地産地消の高齢者

健康で明るく楽しい毎日を送りたい。

人形峠と奥津湖

2008-10-29 | Weblog
先日、所用のために院庄(岡山県)へ出かけました。

倉吉市からは、中国山地の人形峠を越えて岡山県に入ります。

何時もは、人形トンネルを通って岡山に入るのですが、この度は、峠の秋の様子が見たくて、トンネル開通前の旧道を通ることにしました。

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峠の頂上(倉吉駅より26km)近くに、当時、日本中で話題になった、ウラン鉱発見の地があります。



その頃、ウラン鉱を発掘していたこの地で、現在は動力炉・核燃料開発事業団/人形峠事業所が事業を行っています。







事業の1つとして、人形峠展示館が設けられ、

「・・・、動燃・人形峠事業所は、
 日本のウランに関する技術開発センターとして、
 重要な役割を担うまでになりました。
 ・・・・・・・・・」(資料より)

事業所の仕事が紹介されています。


峠を下りると鏡野町の足踏み洗濯で有名な奥津温泉に出ます。

温泉道の駅では、秋のイベントが行われていました。







豆挟みゲーム  (90秒間に皿に移す豆の数を競う)


朝、開場したばかりでまだ人出が少なく、豆挟みゲームに呼び止められて挑戦しました。
90秒間で最低の32個でした。老妻は51個で2位、優勝者は60個で2キロの新米をもらいました。

