goo blog サービス終了のお知らせ 

寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

柳田邦男 / 壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別(新潮文庫)

2007年12月06日 | 書籍
「便利さを追求すれば必ず失うものがある」というテーマで現在の日本が抱える問題を指摘した本である。

確かに携帯電話の進化によって、様々な情報が即座に入手でるようになった。その反面、「待つ」ことや「自分で調べる」ことの意味や楽しさを忘れ、思考能力の低下が人格形成にも悪影響を及ぼしていることは否めない。

携帯、パソコンに依存しすぎない生活を送ることが望ましいと、柳田さんは提唱している。仮想現実の中で己が皇帝になり、いけ好かない他人を(匿名で)激しくかつ執拗に攻撃するのはどう見ても病気である(笑)

「人の悪口を言ってる間はまだまだ子ども」と昔の年寄りは教えてくれたものだが、今ではまともな親を見ることすら難しくなっている。「他人の痛みを理解する」ことが出来なくなった理由の一つは「仏教哲学」の無理解にあると、私は考えている。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿久 悠 / 歌謡曲の時代(新潮文庫)

2007年11月30日 | 書籍

よく口ずさむ曲はやはり歌詞がいい。阿久さんは私の好きな作詞家だった。「時の過ぎゆくままに」「青春時代」は特に思い入れがあり、カラオケでもたまに歌っている。

「林檎殺人事件」というエッセーに彼はこう書いている。

…社会に元気がなくなると、自分を慰める歌はあっても、人を喜ばせる歌はなくなる。今がきっとそうなのだろう。そんなことを思いつつ、ふとその元気の陰で悲劇があったことを考えると、黙ってしまった…

悲劇ばかりがクローズアップされる現在。テレビをつけるたびにため息が出る。世界は自分中心に回っている、そんな勘違いが世の中を暗くしている。

調子外れのリズムに無理やり言葉を押し込んだ曲がもてはやされ、賞味期限の切れたファースト・フードのようにすぐに捨てられる。

歌い継がれる曲は本当に少なくなったと思う。現代人は、情報の渦に飲み込まれて歌詞を反芻する時間さえも奪われているのかもしれない。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べもの探訪記 / 吉本隆明(光芒社)

2007年10月31日 | 書籍
庶民の食べ物について吉本さんが筆をとった企画。美食とは程遠い、幼い頃彼が口にした駄菓子や家庭料理の話が出てきて面白い。

最後に道場六三郎さんとの対談(食の原点に還って)が載っている。後半の辛辣な表現にふき出した。

懐石料理の限界
●道場 …こないだもえらい反感を買ったんですよ。京都の連中、懐石の中で生きている連中は僕のところに来てもかなわないよって言って。それはまあ、三百年、四百年の歴史を持った連中にはカチンと来たんでしょう。だけど僕はそう言うのよ。素材がいいときには、持味を生かして、ほんとに茹でるだけ、昆布出汁で炊いてお醤油かけて食べるだけで十分うまいのよ…だけど、どうにもならないひからびたかぶが出たり白菜が出たら、そのままやったら食べられませんよ。じゃ、きざんで胡麻油で炒めて、それからどうしようかと、そこで知恵が発達してくるんであって…だから、料理人は、悪いものを使う勉強をしていない。だから、僕が貧乏人の倅で苦労した人間だとしたら、今の料理人は、ええとこのぼんで、甘く育ってるって言うんです。昔ながらの、古人の知恵でね、たいがいうまくできる。だけど、現代、いろんな国から、外国から入ってくる、同じ海老でも冷凍の海老が入ってくる、そういった時にはじめて、これはどうしたらいいんだろうという思いが生まれる。

◆吉本 いい話ですね。反省材料になります。太宰治という作家が、おれの文章はおいしい料理を出そうとしているんだといっているのがそれです。

子どものころの味の記憶
◆吉本 お前は食べもので何が好きかっていうふうに言われると、結局、最後にはカレーライスとかつ丼だというふうに、なっちゃうんです。僕は東京の下町なんですけど、仲間のガキどもは、訊かれたら、きっとそういう答えになるんじゃないかというくらい多い気がするんですけどね。それはいったい何なんでしょう。

