地産地消の高齢者

健康で明るく楽しい毎日を送りたい。

ピンポンに出て

2010-11-13 | Weblog
先月末に記念品と賞状が届きました。
写真は卓球の記念品です。



10月17日に県立体育館で第48回鳥取県身体障害者体育大会が開催されました。
今年、久し振りにこの大会に参加して頂いたものです。

数年前までも何回か出場しましたが、何時も強敵に阻まれて思うような成績を上げることはできませんでした。

以後、大会を目標に週1回の町の卓球教室に通ってきました。
しかし、高齢の為かなかなか腕は上がりませんでした。

この年になって出場を依頼されたので、どうかなと思いながら力試しに参加しました。

卓球会場に入ると台が並べられ、既に練習を始めている人もいました。
4年前までの強敵を探したが見当たりませんでした。

自分たちは、障害者の内部疾患の部に属しているので彼の病状が心配されました。

今年はどのような強敵が現れたかなと思って組み合わせ表を見ましたが,
出場者の氏名は分かっても顔は分りませんでした。

試合が進むにつれて一人の選手が目につきました。
彼はただ一人、県名、氏名、サークル名の入ったゼッケンを着けた、始めてみる顔でした。
その腕前は、すべてを3:0で勝ち進んでいて、かっての強敵以上の強敵でした。

まさかと思っていたことが当たり、決勝戦で彼と対戦することになりました。
試合の前に、
「貴方のような立派な選手と対戦できることは光栄です。」と、握手の後、台に向かいました。

勝つことは考えないで、5セットのうち何ポイント取れるかを目標に、気楽な気持ちで戦いました。

試合は3セットで9ポイント取得するだけで終わりました。
その内3ポイントが攻撃によるポイントで、後の6ポイントは相手のミス(サービス)による得点でした。
いやはや その強さには驚きました。以前の強敵とは格段の差でした。

