戦後教育の暗部についても言及があった。結果の平等を求めるあまり個の能力低下を招いた現実、彼の主張通り「教育勅語」と「修身の教科書」の復活は親族間殺人などの問題解決の一つの手立てになり得ると思う。
戦前の道徳教育に生理的なアレルギー反応を示す者のほとんどが勅語に目を通したこともない(マルクスを賛美するくせにマルクスの書いたものをほとんど読んでいない人たちとレベルは同じ)との指摘も当たっているだろう。彼らのためにアメリカから「ザ・ブック・オブ・バーチュ(勅語の焼き直し版)」を逆輸入したらよいとの痛烈な皮肉に聴衆は大笑いした。話は専門の国防に飛ぶ。
(自衛隊は)国際法で動かせない唯一の(おかしな)軍であるが、このことが竹島の実行支配を許し、数多くの拉致被害者を生んだ原因であると分析した。今の国際社会は利益の分捕り合戦で情報戦争(間接侵略)の時代でもあるが、まずいことに政府与党が(中共)のシンパになっていることへの嫌悪感を示した。自国の得になるように発言・行動するリーダーが日本にいないことが「最大の癌」だと私でさえも思う。イランや北朝鮮が核兵器開発に拘るのは国際的な発言力を有したいことに他ならないのだ。
田母神さんは左向きのマスコミに対抗するためには保守の言論を守る会社を支援する必要があるとし、講演会の参加者に「サイレント・マジョリティから行動派への転換」を図る時期に来ていると訴えた。自主憲法制定を(20年かけて)目指し、軍事力をバックに外交交渉にあたり紛争を回避することを国民は理解すべきだと言い覇気のないリーダーに対してはこんな注文をつけた。
「総理は(尖閣諸)島に来てみろ。全部沈めるぞ!と(中国に)言えるくらいでないといけない」
アメリカが中国から核の恫喝を受けて自国民を犠牲にしてまで紛争の勃発した尖閣諸島を守るかは非常に疑わしい。日本人自らが国を守る意識を高め、同盟国の情報を極秘に収集する能力を向上させなければならないという意見には全く同感である。
田母神さんのトークの魅力はユーモアを交えた「適度な脱線」にあると私は見る。終盤、ミシュランによる格付けを例に出して「歴史の浅いフランスなんかに星をつけてもらう必要はない。何がワインだ、(日本は)大吟醸だ。日本人がもっと自信を持たなきゃいけない」と力を込めて語っていたのが印象に残った。そして講演を締め括る言葉はなんと「言いたいことがほとんど言えなかった(笑)」であった。
閉会の挨拶で日本会議広島のスタッフは講演会のチラシを某所に置いて欲しいと頼んだが、市長の意向に沿っていないとの理由で拒否された経緯(8月6日の産経新聞が報じていたのは流石だ)を伝え、数の力の重要性を痛感したと心情を吐露した。
昨年に比べ参加人数が格段に増えたのは口コミによる効果が大きいと思われ、広島市の偏向具合に疑問を呈する日本国民が少なくないことをも示している。広島市でタブーとされるテーマを正々堂々と議論する場はあって当然だ。ぜひ来年も(メディアが黙殺出来ぬ規模にして)開催すべきである。気の早い話だが、タイトルは「再三にわたりヒロシマの平和を疑う!」とでもなるのだろうか。


講演会場から割れんばかりの拍手が沸き、第29代航空幕僚長はニコッとした。「酒と女は2合まで」という名(迷)言を残した彼はおよそ1時間15分にわたり持論を展開した。
まず「秋葉市長の謳う平和を疑ってみなければならぬ」と切り出し、核が実際に使われる可能性は極めて低いとした上で核が究極の戦争抑止(防御用)兵器であることが日本ではなかなか理解されないことを嘆いた。そして核武装不要という意見があるのならば、その逆の核武装すべきとの考えもあってよいはずだと述べ、全く議論されない(戦後の日本に言論の自由がない)問題を提起した。それから批判の矛先は与党民主党に向けられたのである。
「民主党が政権をとってまた国民から自由を奪おうとしている。自民党もゆるやかに日本のぶち壊しをやってきたが、その総仕上げを民主党が迅速に行おうとしている(場内大爆笑)。売国3法案は何としても阻止しなければならない。今日本には中国人が50万人以上いるが、本国で選挙権すらない彼らが日本で選挙権を求めるとは何事か!」
田母神さんの扱き下ろしに腹を抱えて笑う人たちを私は確かに見た。夫婦別姓法案に関しては日本人の道徳観は家族制度にあったと思うと語り、こんな法案成立を望んでいるのは多分男性に愛されたことのない女性ではないかと皮肉った。
更に(旧)人権擁護法案が成立すれば善良な日本国民への人権侵害が進むと結論付けた。無法者をのさばらせるような悪法(すこぶる性根の悪い連中による善人狩り)は数多くの共産主義国家がはまった泥沼に我が国を導くと私は非常に危惧している。

