地産地消の高齢者

健康で明るく楽しい毎日を送りたい。

年末・年始 その3 北野天満宮詣で

2008-01-15 | Weblog


正月3日、今日も朝から雲一つない青空が広がっていました。

息子達二人の案内で北野天満宮に参る事にしていましたが、

車では交通渋滞が予想されるのでJRで出かけることにしました。

新大阪駅に新快速が満員で入って来ました。

京都まで席がなく立ったままでの乗車になりました。3日になれば移動する人が多

くなったのか、元旦の地下鉄とは全く異なった客の込み具合でした。

旅行案内所には多くの観光客と思われる人達が詰めかけていました。

タクシー乗り場にも長い行列が出来ていましたが、並んで待つことにしました。



車から降りると、ここにも沢山の出店が並んでいました。



出店から漂ってくる焼きイカなどの美味しそうな匂いに惹かれ、多くの人波に揉ま

れながらながら拝殿の前にたどり着きました。



賽銭受けの前には順番を待つ人、頭越しに賽銭を上げる人で込み合っていました。



順番がきたので孫の合格と家族の健康安全を祈念し終わってから境内を回りました。

境内には、学問の神様をお祭りした天満宮なので、合格祈願の御祈祷を受ける人や

お守りを買う人が多くみられました。

絵馬やお御籤も多く売られており、孫には絵馬を買って希望校を書き込み奉納しま

した。



天満宮にはこのような絵馬奉納所が何箇所か作られていました。

また、お御籤もにぎやかで、住吉大社とは異なり名所の梅の木を守ろうと、呼びか

けもありました。



北野天満宮で有名な書き初めが行われていました。



ここも賑やかでした。

筆を好む老妻にも勧めましたが断られてしまいました。

折角の機会を逃し入試に影響しなければ・・・(笑)

お参りを終えて、昼食をとりましたが、ここは、和食の出来ない店でした。

捜し求めて漸く見つけた店なので我慢、我慢でした。


昼食を終り、天気もよく金閣寺にお参りすることにしました。



金閣寺には千葉や埼玉などの県外からの観光バスが多く見受けられ、駐車場は満杯

の状態なのに驚きました。

また、外国からの観光客も多く団体で観光に回っている人たちもありました。

京は世界遺産の街である事を強く印象つけられました。



綺麗に手入れのされた「陸船之松」を見ながら庭園を巡り金閣寺を離れました。

帰路は、市バスで出町柳に出て京阪電車で大阪に帰りました。

万歩計は12444歩を指していました。




4日には、昭和53年3月(30年前)まで住んでいた高槻市を訪れました。

新しい道路や建物が建って町は変貌していましたが、住んでいた平屋の一戸建ての住宅は30年前の姿で、現在も人が住み使用されていました。

その時に、マッチで外から火をつけていたガス風呂の焚き口が、今もそのまま使用されているようで、非常に懐かしく思いました。

その場所には同じような借家が5戸ありましたが、3戸は長く住んでいないようでした。

付近の建物は殆ど建て替えられていましたが、そこだけは当時のままで残っていました。

お世話になった近くの散髪屋や喫茶店も残っており、喫茶店で昼食をとりながら当時のことを思い出して話し合うことが出来ました。

最初は30年も前の事であり、信じてもらえないようでしたが、話が進むにつれて次第に思い出されたようでした。

当時の私の職場はそのままでしたが、周りの建物は大変わりでした。平屋の二戸一の市民住宅は立派な鉄筋住宅に変わっていました。、老妻の職場は建物も変わっていました。

最後に、駅に出る時に通っていた道を歩くと、当時、市民会館や市民プール、市民運動場のあった所には、それらの影は見られなくて公園になっている所もありました。

この度は、長年の願いが叶い30年の昔を確認し思い出し満足した気持ちで帰る事が出来ました。

30年前と言えば相当古いことにになりますが、いろいろな事がつい此の間のように思われることを不思議に思いました。

今日の歩数計は13249歩を指していました。



この度の在阪1週間は久しぶりに家族と顔を合わせながら過ごす楽しい時間が持てました。
今年はこのような時間をより多く持てるように努めたいものだと思います.

