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今回は、以前紹介したものの評価が確定せずグダグダの紹介に終始した夏目正隆(以後、名字のみ敬称略)の『僕はイーグル』シリーズをもう一度紹介し直すことにした。
本書は、正体不明機(作中では正体が明らかにされているが)に為すがままに翻弄される日本を、そして理不尽とも言える厳しい環境下で葛藤に苦しむ航空自衛隊戦闘機パイロットと要撃管制官の姿を描いた作品、である。
主人公は若手戦闘機乗りの風谷修。戦闘機操縦員としても一人の男としてもナヨナヨしていて、仕事もプライベートもグダグダ、しかし何故か女にはモテる訳分からん人物。ある日、そんな彼の前に正体不明の戦闘機が出現する。法律とその他特有の問題にしばられ何も出来ない自衛隊を嘲笑い、次から次へと攻撃を繰り出す正体不明機。不幸のどん底に落ちた風谷、そして日本の悲劇と苦悩の日々が始まる。
このように紹介するとよくあるB級冒険小説の一つと処理されそうだが、本書は違う。巷に溢れる同業他者の作品群とは明確に一線を画す、強烈な個性を持った作品である。その感想を一言で表すなら、『功殻機動隊』で御馴染みの押井守氏が本書第四作に寄せた「尋常でない辛さ」の一言に限る。『僕はイーグル』シリーズほど、読んでいて「しんどい」と思った作品はない。
率直なところ、読み始めた頃、ちょっとした暇つぶし用として買ったものの久々に大ハズレを引いたと思った。まず、主人公があまりにヘチョ過ぎる。その弱さたるやもはやありえへん。これはこれで目も当てられん。むしろ、彼を取り囲む女性陣の方がよほど頼りになる。また、彼と彼女たちの人物描写や人間関係がメルヘンチックで、まるで少女漫画みたいだ。読み進めていくと、その甘ったるい空気にイラッとする。正直、いかつい話をネタにした恋愛小説かと思ったものだ。
しかし、だから「しんどい」のではない。自衛隊員が日々直面している現実や90年代不況により荒廃した人心と社会の暗部を克明に表しているから辛いのである。権限は無いが責任だけは取らされる現場、普段表沙汰にならない自衛官に対する社会的悪意。同業他者の作品では「ゴーマンかましてよかですか」的に割愛されたり曖昧にされがちな問題に、本書は正面から向き合っている。
さらに、その描写が生々しい。問題の性格をデフォルメし過ぎていたり事実を誤認しているところもあるものの、作中に登場する出来事毎に登場人物の心情を追体験出来るほどだ。これまた惜しい押井氏のコメント通り、思わず拳骨握ることもあれば、ため息なしに読めないこともしばしばである。この手の作品には珍しく、随分感情移入させられる。
また、テクニカルな側面にも着目すれば、作者の夏目自体が現役のパイロットであるという背景もあり、航空機とその操縦に関する考証と描写が大変優れている。飛行機を操縦する難しさ、それ故の戦闘機を駆って戦う難しさ、そして物事が登場人物にとっても読者にとっても思うように進まないもどかしさと苛立たしさ。同業他者の作品では描ききれていない技術的側面が、鮮明に描かれている。
なお、出版社が第二作の裏表紙に記したところによると、『僕はイーグル』は、防衛庁(当時)関係者の話題をさらったという。無論、単なる出版社によるセールストークという可能性はある。ただ、本書がそれだけ現実的な琴線のようなものに触れていると言えるだろう。少なくとも、私が今まで読んできた作品の中で、そのリアリティにおいて本書と比肩しうるものはない。
そして、そのリアリティが、「尋常でない辛さ」である。読みながらため息が止まらない小説というのも、そうあるものではない。『僕はイーグル』シリーズは、その意味でしんどい作品である。
読み始めた頃こそ大ハズレだと思ったものの、結局その臨場感に引き込まれてあっという間に読み終えた。さらに、残る三巻も読みたい衝動にも負け、翌日にはまとめて買って読んだ。既に一部述べた難もあるので、恐らく読者によって賛否両論あろう。ただ、比較的最近に改題されて再出版されたように、『僕はイーグル』シリーズは業界と読者の間で定評があるようだ。個人的には、とんだ棚ぼたであった。一読に値する作品である。
(追記)
『僕はイーグル』シリーズは、2008年から『スクランブル』シリーズに改題されたものが出版されている(字数制限超過により、最終刊のみ未記載。)。
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今回は、以前紹介したものの評価が確定せずグダグダの紹介に終始した夏目正隆(以後、名字のみ敬称略)の『僕はイーグル』シリーズをもう一度紹介し直すことにした。
