大倉ダム脇の大倉小学校から県道55号線を定義方面に向って北上すると、3キロほどの「歓迎・定義如来」看板を過ぎたあたりの右側に石碑群が見える。
それは木立の中まで連なっており、山の信仰碑、念仏供養碑などさまざまで大小合わせて十数基はある。
その中の奥まったところにある比較的大きな「馬頭観音」碑に道しるべが記されている。
「明和元甲申歳」(※1764年)「十一月十七日」の日付がある。250年ほど前の碑である。
道しるべの案内文字は、向って右側に「左ハあら沢」とあり、
左側には「右ハ大倉」と刻まれている。
これまで見てきた道しるべは、ほとんど右側に右方向の案内が左側には左方向の案内が彫られているが、この碑は逆の位置に書かれているのが珍しく思われた。
現在の地図上「大倉」は定義如来の近辺にあたり、この道を直進した先にある。
したがって、碑に向って見たときに大倉は「右方向」だとすれば、この「道しるべ」は道路の反対側にないと辻褄が合わない。
ダムもなかった遠い昔の道路は今とは大きく迂回しながら続いていたのかも知れないが、それにしても 「考えさせられる道しるべ」ではある。
それは木立の中まで連なっており、山の信仰碑、念仏供養碑などさまざまで大小合わせて十数基はある。
その中の奥まったところにある比較的大きな「馬頭観音」碑に道しるべが記されている。
「明和元甲申歳」(※1764年)「十一月十七日」の日付がある。250年ほど前の碑である。
道しるべの案内文字は、向って右側に「左ハあら沢」とあり、
左側には「右ハ大倉」と刻まれている。
これまで見てきた道しるべは、ほとんど右側に右方向の案内が左側には左方向の案内が彫られているが、この碑は逆の位置に書かれているのが珍しく思われた。
現在の地図上「大倉」は定義如来の近辺にあたり、この道を直進した先にある。
したがって、碑に向って見たときに大倉は「右方向」だとすれば、この「道しるべ」は道路の反対側にないと辻褄が合わない。
ダムもなかった遠い昔の道路は今とは大きく迂回しながら続いていたのかも知れないが、それにしても 「考えさせられる道しるべ」ではある。