまだ一緒に暮らしていたころは妹にべったりだった。そのあとはあたしにべったりというほどではないかもだけど、いややっぱりべったりだったなあ。

最初は由芽ちゃんにべったりで2匹はとても仲よかった。いつも連れ立って歩いていたし、くっついて眠っていた。ある時から2匹の間に距離ができた。理由は、おそらく、由芽ちゃんがうざいとおもうようになったのだとおもう。蓮ちゃんは常に一緒にいたがるから、大人になってからは距離を置きたかったんだろうなと。

由芽は甘えるには甘えるけれど、そんなに人にくっついているのが好きなタイプではなかったです。一方の蓮ちゃんは「ひとりの時間はいりません」という感じ。猫ってマイペースでいたいときもある印け象なのだど、蓮ちゃんは常にだれかと一緒にいたがる。だから離れて過ごすのを通り越して、2匹は仲悪くなってしまった。一切くっつかない。くっつくと由芽に怒られる。

たまにくっつけると、くっついているのはうれしいけれど動くと由芽に怒られるのがわかっているから、蓮はできるだけ動かずに身を固めていました。

だけど由芽ちゃんが蓮をなめてくれると気があった。それは何か意図があるときで、蓮がお返しになめだすのを待っている。お返しになめると突然切れて、とびかかる。蓮がいる場所をほしいときによくやっていました。

蓮ちゃんは少し変わっていた。おそらく人間でいうところの自閉症っぽい感じ。独特のルールで動いたり、一度学ぶとそのルールをかたくなに信じ続けたり。また一度怖いと思い込むとダメだったり。狭いところに体を押し込めるのも好きだったなあ。
あと昼間は外に出られなかった。まぶしいなど目に障害があるのかもしれないとおもっていたくらい。

子猫の時に、大人猫に追いかけられて木に登って降りてこられなくなったときがあった。そのときは妹が必死に話しかけて説得して降りてきた。ご近所さんや通りすがりの方がいっぱい周りでみていたのをよく覚えている。
それは引っ越してくる前の家で、昨日その家に行ってみたら、建て変えられていた。そしてすべての敷地が家屋になっている感じで、木は抜かれ庭がなくなっていた。遊歩道と小学校に挟まれた場所で、遊歩道や小学校でも遊んでいたんだろうね。もっともそのときはまさに昼間出られない猫だったからあなたが外で遊んでいるのを目撃した記憶がない。
引っ越してきて、由芽ちゃんと蓮とで連れ立って外にいた記憶があるから、その頃はまだ2匹は仲良かったんだろうね。

今の家に来てから、そして太陽君が来る前のことだった。突然食べられなくなったことがあったね。確認したところ、胆管が原因だったらしい。あたしはあまり昔の記憶がない気がする。余裕がなかったのだろうね。なんというか蓮ちゃんと一緒で、遅くなってから社会的な物事が少しわかるようになってきた気がします。

あのときはびっくりした。ごはんの前でずっと待っているのに食べられなくて、なかなか気づいてあげられなくて、気づくのが遅くてごめんなさい。また食べられるようになって、元気になってくれてありがとう。よかった。

いつも由芽ちゃんの真似をしていたね。由芽ちゃんが場所を見つけるのが上手で、そのあと蓮ちゃんもそこを利用するようになった。

当時はあたしにあまり電気代を節約するという意識がなくて、ガンガンに暖房をたいていたから、冬でもぐでっとエアコンの下で伸びるように眠っていたね。ホットカーペットも大好きだったね。

ごはんは、ほぼロイヤルカナンのphコントロール2しか食べなかった。かなり早い段階に、尿道が弱く膀胱炎になりやすいからということで勧められた。幸いなことに、本人がとても気に入って食べていた。美食家の由芽ちゃんと異なり、蓮はお刺身も、猫用缶詰めも食べない猫だった。療養食を中心にさせたかったからそれはよいことだったけど、なかなかこだわり派だね。

甘えんぼうで、一緒に眠るのが習慣だった。だれか人間に常に密着していたがった。ゴロゴロをやたらいう猫だった。

爪が常に出ていて、どうも引っ込められないようで、歩くときにシャカシャカと鳴っていた。いつからかやらなくなったけど、家の中に入りたいときに網戸で爪を研いで音を鳴らしたね。

あと、かまってほしいときに、台所と廊下の間の扉の端でよく爪を研いだね。木が傷だらけです。2階のソファーで眠るの好きだったね。

昔はなぜか足を異常に汚してきた。わざわざ汚くしている感じで、よく足を洗ったり、足を拭いたりした。ぬるま湯を入れた桶の中に、足の間に入り込んでいた泥がいっぱい落ちた。

外で幸(こう)ちゃん・オスが暮らしていたときもあったね。何か皮膚疾患を患って、我が家に迷い込んできた外猫。うちに入れてあげることができなかった。外に幸ちゃんがいることを許容してくれてどうもありがとう。

幸ちゃんは車に乗るのが好きで、いつも迎えに来てくれた。車から降りようとはしない。家に入れてあげていなかったから、幸ちゃんからみると車で一緒にいるときがしあわせだったのかもしれない。後ろの背もたれの上によく乗っていたね。

幸ちゃんは亡くなる数日前にうちから消えて、ご近所の農業車の下から平成18年(2006年)11月3日に遺体で発見された。当時は11月でも寒く、幸ちゃんはいつも震えていた。コートの中にくるんで一緒に外にいるときゴロゴロ言ってくれた。今思うとなんで、もっと家に入れようと主張しなかったんだろうとおもう。あれそれともこれは前の年の冬?のような気がしないこともない。いやたぶん11月なんだろうな。当時はまだ11月は寒かった気がする。
覚えておきたいのに、忘れちゃう。

蓮ちゃんのことが大好きだったからだけど、あとで太陽を入れたことを考えると、幸ちゃんも入れることができた。幸ちゃん、ごめんね。こんなあたしたちを許容してくれてありがとう。

由芽も蓮も、幸ちゃんを外に置いた猫ハウスからは追い出そうとしなかった。どうもありがとう。

蓮は、ひとりで昼間に外に出ることはしなかったけど、一緒に庭に行くと、芝生っぽくなっているところで寝っ転がったり、爪を研いだりしたね。夜はあなたは闇に溶け込むので、一緒にでかけることができなかった。

どうもありがとう。蓮のことも、幸ちゃんのことも忘れたくない。一緒にいた時間は宝物。あたしは生きている者として、残りの時間、しっかりと生きたい。責任を感じます。

また書く。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

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