会場には多くのテントが張られ、アユやマスの塩焼き、焼きイカ、鶏肉の串焼き、搗き立ての餅、果物、農作物などの店ができていました。

 
道の駅を出て約10分で、奥津湖(苫田ダムサイト)に着きました。





苫田ダムは、多目的ダムで昭和32年(1957)に構想が発表され、

水没(504世帯)地区のダム阻止運動によって着工が遅れ、

漸く、平成6年に同意が得られ、平成17年3月に機能するようになったそうです。

長期にわたる交渉の経過は度々NHKテレビで放映されていました。

奥津湖の周囲は14kmで、長さ225m、高さ74mのダムでせきとめられています。







ダムの上を通って対岸の道を進むと、また、ダムが現れました。

このダムは鞍部ダムと言います。







ダムサイトを走り終えて院の庄へ向かいました。

途中所々に新しい住宅が目につきます。





これらの住宅は、水没によって住み慣れた土地から移り住んでいる人の住まいだそうです。

約10分で院の庄に着き、午前中に仕事を終えて、ダムサイドで昼食を食べて、3時前に帰宅しました。

平成50年に大阪に住むようになってから数年間は、毎月のように水没地区を走る国道を通って田舎に帰っていました。

学校や役場の建物が見えなくなり、年を追って住宅が少なくなっていく村の姿を見てすごくさびしさを感じていました。

多くの方々の決断が、みんなの今日の生活を支えていいることを忘れてはならないと思います。

秋の夕日

2008-10-23 | Weblog
何日も秋晴れが続きましたが、明日からは天候が変わり曇りや雨の日になりそうです。

昨日、5時前に家を出て農道をウォーキングしながら、西の空に日の入りと夕焼け雲を見ることができました。





南の空の雲も染まっていました。



今日は、暦の上では霜降に当たり、日ごとに秋の深まりを感じさせる頃となりました。

国立公園大山の紅葉も始まっているようです。

次回の写真は、さっちゃんやいっこんまさんの指導によって、少しでも綺麗な写真が撮れて投稿できたらと思っています。

境港水産まつり

2008-10-14 | Weblog


先日の12日に境港市で「境港水産まつり」が開かれました。

境港市までは車で約1時間、8時30分老妻と二人で出掛ける事にしました。

朝から青空が広がり、左手に国立公園大山、右手には晴天で波穏やかな日本海を眺めながら国道9号線を会場に向かいました。

今朝の新聞に会場周辺には車は進入できないとの記事があり、問い合わせると警備員の誘導によって駐車場を案内するとのことで安心して向かう事が出来ました。

会場では広い数か所の駐車場がすでに満車で、警備員によって相当離れた駐車場に案内されました。会場まで大変だなと思いましたが・・・。

帰りに見れば、まだ遠くの駐車場や道路の端に県外車を含め多くの車を止めていました。

会場には沢山のテントが並び、多くの買い物客で賑わっている様子が見えました。



最初に長い列が目についたので、人気コーナーと思いどんな列か分からないまま後ろに並びました。



カウンターと案内プラカードを持って、そばに立っていた係員に聞くと、10時半からの鰯の摘みれ汁の試食待ちである事が分かりました。先頭に並んでいる人たち



順番を次の人に譲って他のテントに向かいました。

どのテントにも多くの人だかりができていました。

ハマチ3匹500円、サバ一盛り500円



マグロの頭一つ500円



紅ずばいかに、一枚300円~1200円



アジ1匹 100円



まだまだ色々な生きの良い魚貝類が安値で売られていました。




販売コーナーの隣の広場では、子供の楽しい魚のつかみ取りに親子連れの順番待ちの長い列が出来ていました。



スタート合図を待つ子どもたち



水槽にアジ、サバ、イカ、氷を入れる係員




冷たい氷水の中で魚をつかむ子供たち





30秒間に掴み取り、バケツ一杯になった魚



二人の子供の捉えた魚を両手にさげて帰る父親の姿がありました。



一度に多くの魚はどのように処理されるだろうかなと要らない心配をするたぬき猫でした。

会場では買い物を終わった人たちで歩けないほどの人通りの中を、
買いこんだ魚を保冷箱や買い物袋に入れてキャスターで曳いたり、大きな袋を提げたりしながら移動していました。



キャスターで運んでいたのは、グループでの買い物のようでした。

人通りの中を通り抜けて、少し離れた場所でのまぐろの解体を見に行きましたが終わった後で、解体されたマグロのせり売り体験コーナーで大きな声がしていました。

子供のつかみ取りに時間を取られ、マグロの解体に間に合わなくて残念でした。

舟着き場に出ると、いつもは魚を船から降ろして汚れている舟着き場も、今日は綺麗に清掃され、多くの船もどこかに繋がれているのかあまり姿が見えませんでした。



海を背に秋の陽を受けながら弁当を食べている家族もありました。



向こうに見える、この港湾の出入り口が先日の隠岐水産高校の実習船と漁船の衝突現場です。

高校生を含む全員が救助されましたが恐ろしい事故でした。

昼は、貝飯の弁当を買って、釣りを楽しんでいる人たちを眺めながらの食事を終えて帰路に着きました。

今日の買い物は、カニと味付けめかぶともずくでした。

株の値が暴落して騒がれていますが、祭りに参加している人たちの満足そうな顔を見て楽しくなる、好天に恵まれた秋の1日でした。

翌日の新聞には、「かにほおばって 鮮魚買いまくり 」の見出しで、約8万人の人出があったと報じていました。








佐渡への度  その2

2008-10-09 | Weblog
翌朝は、6時50分からバイキングの朝食が始まりました。

8時30分に出発して、秘境外海府巡りの二つ亀と大野亀へ向かいました。

大野亀までは両津港から波の静かな海を右手に臨みながら、内海府海岸(佐渡島の東海岸)を、1時間30分走りました。

山が海に迫り,狭い陸地を走る海岸道路にそって集落が点在していました。

狭い土地を有効に利用した田畑があり、ガードレールを刈り取った稲を乾燥させる稲掛けに使用している長閑な光景も見られました。

海岸に迫った住宅や波止場に漁船の浮かんでいる漁港も見られました。

弾崎灯台を過ぎて外海府海岸に向かうと白波が目立つようになり、大野亀に着くと小雨に風が加わり、展望台に登るのが大変でした。



大野亀は横から見た姿でしたが、その大きさに驚きました。海抜167m、波うち際から頂上まで1枚の岩からなる,日本3台巨岩の一つと言われているそうです。

後ろを振り向くと仲良く並んだ二つ亀が雨にかすんで見えていました。



天候も悪く観光を早々におえて、次の観光地に向かいましたが、ここから先の外海府海岸道路は、道幅が狭くて大型バスは通行できない所があり、、内海府海岸道路を引き返しました。