その結果得たのものがこの記念品と賞状でした。

閉会式で成績が発表され、記念品は遅れて送られてきました。

優勝者は試合の後で、県代表で全国大会に出たことや、この会は初めてであったが今後都合をつけて出場したいと話していました。

今後も勝敗は別にして、何歳までこの会に出場できるかを目標に、老妻と共に卓球教室に通いたいと思っています。



まま食い

2010-10-25 | Weblog
4日前に大阪に出て、初曾孫の生後100日目の「お食い初め」を終えて、昨夜帰ってきま
した。

鳥取の田舎では「まま食い」と言っています。

久し振りに会った曾孫の一家は、寝屋川市から新大阪のマンションにやってきました。

赤ちゃんの成長は早いもので、既に20日前から寝返りが出来るようになったそうです。



爺にその元気なところを見せてくれました。

しかし、まだ元に返るることはできませんでした。


テーブルに、家から運んできた料理が並べられ



お食べ始めが始まりました。



お母さんに抱っこした赤ちゃんに、お父さんがお赤飯をはじめ料理を次々と口元へ運びまし。

周りの大人たちは、それを見て賑やかに話し合っていましたが、赤ちゃんは何をするの

という顔をしていました。

彼女の「芭奈ちゃん」(はなちゃん)は、皆さんに元気に成長することを祈られなが

ら、無事にまま食いを終わって寝屋川へ帰って行きました。




我が家の秋

2010-10-20 | Weblog
暖かい日が続きましたが、今日は少し気温が下がってきました。

昨日は、パワーリファビリに行きました。

パワーリファビリは、町が介護予防として、後期高齢者の足腰が弱らないようにと言っ

て取り組んでいる事業です。

健康福祉課から勧めがあったので参加しています。

自分には、週に2回(火,水)で、24回の券が出ています。

会場は町内のパワーリファビリセンターなので、車で通っています。

当日は、1時から2時半までで,その間に7台の機械を使用して鍛えています。

グループの11人は、3人の指導者の指示に従い毎日公平に機械を使用しています。

1つの運動を8秒で行い、30回繰り返した後で交代する事になっています。

参加者は、70代が1人で後は80台で90に近い人ももあります。

男性は3人で、女性には杖を使用している人、二重になって歩いている人、脛に手をあ

てて歩く人と色々な人が挑戦しています。


運動の一部分を紹介します。





胸を胸当てで固定してハンドルを引き寄せます。肩の筋肉強化。





背中を固定して腕を開いたままで引き寄せます。胸と肩の筋肉強化。





足を伸ばして脛と股関節の筋肉の強化。



腰をかけて前の黒い錘を足首で押し上げる運動と、足を前に出して踵とでけり上げる運動。





錘を胸で押し下ろしたり、錘を後ろにして背中で押し下げる、腰の筋肉強化の運動。





股を広げたり閉じたりして股関節の筋肉を強化する運動。

この他に、5分間の自転車こぎもあります。

どの運動にも個人個人の力に合わせた錘が使用され、次第にきつくなってきています。

漸く半分が終わり、後の12回をやり遂げようと頑張っています。

年齢が1歳増えれば体力は2歳以上衰えるように思います。

現状維持が願いです。



我が家の花畑は秋真っ最中です。




















敬老の日

2010-09-21 | Weblog
昨日、9月20日は敬老の日。

地区の敬老会に招かれ、老妻と共に社会福祉センターの会場に出かけました。

町内会長さんから、車で送り迎えしますのでご利用くださいとの話がありましたが、自分たちで行けますからとお断りをして、老妻は電動自転車で、猫は足踏み自転車で出かけました。