●道場 やっぱりね、子どもの時に非常に憧れがあったんです。僕なんかも、いまだに、金沢の山中に帰ると、まず駅降りてね、うどん屋でうどんを食べると落ち着くんですよ。当時五銭かそこらのうどんなんだけどね。出汁がうまいんだな。きざみねぎとはべん(蒲鉾)が載っかってて、ほうれん草みたいのがちょっとついているだけのもんですけどね、それがうまかったな。だからそういう思いがある。それから、カレーだなんていったら大変なご馳走だから。そういう時のことを思うと、すぐそういったところに直結するんじゃないですかね…

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おちおち死んでられまへん / 福本清三・小田豊二(集英社文庫)

2007年10月23日 | 書籍

2007年7月25日第1刷、定価600円(税込み)

時代劇で切られ役に徹した役者さんの名を知ったのは数年前だった。鋭い目付きの浪人にほとんど台詞はなく、派手に死んでゆくことのみが要求される。そんな主役を立てる地味な役者が私は好きだ。

この本では下積みから東映退社までの流れが詳しく書かれてあって面白い。「ラストサムライ」出演のくだりに大きくページを割いている。

ファンクラブの会長が作ったという出演作品おすすめリストが見事だ。私が最近見た中での傑作は新・はんなり菊太郎の第8話「おかえり菊さん」である。

菊太郎との激しい斬り合いの末、説得に応じ刀を捨ててお縄になる。台詞こそ短かったが、すご腕の浪人の悲哀とさり気ない優しさを上手に表現していた。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漱石夫妻 愛のかたち / 松岡陽子マックレイン(朝日新書)

2007年10月16日 | 書籍

2007年10月30日第1刷発行、定価700円(税別)

著者は松岡譲(作家)と夏目筆子の間に生まれた娘さんで、漱石の孫にあたる。母から聞いた祖父の話がうまくまとめられた本だ。

受験期に『道草』の夫婦の会話を読んで「どちらも意地っ張りだな」と思った記憶がある。鏡子夫人悪妻説に関しては最近では否定的な見解が多い。私は夫婦仲は言われているほど悪くはなかった(精神状態の安定している時期)と考えている。

漱石はロンドン留学中に妻の手紙を心待ちにしてしたが、筆不精の鏡子はなかなか手紙を書かなかった。それでイライラして催促の手紙まで出した。これに対して漸く鏡子はラブレターを送った。漱石がどんな思いでその手紙を異国で読んだかは想像に難くない。

夫妻のやり取りした手紙は現存する。漱石がこのラブレターだけは捨てずに、日本に持ち帰ったからである。二人はその後多くの子宝に恵まれた。

『我輩は猫である』で妻の10円禿を暴露したり、オタンチンパレオロガスと言ってからかうシーンは何度も読んでも笑える。本当に嫌悪した女性ならばこうは書けない。

最後まで坊っちゃんの味方であった清は鏡子夫人がモデルという説まである。大雑把な性格の奥さんがいたからこそ、数々の名作が生まれたのではないだろうか。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江戸吉原御開帳 / 小菅 宏(ぶんか社文庫)

2007年09月17日 | 書籍

2007年8月20日初版第一刷発行、定価600円+税

吉原遊郭の歴史としきたり、そして遊女の秘戯を面白おかしく解説した初心者向けの本である。チャールズ後藤さんの漫画がいやらしい。

客は格の高い遊女といきなり仲良くすることはできず、初会(顔見せ)、裏を返す(2度目で会話程度)、馴染み(3度目で同衾)という手順が必要だった。

吉原の構造については東京人№237「江戸吉原」に詳しく書かれている。出入り口は大門のみで不夜城は約355m×約266mの大きさ。その外側におはぐろどぶ(江戸時代は幅約9m)があった。悪臭漂うどぶは遊女が逃げるのを防いでいた。

