正月3日、今日も朝から雲一つない青空が広がっていました。
息子達二人の案内で北野天満宮に参る事にしていましたが、
車では交通渋滞が予想されるのでJRで出かけることにしました。
新大阪駅に新快速が満員で入って来ました。
京都まで席がなく立ったままでの乗車になりました。3日になれば移動する人が多
くなったのか、元旦の地下鉄とは全く異なった客の込み具合でした。
旅行案内所には多くの観光客と思われる人達が詰めかけていました。
タクシー乗り場にも長い行列が出来ていましたが、並んで待つことにしました。
車から降りると、ここにも沢山の出店が並んでいました。
出店から漂ってくる焼きイカなどの美味しそうな匂いに惹かれ、多くの人波に揉ま
れながらながら拝殿の前にたどり着きました。
賽銭受けの前には順番を待つ人、頭越しに賽銭を上げる人で込み合っていました。
順番がきたので孫の合格と家族の健康安全を祈念し終わってから境内を回りました。
境内には、学問の神様をお祭りした天満宮なので、合格祈願の御祈祷を受ける人や
お守りを買う人が多くみられました。
絵馬やお御籤も多く売られており、孫には絵馬を買って希望校を書き込み奉納しま
した。
天満宮にはこのような絵馬奉納所が何箇所か作られていました。
また、お御籤もにぎやかで、住吉大社とは異なり名所の梅の木を守ろうと、呼びか
けもありました。
北野天満宮で有名な書き初めが行われていました。
ここも賑やかでした。
筆を好む老妻にも勧めましたが断られてしまいました。
折角の機会を逃し入試に影響しなければ・・・(笑)
お参りを終えて、昼食をとりましたが、ここは、和食の出来ない店でした。
捜し求めて漸く見つけた店なので我慢、我慢でした。
昼食を終り、天気もよく金閣寺にお参りすることにしました。
金閣寺には千葉や埼玉などの県外からの観光バスが多く見受けられ、駐車場は満杯
の状態なのに驚きました。
また、外国からの観光客も多く団体で観光に回っている人たちもありました。
京は世界遺産の街である事を強く印象つけられました。
綺麗に手入れのされた「陸船之松」を見ながら庭園を巡り金閣寺を離れました。
帰路は、市バスで出町柳に出て京阪電車で大阪に帰りました。
万歩計は12444歩を指していました。
4日には、昭和53年3月(30年前)まで住んでいた高槻市を訪れました。
新しい道路や建物が建って町は変貌していましたが、住んでいた平屋の一戸建ての住宅は30年前の姿で、現在も人が住み使用されていました。
その時に、マッチで外から火をつけていたガス風呂の焚き口が、今もそのまま使用されているようで、非常に懐かしく思いました。
その場所には同じような借家が5戸ありましたが、3戸は長く住んでいないようでした。
付近の建物は殆ど建て替えられていましたが、そこだけは当時のままで残っていました。
お世話になった近くの散髪屋や喫茶店も残っており、喫茶店で昼食をとりながら当時のことを思い出して話し合うことが出来ました。
最初は30年も前の事であり、信じてもらえないようでしたが、話が進むにつれて次第に思い出されたようでした。
当時の私の職場はそのままでしたが、周りの建物は大変わりでした。平屋の二戸一の市民住宅は立派な鉄筋住宅に変わっていました。、老妻の職場は建物も変わっていました。
最後に、駅に出る時に通っていた道を歩くと、当時、市民会館や市民プール、市民運動場のあった所には、それらの影は見られなくて公園になっている所もありました。
この度は、長年の願いが叶い30年の昔を確認し思い出し満足した気持ちで帰る事が出来ました。
30年前と言えば相当古いことにになりますが、いろいろな事がつい此の間のように思われることを不思議に思いました。
今日の歩数計は13249歩を指していました。
この度の在阪1週間は久しぶりに家族と顔を合わせながら過ごす楽しい時間が持てました。
今年はこのような時間をより多く持てるように努めたいものだと思います.