次は、トキの森公園でした。

トキ資料展示館を見学し、観察回廊では繁殖ケージにいるトキを見る事が出来ました。



20年7月14日現在
   トキ保護センター     83羽    
   トキ保護センター
     野生復帰センター   28羽
   多摩動物公園       12羽
   合計123羽を飼育

ここまで飼育してこられた皆さんの苦労は大変な事だったろうと思いました。

昨日(9月25日)野生復帰センターの28羽の内の10羽が放鳥されたのです。

次に、一行は佐渡歴史伝説館へ向かいました。

ここには、佐渡に配流された順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥等のそれぞれの人形によって立派に構成された12景を楽しむ事が出来ました。



ここの売店で元気に働いておられるジェンキンスさんにお会いし、買い物をする事も出来ました。

又、ここでは、日本一の錬金家人間国宝佐々木象堂の作品「瑞鳥」(皇居新宮殿の棟飾り)をはじめ多くの作品を鑑賞する事が出来ました。



やや遅い昼食を終わり、大佐渡スカイラインに向かいまっした。
走行中はガスがかかっていましたが、峠では雲の切れ間に恵まれ、両津湾と真野湾を繋ぐ佐渡の田園地帯を一望する事が出来ました。

スカイラインの終点が、史跡佐渡金山でした。

途中では国指定史跡「道遊の割戸」を見ることができました。
佐渡金山発見の端緒となった主要坑道の一つで、路頭掘跡で、山頂を真っ二つに立ち割った壮大な採掘跡は佐渡金山の象徴だそうです。



駐車場にはたくさんの観光バスが並んでいました。

構内に入ると、坑道があり上手に作らっれた、実物大のからくり人形が、声を掛け合いながら働いている様子が再現されていました。




       ( 写真2点観光資料より)

採掘、保抗、水の汲み上げ、測量、運搬、手選りなど総ての作業が人力でおくなわれていました。当時の金山で働いていた人たちの過酷な苦労をしのぶことができました。

次は、劣閣湾の遊覧船での観光に向かいましたが、天候が悪くなり乗船できなくて、「君の名は」で有名になった「真知子橋」をわたって、陸上の「揚島展望台」から雄大な岸壁を眺めることになりました。

波の荒い外海府海岸で、特に風が強かったので大きな波が高い岸壁に打ち上げる光景は見事でした。



観光を終わり、海の穏やかな内海府海岸とは異なり、白波の立つ外海府の荒波を右手に眺めながら七浦海岸へ向いました。

七浦海岸は特に風が強くて、バスから降りると帽子がかぶれない状態で、急いでシャッターを切り、売店に避難しながら夫婦岩を眺めていました。



小雨に降られ心配しながらながら回った観光バスの旅も、一部の変更はあったものの無事に終わり前日の宿に帰ることができました。

今日は、時間があり食事の前に入浴ができました。

大きな食堂ではあったが、今日は昨日の半分のテーブルしか使われていなく、客の少ないのに驚きいました。

テーブルには野菜は見られなくて、海鮮料理で特にエビの目立つ料理でした。海岸にすむ私たちには魚介類だけの料理は飽きた気のする料理でした。

勝手ては言えないのですがね。

テレビで、今日佐渡が世界遺産に登録されるとかのニュースを見て、この度の佐渡の旅は、昨日のトキの放鳥と合わせて記念すべき旅になったと思いました。


佐渡への旅   その1

2008-10-07 | Weblog
少し前の話になりますが、9月下旬に佐渡への旅に加わりました。

(天候が悪く、その上に団体行動のためにゆとりがなく、いい写真が撮れていなく て投稿に迷っていましたが、思い切って投稿することにしました。)

