
今日は、マイケル・ビーンについて二言三言(添付写真中央の人・「ザ・ロック」より)。
彼は、いわゆる「スター」ではない。ここでいうスターとは、彼/彼女が来日すれば空港に人が殺到するような人気を持つ人、を意味する。その意味において、彼はスターではない。
映画の世界において、彼は「脇役」、である。彼は、過去、有名な映画に何本も出ている。また、彼は、多くのスター達の脇を固めてきた。「ターミネーター」でシュワちゃんとリンダ・ハミルトンと、「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーと、「ネイビーシールズ」でチャーリー・シーンと、「ザ・ロック」でニコラス・ケイジとショーン・コネリーと、「アート・オブ・ウォー」でウェズリー・スナイプスと、などなどである。
もちろん、彼が主役を演じた映画も数多くある。しかし、悲しいかな、彼が主役を演じる映画はほとんど日本では劇場公開されない。米国では、主に、彼はTVドラマによく出演している。
彼が、日本で評価されるとき、大抵は名「脇役」としてである。彼が脇役を演じるときは、準主役としても差し支えないのではと思うものが多い。時として、映画の一部において、脇役でありながら彼は「主役」になる。そんな実力を持った俳優である。
以前紹介したチャールズ・ブロンソンと違い、彼はハンサムである(拙者の基準で)。しかし、彼がショービジネスの舞台に上がり始めたのと軌を同じくして、トム・クルーズやチャーリー・シーン、エディ・マーフィーといったスター達が出現した。それ故か、有名作品に出演し続けても、彼はあまり目立たなかった。
しかし、彼は、コンスタントに映画に出演し続け、実力派俳優としての地歩を築いている。彼にしか演じられない脇役もあるぐらいだ。今までに築いてきた安定した演技力と独特の「キャラ」故に、何気にファンも多い。ググってみたら、彼のファンサイトをいくつか発見した。その「キャラ」については、後述する。
ちなみに、拙者も彼のファンの一人、である。拙者が生まれた初めて「この人かっこええ」と思った人である。また、拙者が生まれて初めて「こんな人になりたい」と思った人でもある。今でも変わらないと思う。また、たまたま見た映画の中で彼が出てくると、その瞬間に主役はそっちのけになる。
何故、ここまで彼に憧れるか。それは、彼独特の「キャラ」に負うところが大きい。以前も簡単に触れた。彼のキャラを一言で表すなら、「冷めている」が「熱い」、である。
若いときから彼は、落ち着いている。同年代のトム・クルーズやチャーリー・シーンのようにどこか「浮かれたところ」はない。イケメンらしく気取ったところが無いわけではないが、あまり目立たない。「野心的」「情熱的」な要素はあまり見受けられない。また、同年代のスター達に比べ、彼の口数は少ない。つまり、どちらかと言えば、彼は「静かな」役者である。
しかし、彼は決して「暗い」人間ではなく、感情のない「冷たい」人間でもない。彼の言動・行動・演技をみていると、その端々に彼の信念・情熱が滲み出ている。実際であれ、演技であれ彼が感情を迸らせる時、そのインパクトは鮮烈である。そこが、拙者を含めファンを魅了するところなのだろう。
彼のかようなキャラは、当然のことながら、キャスティングや演技にも反映されている。俳優としてはうれしくないかもしれないが、彼が脇役として出演する時、彼が演じる役は常に「冷めている」が「熱い」キャラである。そして、彼は常に見事なまでに役に「当てはまる」。余人をもって代え難いということだろう。
かような彼のキャラは、主役向きではないかもしれない。しかし、上述したように、彼にしかできない脇役がある。しかも、ただの脇役ではない。これを鮮烈に意識させられたのが、「ザ・ロック」である。この映画の主役は、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ、エド・ハリス、である。彼は、オープンニングロールでも後のほうに出てくる脇役であった。しかも、映画の前半で死んでしまう役である。映画の中で死ぬ間際、主役の一人(悪役)であるエド・ハリスとの間で激しいやり取りを交わす。そのたった数分間、彼は明らかに「主役」だった。
今でも私の中で、彼は「スター」である。如何にすれば彼のように「冷めている」が「熱い」人間になれるか。そして、そのキャラ故に、「余人に代え難い」人間になれるか。拙者の思案は今も続く。
追伸
タイトルの「そんな命令は下せない!」は、上述のエド・ハリスとのやり取りの中における彼の台詞である。彼のキャラでこそ活きる台詞であると、常々思う。