会場には、畳に座布団を並べた席とテーブルに椅子の席とが準備されていました。

座布団に座る人は少なくて、多くの人が椅子に座っていました。

高齢者になれば、足や腰が痛くて椅子を使う人が多いのだと思います。

当日配布された名簿によると、75歳以上の招待者は164名で、出席者は49名、その内夫婦は19組の38名で、出席は8組の16名でした。

椅子に腰を下ろすと、担当者が直ぐに折箱と果物、コップを持ってきてくれました。

時間になると、代表の喜びの挨拶があり、続いてレクリエーションの会が始まりました。

種目は、町内の婦人部による銭太鼓、代表による安来節や手品、また、詩吟同好会の発表などに続いて自由出演のカラオケで、会が盛り上がってきました。

ここで飲み物が配られ会はますます盛り上がってきました。

宴会は続いていましたが、10時から始まった会は13時には時間になり、健康で来年の再開を誓いあいながら閉会となりました。

敬老会は毎年11の町内会の会長夫婦が中心になり、計画、会場設営、高齢者の送迎、飲食の準備、後始末などの世話をしています。

この会は地域の人たちの結びつきを強くする会であり、地域つくりの大きな働きを持っていると思います。

是非、来年も元気で二人揃って参加したいと思います。


台風9号

2010-09-08 | Weblog
台風9号は早くから、進路を山陰沖に取るとの予報が出されており心配していました。

最近、鳥取県地方には広範囲に及ぶ大きな災害が無くて、皆が恵まれた地方だと喜んでいました。

この度は、鳥取名産の二十世紀梨の収穫の始まった時期と稲の刈り取り前とが重なり農家にとっては大切な時期で、皆さんが大変心配しておられました。

我が家では、梨や米の栽培には関係は無いが、約10アールの畑に栽培している大豆、小豆と花、夏野菜が心配でした。

昨日は、大豆、小豆はどうする事も出来ず、2アールの花と1アールの野菜の支柱補強や支柱建てに老妻と二人で昼中を避けての1日かかりでした。

夕方から降り始めた雨の様子を気にしながら夜を迎えましたが、9時ごろにやや大きな雨になった以外は、しとしとと降り続いていましたが思ったより静かな夜でした。

朝方になって風が出て畑のものが強く揺れていましたが、昨日の対策の効果もあり被害に繋がるような風ではありませんでした。

水田の方に出ると、余り倒れた稲も見当たらず、農家の方もホッとされたでしょう。

この度も、鳥取県が恵まれた事を喜びながら老妻と朝食にしました。

しかし、その後、敦賀湾に上陸した台風は熱帯低気圧に変わり、前線を刺激して東海,関東地方に大雨を降らせており、その地方の方達は大変だろうと思います。

台風シーズンの二百二十日もまもなくです、このままで台風シーズンが終わる事を祈りたいと思います。



我が里の初秋

2009-09-24 | Weblog
暑さ寒さも彼岸までと言う季節になりました。

今年は8月末からは1,2日と昨夜の雨だけで晴天が続き、昼間は暑く朝夕に秋を感

じるようになりました。

昨日、両親と兄弟の墓参に回りました。

道々秋を感じ,シャッターボタンを押した場面を紹介します。



澄み切った水の流れる用水路に沿って、彼岸花が咲き誇っていました。

毎年、不思議なように必ず彼岸を知らせてくれる花はこの花ですね。

数年前から花畑の隅っこにこんな花が咲くようになりました。



ここに移植して数年経ち、株が大きくなった白い彼岸花です。



欅の街路樹も色付いてきました。

今年は台風に合う事もなくて葉が傷ついていません。

秋が深まりどんな色を見せるのか、大山の紅葉が楽しみです。



黄金の波の向こうには風力発電機塔が並んでいます。

バインダーによる収穫の始まっている田んぼもありました。



農家では、稲の株分け時期とか開花時期に雨が多くて育ちが悪く、収穫量が心配だ

との話を聞きました。

農家にとっては重大な問題です。

レークサイドグラウンドゴルフ場では多くのプレーヤーがゲームを楽しんでいました。





休耕田を活用したコスモス畑があちこちに見えました。



農家の人たちの道行く人を楽しませようととしての取り組に感謝しながら、米作り

のできない人たちの気持ちを考えると複雑なものを感じました。

二十世紀梨の収穫も終わり、一日一日秋の深まりを感じます。

里の秋祭りも近ずきました。平和で実り多いい年の来ることを祈りたいと思います。



おまけ

 今年も老妻の管理によって11個のつぼみを付け、咲き始めました。 


      

    






写真画展

2009-08-23 | Weblog
お盆の行事も終わり、大阪からの客も帰り漸く我が家の盆休みを迎える事が出来ました。
夏の日差しが珍しく3日続きになりました。
この日を逃しては又梅雨空が心配され、米子に向かう事にしました。

米子美術館では丹地保尭写真画展が開かれていました。
写真画?に興味を曳かれて猛暑の中、二人はのこのこと出かけていきました。

道中は右に波静かな青い海の日本海、左に大山を望み、空は日本晴れ、太陽を背にした快いドライブでした。

丹地保尭写真画展



これは、会場の入り口で渡されたパンフレットの表紙に載っている写真画の実物を写したものです。

写真画展は、カメラで撮影した画像を和紙やカンバスに顔料でプリントする技法で知られる、丹地保尭さんの山陰初の作品展でした。


額入りの作品が沢山展示されていましたが、ガラスが邪魔になり写しませんでした。

屏風に仕上げられた作品の一部を紹介します。









丹地氏の解説より
「・・・。自然観をもっと感情で捉えたい、そんな思いの中で一枚一枚絵を描くつもりで被写体に向かい合い、構図を決めシャッターを切った。つまり絵ノ具やキャンバスにしたて写真画を描いてきたような気がする。むしろ写真家と言うより風景写真画家とでもいおうか・・・。」と述べておられます。

それらの作品は、長年の研究のすえ、コンピューターを使ったシガレー技法を使用して作られた写真画でした。

写真なのか絵なのかと迷うような素晴らしい写真画展で、今までになく二人で話し合いながら見て回りました。


次の会場、夢みなとタワーへ向かいました。

1階ホールでは「夏休みスペシャル ニューカレドニアと南の島の水族館」が開催されていて、
入場口には多くの夏休みの子供連れの家族が並んでいました。



ここでは久し振りに4階の展望台で眺望を楽しみました。

     境水道の向こうに島根半島を望む



     米子空港方面を望む



残念、ここでは靄が濃くなり秀峰大山を望むことは出来ませんでした。

展望台を後に帰路に着きましたが、車中で老妻に
「同じ写真を写すなら、今日見た写真画のような作品を作ったら。」と、励まされたのか、からかわれたのか・・・。

安全運転には気をつけながら帰りました。

結果は何時もと変わりない作品でした。







東京見物  (2)