江戸人の粋な遊びの裏には吉原の影の部分(年老いた遊女のなれの果て)があったことも記憶に留めておく必要がある。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにわ野菜 割烹指南 / 上野修三

2007年09月08日 | 書籍

株式会社クリエテ関西、2007年2月28日発行、定価6500円+税

上野修三さんは私の尊敬する料理人の一人である。大阪料理の豪快さと細やかさを知ったのはdancyuの特集記事であった。大きな寒ビラメを一匹丸々使って様々な料理を作るというものであった。

内臓と野菜の味噌煮、鱗と皮のから揚げ、造りの納豆醤油和えなど、見たこともないような料理に驚くとともに、写真から美味しさが伝わってきた。「始末」という言葉を料理でもって簡潔に説明する男気に好感を抱いた。

本書の前書きとも言える「始末の心」で上野さんは以下のように語っている。

…大阪人は昔から「始末」という言葉を大事にしてきましたなぁ。ややもすると吝嗇と受け取るお人もあるけど、それは違いまっせ。節約とか、倹約の意味でしてネ。無駄を省いて物を生かしきる。つまり合理的な考え方のことですわな…大阪は天下の台所として、豊富な食材が集まった場所であります。遠くから新鮮な素材は運べないため、塩蔵や乾物が多かった。大阪が乾物商の発祥となった所以でおますな。つまり大阪は地産地消と集散の食文化といえる…板前の仕事は食べ物を通して人様を納得させることにある…作り手、食べ手の双方が納得のいく長いお付き合い、“飽きない商い”(洒落やおまへんで)こそ、始末がええってもんだす…

彼の料理には静と動がある。薀蓄はさり気なくがベストである。料理の味を冷静に判断するのが客の仕事だろう。それが出来ない人間が多いから、盆地の料理人の言うことを鵜呑みにするのである。

京都を意味もなく持ち上げる風潮はそろそろ止めにしないか。全国レベルがグングン上がっていることに気づいていないのは、偏狭な地にへばりつく職人のみかもしれない(笑)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復刻 海軍割烹術参考書(イプシロン出版)

2007年09月03日 | 書籍

2007年8月14日第1刷印刷、定価1800円+税

明治41年に舞鶴海兵団が発行した大日本帝国海軍版「料理の基礎」が現代語訳で待望の復刻…帯より

料理の基礎を和食から洋食まで分かりやすく説明している良書。レシピが載っているのは海軍カレー(現代風にアレンジしたもの)だけなので、マニュアル好きの日本人は肩すかしをくらうかもしれない(笑)

料理の得意な人は「はっは~、なるほど、ここがポイントだ」と読んでいることだろう。煮物に関しては和食も洋食もだしがネックとなる。

カレールーを一から自作した経験のある人はいかに濃い味のブイヨンをひくことが重要であるか知っているはずだ。昔ブイヨン作りにはまって、鶏がら、牛筋、牛骨、野菜の分量をいろいろ変えて、ようやく自分の思い通りのレシピを完成させた。

いい材料を使って、光熱費もかけてカレーを作ることは今や年一回あるかないかになっている。理由は市販の固形ルーを使えば、安くて万人受けするカレーが出来るからだ。カレールーは日本が世界に誇れる簡易調味料である。

ただし、安直に固形ルーオンリーで済ませることは私のプライドが許さない。タマネギを狐色になるまで炒めて、にんにくと生姜の微塵切りを投入し、続いてカレー粉(SB)と小麦粉を加えていい香りがしてきたらルーの完成。

自作簡易ルーを水でのばして加熱。豚肉と香味野菜からだしが出るので固形ブイヨンは不要。コクをアップさせたいなら、霜降りした手羽先を五、六本ぶち込んで、30分煮出して引きあげる。市販のルーは後添。こうすれば満足のいくカレーが簡単に出来る。