年末・年始 その2 初詣

2008-01-12 | Weblog



東のビルの上に太陽が顔を出しました。

平成20年の初日の出です。

海や山で迎える初日の出には清々しさを強く感じますが、ビルの上の初日の出にも

新しい年の願いを祈りながら迎えることが出来ました。

その時、爆音が聞こえてきました。

南東から飛んできた、今年最初に目にしたの初飛行機でした。



元旦の日の出とともに見たこの飛行機は、どこから飛んできたのだろうかか、

どんな人達が乗っているのだろうか。

雲一つ無い元日の朝、上空から初日の出を拝み富士山を拝み、幸せな一年を送られ

ることだろう。

この団地は、大阪空港に着陸する飛行機の航路の真下に当たります。

関西空港が出来てからは飛行機の着陸が少なくなりましたが、当時は多い時には3

分おきに着陸していてテレビに大変な障害があました。

今でもその影響でテレビ料金が割引になったり、部屋のガラス戸を二重にして対応

しています。


初詣には息子の嫁の実家の近くで孫たちの宮参りや七五三にお参りした住吉大社に

出かけました。

いつもは満員の地下鉄も新大阪での乗客も少なく、車中の客もまばらでした。



難波で南海電車に乗り換えて住吉大社に着くと、どこからこんなに多くの人が集ま

ったのかと思われるほどの賑やかさでした。



長い出店の中を人に押されながら通り抜けると太鼓橋に出ました。


太鼓橋を登る人


橋を渡り終え拝殿に向かう人

「途中で立ち止まらないでください」の声を無視して、道の端に足を止めてシャッ

ターを切りました。御免。

拝殿の前では人を押し分けるようにして賽銭の納めれる所まで進み、家内の安全を

祈念しました。



お参りを終って境内を回ると、多くの人がお守りやお御籤を求めていました。



そこで面白いものを目にしました。縄のれんならぬお御籤のれんでした。



お御籤の実現を祈りながら次々と結ばれていました。

このようなのれんが何箇所か見られ、参拝者の多いことを物語っているように思わ

れました。

境内を出て太鼓橋の上を見るとまだ多くの人の行列が続いていました。



帰りには別の出店道を通って電車通りに出ましたが、この道も人で一杯でしたが足を止めてシャッターを切りました。



電車通りにはたくさんの人が集まり、臨時の停留所も造られていました。



無事に平成20年の初詣を済ませ、ここで息子たちと別れて来た道を帰りました。

お昼にはマンションに着きました。

万歩計を見ると1万歩を超えているのを見て驚きました。


2日には家で来客を迎え、3日に京都の北野天満宮におまいりしました。そのようすは「その3」で投稿したいと思います。

年末年始 その1

2008-01-08 | Weblog

          老妻の「小物教室」作より

明けましておめでとうございます。

年末に大阪に出かけ、家に帰って七日正月を迎えて七草粥を作り、1年の健康を祈りました。

挨拶が遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。


年末の28日は朝から大阪に送る餅と合わせて9kgのモチコメを搗きました。
臼や杵は無く電動でした。

29日はお餅を始めいろいろな野菜など正月料理の材料をつめた箱を3個作り発送しました。

30日には、荷物を追いかけて特急バスで大阪に向けて倉吉を発ちました。

前日から積雪の予報が出ていたので、車にタイヤチェンやスコップ、長靴を積み込んで準備しましたが、積雪は無く雨だったので安心して出かけました。

途中の人形峠の近くには雪がありましたが、バスの運行には支障なく定刻に新大阪に着きました。

夕方になると息子(10F)と老妻(6F)の住まいのあるマンションからはよく晴れた綺麗な夜景を眺めることが出来ました。



6時30分から梅田で開かれる年末家族会に出かけました。

家族は大阪の6人と私たち2人の8人ですが、今年は2人のニューフェイスが加わっていました。

話題は2人の紹介から始まって、今後の計画が中心になり明るい話が続きました。

受験を前にした孫は毎日追い込みを掛けているが、今夜は皆と共に楽しそうでした。

イタリア料理店での会食で、箸のつかない洋食は苦手の猫ですが、家族ばかりなので安心して食べることが出来ました。


楽しい明るい話が続きましたが、進学と2組の計画が同時進行にでもなれば、

爺と婆には何時ものように出歩くことは出来ず、相当の覚悟が必要な年になりそうです。

楽しい時間の過ぎるのは早いものでいつの間にか3時間が経過していました。

まだ飲み足りなさそうな4人と別れ、6人は家路に着きました。



マンションではツリーのイルミネーションが迎えてくれました。