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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

JR呉駅前から広電バスに乗り【眼鏡橋】で下車する

2022年08月29日 | 
JR呉駅前の3番乗り場から【鍋銭橋】行きの広電バスへ乗車した。体調不良の乗客を救急車に乗せるため発車が10分ほど遅れた。

バス

バス2

バス停

バスは呉線の高架橋を潜り抜け国道487号(通称:くれ町通り)に入った。私は【眼鏡橋】バス停で下車したが、道路の下に埋められている眼鏡橋について全く知識は無かった。

ブラタモリA

ブラタモリB

ブラタモリC

ブラタモリD

令和3年(2021)1月23日(土)に放送された『ブラタモリ』を見て戦前の眼鏡橋の位置関係や長さなどを理解することが出来たのだった。
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JR呉駅を出て「くれ観光情報プラザ」に向かう

2022年07月31日 | 
JR呉駅の2階から自由通路に出ると大きな案内標識(と地図)が見えた。曇り空からポツポツと雨粒が落ちて来たので急いで矢印の方向に進んだ。

標識2

通路

案内所

駅の南側にある「くれ観光情報プラザ(開館時間9:00~19:00)」へは数分で着いた。私は展示物に一通り目を通してから女性スタッフに『観光マップが欲しい』と声を掛けた。

案内所2

案内所3

彼女は丁寧かつ頗る簡潔に名所などを紹介してくれた。ここでバス乗車券「呉中心部一日乗車券 1Day呉パス」も購入して旅に必要な物は全て揃ったのである。
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9年振りに広島県呉市を訪れる

2022年06月30日 | 
令和2年(2020)12月、私は三原駅から呉線に乗り換えて県内で3番目に人口の多い市に向かった。コロナ禍の真っただ中ということもあって竹原市を過ぎるまで車内はガラガラだった。呉駅には午前9時台に到着した。

駅B

駅C

駅D

のんちゃんのポスターを眺めて改札を抜けると呉市公式キャラクターの【呉氏(くれし】が出迎えてくれた。9年振りに呉を訪れた目的はいろいろあったのだ。

駅E

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「タカノ橋公楽センタービル」跡地に完成した分譲マンション・ライオンズ広島大手町

2022年05月30日 | 
令和4年(2022)1月12日、「タカノ橋公楽センタービル」の跡に新築分譲マンション「ライオンズ広島大手町(住所:広島市中区大手町5丁目8‐6)」が竣工した(【鷹野橋】電停から徒歩3分)。撮影時期は3月下旬である。

マンションA

マンションB

映画館が入っていたビルの記憶はおぼろげだが、暇潰しにタカノバシ商店街をぶらついたことは良き思い出だ。大きく変化した町並みを見て同級生も時の流れを強く意識するだろう。

マンションC

2年以上に亘って連載した広島市の旅はこの記事で完結とする。次は呉市編を簡単にまとめてから東海地方に話を移すつもりである。
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ショッピングセンター「タカノ橋こうせつ」跡地に完成した分譲マンション・ソシオ大手町〈T‐SQUARE〉

2022年04月30日 | 
【大手町四丁目】バス停近くから南方の分譲マンション・ソシオ大手町〈T‐SQUARE〉を望む。令和4年1月に完成したマンションはタカノバシ商店街にあったショッピングセンター「タカノ橋こうせつ」の跡地に建っている。

マンションB

マンションC

マンションD

撮影時期は3月下旬で入居が始まる直前で管理人らしき男性が工事用コーンの周辺を掃除していた。商店街の人通りは私が中区民だった昭和62~63年と比較すると非常に少ない。時代の流れと共に街が変化するのは当然だが、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。

マンションE

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広島市の新サッカースタジアム着工までの道のり

2022年03月31日 | 
紆余曲折を経て広島市の新サッカースタジアムが基町の「中央公園」に建設されることが決まった。工事が始まる前に発掘調査が行われ陸軍の施設の被爆遺構が見つかった(昨年6月23日のニュースから画像を拝借)。

発掘A

発掘B

発掘C

発掘D

発掘E

遺構の一部を移築保存することで話をまとめて今年2月1日にめでたく着工したのだった。当日各テレビ局が杭工事の様子をニュースなどで詳しく放送した。

着工A

着工B

着工C

着工から約2ヶ月が経過した現場を訪れた。「広高の森」と刻まれた石碑の背後には白い仮囲いが設置されて一般人が立ち入ることはできない。

現場A

現場B

現場C

現場D

工事車両出入口№4ゲートが開いた時に内部の様子を撮影した。銅像などはやはり撤去されていた。最後の画像は完成予想図である。

完成予想図
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広島市中央公園内の記念碑【広高の森】と【加藤友三郎像】

