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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

クワタを聴け! / 中山康樹

2007年02月18日 | 書籍

集英社新書、2007年2月21日第1刷発行、定価998円(税込み)

桑田佳祐さんはデビューから第一線で活躍し続けている。小学生の時、短パン姿で“勝手にシンドバッド”をだみ声で歌う男を見て「なんじゃ、こりゃ~」と思った。数日して私は掃除の時間にホウキを持って「今何時。そうね、大体ね」の掛け合いをやった。歌詞の大部分は聴き取り不能だったが、不思議と耳に残った曲ではあった。

中学に上がると、誰もがサザンを聴いた。悪友は『ヌードマン』のジャケットを手にとってニタニタ笑っていた。そのアルバムは私の愛聴盤になった。

小学時代のベスト『女呼んでブギ』
中学時代のベスト『匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB』
高校時代のベスト『ミス・ブランニュー・デイ』
大学時代のベスト『悲しい気持ち』
社会人になってからのベスト‥90年代『真夜中のダンディー』
社会人になってからのベスト‥21世紀『白い恋人達』

中山さんの評価と私のそれが近いのはただの偶然か(笑)。音楽は理屈で聴くものではない。自分がいいな、と思ったものが名曲なのだ。

結局はかなかったトランクス

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どくとるマンボウ回想記 / 北杜夫

2007年02月16日 | 書籍

日本経済新聞出版社、2007年1月24日第1刷、定価1500円+税

北杜夫さんは2006年1月に私の履歴書を連載した。私はそれをすべて読み、精彩を欠いていることから「体調が悪いのかな」と心配していた。本書は同新聞に発表したエッセイと新たに書き下ろしたものを加えて、面白い作品になっている。

『どくとるマンボウ青春記』を知らなかったとしたら、松本を訪れることは決してなかったと思う。私は海の無い県にはかなり辛辣な評価をつけているのだが、ここは数少ない例外だ。

傲慢な言い方になるが、旧制高校が置かれた都市(そのほとんどが城下町)は品があるのだ、北関東とは違って(笑)。松本は戦災を受けなかったため、昔の町並みが残っている。すぐに顎を上げたがるクソ京都(一地方都市)が忘れている謙虚さがあるように感じる。

北さんは死ぬ前に一仕事したかったんだろう。これは彼の一生を早送りで見ることができる秀作だ。ものの30分で読了した。彼が苦労して捻り出したと思われる短歌は私の胸を強く打つ。

いつしかに季節の移りて見渡せば四方のはかなさ

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『名もなき毒』宮部みゆき

2006年12月26日 | 書籍
幻冬舎、2006年8月25日第1刷発行、定価(本体1800円+税)

青酸性毒物による連続無差別殺人事件にひょんなことでかかわってしまった杉村三郎。彼はかつての部下(原田という反社会性人格障害の女性)から恨まれ、職場で睡眠薬をもられて倒れる。それからも彼女から執拗ないやがらせを受け、ついに最愛の家族を人質にとられ驚愕する。「暗さ」が全体に漂う重いテーマの小説だ。

財閥企業の総帥である義父(今多嘉親)は杉村に向かってぼやく。
‥究極の権力は人を殺すことだ。他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから昨今多いじゃないか‥たとえばあれが青酸カリだったなら、君らはみんな死んでいた‥あの局面では原田いずみは、君らにとって、抗いようのない権力者だった。死ななかった、殺さなかったんだから違うという言い訳は通用しない。他人を意のままにしたという点では同じなのだから‥だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ‥

生まれ育った環境は人間を大きく、そして幸せにもするが、その一方で人格を破綻させて悪党を生み出す場合もある。身勝手な性悪女(原田)はやり場のない怒りを幸福な善人にぶつけて傷つけるが、冷え切った心が満たされることはない。虚しさを打ち消すために、また犯行を重ねていく。そこには絶望にも似た悲しみが存在する。

杉村はこう考える。
‥家のなかは清浄だった。清浄であり続けると、私は勝手に思い込んでいた。信じ込んでいた。だがそんなことは不可能なのだ。人が住まう限り、そこには毒が入り込む。なぜなら、我々人間が毒なのだから‥

更に義父は意味深なことを呟く。
‥どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。完全に遮断することはできん‥それが生きるということだ‥