犬が眺めているのは海軍カレー

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味の散歩 / 秋山徳蔵

2007年08月25日 | 書籍
三樹書房、一九九三年六月九日第一刷発行、定価2000円
昭和三十八年一月、産経新聞出版局(現・扶桑社)より出版されたものの再刊

秋山徳蔵さんは大正二(1913)年、二十五歳で宮内省大膳職厨司長に就任した。

…大正、昭和両天皇の即位、現天皇の誕生や結婚、またイギリス皇太子エドワード・アルバート(大正十一年)や満洲皇帝溥儀(昭和十年)の来日。そのたびに秋山の料理が饗宴の食卓に上った。戦後、新任の駐日フランス大使が「本場以上」と舌を巻いたように、秋山の正統フランス料理は国際的に第一級だったのだ。…厨房に一歩入れば、匂いから、誰が何をやっているのか、何を失敗したのか瞬時に分かったという。細心の注意を払って献立を作り、食材を吟味し、包丁の入れ方から盛り付けまで目を光らせ、「大膳寮のカミナリ親父」と呼ばれる厳しさで厨房を指揮した。…昭和四十七(七二)年、秋山は八四歳で職を辞す。天皇の料理番として「陛下に尽くし、お守りする」一念を貫いた五八年間だった…太陽№459(株式会社平凡社)

明治の男の文章にはキレがある。「安くてうまい店」というエッセーには私がつねづね感じていることがそっくりそのまま書かれてあった。

…料理屋で高くとられるほど不愉快なことはない。気分の上でも面白くないし、第一、財布がいやがるのである。高いからといって、ものが美味いとは限らないので、その代金の中には、モッタイらしい構えやら、不必要につきまとって酒をまずくしてくれる女達の給料もはいっているわけだ。酒飲みは酒を楽しみたいのだし、食道楽は味を楽しみたいのだ。環境の感じというものも必要には違いないが、成金趣味の豪勢な構えや、サービス過剰は、かえって逆効果だということに気づかない店が案外多い…16頁

料理は器量。家庭の食事も美しく仕上げることにしくはなし。秋山さんの説いた「もてなしの心」を大切にしたいものである。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教養主義という「壁」 / 猪瀬直樹×竹内洋

2007年08月22日 | 書籍

日本の近代第12巻(中央公論新社)の付録に収められた猪瀬直樹さんと竹内洋先生の対談…一九九九年三月十六日、東京にて

興味深い内容なので抜粋を載せる。筆記学問の話は特に面白い。私の学生時代にもこのような朗読教授が(ごく僅かであったが)いた。

竹内
僕は昭和十七年生まれですが、猪瀬さんは二十一年でしたね。

猪瀬
僕が大学に入ったのは一九六六年です。竹内さんが大学にいらしたときは六〇年安保の終わり、僕は七〇年安保世代の筆頭になります。…僕らの代が、七〇年安保世代が、全共闘という「近代」をもちこんで、全部ぶっこわしたわけです。…僕らの代は教授のことを「てめぇ」呼ばわりした。…全共闘運動の中心は日大全共闘でした。日大には当時、吉田重二郎という会頭がいて……

竹内
怪頭ですな(笑)。彼が二十四億もの使途不明金を国税局に摘発されたことで、日大はじまって以来初めての大規模な大学紛争がおこった。

猪瀬
僕らの大学時代には、旧制高校時代の教授がまだ残っていて、京都帝大で久野収と同期だったという哲学の先生がいました。彼の授業はノートを朗読するだけなんです。われわれ学生はそれをノートにとる。…これが旧制高校の授業なのか、と思いました。

竹内
僕の大学時代もほとんどの教授がそうでしたよ。ひどい先生は、教室に入ってくると「承前」といって朗読をはじめる。しかも感心なことに、ノートをとれる速度で喋る。

猪瀬
黄色くなったノートをもって(笑)。

竹内
「一ノート三〇年」という言葉があったみたいですよ。一冊ノートがあれば、それで三〇年は講義をやって食っていけるというわけです。

猪瀬
その先生が学生だったころに旧制高校や帝大でとったノートなんでしょうね。

竹内
アカデミズムに面白くするための材料を調べる癖がないのは、日本の社会科学が紹介翻訳業だったからですよ。

猪瀬
西洋を紹介する媒体でしかなかった。三蔵法師がインドまで行って、お経を母国にもち帰るようなものです。

竹内
そうです。自分で調べる伝統がないんです

猪瀬
だから、大衆化した学生が押し寄せてきたら、一気に吹っ飛んだ。僕は当時、その哲学の授業を聞いていて、「本にして出版すればいいじゃないか。こっちだってノートにとらなくても、その本を買えばいいんだから」と思いました。

