地産地消の高齢者

健康で明るく楽しい毎日を送りたい。

琴浦町福祉まつり

2011-10-27 | Weblog
先日、「きずな・ふれあい・たすけあい」をテーマに、第8回福祉まつりが開催された。
会場は福祉センターと隣のふれあい交流広場である。

会場準備の為に老妻を8時30分に着くように会場まで送った。輸送がかりである。

当日は雨降りの予報で朝は小雨が降っていた。
会場では小雨を吹き飛ばすような元気な明るい声で準備が進んでいた。

家にいると、9時30分旗火が上がった。いよいよ開会だ、小雨が大雨にならないように祈る。

10時30分頃、老妻にメールを送り昼食の購入を依頼する。

11時過ぎには空が少し明るくなり雨もやんだようなので会場に向かった。
弁当は会場で造っている大好物の小豆餅であった。

昼食は家で食べることにして、傘を差さなくてもよかったので会場を一回りした。

会場の様子の一部を紹介することにする。

ふれあいゲーム広場では、親に見守られながら園児がゲームを楽しんでいた。


センター教室での作品
竹細工教室


木工教室


陶芸教室


模擬店コーナー
餅つき・販売


手打ちそば


焼きイカ


ポップコン


野菜市場


お楽しみ抽選会
会場に来た時に受付で渡された抽選券で、誰でも抽選を楽しむ事が出来る楽しみだ。
ステージには沢山の賞品が並んでいた。


抽選を待つ人たち



グラウンドゴルフ大会
センター南側の芝畑を利用してコースが作られ、16チームによる大会が開かれていた。


会場では傘を使わないで回ることが出来、久し振りに多くの人に会うことが出来た。
また、今まで一緒に活動していた後輩の活発な動きを見て嬉しく思った。

20年前から15年の間の色々なことを思い出させる楽しい1日になった。









第49回 鳥取県身体障害者体育大会

2011-10-20 | Weblog
16日に米子で県身体障害者体育大会が開催された。

今年は練習不足で、卓球の出場は断ったが、
度々の要請で出場を決意した。

当日は、8時50分に町の福祉センターに集合、米子に向かった。

主会場の「どらドラパーク米子市民体育館」には、県下の7社会福祉協会と4福祉施設の選手が集合していた。

県下各市町村からの集合に時間がを要し、10時半からの開会が計画されていた。



本日の中心競技の団体種目は、市民体育館で、個人種目の卓球は隣の東山体育館で行われた。

本年は、どんな理由があったのか例年になく参加者が少ないのに驚いた。

試合はトーナメント方式で、組み合わせ表では、既に昨年の優勝者との対戦が組まれていた。

相手に不足はなく、試合は5セットマッチ・11本勝負で、1セット1、2,本取るのが精一杯だった。勝敗にこだわることなくゲームを楽しむ事が出来た。

県の最高選手と対戦できることは名誉なことであったと思う。

来年もこの会に出場できるように健康保持に努めたいと思う。

本会場に帰り昼食を食べて暫くすると、本部より呼び出しがあり、今年も準優勝の盾が渡されたのには驚いた。

本会場では、最後の団体競技スプーンリレー(15人が一列に並び、スプーンを介して碁石を運び最後の用意された箱に入った碁石の数で勝敗を決める。)がおこなわれ、我がチームが1位になり全競技を終わった。