今年読んだ本の中で、これが最も強く、胸に突き刺さった。

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ビールと日本人 明治・大正・昭和ビール普及史

2006年12月24日 | 書籍

キリンビール編、昭和63年5月2日初版発行、河出書房新社、定価580円

生協の書籍部で購入した時には二回生になっていた。盲牌名人のO野が下宿に来て、本棚にあったこの本を手に取りニヤッとした。そして「妙な音楽ばかり聴いていると思ってたが、本も読むんだな」と失礼なことを言った。彼の父親はキリンビールに勤めていた。

さて思い出はこのあたりで切り上げて本題に入ろう。明治時代には実に多くのビール会社があった。キリンの前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーが「麒麟ビール」というブランドを製造したのは1888(明治21)年5月。これが国産ドイツ風ビールの誕生とされる。当時は国産イギリス風ビールも売られていたのだが、主流にはなれず急速に衰退する。その理由はぜひ本書を読んで確かめて欲しい。

戦争中、戦後の流れも丁寧に描かれており、資料的価値は非常に高い。自社の製品だけでなく、他社のものも紹介するキリンビールの懐の深さにはおそれいる。現在絶版なのが残念だが、古書購入は容易である。

1987(昭和62)年にアサヒビールが「スーパードライ」を販売して、その後キリンは出荷量ベースで首位から陥落し、冬の時代に突入する。この劇的な変化をしっかりと頭に刻んで読むと、なお一層面白くなるだろう。

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『死顔』吉村昭

2006年12月02日 | 書籍

2006年11月20日発行、新潮社、定価1,300円(税別)

吉村昭さんの遺作短篇集を読了。『二人』『死顔』には、人の死(自然死の場合)は干潮時に訪れる、と書かれてある。私はこの疑問を母にぶつけた。

「そうなの?」
「本当よ。海辺の近くで暮らす人達は経験的に知っとったんじゃね。で、子どもが産まれるのは満潮の時。潮の満ち具合で子どもの未来を予測した、早死にするとか・・・」

非科学的なことを書くと笑われるかもしれないが、この世の中には科学で説明のつかないことが多々ある。科学の限界という虚しさを一番よく知っているのは研究者自身だろう。

つまらぬことを考えている最中にも着実に死に向かって歩いている。死を目前にした時に私は冷静でいられるだろうか。答えは出なかった。

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『やぶれかぶれ青春記』小松左京

2006年11月18日 | 書籍

1990年1月5日第1刷発行、勁文社、定価980円(古本で購入)

小松左京さんの自伝的小説。旧制神戸一中二年生から新制京都大学文学部入学までの六年間が舞台となっている。戦時中に教師や上級生や軍事教官から受ける理不尽な暴力に屈することなく、図太くしかも楽しく生きようとする様をリアルにユーモアを交えて描いた傑作である。陰湿ないじめに悩み苦しんでいる今の学生にぜひ読んでもらいたい。

戦後は違法な闇商売に手を出したり、秘密の喫煙所でプカプカやったりと札付きの不良ぶりを発揮する。そして米軍が持ち込んだ民主主義によって、かつての品行方正な生徒がなるべきクラス委員に当選してしまう滑稽さ。

‥暴力を我が身にうけた経験のないやつのほうが、ひどい暴力をふるう-これは、あとあと何回も経験したことだった。‥私たちは、手も足も出ない状態下で、さんざん集団的暴力をふるわれて、暴力をふるわれるということのいやさが骨身にしみてわかっていた。だからこそ、他人にむかって、暴力をふるうにも、他人の身になって、そのいやさ加減がよくわかった。戦後のもっとも大きなよろこびは、とにかく暴力をふるったり、ふるわれたりする必要がなくなった、ということだった‥〔159~160P〕

小松さんは旧制三高入学を「人生最高の日」と記している。皮肉にもその幸せは学制改革によって僅か一年で終わる。

‥ただの一年であったが、青春の中であんなすばらしい時期をもてたということが、その後の陰惨といっていいほどメチャクチャな人生において、どんなにささえになったろう‥〔172P〕

人間は生れ落ちた時から孤独である。この現実をいかに早く受け入れられるかで人生は大きく変わると思う。成長するにしたがって様々な困難が降りかかってくるが、それは自力で解決するしかない。

大多数の教師がポンスケなのはなにも今に始まったことではない。私は高校時代に嫌というほど見てきたし、卑しい人間のする職業とさえ思った。その馬鹿垂れどもと永久に決別した大学入学の日は嬉しくてたまらなかった。

声を大にして言いたい。無限の可能性を自らの手で潰してはならない、絶対に!