竹内
これを本にしたのが岩波の講座物でしょう。旧制高校の教養書はたいてい岩波から出ています。

猪瀬
「新思潮」という…雑誌…文学史上では大きな存在とされていますが、実は一高出身の帝大生がつくるごく内輪の同人誌にすぎません。共産党運動も、立花隆さんの『日本共産党の研究』(文春文庫)を読むと、東大新人会だとか、狭い限られたところでやっていたにすぎないことがよくわかります。竹内さんは、旧制高校文化を描きながら、それが日本近代史においてほんの一部にすぎないことを常に提示して相対化していますが、それが全部であるかのような歪んだ近代史が、文学でも政治でも多すぎます。

竹内
学会のようなものです。同じ学会のメンバーなら、どういう奥さんや夫がいるということまで知っている…つくづく、旧制高校や帝大の世界が狭い世界であったかを感じました。

猪瀬
丸山眞男さんは「日本は蛸壺文化だ」とおっしゃったけど、要するに、自分がいた世界だったんじゃないですか(笑)。一高・東大の世界がそうなんですから、そこにいれば誰にでもわかる。

竹内
なるほど(笑)。

-----中略-----

猪瀬
旧制中学を知らなければ、『坊っちゃん』を読んでも意味がわからない…

竹内
旧制中学生と師範学校の生徒が喧嘩するシーンも、当時の中学へいった人と、師範学校へいった人の違いを知らなければ、なぜ喧嘩するのかわからないですね。

猪瀬
歴史を知らない世代が増えてると感じることはよくあります。しかも知らないことを恥じない…

竹内
それをなんとかみえるようにするのが、われわれの役目なんでしょうが、初歩的知識がない相手にはつらい作業です。歴史とは、社会とはこうしたらこうなるという実験データの蓄積だとおもいます。昔のことは関係ないという考え方は、実に傲慢で危険ですが、書く側にも責任はある…

猪瀬
文部省や日教組が教育問題について議論していますが、あれこれいう前にきちんとこの本を読んでほしい。かつてはどんなシステムで、どんないい面があり、悪い面があったかを知った上でなければ、実りある議論にはならないでしょうからね。

石原東京都知事と猪瀬さんが手を組んだニュースが流れた時、私にはいまいちピンとこなかった。しかし、この対談をあらためて読みなおしてみると反共を声高に唱える石原さんと随分共通点があることに気付いた。教育界の抱える問題点を鋭く突いている。毒舌も絶好調で、思わず笑ってしまった。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学歴貴族の栄光と挫折(日本の近代第12巻) / 竹内洋

2007年08月21日 | 書籍

中央公論新社、1999年4月25日初版発行、2400円+税

旧学制を理解する上で非常に役立つ文献である。竹内さんの数ある著作の中でも傑作と言える。旧制高校という制度、戦後の左翼思想大流行、そして吹き荒れる学生運動によって旧制高校文化に終止符が打たれる歴史をわかり易く解説している。

戦後日本における教養主義はマルクス主義といちじるしく接近した。マルクス主義によって、旧制高校的エリート文化が軍国主義に抗しえなかったという弱点を埋めることができた。また、旧制高校的エリーティズムや思弁主義を脱色することができた。…302頁

昭和三十年代までの若者にとって高等教育機関に進学し「インテリ」になるというのは、たんに高級な学問や知識の持ち主になるというだけではない。垢抜けた洋風生活人に成り上がるということであった。…知識人やインテリという言葉が死語に近くなったのは、大学紛争後の昭和五十年代からである…316~317頁