2022年02月27日 | 
当ブログをご覧の皆さんは広島市中区基町の「中央公園」内に旧制広島高等学校の卒業生が建立した石碑などがあるのをご存じだろうか。

記念碑2

記念碑3

広場の北東(歩道沿い)に設置されている【広高の森】記念碑。裏面には以下の文が刻まれている(撮影時期は令和2年1月上旬)

森を贈ることば
広島高等学校の創設は大正十三年のことであったが昭和二十五年学制改革によって閉鎖され広島大学の母胎となった
その間二十有六年われわれ同窓の者四千八百余名はひろく市民の暖かい愛情に包まれて学園生活を送ることができた
かつて享受したその恩顧にむくいるためここに学校創立五十年を記念し感謝の心をこめてこの森を贈るものである
昭和四十八年十月
広島高等学校同窓会

公園

像A

その記念碑の程近くに平成20年(2008)8月に有志によって再建された【加藤友三郎像】が見える。元々銅像は「比治山公園」に建立されたが、戦時中の金属供出によって失われたという経緯があった。

像B

像C

像D

像E

街の活性化を兼ねて「中央公園」にサッカースタジアムが建設されることが決まり広場のレイアウトが大きく変更される。【広高の森】記念碑は現在地に残されるが、銅像などは別の場所に移されるそうだ。

顕彰碑
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広島市南区大須賀町(通称:エキニシ)の再開発(後編)

2022年01月31日 | 
令和3年(2021)11月10日(水)早朝「エキニシ」で発生した大規模火災。大須賀町13辺りが激しく燃えた一画(古い木造住宅が密集)である。「バルタン本店」などが灰になった。

火災現場A

火災現場B

地元の新聞の記事を読んだが、更地にするのではなく修復を試みるようなニュアンスだったので驚いた。「エキニシ」を歩くたびに私は福山市伏見町との類似性(再開発の難しさ)について考えてしまう。全部ぶち壊して小奇麗な飲み屋街を造った方が色んな意味で安全なのは間違いないが、地権者が多過ぎて話が一向に進まないようだ。

火災現場C

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広島市南区大須賀町(通称:エキニシ)の再開発(前編)

2022年01月30日 | 
JR広島駅の西側(大須賀町エリア)を「エキニシ」と呼ぶ。私が東千田町の大学に通っていた(昭和の末)頃には「河合塾広島校」がある町という印象しかなかった。同級生がこの予備校出身で浪人時代の寮生活についてよく語ってくれたものだった。

解体工事B

予備校の近くにある「ホテルニューヒロデン(広島電鉄の完全子会社が運営していた)」がコロナ禍の影響で昨年1月末に閉館した。暮れに広島を訪れた際に旧ホテルを見に行くと解体工事のための作業足場を「株式会社シンテツ」が設置していた。

解体工事C

解体工事D

跡地にはマンションが建設されるとのことである。再開発に関しては様々な意見があることを承知しているが、無難な線だと思う。私は昭和の面影が色濃く残る飲食店街へと歩を進めた。

解体工事E

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広島市西区の独特の食文化にとことん触れる

2021年12月31日 | 
広島市西区小河内町、福島町、都町には牛ホルモンの天ぷらを出す店が幾つかあることについて何度か書いたが、今回は珍しいお好み焼きを紹介しよう。

お好み焼き2

都町で私が食べたのは、しょぶり肉入りである。岡山県津山市のそずり肉とほぼ同じと思われ独特の旨味がある。隣のいかついおっさん(先客)が目を細めて私のヘラ(関西ではコテ)捌きを暫く眺めていたが、余所者が元広島市民だと悟ったようだった(笑)。近くの「妙蓮寺(※最後の画像)」から電話注文が入ったのには驚いた。

天ぷら

うどん

この日ははしごで福島町の天ぷら屋へ寄った。白肉(=ミノ)、千枚、ビチ(=赤セン)の天ぷらとでんがくうどんを平らげて腹いっぱいになった。使った金は2千円ほどである。

寺

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旧西国街道の一部だった己斐橋(後編)

2021年11月29日 | 
己斐橋(車両専用)のすぐ下流(南側)には己斐橋歩道橋(歩行者と自転車用)が併設されていた。前者は高度経済成長期の昭和40年(1970)に、そして後者は平成6年(1994)に完成した。