2009-08-07 | Weblog
<柴又帝釈天へ>

今日は、前日栃木の姪の家を訪問した日のように、暑い夏の太陽の照りつける一日

でした。

一日ゆっくりと時間があり、地図を頼りの見物の旅に出かけました。

亀沢から都バスで本所吾妻橋へ、吾妻橋を渡って振り向くとそこにはakisaienさん

に紹介された「う○こ像」や「水上バスの乗船場」があり、浅草に出たことを確認

することが出来ました。

ここまでの短い間にミスありでした。それは、本所吾妻橋で下車しないで次の終

点の業平橋バス停まで乗り過ごしたことです。

車中で老妻に指摘されましたが、どうする事も出来ず終点に着きました。

しかし慌てません、旅に出ると度々見られる前科者の業ですから・・・。

下車をして、そこにいた乗車待ちの同年輩の女性に、曰く因縁を話すと、

「前に停まっているバスに乗って、次で下りればいいです。」と、快く教えてくれ

ました。

バスに乗り、200円入れながら運転手さんに曰く因縁を話し、次の停留所での停

車をお願いして席に着くと、

のこのこと運転手さんがやって来ました。どうしたのかなと見ていると、

「乗り越しなので200円はいらないのです。」と、言って「乗り換え切符」を2

枚渡してくれました。

東京で親切な人たちに出会い、これからの旅も安心だと思いました。

浅草からも、聞き聞き、乗り換え乗り換えして柴又に着きました。

柴又駅ではプラットを結ぶ、遮断機の付いた珍しい踏切に出会いました。



駅を出て少し進むと柴又帝釈天へと土産物の店が続いていました。

その中で目に付いたのがこの店でした。



この店の中には寅さんの映画の撮影に使用した階段がそのまま残されていました。



商店街を進むと笠智衆さんが現われてきそうな柴又帝釈天の門の前に出ました。



お参りを終わり、暑いので矢切りの渡しはやめにして「寅さん記念館」へ行こうかと思いましたが、店の人に聞くと矢切りの渡しが近くなので行く事にしました。

土手に登り左側を見ると渡し場が見えました。思ったよりも人が少ないなと思いな

がら近ずくと、「片道200円」と「本日休業」の札が出ていました。



残念、船は向こう岸に繋がれていました。



思ったより大きな船でした。渡し船は横に繋がれていた小舟かも・・・

残念でしたが仕方なく引き返しすと、目の前に綺麗な緑の芝に覆われた土手と野原

が広がっていました。

土手の上には、上着を肩にかけ茶色のトランクを持った寅さんがやって来そうでし

た。

その寅さんに誘われて、寅さん記念館に行く事にしました。

記念館内は、映画「男はつらいよ」が15のコーナーに分けて紹介されていまし

た。その一部です。

         撮影スタジオ「くるまや」     



      「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」 





        トランク実物小道具



その他に、映画の製作現場の様子や寅さんと一緒に写真の撮れる記念撮影コーナ

ー、「寅さんのマドンナたち」「寅さん名場面集」沢山の物をゆっくりと見る事

が出来ました。

帰りは来た道を使わないで、京成上野線で上野に出てJRで錦糸町まで聞き聞き、

乗りついて無事に錦糸町まで帰える事が出来ました。



<巣鴨のおばあさんの原宿へ>

今日は曇りで時々雨の予報も出ていました。

朝は思ったより天候が良さそうでしたが傘を提げて巣鴨に向かいました。

秋葉原で山手線に乗り換えて簡単に巣鴨につく事が出来ました。

巣鴨の駅では工事をやっていました。駅前はかなり賑やかでした。

駅前には出たが西も東も分からず、早速バス停の傍に立っている人に、尋ねること

にしました。