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『KINO VOL.3 よそさんにはわからない京都の正体』

2006年11月11日 | 書籍

2006年10月31日発行、京都精華大学情報館/河出書房新社、定価1200円(税込)

書店で『KINO』という名も知らぬ雑誌を手に取り「またお決まりの京都賛美かよ」と苦笑した。パラパラめくっていくうちに宮崎学氏の語る「我が京都」に興味深いことが書かれてあった。

‥京都人の県(府)民性を語るとき、確かに『表裏がある』とよく言われる。実はそうじゃない。裏しかない。京都人には裏しかない。少なくとも私にはそうとしか思われない。根性が本当に歪んでいるんだよ。だって私がそうじゃないか(笑)‥『いけず』とは、『意地が悪い』をはんなりと表現した言葉だ。つまり京都というのは、すべてが『いけず』の文化なんだね‥〔本書32ページ〕

最後は現在の日本が抱える病巣を鋭く指摘している。

‥『いけず』が嫌で京都を出たというのに、今の日本ではこのくだらんオバハンのような反応が社会に蔓延している。そこら中が『いけず』だらけだ。困ったもんだよ(笑)‥〔本書33ページ〕

私が京都という「まち」を嫌う理由はその辺にあるのかもしれない。「じめじめ」「ねちねち」した空気が肌に合わず、もうかれこれ10年近く訪れていない。「紅葉を見に行こう」と誘われるたびに複雑な気持ちになる。

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『分とく山 野崎洋光のからだにいいおいしい話』

2006年11月08日 | 書籍

2006年1月31日第1刷発行、文源庫、定価(本体¥1523+税)

野崎洋光さんはNHKの番組でよく見かける人で、実にシンプルでおいしそうな料理を作っていた印象がある。彼の文章はとても分かりやすい。京風懐石はあくまでも日本料理の一つに過ぎないと言い切っているところなどは読んでいて胸がすかっとする(笑)。現代人への警句には誰もが考えさせられるはずだ。

‥「とりあえずお腹を満たすことができる」便利な環境というのが、実は現代人の、とくに若い人たちの食生活の中身を貧しくしている一つの要因であると僕は考えています。僕は食事というものをたんに「お腹を満たす作業」と考えている人たちを、皮肉をこめて「養殖人間」と呼んでいるのですが、何の努力もなく食事が与えられる環境にあれば、人間も動物も食べることに対する熱意が薄れてきます。ただ与えられたもので満足して、食べ物に対する真剣さが失われてしまう‥〔本書92ページ〕

‥現代人は噛むことを忘れ、素材本来のおいしさを忘れ、油と調味料漬けになった料理をおいしいと思っている。僕にいわせれば、これは明らかに間違った方向です。そうやって人間が持っている本能的な部分を、どんどん退化させてしまっている。人間の生命力を衰えさせている。その結果が五人に一人の生活習慣病ということではないのかと思えてならないのです‥〔本書195ページ〕

‥うま過ぎるということと本当のおいしさとは違う。過ぎた味つけはやがて飽きがくる。過剰な味つけの料理は所詮いっときのもの。いずれ飽きられます。だから現代の料理人たちは手を変え品を変えて、さらに濃厚な味つけを追いもとめなければならなくなる。それでは本当の意味での食文化の継承とはいえません。毎日食べても飽きがこないものこそ、本当のおいしさだと僕は思うのです‥〔本書203ページ〕

野崎さんの見識に敬意を表するとともに、いつか彼の料理を食べてみたいと思う。

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『隠し包丁』 田村隆

2006年10月30日 | 書籍

2000年9月30日初版発行、白水社、定価2000円。現在は文庫本にもなっている。高名な料理人が書いた本は実に下らないものが多いが、これは数少ない秀作の一つだと思う。

つきぢ田村の三代目が東京を去り、高麗橋吉兆で修行するくだりは読み手を飽きさせない。失敗談を交えた薀蓄は鼻につかないのがいい。著者の知性の輝きは随所に感じられる。日本料理の枠にとらわれない姿勢も評価したい。

祖父であり、師匠でもある平治氏との想い出にはホロリとさせられる。10ページ目に出てくる初代の言葉は重みがある。

「まずいものを食べているとうまいものが分からんで。でもな、うまいものを知っているとまずいもんがよう分かるんや。本物を食べなあかんで。本物を観にゃ偽物が分からん。本物に出逢うことや‥‥」