歩道橋2

歩道橋と車両橋

『西国街道を行く 街道ぶらり旅 安芸・備後路 / 中国地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会(2010年)』
 福島川が埋め立てられ、福島橋も姿を消してしまった。代わりに大きく拡張され太田川放水路に変わった。今はゆったりと水を流す放水路で、長さ二百八十メートルの車道の横に歩道橋も併設された己斐橋を渡って行く。
 江戸時代、己斐橋の下手、川の中央に中州があった。土地の人は「中ノ島」と呼び、草花や野菜の他、綿や藍などの栽培をしていたといわれる。明治に入り、個人でこの島を買収して己斐側の新開地の上に島の土を運んで、土地造成が行われ中州は消滅した。
 享保十三年(一七二八)の「広島町新開絵図」には、己斐橋の下流に新設された新己斐橋(市電の通っている橋)の辺りに中州が描かれている。

対岸

私は土手道から対岸の御仕置場跡(旧山手川の河原)を見つめながら西国街道沿い近くに配置された広島藩の西の役人村について思いを馳せていたのだった。

絵図
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旧西国街道の一部だった己斐橋(前編)

2021年10月31日 | 
広島県道265号伴広島線を西北西の方角に進んで行く。途中から脇道に入り太田川放水路左岸の堤防道路に出た。

道2

堤防

放水路

『西国街道を行く 街道ぶらり旅 安芸・備後路 / 中国地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会(2010年)』
 広島城下の町は築城以来近代に至るまで、幾度となく水害にさらされて来た。 
 そのため、己斐町と福島町の間に流れる山手川と、福島川を統合し放水路をつくり、太田川に溢れる雨水をこの放水路に流して他の川の氾濫を防ぐ「太田川放水路」の計画は早くから立てられていた。昭和七年に国会の議決を経て、昭和九年から工事が始まったが、途中、戦争による中断もあり昭和四十年九月、着工以来三十三年の歳月を費やしようやく完成した。長い間の水害に悩んで来た広島にとっては、世紀の大工事であった。太田川放水路は川幅四百メートル、延長八キロメートルのゆったりとした川で、以後、広島の町を洪水から守っている。結果として七つの川が一つ減り六つとなった。「鯉はこいでもお城の鯉は、七つ川の瀬空から泳ぐ・・・」と親しまれた「広島音頭」も今では唄う人もなくなり、いつしか忘れ去られてしまったようだ。

土手道は非常に交通量が多い。私は猛スピードで走り去る自動車に注意しながらゆっくりと歩き【己斐橋東詰】交差点に到着したのだった。

交差点
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広島市西区都町(廃川地)

2021年09月30日 | 
広島市西区天満町と接する都町(みやこまち)には牛モツの天ぷらを出す店があり、私は年に数回食べに行く。福島川を埋め立てて出来たのが都町(及び小河内町)であることを知らない人の方が多いと思う。

廃川地

廃川地2

その誕生は昭和37年(1962)と言われ、最初は西天満町の一部だった。昭和40年(1965)から都町という名に変わり現在に至る。私は鼻をほじりながら森脇武一郎の生首が晒されたと伝わる旧福島橋の袂付近を通過し「己斐橋」へと向かった。

廃川地3
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広島西郵便局の風景印をゲット

2021年08月29日 | 
中広通りの【広島西郵便局前交差点】角に建つ「林の餅」はあまりにも有名である。暮れのニュースで必ずと言ってよいほどに取り上げられる店で私も近くまで来ると【豆あん餅(1個130円】を土産に買い求める。

餅屋2

郵便局

横断歩道を渡り西へ歩いて行くと路面(旧西国街道)が不自然に波打っているのが分かる。私は思わず『気持ち悪いな~』と呟いてしまった(苦笑)。広島西郵便局に寄って風景印を官製はがきに押してもらった。

風景印

デザインは原爆ドームと原爆の子の像である。窓口に飴(3個入り)が置いてあったのでありがたく頂戴しておいた。旧道を通って天満町から都町へと向かうのは本当に久し振りだった。

飴
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広電西広島駅から3号線の電車に飛び乗る

2021年07月01日 | 
広電西広島駅の構内に入ると3号線の車両が2分後に発車するところだった。私は急いで電車に飛び乗り額の汗をタオルで拭った。

電車

橋

太田川放水路に架かる新己斐橋を渡ると所謂【聖地】であるが、今回は野暮用を済ませるためにあえてスルーして観音町(かんおんまち)電停で下車した。

停留場

当ホームは非常に狭く道路より少し高いだけなので電停という感覚に欠ける。また次の天満町電停に関しても全く同じことが言える。

停留場2
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