ここにも親切な人がおられて、

「あのー、…」と言うと、後は言うまでもなく、向こうから先に

「おばあさんの原宿ですか?、とげぬき地蔵ですか。この道を渡って右にまっすぐ

進んでください。」と教えてくれました。

その人の感覚が鋭いのか、自分たちの身なりが余りにも典型的であったのか驚きま

した。

丁寧にお礼を言って、道を横切り商店街に向かいました。

立派な歓迎門が立てられ、その向こうには多くの人通りが見えました。



商店街は入って、最初に目に着いたのはこの商品でした。



まだまだ、人気があるのかと感心しました。

女性の衣服の店が多く並んでいました。



男性の人通りもかなり見受けられるおばあさんの原宿です。



とげぬき地蔵の境内では明日からの踊りの櫓が準備されていました。



とげぬき地蔵には、毛抜きでもあるかなと思いましたが見当たらず、境内には耳か

きをその場で作って販売している人や圧痛点やこりの中心に貼る医療用具「ペタッ

プ」を売っているテントがありました。

おばあさんの原宿と言われるだけあって、大きな買い物袋を提げた年増の女性、い

や、若い人も多く目に着き、活気を呈していました。

町おこしの原動力は何なのだろうか。

午後は雨模様になったので早めに引き上げる事にしました。



<水上バスとお台場>

今日も曇りのち雨の予報が出ていたが、朝には日も出ていたので出かける事にしま

した。

行き先は、まずは吾妻橋の袂の水上バス乗り場。

東京は人が多いから観光客も多いだろう。

早く出かけて乗り残しに成らないようにと、

特に、25日の浅草の人出を思い浮かべながら出発しました。

柴又行きの時と同じコースで出かけました。

今日は、アッと言う間に吾妻橋に着きました。慣れた道なので早く感じました。

水上バス乗船事務所の近くには9時前に着きましたが、そこにはロープが張られて

いました。

残念、今日は欠航かと思いながら近ずき、ホッとしました。

入口の張り紙には、受付は9時半からで、出港は10:00と10:10(台場直

行便「ヒミコ」)で受付の順に乗船できると書かれていました。

以前に乗船時間を調べておけばよかったなと思いながら、公園のベンチに腰をお

ろして待つことにしました。

その時に当然目に入ってきたのは色々な「う○この像」でした。





      入港してきた乗船する「ヒミコ」



9:20ごろから客が集まり始めました。

結果は乗客は少なく乗り残しの心配など全くありませんでした。平日のお客はすく

ないだそうです。

水上バスヒミコは、10:10に出港して吾妻橋から南のレインボーブリッジまでの

13の橋をくぐる航海でやや単純でした。

お台場に近ずくと、自由の女神像が大きく見えてきました。



お台場に上陸すると強い風が吹いていて、雨の前兆のように思われました。

急いで建物に入りましたが、建物やその周りではイベント「お台場合衆国」が行わ

れていて、子供連れの人たちや若い人で大変な混雑でした。

雨は次第に強くなり、事前研究もしないで来たので、十分に楽しむこともできな

いで早目に昼食を食べてお台場から離れる事にしました。

     お台場で眺めたレインボーブリッジ



訪問、面会を入れての1週間の東京見物は無事に終わりました。

akisaienさんを始め東京の多くの人の助けを受けながら、楽しい旅を終わることが

出来ました。

私達だけではakisaienさんのような細かいところまでの見物は出来ませんでした

が、地図を見ながら街を歩くことの楽しさを少しでも味合うことが出来ました。

機会があればもっともっと東京を歩いてみたいと思いました。

そのためにも今少し元気でいたいですね。





















東京見物  (1)