本書は、正体不明機(作中では正体が明らかにされているが)に為すがままに翻弄される日本を、そして理不尽とも言える厳しい環境下で葛藤に苦しむ航空自衛隊戦闘機パイロットと要撃管制官の姿を描いた作品、である。
主人公は若手戦闘機乗りの風谷修。戦闘機操縦員としても一人の男としてもナヨナヨしていて、仕事もプライベートもグダグダ、しかし何故か女にはモテる訳分からん人物。ある日、そんな彼の前に正体不明の戦闘機が出現する。法律とその他特有の問題にしばられ何も出来ない自衛隊を嘲笑い、次から次へと攻撃を繰り出す正体不明機。不幸のどん底に落ちた風谷、そして日本の悲劇と苦悩の日々が始まる。
このように紹介するとよくあるB級冒険小説の一つと処理されそうだが、本書は違う。巷に溢れる同業他者の作品群とは明確に一線を画す、強烈な個性を持った作品である。その感想を一言で表すなら、『功殻機動隊』で御馴染みの押井守氏が本書第四作に寄せた「尋常でない辛さ」の一言に限る。『僕はイーグル』シリーズほど、読んでいて「しんどい」と思った作品はない。
率直なところ、読み始めた頃、ちょっとした暇つぶし用として買ったものの久々に大ハズレを引いたと思った。まず、主人公があまりにヘチョ過ぎる。その弱さたるやもはやありえへん。これはこれで目も当てられん。むしろ、彼を取り囲む女性陣の方がよほど頼りになる。また、彼と彼女たちの人物描写や人間関係がメルヘンチックで、まるで少女漫画みたいだ。読み進めていくと、その甘ったるい空気にイラッとする。正直、いかつい話をネタにした恋愛小説かと思ったものだ。
しかし、だから「しんどい」のではない。自衛隊員が日々直面している現実や90年代不況により荒廃した人心と社会の暗部を克明に表しているから辛いのである。権限は無いが責任だけは取らされる現場、普段表沙汰にならない自衛官に対する社会的悪意。同業他者の作品では「ゴーマンかましてよかですか」的に割愛されたり曖昧にされがちな問題に、本書は正面から向き合っている。
さらに、その描写が生々しい。問題の性格をデフォルメし過ぎていたり事実を誤認しているところもあるものの、作中に登場する出来事毎に登場人物の心情を追体験出来るほどだ。これまた惜しい押井氏のコメント通り、思わず拳骨握ることもあれば、ため息なしに読めないこともしばしばである。この手の作品には珍しく、随分感情移入させられる。
また、テクニカルな側面にも着目すれば、作者の夏目自体が現役のパイロットであるという背景もあり、航空機とその操縦に関する考証と描写が大変優れている。飛行機を操縦する難しさ、それ故の戦闘機を駆って戦う難しさ、そして物事が登場人物にとっても読者にとっても思うように進まないもどかしさと苛立たしさ。同業他者の作品では描ききれていない技術的側面が、鮮明に描かれている。
なお、出版社が第二作の裏表紙に記したところによると、『僕はイーグル』は、防衛庁(当時)関係者の話題をさらったという。無論、単なる出版社によるセールストークという可能性はある。ただ、本書がそれだけ現実的な琴線のようなものに触れていると言えるだろう。少なくとも、私が今まで読んできた作品の中で、そのリアリティにおいて本書と比肩しうるものはない。
そして、そのリアリティが、「尋常でない辛さ」である。読みながらため息が止まらない小説というのも、そうあるものではない。『僕はイーグル』シリーズは、その意味でしんどい作品である。
読み始めた頃こそ大ハズレだと思ったものの、結局その臨場感に引き込まれてあっという間に読み終えた。さらに、残る三巻も読みたい衝動にも負け、翌日にはまとめて買って読んだ。既に一部述べた難もあるので、恐らく読者によって賛否両論あろう。ただ、比較的最近に改題されて再出版されたように、『僕はイーグル』シリーズは業界と読者の間で定評があるようだ。個人的には、とんだ棚ぼたであった。一読に値する作品である。
(追記)
『僕はイーグル』シリーズは、2008年から『スクランブル』シリーズに改題されたものが出版されている(字数制限超過により、最終刊のみ未記載。)。
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スクランブルシリーズに名前を変えて出版とのこと 僕はイーグルは4巻まで出ているようですが僕はイーグルの3巻の続編または4巻の続編にあたるスクランブルシリーズを教えてください。