この度は、2人だけでなくて、JTBの「旅物語」のツアーの仲間になって出かけました。

私は佐渡は2回目ですが、見落としている観光地もあり、老妻は初めてなので参加することにしました。

当日の25日には7時前に新大阪のマンションを出て、大阪駅の集合場所、中央コンコースに向かいました。

そこには、各観光会社の旗を掲げた数人の係員が立っていました。

「旅物語」の旗の本にも集団ができていました。



予定されていた7時50分に参加者の確認が終わり、「旅物語」の旗を先頭に、8時8分に特急雷鳥の発車するプラットホームに上がりました。
それは、駅などでよく見掛ける団体ツアーの行動パタンでした。

座席は指定されているので慌てることなく乗車して席に着きました。
周囲の席はツアー客で確保されていました。

列車は定刻に発車して、京都で数人の会員を乗せて金沢に向けて走り、ここで特急「はくたか」に乗り換えて直江津へと東北本線を北に向けて走り続けました。

このツアーでは、関西の人たちとの交流を楽しみにしていましたが、車中では前の席の背もたれだけを眺めての旅になり残念でした。
ただ、広々とした穀倉地帯の刈り取りの後を眺めながらの5時間の列車の旅でした。

直江津ではフェリー「こがね丸」に乗船して2時間40分の船旅が始まりました。
出港してしばらくは、かもめに見送られ一緒に走っていました。


海は穏やかでほとんど揺れはなく、ただ敷物ものだけで他には何も無い2等船室で荷物を枕に寝転んでの旅でした。

ここでは、名古屋から来たバスツアーの夫婦との交流ができ、小木港までの時間を短く感じました。

夫婦は旅行好きで、退職を待って国内のあちこちの旅をしていると言って、色々旅の話を聞くことができました。

海外は食事に問題があり出かける気にならない、との話が出たので、今までに、10回海外に出たが、日本で洋食を食べておれば大丈夫だと話しました。

鳥取砂丘に行った時の話も出たので、ありがとうございましたとお礼を言うと、喜んでいました。

小雨の降る小木港に着くと、すぐにこれから3日間利用する観光バスに乗り込み、たらい船乗り場に向かいました。バスの席も指定席で、3日間背もたれを眺めての旅になりそうでした。

たらい船乗り場には、下船した多くの客で待ち時間が長くなると言って、日蓮上人が最初に上陸されたと言われる矢島・経島を先に観光してからたらい船乗り場に回りました。

乗り場では先客が終わったところで、すぐに二人で乗船できました。
小雨で座席は濡れていたが、新聞紙の敷物を取り換えて、傘は使わないでベテランの女船頭さんの、おけさ節や説明を聞きながら湾内を回ることができました。

不安がっていた老妻も安心して乗っていたのでホッとしました。

乗船記念に写真をと思いましたが、小雨の降るあわただしい中では依頼できる人もなく諦めていました。



数分間のたらい船から降りて、雨にぬれないようにと急いでバスに向かうと、降りたすぐ傍で写真を販売していました。

それは、乗船中に業者が写した二人の写真で、プラスチックの飾り皿に写しこまれたものでした。素早く商品化された写真に驚きました。ネガを求めましたが、それはないという事でした。当然ですね。

1枚1500円は高価だと思いましたが記念に購入しました。

私たちのバスが最後の乗船だったのか、全員が下船するとすぐにたらい船はロープに繋がれて岸に引き寄せられました。



バスは発車間もなく夕闇の迫る中を走り、宿泊所の佐渡グランドホテルに向かい、19時に着きました。

風呂に入る時間もなく、19時20分に夕食が始まりました。郷土芸能のサービス時間に合わせての食事時間のように思われました。
佐渡おけさなど3つの踊りが紹介され、早くから席に着いていた客からは、アルコールが入っていたのか賑やかに声援が送られていました。

テーブルには色々な生きのよい海鮮料理が並んでいました。都会から参加の会員には御馳走でした。

夕食後部屋に帰り、テレビで10羽の朱鷺放鳥のニュースを見て、今日は記念する1日であったと思いました。

22時に風呂に入って、床に着きました。