3時30分閉会式が終わり、会場を出る人たち。

帰りのバスは最後の競技に優勝した喜びに満ちていた。

バスは道々参加者を降ろしながら福祉センターに無帰着した。




      <おまけ>




物産館オープン

1ヶ月間試行錯誤の結果何とか写真を載せることが出来ました。まだまだ不安な状態です。


物産館オープン

2011-10-15 | Weblog
町内に10年越しの自動車専用道路が2月に開通した。

家に一番近い琴浦東インターまでは約400メートルで便利である。

道路の開通によって、この区間の国道9号線の車の交通量は40%減り、

交通事故も半減したとの発表もあった。

勿論、町内交通のネックであった交通渋滞も解消された。

豪雪による交通渋滞もなくなるだろう。


昨日は、琴浦パーキングエリアの隣接地に

町の農産物、魚介類、グルメなどを販売する

「物産館ことうら」がオープンした。


オープンに間に合うように会場に向かった。

自動車道から入ると駐車場の混雑が予想されるので、

9号線を利用して、業者が物産館に出入りする道を利用して会場に入った。


物産館は、オープン式典に続き11時の開店になっていたが、

10:30には既に開店を待つ長い列が出来ていた。

定刻になり列の後に続き館内に入る、館内は身動きできないような混雑である。

新鮮な色々な野菜が山積になっている。

次の、魚介類売店に入ると、

ここにも、直ぐ近くの漁港で荷揚げされた、地取れの新鮮な魚が次々と並べられていた。

刺身にも出来る生きのよい20cm位の鯵、4匹300円を買うことにした。

2つのカウンターには長い列が出来ていて、暫く待たされることになった。


土産物売り場には鳥取銘菓を始め、

鳥取県出身のげげげの鬼太郎作家や名探偵コナンの作家のコーナーも作られていた。


町内初めてのパーキングエリア、物産館であり多くの人出が見られた。

町民の願いである、県外の客を多く呼び込み地域の活性化になることを祈りながら会場を後にした。

タイトルなしのブログ

2011-10-13 | Weblog
兄が退院し、連休に実家の長男の3回忌の法要を済ませた。

1ケ月ぶりにブログを開き驚いた。

送信した覚えのない写真がタイトルなしで投稿されているのではないか。

先月の投稿の時に、写真を載せようと思ったが、

ブログの様子が変わっていてどうしても写真を入れることが出来なかった。

ブログの投稿を終ってから、写真の載せ方についていろいろ試みた。

その時,偶然にも3点の写真が投稿の手順に沿っていてブログに載せられ公開された様である。

然し、現在もどのような手順でブログに載せることが出来るのかは明確ではない。

当分は悩みの種である。


毎日が畑の様子を眺めながらの生活である。

最近はダイコン、赤かぶ、白かぶ、ほうれんそう,春菊、の生長が目立ってきた。

特に、ダイコンの成長は早く間引き奈を漬物にする事が出来た。

大豆は葉が次第に枯れて熟してきているようだ。

小豆については、先日会った農家の人の話では、

「今年は、小豆の収穫に手間が省ける」

と、言えるくらい不作との事である。

我が家の小豆もさやが小さく少なくて不作のようである。

然し、1升か2升は実にしたいものである。

去年は5升も実にしたのであるから・・・

お久しぶりです

2011-09-15 | Weblog
1月26日、豪雪の中の「野菜畑」以来久し振りの投稿になりました。

ここ数日、山陰にも33,34℃と真夏のような残暑が続いています。

猛暑を心配しながら播種したダイコン、カブ、ホウレンソウ、シュンキクも

毎朝の散水で芽を出し、ダイコンは5,6センチメートルほどに成長しました。

その他、畑には夏野菜のナス、ピーマン、キュウリ(播種2回目)と挿し木のトマトが少し、

また、大豆、小豆は勢い良く育っています。


昨年末より実家に不運が続き、兄の4回目の入退院の世話(入院中)留守の住まいの管理など

不安な暗い苦しい思いが続いていました。

東日本大震災から立ち上がれる罹災者の皆さんの復旧、復興への取り組みの姿を見て、

元気をもらい立ち上がらなくてはと思いました。

幸い、元気でアメリカ大陸横断ドライブに挑戦しているK大4回生の孫や、すくすくと成長する大阪のひ孫の

よちよち歩きの姿。

また、春、東大に進んだ老妻の実家の孫がやって来て、楽しく1日を過ごすことが出来たことなどが、

明るい方向への元気を与えてくれました。


今年になって急に体力が衰え、本年度は卓球教室にもご無沙汰です。県の卓球大会に参加できるか不明です。

ウォーキングも10メートル15歩と力が落ちているのに驚きました。






野菜畑

2011-01-26 | Weblog
毎日のように黒雲に覆われていた空が、予報に反して10時ごろから薄雲に変わってきた。気温も少し高くなってきた。

家の周囲の雪も水分を含んできたようだ。

しかし、16~17日の吹雪で、野菜畑は白一色になり15日に老妻の掘り出した野菜畑の位置も見当がつかない状態になっていた。

老妻の掘り出した野菜が底をついたという
いよいよ老夫の出番となった。

先ずは身ごしらえだ
40歳代で使用していたスキー帽にスキーウエアを隣の押し入れから何年振りかに取り出した。
近年は雪が少なくて押し入れに眠っていた者たちである。

箱の中には、息子夫婦と3人の孫達のスキーウエア、スキー帽、手袋、ソックスなど賑やかな色彩の物もも入っていた。
何年間か家族でゲレンデに出た当時が思い出される。
ゲレンデに出ただけで滑らないでただお尻だけを濡らしていた夫人もあったが?。
今では楽しい思い出である。

