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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

炎天下に東広島橋を渡る

2010年08月19日 | 

東広島橋の中ほどから京橋川上流を望む。手前の橋が柳橋、そして奥の橋が路面電車の通る稲荷大橋である。私が市内で暮らしたのはわずか1年半(昭和末期)だが、広島は水の街という印象が強かった。少し遠出をする際には必ず大きな橋を渡り川面を眺めたものである。

中でも最も身近に感じていたのがこの京橋川だ。総合科学部長刺殺を機に京橋川緑地帯は私が思索に耽る場となっていた。象牙の塔で発生した血生臭い事件は学生のみならず日本国民に大きな衝撃を与えた。

私は事件の推移を見て加害者と被害者双方に非があると思った。そして男の嫉妬は女のそれ以上にドロドロとして醜いものだという印象を持った。いけ好かない人間に嫌がらせをして憂さ晴らしをする幼児性、他者の存在を認められなくなり畜生道に堕ちる過程を冷静に分析した。「自分の考えていることが常に正しいとは限らない」との思い(所謂謙虚さや自省の念)が両者にあったならば、あの事件は起こらなかったかもしれない。

学内の極左暴力集団(過激派)が偏った思想について行けずに足抜けしようとする仲間をリンチした悪行も根っこは同じだ。私は全共闘世代の人間をほとんど評価していない。その理由は彼らの大半が犯した過ちを総括することなく社会に出たためだ。愚行を武勇伝として語り正当化しようとする点は非常に嘆かわしい。

旧体制打破とは聞こえはいいが、先人のひいたレールにのっただけで何も新しいものを生み出さなかったという或る学者の突き放した意見は的を射ている。団塊の世代の政治家(特に今の与党)を端から観察しているとそれがよくわかる(笑)

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