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「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

『情報、官邸に達せず』 by 麻生幾

2010年04月15日 02時37分47秒 | 徒然駄弁―書評編
情報、官邸に達せず

新潮社

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 小説『宣戦布告』でお馴染み麻生幾・著のノンフィクション。麻生は、小説家と思われがちだが、本来ノンフィクション・ライターでありジャーナリストである。その麻生が書いたノンフィクションで恐らくもっとも有名なのが本書、である。四年前に一度紹介した本だが、焼き直したものを掲載する。

 さて、本書は、主に情報の観点から日本の危機管理体制を論じている。行政府内における情報フローや共有体制といった構造的制度的な問題に焦点を合わせ、その是正を主張している。麻生は、金正男不法入国事件、オウム真理教、阪神・淡路大震災、94年7月の北朝鮮危機、ルワンダPKOの六つの事例を分析し、危機管理という理念に拘泥し、被害管理という実践に無頓着な日本行政府の実態を浮き彫りにしている。官僚による情報操作、錯綜する情報伝達経路、危機時には無効な分散した権限関係、無原則な管理ルール。麻生は、哲学の無い理念に執着する日本行政府の実態に警鐘を鳴らしつつその是正を主張している。

 本書の価値は、まず、このような観点から日本の危機管理体制を論じた最初の文献であるいう先駆性にある。それ以上にまた、政策決定過程における情報の意義に着目しつつ、「被害管理」という概念を用いて行政府の情報機能を検証している点が重要である。
 被害管理とは、大規模事件・事故が発生した際に当たり前の如く語られる「危機管理」とは、大きく異なる概念である。危機管理は、事件・事故が起きないよう事前に予防策を確立したり、被害の発生を抑制すべく必要な措置を採る概念である。他方、被害管理は、事件・事故が発生した後の主に人的被害の局限を意図した概念である。事故・事件が発生したその瞬間から時計の針が動き始め、如何に短期間で事態を収拾し、一人でも被害を少なくするかに重きが置かれている。麻生によれば、海外では、両者は明確に区別されているという。また、被害管理がより重視されており、既にそれに基づく体制構築が始まっている。
 また、本書は、学術利用可能な価値を有している。本書は、タブロイドのような俗っぽさや胡散臭さが一切無い。この手の分野でこれほどの信憑性を有する文献はない故、利用価値も高い。麻生が明らかにした事実関係を引用出来るし、麻生の主張を参照するのもいいだろう。私自身、本書を、学部卒業論文や院修士論文で利用した。
 なお、本書は、諜報や防諜といった領域にも議論が及んでいるのでよくある「陰謀モノ」に分類されそうである。しかし、そのような評価は、全くもって誤りである。麻生は、海外にまで足を運んで研究しつつ、丁寧に事実を調査している。類似作でよく見られるような、傍証の積み重ねによる憶測もなければ、根拠に欠ける邪推を巧みなレトリックでさもありげに見せ付けるような傲慢さもない。真摯に事実と向き合い、過程と結果の因果関係を検討している。本書が提示しているのは、「御伽噺」ではなく、「現実」である。したがって、本書は、他の類似作と明確に区別されるべきである。
 
 私が最初に本書を読んだのは学部二回生の時であるが、本書は、その後の私に多大な影響を与えた一冊でもある。被害管理という概念にも随分感銘を受けたし、本書内の事実関係からも後の思考に影響を受けた。
 特に、麻生が本書に付けた題の所以である。麻生は、「情報の空白」に晒される首相官邸の実態を明らかにした。時に膨大な瑣末情報に埋もれるも、肝心の重要情報が首相官邸に上がってこず、その状況下で決定を下さなければならない首相の意思決定上の問題を明らかにしている。日本行政府の構造と政官関係のあり方をも問う非常に示唆に富む問題提起であり、個人的に本書から最も感銘を受けた部分である。
 関連して印象的だったのが、阪神・淡路大震災に関する事例である。当時、時の首相村山富一は、その初動対応の遅れを痛烈に非難された。しかし、麻生の調査によれば、地震発生直後に村山に第一報が入っており、村山は公邸から官邸へ移動し待機していた。にも関らず、村山は、動かなかった。否、動けなかったのである。第一報を最後に、官邸で待機する村山に一切情報が伝えられなかった。村山から報告を求めようとしても、分散した複雑な権限関係によって、報告を求める先すら分からなかったのである。村山は、その後数時間も、情報の空白に晒されたまま身動きが取れなくなった。
 この逸話は、私の認知構造を一新した。それまで、私は、世間の大方の見方と同じく村山悪玉説に従っていた。しかも、私自身「あの地震」の被災者である故、村山に対する憎悪は非常に激しかった。しかし、村山が「動かなかった」のではなく「動けなかった」という事実を知った時、自分の認識を改める必要性を痛感した。無論、危機の際に有害無益な権限関係を放置した村山の非は、明確である。しかし、問題の本質は、村山にではなく、日本行政府の構造にあったのである。

 かつて、国際政治学者故高坂正尭教授は、次のような教示をした。世の森羅万象はあまりに複雑すぎ、それ故、多くの人は物事を「悪玉」と「善玉」という単純な枠組みで捉えがちである。しかし、かような見方は妥当ではなく、むしろそれ自体がさらなる悲劇を引き起こす問題の本質なのである、と。この教示を知ったのは本書を読んだ後ではあるが、上述の事例を知った時、世間の単純な見方に盲従する誤りと愚を思い知らされたものである。
 本書は日本行政府に対して警鐘を鳴らしているものの、見方を変えれば、安直に物事を単純視する国民に対して警鐘を鳴らしていると言えるかもしれない。きょうび、何か重大な事件や事故が起きる度に、マスコミ等を中心に「危機管理」という単語がアホの二つ覚えの如く繰り返される。しかし、麻生の指摘は、日本のマスコミを中心とする論壇と一般国民にも当てはまる。その意味で、本書は、いささか仰々しい表現ではあるが、我々日本国民としても必読の書である。

追伸
 この本を最初に読んでから九年経った。九年前と現在では何が変わっただろうか。幾つかの制度やアイテムは導入されたので、若干は変わったと言えるだろう。しかし、肝心のソフトはどの程度是正されたのだろうか。まだまだ満足がいくレベルには達していないように思える。
 他方、この書評は四年前に書いたものだが、改めて読み直すと実に酷いものだ。読んでいて恥ずかしい限りである。元の文章をいじる形で焼き直したが、元が悪過ぎるので大してよくならなかった。
 今度改めて練り直そうかと思うが、私の書評力がこの四年でどれだけ改善されたかと思うとあまりよそ様の悪口も言っておられぬ身にただただ身が縮こまる今日この頃。

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