昭和四十年代はじめに全国的となった大学紛争は、大卒という学歴に対応した職員層という社会的身分階層が崩壊した事態と、日本社会が農村型社会を脱出する事態とに対応している。前者は近因であり、後者は遠因である…学生たちは「知識人の責任とはなにか」や「学問とはなにか」と、はげしく問うた…あの問いかけは大学生が大衆としてのサラリーマン予備軍になってしまった不安や憤怒と背中合わせになっていたと見るべきではなかろうか…かれらはこういいたかったのではないか。「おれたちは学歴貴族文化など無縁のただのサラリーマンになるのに、大学教授たちよ、おまえらはそこでのうのうと高踏的な言説をたれている。いいご身分だよな」、と…318~319頁

丸山眞男(一九一四~一九九六)は名政論家といわれたジャーナリスト丸山幹治(侃堂)の次男…府立第一中学校五年修了後、第一高等学校文科乙類に入学。その後東京帝国大学法学部政治学科に進学し、東京帝国大学法学部助手→助教授→教授というコースを歩んだ。学歴貴族文化の典型軌道である。しかし、丸山は全共闘派学生から結局三回もつるしあげにあい、定年を待たずに退官した。大学紛争は丸山眞男に代表される学歴貴族文化ブルジョワジーへの憎悪に裏打ちされた怨恨と反乱だったのである。経済学者の中川敬一郎大学紛争における学生の教官糾弾の意味を「読書人的」エリート意識への反乱だとして、つぎのように自省する……自らは現存の大学体制の中に安住しながら、その一方で、理論的には現在の社会体制を批判するといった伝統的知識的態度について反省を迫られているといってよいであろう……学生たちが問題にしていた教官の権力というものの一つは、じつは……「読書人的」エリート意識なのである。つまり教官層がその人間的な日常生活の経験から得た確信にもとづいてではなく、むしろ読書を通じて学んだ学説の権威に立って、いかにも客観主義的に、そして、その意味では没主体的に、確信にみちた発言をすることへの学生たちの反発が「教官の権力」であり「教官の権威」であったわけである。運動を担った学生たちは、学歴貴族文化ブルジョワジーを範型にした学歴貴族文化プチブルの道を拒み、学歴貴族文化人を冷ややかに相対化した吉本隆明のほうに共感していく…321~322頁

日本で「インテリ」や「知識階級」という言葉が使われるようになるのは大正時代半ばころからだ…高学歴者が層としての厚みをもった…同時に大学論や知識人論がこのころの論壇を賑わせる。大学や知識人への懐疑やゴシップもすさまじい。「学生製造株式会社論」「大学の顚落」が次々と登場している。実名入りの「低能大学教授列伝」や「大学教授堕落論」にまでエスカレートする。学校騒動と同盟休校も頻出する…伊藤彰浩によると、学校騒動は新聞(東京朝日新聞)に報道されただけでも、昭和五年に二十一校、昭和六年に二十二校もあった。昭和は学校騒動の時代でもあった…332頁

大学解体論はいまから七〇年前にもうあらわれていたのである…当時の学生運動のはげしさからみて戦時体制に入らなかったら昭和四十年代の大規模な全国的大学紛争は昭和十年前後におこっていただろう…大学や教養主義は、戦争のおかげで延命したとさえいえる。延命したというより、むしろ大きな期待がかけられ戦後日本に蘇った。戦争は大学や教養への不信を御破算にし、あらたな信頼をもたらしたことによって、戦後の急ピッチの大学進学率をささえ、大学紛争を三十年引き伸ばしたのではなかろうか…したがって、戦後の大学や教養主義への信頼と期待にもとづく輝きは必ずしも大学や学歴貴族知識人の実績によって生まれたというわけではなかった。このことをわれわれは記憶にとどめるべきだろう…334~335頁

エピローグで提示される結論は非常に重い。左、右にかかわらず一読の価値がある。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学という病 東大紛擾と教授群像 / 竹内洋