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BOOT POISONING

2005年12月16日 | 書籍
竹本さんによる詳細なBOOTLEG REVIEW。LED ZEPPEINのBOOTLEGを集めている人ならば一度は読んだことがあると思う。

ブート・ポイズニング「本当によく調べたものだ」と私などは感心するばかりだ。この本のおかげで随分と無駄遣いせずに済んでいる。よく考えれば今年はZEPPELINに関しては一つも購入していない。収集対象を1972年までとしているので凄いブツがリリースされなかったということだろう。
本年度購入したブツは4つ。
GEORGE HARRISON / RUN FOR THE ROSES
THE ROLLING STONES / SOME SATANIC TOUR
THE BEATLES / PACIFIC NATIONAL EXHIBITION
ERIC CLAPTON / PLAY WITH FIRE

中には?というのがあるが、突っ込まんといて~
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【ビートルズ海賊盤事典】松本常男 著

2005年11月30日 | 書籍
 講談社文庫 定価2400円。昭和60(1985)年10月15日第1刷発行。当時高校生だった私はこの本を何度読み返したことだろう。そのため手垢がかなりついている。海賊盤収集への道に足を踏み入れるきっかけにもなった「力作」だ。

 悪名高き(笑)某ファンクラブが研究資料として定番ライブ音源を会員に販売していた。私はそのカセットテープを買いまくった。そのうちにそれでは満足できなくなり、海賊盤を通販で買うようになった。

 大学受験の前などはローリング・ストーンズのカラーレコード(オークランド69など)を取り寄せていた。この頃はまだブートCDは販売されていなかった。音飛びがあったり、曲が途中でぶち切れていたりと、問題も多々あったが、正規盤ではリリース不可能な拙い演奏を聴くことができた。
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食味風々録 / 阿川弘之

2005年03月30日 | 書籍
しょくみぶうぶうろくは2001年1月20日発行(新潮社 定価1700円)となっている。作者は旧制広島高等学校の卒業生でおいしいものが大好きな人である。この本のことを私は【魯山人味道】と同じくらい高く評価している。料理馬鹿(笑)ならばこの面白さがわかるはず。

「鯛の潮汁」というエッセイは出色のできである。締まりのない養殖鯛の刺身へは容赦ない評価をつけており、同郷人として同感せざるを得ない。目の上にブルーのアイシャドウがある天然鯛の味を知っている者ならば関東の料理屋で鯛を注文することはなかろう。

「味の素」も笑える題材になっている。彼は少しくらいは使ってもよいとの意見を示している。私はさすがに肯定派ではないが、モヤシのナムルを作って『どうもうまみが足りない』と思う時にはパラパラ振ったりもしている。すると妙に〝いい味〟になってしまうのだから、正直まいる。
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築地で食べる 場内・場外・〝裏〟築地

2005年02月19日 | 書籍
築地王こと小関敦之さんの新作(といっても昨年の12月発行)で築地の魅力を丁寧に解説している。自分の舌と足を使って作り上げている点は非常に好感が持てる。特に舌の感覚については私と似ているようだ。

〝裏〟築地編には鰻の「M川本廛」が出ている。ここの鰻ははっきり言ってうまい。注文から重(か丼)が出てくるまで30分はかかるので、この間に日本酒を楽しむことも出来る。品のいいお客さんに愛されている感じを私は受けた。
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【日本焼肉物語】宮塚利雄 著

2004年12月25日 | 書籍

1999年に発行された本(太田出版)である。宮塚さん(韓国留学を経験)は北朝鮮関係の著述で有名な人である。
 
『焼肉』という名称は南北間の政治的対立の妥協の産物であるらしい。プルコギ(火で焼く肉)を日本語に訳し、これが定着した。戦後のホルモン焼誕生に関する話は一読の価値あり。ここで参考文献として引用されるのが【放浪伝 昭和史の中の在日】(金文善 著)。

その【放浪伝】では在日一世の過酷な生活が克明に描かれている。日雇い労働者が集落でトンチャン(糞の通る腸⇒大腸)を焼き、火が通らないうちに(モタモタしていると仲間に取られてしまう)塩をつけて口に放り込むくだりは興味深い。敗戦後、日本人は飢えをしのぐためにモツを食べるようになる。

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