高田純さん(札幌医科大学教授)による緊急提言は実に刺激的でわざわざ広島市まで足を運んだ甲斐があったと思う。彼も平和宣言で気になった箇所を指摘した。
市長は今の日本の平和は奇跡だと言うが、多くの拉致被害者が未だに帰国できずにいるのに何が平和だと怒りをあらわにした。そして中国が広島型原爆の1万7千発分の核兵器を保有してその多くを我が国に向けている状況で核の傘から離脱することを政府に求める見識には納得しないと語った。
共産党の一党支配による中国は新疆ウイグル自治区の楼蘭遺跡の近くで46回もの核実験を行い、植民地化状態の下でウイグル人は最も酷い被害を受けて莫大な人が亡くなっている(中国はその事実をウイグル人に伝えず被爆者をやみくもに増やした)ことを明らかにした(※)。
高田さんは2000年8月とばっちり被害に苦しむ隣国カザフスタンの依頼を受けて調査に出向いた。その後秘密裏に行った実験データを8年がかりでまとめて以前同行した中●新聞の記者にも内容を知らせたが、報道されることはなかった。そして原水禁、原水協の事務局にも内容は届いているはずなのに何故か論評しなかったという。
彼は公共放送が犯した罪を容赦しなかった。1980年シルクロードの撮影に行った際にそこが核実験場と知りながらも夢の遺跡番組として垂れ流し、多くの日本人観光客が被爆してしまったことは許されるものではないとでも言いたげだった。
最後に高田さんは平和公園に設置された主語のない問題の碑文は広島の被爆者を侮辱するものだとして今後撤去させる運動を展開してゆくと語り聴衆から大きな拍手を受けていた。
時計の針が19時を指さそうとした時、本家の田母神さんが登場しユーモアたっぷりに話し始めた。
「みなさん、こんばんは。危険人物の田母神です」
※原爆の日の翌日広島市内で「被爆65周年にウイグルの核被爆を考える」という集会が開かれる
【日時】2010年8月7日 午後16時半開場 16時45分開始
【会場】広島市中区袋町6番36号 広島市まちづくり市民交流プラザ 北棟5階研修C
【会費】1000円
【内容】ウイグルの被爆の状態をまとめたドキュメンタリー「Death on the silkroad」を上映、イリハム・マハムティ講演
【主催】日本ウイグル協会

18時を少し回ったところで講師が入場した。一同起立し君が代を斉唱した後、原爆犠牲者に黙祷を捧げ着席した。主催者である松浦雄一郎さんの簡単な挨拶に続いて秀道広さん(安全と平和を求める被爆者たちの会代表)が壇上に立った。
彼は平和式典を見て3つの怒りを覚えたと語った。第一に原爆投下による大量無差別殺人と被爆者が死ぬまで続く遺伝子被害に。第二に中国の核保有は暗に認めるという反米的な言論封殺に。そして第三に現実的な方策を語らない、リップサービスだけの市長発言の無責任さに。
私はたまたま平和公園に捨てられていた平和祈念式のプログラムを拾い平和宣言の文言に予め目を通していた。だから秀さんの批判は尤もだと思ったのである。
女性が朗読した「(式典では読まれない)もうひとつの平和宣言」の末節は私の心に強く響いた。以下に引用しておく。
私たちはまだ、あなた方に「安らかに眠ってください」と言える資格がありません。今の私たちには、世界と溶け合った古の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い精神を必ずしも受け継いではいないからです。しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、「兵隊さん、仇を取って下さい」と言われた人のいたことを忘れません。あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あなた方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平和を繋ぐことが出来たとき、私たちの仇討ちは終わります。その暁には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。「安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから」

田母神講演会のチケットを見てデザインが昨年のものと同一であることに気づいて笑った。無駄な所に銭をかけない「日本会議広島」のポリシーは素晴らしい。

リーガロイヤルホテルに到着しエレベータで4階に上がると大勢の人で溢れ返っていた(※講演会終了時の関係者のコメントで1500人の参加とわかった)。
「前から詰めて下さい」と言われ私は5列目に座った。プログラムに目を通していると隣の人が話しかけてきた。
九州から遠征してきた初老の男性はメディアの偏った報道には呆れると語り、広島市がその大元となっていることを指摘した。私が同意すると今後読むべき本をいろいろと紹介してくれ開会まで有意義に時間を使うことができた。視野の狭い広島県人とばかり付き合っていては駄目だと思った。