孫の二人は家庭を持ち、6ケ月の子の親になっている家庭もある。
今まで休養させたスキー衣装、その子の為に今しばらく休養を与えることにするかな?。

少し派手で若返ったようなスキーウエアだが、周りを気にする年頃でもなく先ずは防寒第一で辛抱だ。

靴の中への雪の侵入を防ぐひも付きの長靴を取り出し、
軍手は雪で濡れる心配があり、軍手に変えて緑のゴム手袋を準備
雪掘り用のスコップ(匙形)も整える。

いよいよ現場へ、
畑への一歩を踏み入れる為にスコップを使って積雪量を測る。
スコップの金属部分(約30㎝)を少しオーバーだ、
深みにはまらなければこの長靴で先ずは大丈夫、

次は、どこからどの方向に向かうかである。

畑の向こう側に2本の竹の支柱が頭を出している、
1本はキイロコスモスの畝の端っこで、1本は鶏頭の畝の端っこに残されていたものであろうと想像される。
その2本を見通した一線上の手前に大根の畝があるだろう、
当たるも八卦、当たらぬも八卦、
いや、幾何学的な考察による見通しに間違いないと、進行方向を決定。

予想される地点までおよそ10m、
これを掘り進むのは大変である。
そこで考えたのは、雪を踏みつけて道を造ることであった。



小学校に通う時によく作った道である。
新雪の積もった朝、登校の為に上級生が先頭になって、雪をかき分けながら進み、
その後を下級生が雪を踏みしめながら進む、低学年はそのようにしてできた道を安心して通ることが出来た。

雪の降る地方では、恐らく古くから誰かに言われたのではなくて行われてきたことであろう。
自然環境が、他の人のことを考えて行動することの大切さを教えてくれていたのである。
今では除雪車が除雪をすることが当然のように思われている。

そのようなことを思い出しながら10メートルほどの雪を踏みつけて進んだ。

いよいよ大根畑の位置の確認である。
それは、雪の踏みつけでは駄目である、先ずはスコップで30㎝以上の雪を取り除き地面の顔を見ることである。
地面が、通路か畝かを見分けることである。
約30cm四方の地面を掘り出した、ほとんどが通路でその左端が畝の一部分であることが分かった。これが分かれば大丈夫、後は、畝に沿って掘り進むだけである。

見通しに間違いなく位置を確認することが出来た。
幾何学的な考察の成功であった。(?笑)




次は、畝の両端の確認と大根の隣の蕪やネギの位置確認だ。
これらは大根の畝を基準に掘り進む事によって簡単に確認出来たが、
除雪をしながらその位置に行くのに相当の労力が要求された。
体は汗ばむくらい温まっていた。



犬走りに出ていた老妻のホッとした顔が見え、
 「大根3本と白蕪4,5本、ネギ2株お願いします。」の声が届いた。
折角だからもっと収穫すればと思ったが、それが要求なれば仕方ない。
今後、あのような大雪には降らないと思ったのか、
降れば最近運動不足勝ちの老夫に、適当な運動になると思ったのか?

何れにしろ、今後の楽しみが出来たようだ。

しかし、農家では楽しみ事ではないのである。

老妻曰く、
先日、スーパーで友人に会ったら、彼女は農家で野菜を栽培していて、スーパーの朝市に「今どれ新鮮野菜」を出荷していたが、この雪で今は家で食べる野菜をここで買って帰らなければならないと話していたそうだ。

未だ大雪は続くだろうか、
今日の気象情報では、山陰地方は今夜から明日にかけ大雪が予想されると報じていた。

1日も早く雪から抜け出し、小春日よりの下で畑仕事に取り掛かりたいものだ。


 



サアー、冬拵えだ

2010-12-10 | Weblog
天気情報によると近じか白魔の襲来が予想されるそうだ。

好天に恵まれた午後、ノーマルタイヤからスノータイヤへの衣装替えに取り組
んだ。

50年近くやって来たタイヤ交換、軽乗用車に乗り換える直前は、高齢になりタイヤが
重く感じられるようになっていた。

軽に変えてからは、1時間もあれば交換できていた。

今年はどうだろうかと思いながら取り組むことにした。



スノータイヤを運び出し、道具を取り出して準備は整った。

いよいよ作業開始、

ジャッキでの車体の押し上げ作業順調。



次は、ノーマルタイヤはずし、ナットに車の付属品のレンチを当ててナット外しにかかったが、ナットはうんともすんとも回らない。腕力が衰えたのか?

その時のためにと、整えていた十字レンチを車庫から持ち出した。

支点と力点の距離が長いから大丈夫と、取り組んだが残念、ナットは不動の構えを崩さず。

これでも駄目なら隣の自動車屋さんの世話になろうか、

いや待て、支点力点の距離を長くすることは出来ないか?