2009-08-02 | Weblog
24日より約1週間、東京で暮らすことが出来ました。

早くから7月24日が決定されたのは、Kさんの個展会場が早く決まったからで

す。


Kさんは、48年前に下宿をお願いしたお家の、今はご主人です。

2006年6月ごろから写真を始められ、以後、毎月決まったように写真を張り付

けたはがきを頂いています。

家には他の作品を合わせて44枚の写真のアルバムが出来ています。

その熱心な取り組みが、この度の個展へと発展したのだとと思います。



25日、個展会場の外からガラス窓越しに、手を挙げてサインを送られたのは

akisaienさんでした。間違いなく写真そっくりのお顔でした。

全く初めての対面ですが、以前からたびたびお会いし、交流を続けている様な親し

さでお会いする事が出来ました。

会場がakisaienさんの過去の職場であり、Kさんと年齢も近く、二人に共通の知り

合いやKさんの家の近くの様子などが共有できて、話が弾んでいました。

お逢いするまでは、緊張するからお話の仲間になれないと話していた老妻も、昨日

の出会いや会食で次第に打ち解けてきたようでした。


暫らくしてakisaienさんのブログにある様に、3人の行動が開始されました。

私達は、東京都最高のガイドさんに案内されながら安心して
      
        「よみせ通り」



        「箸の 苦手の人へ」と面白い商品が並んでいました。



     
         「夕焼けだんだん坂」




を歩き終え、浅草へと向かいました。


浅草へはタクシーを使いましたが、akisaienさんが運転手さんに告げる道順の詳し

さに、運転手さんも驚いていたようです。

浅草で最初に目に入ったのは、度々話題になったビール会社のシンボル「う○こ」

像でした。このシンボルにはまた出会える機会があるそうです。

        「吾妻橋のシンボル」


此処では、夜の隅田川の花火大会に合わせたのか、浴衣姿が目につきました。

特に、男性の浴衣姿が多くあまり見かけない風景でした。

         「外人の浴衣姿」



           「女性浴衣姿」



         「あまり見かけない叔父さん・叔母さん」




この後で昼食を食べましたが、「酒に戯れるオヤジ様」にたいしてビール1本の、

誠に申し訳ない食事になり反省しています。

       「街頭での熱心な演奏者」



この後で、いっこんまさんより電話が届きました。

猪苗代での出会いを思い出しながら、いっこんまさんの懐かしい励ましの声を耳に

することができ嬉しく思いました。有難うございました。


以前に来た浅草は、雷門から宝蔵門までの仲見世だけの見物でしたが、この度は周

辺を紹介して頂き、特に、寄せには魅力を感じました。次回の楽しみにしたいと思

いながらakisaienさんと別れて帰途に着きました。

1日5時間以上のガイドを頂き、akisaienさんありがとうございました。

歩数計の表示によると、今日の歩数は15621歩でした。


錦糸町駅からアパートに帰る北斎通りの途中で、人の集まりが見られました。帰っ

てから気のついた事は、花火見物の場所取りではないかなと思いました。

食事を終わって出てみると、場所は塞がり歩道で見るしかありません。

        「歩道でシャッターを切った花火」





        「テレビの画像を写した花火」




最後は、テレビで我慢の花火鑑賞でした。


今日は、二人に一人の優秀なガイドさん着きで、何の心配もなく大船に乗ったよう

な気持ちで、楽しい一日を送ることができました。

このような旅の出来たのは、全てブログのお陰であり、ブログの指導を受けた皆さ

んに感謝しなければと思いました。


明日からは、少しは都会に慣れたので適当に休養日を入れながら、朝夕のラッシュ

時を避けて、地図を片手にゆっくりと見学地や栃木の親戚、都内の知人を老妻と二

人で訪ねようと思いました。

初めての所ばかりですが、地図を見ながら探し当てるのも旅行の楽しみの一つにな

るのではと思います。









剪定と土入れ

2009-07-17 | Weblog
剪定をする人の立場も考えないで
今年も庭木が生い茂って来ました。

20年近く前に、住む人のいなくなった住宅ですが、
時々利用している関係で、庭木の剪定をやっています。

この木を見ると、大変暑苦しい感じがしてきました。



そこで、先日、2年振りに取り組んだのが全く素人の剪定師です。

以前は二階建の屋根の上を歩いていた若者でしたが、
今では梯子の上に立つのががびくびくの庭師です。

全く剪定の基礎知識もなく、
ただ重なった枝を切り落としての出来上り、



剪定によって、
落ち葉が雨樋につまらなくなり、建物には日当たりや風通しが良くなったでしょう。

住宅よ、今しばらくは丈夫でいてくれよ、との願いを込めての剪定でした。

刈り取った枝や葉っぱの始末も大変でしたが、半日がかりで終わりこれで一息です。

毎朝、野菜との面会が楽しみのこの頃です。
今朝はトマトが見事に完熟となりました。
11個の収穫が出来ました。

<

早速、朝食で今取れのこの上ない新鮮なトマトを美味しくいただく事が出来ました。
彼女たちも喜んでいるように思いました。


最近の梅雨の天候に恵まれ、大豆はぐんぐん成長しています。



今朝はトマトの収穫を終わり、大豆の土寄せをやりました。


上京前には、小豆植えが待っています。

もう一度管理機で鋤き直して、小豆を植えようと思っています。



  暫くPCから離れますが宜しくお願いします。