信頼度の低いローカルテレビ局のアンケート調査結果をたまたま見て驚いた。今後核兵器の数は減ると思うかとの問いに過半数以上の人がそれほど減らないと答えていたのである。私の予想よりははるかに多かったのだが、ある意味無難な回答とも言えよう。
呆れたことにテレビ局は左ねじりの似非識者(笑)を登場させて一々コメントさせていた。いい年をして「イマジン」で歌われる世界が実現すると思っているようなお目出度い男がこの結果に憤って、理想を語り努力すべき若い世代が自ら責任を放棄しているかのように勝手に結論付けていた。正直な感想を書くと「アホか」と思った。
実現不可能な理想に酔いしれて結局自爆した鳩山さんの例を挙げるまでもなく、厳しい現実を直視した上で、少しでもよい結果を出せるように自ら汗をかいて努力するのがまともな人間である。
子どもですら嘲るような空論を振り回す三文学者だけを登場させるのはフェアではない(ここに制作者の悪意のようなものを感じる)。学者への反対意見を述べる人物も出して比較するのが筋だ。
「残念ながらこれが広島(市)クオリティだ」と嘆いた私はこの出来の悪い寸劇を全国に垂れ流して広く意見を集めたら面白いだろうと考えた。世の笑いものになるのは視野狭窄のブロイラー評論家だけでなく偏向メディアも同じである。
呆れたことにテレビ局は左ねじりの似非識者(笑)を登場させて一々コメントさせていた。いい年をして「イマジン」で歌われる世界が実現すると思っているようなお目出度い男がこの結果に憤って、理想を語り努力すべき若い世代が自ら責任を放棄しているかのように勝手に結論付けていた。正直な感想を書くと「アホか」と思った。
実現不可能な理想に酔いしれて結局自爆した鳩山さんの例を挙げるまでもなく、厳しい現実を直視した上で、少しでもよい結果を出せるように自ら汗をかいて努力するのがまともな人間である。
子どもですら嘲るような空論を振り回す三文学者だけを登場させるのはフェアではない(ここに制作者の悪意のようなものを感じる)。学者への反対意見を述べる人物も出して比較するのが筋だ。
「残念ながらこれが広島(市)クオリティだ」と嘆いた私はこの出来の悪い寸劇を全国に垂れ流して広く意見を集めたら面白いだろうと考えた。世の笑いものになるのは視野狭窄のブロイラー評論家だけでなく偏向メディアも同じである。

極左暴力集団がマルクスという大仰な看板を掲げながらマルクスの著作を舐り回すほど読んでいない(≒かじっただけである)ことは一目瞭然だった。日比野は段田を散々に叩いた後、こう言って止めを刺した。
「ここから出て行け!」
メンツを潰され真っ赤になった段田は正々堂々と論戦を続けるべきだった。しかし彼は信じられないような言葉を吐いたのだ。
「お前、このままで済むと思うなよ」
何と恫喝に打って出たのである。教室の雰囲気は一変した。敵意を剥き出しにした学生の眼差しが段田に浴びせられ、彼は退室を余儀なくされた。男を上げた日比野に対してすかさず悪友がキツイ冗談を飛ばす。
「これで四六時中バットが手放せんようになったのぅ(笑)」
私は違法行為を平然とやってのける過激派が反戦平和を安易に訴える点に違和感を持っていた。囲われ者にあてがわれた問題の多い憲法を護ること(他力本願)で果たして本当に平和がずっと維持されるのだろうか。
核の傘の下でのうのうと生きながらアメリカ批判を繰り返す稚拙さを私達の世代は見抜いていた。大義名分を見つけては大衆を駆り立てて暴れまくる運動は昭和40年代初期においては流行りものだったが、その20年後には早くも廃れていた。時の流れとは実に残酷である。
「ここから出て行け!」
メンツを潰され真っ赤になった段田は正々堂々と論戦を続けるべきだった。しかし彼は信じられないような言葉を吐いたのだ。
「お前、このままで済むと思うなよ」
何と恫喝に打って出たのである。教室の雰囲気は一変した。敵意を剥き出しにした学生の眼差しが段田に浴びせられ、彼は退室を余儀なくされた。男を上げた日比野に対してすかさず悪友がキツイ冗談を飛ばす。
「これで四六時中バットが手放せんようになったのぅ(笑)」
私は違法行為を平然とやってのける過激派が反戦平和を安易に訴える点に違和感を持っていた。囲われ者にあてがわれた問題の多い憲法を護ること(他力本願)で果たして本当に平和がずっと維持されるのだろうか。
核の傘の下でのうのうと生きながらアメリカ批判を繰り返す稚拙さを私達の世代は見抜いていた。大義名分を見つけては大衆を駆り立てて暴れまくる運動は昭和40年代初期においては流行りものだったが、その20年後には早くも廃れていた。時の流れとは実に残酷である。