それは、十字レンチのハンドルに何かを差し込みハンドルを長くすることだ。

考えられるのは、ハンドルのサイズに会うパイプを探すことである。

家の周囲、隣の家、農業関係の物置。

見つかったのは物置の奥の隅っこに半分土に埋まった30㎝位のビニールパイプだっ

た。何時、何に使用したものかは分からないが、水洗いした。

ところが、パイプにハンドルを差し込み幾ら力を加えてもナットの姿勢には変化なし。

心穏やかならず、思い切りハンドルを蹴り飛ばした。すと、

なんとハンドルが回転したではないか。

腹立ちと喜びの可笑しな気持ちで作業を始めた。

既に、1時間以上は経過していた。

次に抵抗してきたのは、タイヤを両手で支えボルトに合わせようとしても手が震えて困

難であることだ。

コンクリートの上に膝をついてタイヤを支えていたが時間が経つに連れて膝が痛くな

り、段ボール箱を持ち出し、箱を潰してその上に胡坐をかきゆっくり構えることにし

た。

取り組んでから約2時間半、作業は無事に終了した。

畑仕事をしながら時々こちらの様子を見ていた老妻がやって来た。

曰く、「何か問題があったようで、その車に乗るのは心配だ。」と、

   「心配ないよ、試運転をしておくから。」と言って出掛けた。

無事何のトラブルも無く帰宅できた。


今日のタイヤ交換を振り返ると、

失敗の原因は認知症の前兆にあるようだ。

春のタイヤ交換でナットを締めつけるのに、腕力が衰えたので手で締め付けるだけでは

不安で、十字レンチに足を掛けて締め付けていたことを思い出した。

外す為には力点に30㎝の長さを加えた力が必要だったようだ。


雪の中の運転は出来る限り控えたい。

止む無く運転する時はタイヤに自信を持って安全運転で!!










大豆の収穫

2010-12-08 | Weblog


初冬の綺麗な夕日が続いていましたが、昨日から冷たい雨が降り、今朝は近くの船上山に白く雪の降っているのが見えました。寒い朝でした。

農地を取り囲んでいたコスモス、黄花コスモス、ひまわりや畑の中の境界に植えていたマリーゴルド、サルビア、鶏頭などの整理を終わり、畑が広々とし綺麗になりました。





そのために、11月の初めから連日外仕事が続きましたが、好天に恵まれ成果を上げることが出来ました。

花の青い茎は押し切りで切断して堆肥として積み上げ、茎は枯れた様子を見ては次々と焼却していきました。

小豆は収穫を終わり、何日も乾燥させて漸く5升5合を実にすることが出来ました。

大豆は二人で2日半かかって刈り取りや、つるして乾燥させる作業を終わることが出来ました。



大豆はまだ実を落として選別したり、莢や茎を整理し終わるまでにわ相当の日数が必要のようです。
莢や茎の始末は雪になるまでに終わらなくてはと思っています。

広々とした畑に青く残っているのは、大根、白株、半白株、赤株、ネギで
その向こうに玉ねぎ、そら豆、えんどう豆が植えられています。





次の仕事は、西風を防ぐ為に育てたヒマと、空いた畑の管理機による作業です。
ヒマの幹は太いものは直径が4㎝にもなっていて乾燥するのには相当の日数が必要です。

連日の作業が続くと午前午後のお茶の時間以外にも腰をおろしたくなることがあります。齢のせいだろうかなーと思っています。

もう一頑張りして、大豆の収穫量を楽しみたいと思います。

収穫を前に

2010-11-17 | Weblog
我が家の畑にも実りの秋がやってきました。

大豆も小豆も枯れ葉が落ちて莢がかれてきました。



大豆は昨年に比較して1本にたくさんの莢が付いています。

実にするまでには、可なりの労力が必要です。
刈り取って束ねて乾燥させます。
次は、枝から莢を離し、莢から実を取り出すこと、
そこで、いよいよ実の選別が始まります。

全てが手作業なので相当の日数がかかりそうです。
好天に恵まれることを祈っています。




小豆も大きな莢が付いています。

3日置きに枝から莢を取り、3、4日乾燥させてから一莢一莢実を取り出します。
その後で水洗いをし、乾燥させてから選別します。
保存のために選別後しっかり乾燥させます。

今年は栽培面積を増やしたので、
小豆はバケツ一杯の収穫になりそうです。
大豆の量も多く、これらの選別は暖房の効く部屋での作業になりそうです。

味噌造りの大豆を求めている人へ届けるように頑張りたいと思います。




    「おまけ」


     初めての栽培 皇帝ダリア




                 

春に植えた苗が高さ3メートルにも伸び、花を着けました。
勿論、老妻の作です。