「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

定義街道(荒沢口)の道しるべ

2016年05月10日 | 日記
大倉ダム脇の大倉小学校から県道55号線を定義方面に向って北上すると、3キロほどの「歓迎・定義如来」看板を過ぎたあたりの右側に石碑群が見える。



それは木立の中まで連なっており、山の信仰碑、念仏供養碑などさまざまで大小合わせて十数基はある。



その中の奥まったところにある比較的大きな「馬頭観音」碑に道しるべが記されている。

「明和元甲申歳」(※1764年)「十一月十七日」の日付がある。250年ほど前の碑である。



道しるべの案内文字は、向って右側に「左ハあら沢」とあり、



左側には「右ハ大倉」と刻まれている。



これまで見てきた道しるべは、ほとんど右側に右方向の案内が左側には左方向の案内が彫られているが、この碑は逆の位置に書かれているのが珍しく思われた。

現在の地図上「大倉」は定義如来の近辺にあたり、この道を直進した先にある。
したがって、碑に向って見たときに大倉は「右方向」だとすれば、この「道しるべ」は道路の反対側にないと辻褄が合わない。

ダムもなかった遠い昔の道路は今とは大きく迂回しながら続いていたのかも知れないが、それにしても 「考えさせられる道しるべ」ではある。




青葉区郷六(新落合橋)の道しるべ

2016年05月10日 | 日記
芋沢から国道457号線を仙台方向に進み、大竹新田の交差点を県道55号線(仙台定義線)に入ると1キロ位の所の右側に比較的大きい石碑が1基立っている。

(右上に赤く見えているのが「新落合橋」)

作並街道を通った場合は「新落合橋」を渡った(徒歩通行)対岸にあたる場所である。



石碑は「南無阿弭陀佛」の碑で「元文参稔戌午」(※1738年)「弐旾二十七日」の元号があり約280年位前の古いものである。


(文字は旧漢字が使われていて表示できないものもある)

この碑の両側に「道しるべ」が彫られている。

右側には「右ハ大くら道



左下には「左ハあやし道」とある。



この道は、現在も「大倉・定義」へ続いており、「右ハ大くら道」の案内は違和感がないが、「愛子」は川を越えてむしろ右方向の先にあることから「左ハあやし道」の案内は少し不自然に思われる。

「ここの橋を渡って道が右方向に道がのびていたのだろうか、この碑はもっと手前の「大竹新田の交差点」あたりにあったのではないか」などといろいろと想いを巡らしてみた。