2007年08月19日 | 書籍

中央公論新社、2007年7月25日初版発行、933円+税

竹内先生の力作である。左翼思想の流行→弾圧→再流行→衰退の過程と東京帝国大学経済学部の権力闘争が事細かく描かれている。ここまで深く検証しているからこそ強い説得力がある。

大正時代半ばまでの社会主義者やマルクス主義者は、しばしば「ごろつき」や「無頼漢」の代名詞だった。せいぜいが、「労働者あがり」の教養や社会運動とみなされがちだった。マルクス主義が大学生や旧制高校生を中心に学歴エリート集団にひろがりはじめたのは、大森の第一高等学校卒業前後の大正時代半ばからだった…33頁

大正時代の終りには、もっとも頭の良い学生は「社会科学」つまりマルクス主義を、次の連中が「哲学宗教」を研究し、三番目のものが「文学」にはしり、最下位に属するものが「反動学生」といわれた…マルクス主義を読んで理解しない学生は「馬鹿」であり、理解しても実践しない学生は「意気地なし」となる…37~38頁

昭和初期の高等学校は、左翼思想と左翼運動の培養器だった。そんなころ(昭和三~六年)に高校時代(四高)をすごした作家杉森久英
は当時の高等学校の雰囲気をつぎのように書いている。プロレタリアの勝利と資本主義の没落-これはもう議論の余地のない自明のこととして信じられていた…ほとんど大部分の生徒の間では、これが常識になっていて、すこしでもそれに疑問をいだいていたり、異議をさしはさんだりすると「歴史の必然というものがわかっていない」「頭が悪いな」などと、毒々しい嘲笑と、軽蔑をもって一蹴された。その実、おたがいにどの程度にマルクス主義の勉強をしていたかというと、そこいらにごろごろしている入門書を何冊か読んだにすぎないといったところだったのだが。(『昭和史見たまま』)…共産主義に疑問を感じていた者でも激しい嘲笑と罵倒をおそれて沈黙せざるをえなかった。左翼の英雄気取りの指導者に違和感と疑問を覚えながらも、正義を御旗にしたかれらに反抗することは、「時代を理解しない頑固者」というレッテルを貼られることになる。革命がくるにちがいないとおもったことはたしかだが、他方では「仲間はずれになるのがいやだったのだと思う」と…156~158頁

少なくとも高校生は大学生や専門学校生から比べると、より熱しやすくて冷めやすかったといえる…旧制高校の左傾化には、杉森の指摘するような付和雷同的な要素が大いにあったからだ、といえないだろうか…162頁

土方は昭和五十年、八十四歳で死没した。死の数年前、土方が嫌ったマルキスト教授やシンパ教授がつぎつぎと全共闘学生につるしあげられたことを知ったはずである。全共闘運動の中で大河内や大内が攻撃されているのをみて、いまや彼らこそが「九天」から「九地」へ転落している事態をおもわなかっただろうか。そして、全共闘運動の大学解体論があの大森義太郎の大学の没落論の再来だとも。再来であるにもかかわらず、大河内はともかく、大内が攻撃されるという歴史の皮肉を…279~280頁

現在の風潮を見ていると「全く同じではないか」と思う(笑)。やはり、歴史は繰り返すのだ。

私は大学一年生の時に大講義室で『社会学』を聴講していた。担当のS教授は東大出のバリバリのマルキストで、マルクスを手放しで賞賛していた。そして「国士舘というのは馬鹿を作り出す大学です」と熱弁をふるった。これは蓑田胸喜氏との関係を言っていたのだろう。

残念なことに、教授の話を真剣に聴いている学生はいなかった。黴臭い学問だと私は思った。退屈極まりない講義をボイコットしてパチンコ屋へ移動することが多かった。

『地上の楽園』を信じた教授は既に故人になっている。ベルリンの壁崩壊、そして次々と恐怖共産主義国家が消滅してゆく現象を彼はどう眺めていたのだろうか?