彼は、いわゆる「スター」ではない。ここでいうスターとは、彼/彼女が来日すれば空港に人が殺到するような人気を持つ人、を意味する。その意味において、彼はスターではない。
映画の世界において、彼は「脇役」、である。彼は、過去、有名な映画に何本も出ている。また、彼は、多くのスター達の脇を固めてきた。「ターミネーター」でシュワちゃんとリンダ・ハミルトンと、「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーと、「ネイビーシールズ」でチャーリー・シーンと、「ザ・ロック」でニコラス・ケイジとショーン・コネリーと、「アート・オブ・ウォー」でウェズリー・スナイプスと、などなどである。
もちろん、彼が主役を演じた映画も数多くある。しかし、悲しいかな、彼が主役を演じる映画はほとんど日本では劇場公開されない。米国では、主に、彼はTVドラマによく出演している。
彼が、日本で評価されるとき、大抵は名「脇役」としてである。彼が脇役を演じるときは、準主役としても差し支えないのではと思うものが多い。時として、映画の一部において、脇役でありながら彼は「主役」になる。そんな実力を持った俳優である。
以前紹介したチャールズ・ブロンソンと違い、彼はハンサムである(拙者の基準で)。しかし、彼がショービジネスの舞台に上がり始めたのと軌を同じくして、トム・クルーズやチャーリー・シーン、エディ・マーフィーといったスター達が出現した。それ故か、有名作品に出演し続けても、彼はあまり目立たなかった。
しかし、彼は、コンスタントに映画に出演し続け、実力派俳優としての地歩を築いている。彼にしか演じられない脇役もあるぐらいだ。今までに築いてきた安定した演技力と独特の「キャラ」故に、何気にファンも多い。ググってみたら、彼のファンサイトをいくつか発見した。その「キャラ」については、後述する。
ちなみに、拙者も彼のファンの一人、である。拙者が生まれた初めて「この人かっこええ」と思った人である。また、拙者が生まれて初めて「こんな人になりたい」と思った人でもある。今でも変わらないと思う。また、たまたま見た映画の中で彼が出てくると、その瞬間に主役はそっちのけになる。
何故、ここまで彼に憧れるか。それは、彼独特の「キャラ」に負うところが大きい。以前も簡単に触れた。彼のキャラを一言で表すなら、「冷めている」が「熱い」、である。
若いときから彼は、落ち着いている。同年代のトム・クルーズやチャーリー・シーンのようにどこか「浮かれたところ」はない。イケメンらしく気取ったところが無いわけではないが、あまり目立たない。「野心的」「情熱的」な要素はあまり見受けられない。また、同年代のスター達に比べ、彼の口数は少ない。つまり、どちらかと言えば、彼は「静かな」役者である。
しかし、彼は決して「暗い」人間ではなく、感情のない「冷たい」人間でもない。彼の言動・行動・演技をみていると、その端々に彼の信念・情熱が滲み出ている。実際であれ、演技であれ彼が感情を迸らせる時、そのインパクトは鮮烈である。そこが、拙者を含めファンを魅了するところなのだろう。
彼のかようなキャラは、当然のことながら、キャスティングや演技にも反映されている。俳優としてはうれしくないかもしれないが、彼が脇役として出演する時、彼が演じる役は常に「冷めている」が「熱い」キャラである。そして、彼は常に見事なまでに役に「当てはまる」。余人をもって代え難いということだろう。
かような彼のキャラは、主役向きではないかもしれない。しかし、上述したように、彼にしかできない脇役がある。しかも、ただの脇役ではない。これを鮮烈に意識させられたのが、「ザ・ロック」である。この映画の主役は、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ、エド・ハリス、である。彼は、オープンニングロールでも後のほうに出てくる脇役であった。しかも、映画の前半で死んでしまう役である。映画の中で死ぬ間際、主役の一人(悪役)であるエド・ハリスとの間で激しいやり取りを交わす。そのたった数分間、彼は明らかに「主役」だった。
今でも私の中で、彼は「スター」である。如何にすれば彼のように「冷めている」が「熱い」人間になれるか。そして、そのキャラ故に、「余人に代え難い」人間になれるか。拙者の思案は今も続く。
追伸
タイトルの「そんな命令は下せない!」は、上述のエド・ハリスとのやり取りの中における彼の台詞である。彼のキャラでこそ活きる台詞であると、常々思う。