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味にしひがし / 池田弥三郎×長谷川幸延

2007年08月14日 | 書籍

土屋書店、2007年7月20日初版発行、定価800円(税別)
読売新聞社より昭和50年1月に刊行された『味にしひがし』を復刊したもの

西は「勝った」といい東は「負けぬ」という見出しに釣られてつい買ってしまったが、値段の3倍以上の価値がある面白い本だ。

著者はどちらも既にお亡くなりになっている。池田さんが銀座の有名な天ぷら屋の御曹司で家業を継がずに学者になったことだけは知っていた。大阪生まれの長谷川さんの毒舌に池田さんもタジタジ(?)といった感じである。

食い物の話になると西が優位になるのは仕方がないことだ。関東暮らしの経験のある私はそういう意味では非常に辛辣である。東京の料亭文化が廃れたことは大阪から“板前割烹”が侵出してきたことと密接な関係がある。

【濱作】が銀座に店を構えたのが昭和3年のこと。板前が客の前で魚をさばくスタイルが受けて、関西系割烹が激増することになる。今や江戸風の料理屋は鰻、泥鰌、鳥鍋、天ぷら、寿司、そばくらいだろう。食に関しては西の植民地のようになってしまっている。

東に軍配が上がるのは、鮑、鰹、寿司、鮟鱇、そば。あとは残念ながら、西優位である。流通が進んで、東京でも西の食材を楽しめるようになってはいるが、やはり、本場で食べるのとは大きな違いがある。

苦手意識(コンプレックス)を克服して、関西に乗り込んでいく気概は持った方がいい。偏見というものは現物に触れると意外に早く無くなるものである。京都人と違い、大阪人は気さくな方が多い(笑)。よく考えたら、私の友人に京都出身は1人もいなかった。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野崎洋光が教える初めての料理

2007年05月29日 | 書籍

2006(平成18)年11月1日第1版発行、秀和システム

日本料理の基本を簡潔に説明した良書である。嫌味な薀蓄を排除して理論的に分かりやすく語っている。見てくれ重視の薄っぺらい京都料理へは辛辣な意見を述べる、一本筋の通った男である。前書きからは素直な人間性が伺える。

家庭料理は、料理屋の料理ではありませんから、材料や盛りつけに凝るなど、細かいことにこだわる必要もありません。
ここでは目安としての分量を明記しましたが、参考程度に確認すればいいと思います。

料理はコツとなる基本をおさえてしまうと、応用もできるようになる。
一度は真似をし、自分なりに取捨選択しながら活用すればいいと思います。
あとは自由に、自分らしい料理を楽しんでください。

バランスの悪い外食を続け、命を自ら縮める、常に受身のおっさんにぜひ読んでいただきたい(笑)。家庭の食事を疎かにする男は得てして仕事もできないのだ。

にほんブログ村 料理ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一個人(創刊7周年記念プレゼント付き)

2007年05月01日 | 書籍

一個人という旅雑誌を買うのはこれがはじめてである。表紙の女性にも惹かれたのだが、綴じ込み付録のDVD(日本と世界の豪華寝台列車)を見たいと思ったのだ。創刊から7周年。読者をつなぎとめる血の出るような努力をしているのだろう。

読者は執筆陣の驕り高ぶり、欺瞞にビビッドに反応し、いとも簡単に雑誌を見捨てる。一部の取り巻きに「有能」と持ち上げられた、大したこともない執筆者がマスタベーションを続け、廃刊への道を突き進んだ例は数多い。取り巻き(太鼓持ち)ほど「無能」なものはないことを知るべきだ。

雑誌の存続・部数拡大には執筆陣の刷新は必要不可欠である。毎回同じ切り口では飽きられるのは当然である。バランス感覚、知性の足りない執筆者はゴミである。そんなヘドの出るような雑誌を読まなくなって数年になる。

まだ低空飛行を続けているようだが、いずれ山にぶつかって木っ端微塵になるのではないかと思っている。

謙虚さを忘れた時に人間の成長はとまる(笑)。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする