米軍再編―日米「秘密交渉」で何があったか講談社このアイテムの詳細を見る |
普天間問題も案の定暗雲に覆われている今日、例によって過去の経緯を軽視あるいは無視した論調が方々で見受けられる。他方、現在問題となっている2006年の合意に関して、現在進行形の交渉事を取材する困難に挑戦し一定の結果を出したリサーチが数点存在する。
その一冊が、久江雅彦(以後、苗字のみ。敬称略。)著の『米軍再編-日米「秘密交渉」で何があったか』(講談社、2005年。以後、本書。)、である。一人の現役ジャーナリストが2006年5月に終了した在日米軍再編に関る日米交渉を追ったノンフィクション、である。また、普天間の辺野古移転を含む06年の合意に至る過程を追った最初の書籍でもある。普天間が再びホットイシューを化した現在、読んでおくべき一冊である。四年前に一度哨戒しているが、若干の修正を加えて再掲する。
著者から説明しておくと、久江は、現役のジャーナリストである。毎日新聞を皮切りに記者生活を始め、後に共同通信へ移り、政治部記者として活躍している。また、まだ数は少ないものの、文筆活動を通じて取材成果を出版している。前作『9.11と日本外交』の章立てとレビューを読む限り、9.11後の日米関係に強い関心を抱いているようである。
その意味において、本書はその続編と言えなくもない。2002年末から始まった日米交渉を追い、難航を極めた交渉の実態とそこから浮かび上がる日本外交の問題の検討を目的としている。そのため、本書は、米国側の思惑をも調べつつも、どちらかと言えば日本側の対応に焦点を当てている。
簡単に要約を示すと、まず、久江は議論の前提として日米同盟史を五段階に区分している。1951年の旧安保締結から60年の安保改定までを第一段階、安保改定後から旧ガイドラインが締結される直前までを第二段階、旧ガイドライン締結から八十年代を第三段階、新ガイドライン締結に至る90年代を第四段階、9.11後を第五段階としている。
その上で、久江は、現在直面している第五段階を転換期と捉えて重要視している。日米安保が適用される地理的範囲において(第五条と第六条)、前四段階に対し、第五段階ではいよいよその制約が事実上解放される可能性があると主張する。また、これを在日米軍再編問題における歴史的背景としている。
その上で、久江は、交渉過程の検討から、時代の転機に対応出来ていない日本側の対応を否定的に評価している。米国側は、具体案を提示し、日本側に対案を求め続ける。しかし、日本側は政治的リーダーシップ不在により対案を返せず、米国側の不信と怒りを買う。それが、交渉のリセットまでもたらしたと述べている。
そして、協議難航を日本側の不作為とするか懸命の抵抗とみるかは読者に委ねるとしつつも、日本側の政治的意思の不在が協議を難航させる要因になったと論じている。また、在日米軍基地問題のみならず日本の安全保障体制を改革する契機に対応していない、と糾弾し脱稿している。
なお、インタビューや文献で本書は成り立っているものの、本書で明らかにされている事実は断片的である。個々の協議に関しても、ただ書かなかっただけかも知れぬが、協議中の一部の発言を抜き取る程度で留まっている。つまり、本書は、断片的な事実を集約し、一枚のパズルを描こうとしている。
その理由について、鋭い読者は既にお気付きであろう。本書は全交渉過程をカバーしていない。交渉終了が2006年5月である他方で、本書の出版は、2005年11月である。その理由について、久江は、安全保障問題を一部の専門家に委ねてはならず、在日米軍再編が軌道に乗る前に国民に周知したかったと説明している。
それも踏まえて評価へ話を移すと、大変意欲的な著書と評価出来る。数十年を経ても実態を掴み難い安保交渉を、リアルタイムに、しかも交渉の途中で体系的に調査・論評するのは、並大抵の難易度ではない。言わずもがな、事実関係の把握で躓くものである。それ故に、後述する通り、本書もそれと無縁ではいられていない。
しかし、なによりもその意気やよしとしたい。上述した交渉過程中に出版する理由は、肯定的に評価出来る。また、かくも難易度が高いにも関らず、論評出来るだけの事実を収集した久江の意欲と能力も高く評価出来る。後に記録が開示されれば不十分と評されるかもしれぬが、現時点においては、デイリーな報道で明らかにされない日米交渉の実態によく迫っている。
特に、不満を募らせる米国側と意思統一を図れない日本側の実態が、ありありと伝わってくる。断片的ではあっても、協議における緊迫した雰囲気と、混迷する日本政府内部の空気が、本書を読みながら脳裏に浮かんでくる。同時に、その裏側からは、久江の執念が滲み出ている。
ただ、かように高く評価出来るも、いくらか難点もある。一言で纏めると、内容及び形式両面において、上手く整理出来ていない。章末や項末で久江の主張が多く示されるも、それを論証又は実証すべきであるにも関らず、出来ていない。文字通り取って付けた格好となっており、理解し難く且説得力に欠ける。また、丁寧に背景等を説明しようとする意志は読み取れるものの、これも上手く整理出来ていない。頻繁に話が飛ぶものの、論理構造に途切れも見受けられ、立体的ではない。それ故、本書には、読み辛さと分かり辛さがある。メモを取りつつ、二度は読んだ方が良いだろう。
交渉過程中に執筆している事情もあるのでいくらか大目に見るべきところもあるが、背景説明や話の組み立て、文章表現に至るまで、もう少し推敲を重ねてほしいところだ。その意味において、多少惜しまれる。
さらに、もう一点難点を挙げると、リソースの問題がある。本書は、インタビューや文献調査を下敷きにしているのだろうが、リソースに関する言及が少な過ぎる。ここにも交渉過程中という事情が働いていようが、せめてボカした形での取材元や使用文献名を明記して欲しいところである。それ故、史料として用いる際、別途検討の要がある。
執筆事情故にこのような難点はあるものの、本書は読むべき価値を有している。繰り返せば、やはりその意欲を高く評価出来る。先の日米交渉の実態が明らかになるのは数十年後であるので、日米交渉に対する判断は、他の関連文献や情報も参照しつつ慎重に為さなければならない。
しかし、断片であっても知る価値はある。また、必要性もある。言わずもがな、機密云々の問題はあるとは言えど、国民としては本来的に「今」知っておくべきものである。普天間問題が再びホットイシューとして再燃する中、その重要性は増している。本書を読めば、少なくとも、辺野古は米国に「押しつけられた」わけではないという事実に気づくだろう。
総じて、本書は、ジャーナリストが役目を果たした著書である。本書を通じて、ジャーナリストの良い仕事を久しぶりに見た。
普天間問題に何かしらの関心を持っている人にも、より後半に日本外交安全保障に関心を持っている人にも読んでもらいたい一冊である。
追伸
例によって、個人的な下らない余談を一つしておく。
本書を読んでいて、院生時代の思い出が、思わず浮かんだ。本稿著者は、日本外交安全保障を専門分野としている事情故に、出版直後に本書を購入した。しかし、折りしも修士論文執筆真っ最中であり、読む暇など無かった。結局、修士論文提出及び口頭試問が終わってから読んだ。
読んでいる際、修士論文執筆中に師匠から言われた言葉が、咄嗟に思い浮かんだ。上述の通り、本書には、取って付けた主張が少なくない。一通り話が終わった後、論証からは出てこないその事例に対する原因や評価などが、突然出てくる。かような主張は、本来、結論章で提示するものである。
実のところ、この点に関して、著者はあまり久江を咎める立場にない。修士論文を書いている際、師匠から、同様の指摘を受けたからである。この話は以前別の記事にも書いたが、簡単に再術しておくと、師匠からは「君の論文は、評論的だ。学術的でない。」と言われた。
当時、別の記事にも書いた理由で師の言葉に憤慨しつつも、その言わんとしているところは理解しているつもりだった。しかし、本書を読んだ際、今更ながら理解させられた。なるほど、こういうのを評論的と言うのだな、と。
*同じく06年の交渉を追った意欲作(上)。本書と併せて読むと有益。下は本文中で表題だけ紹介した久江の前作。
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また楽しみが増えます!
半年前、件の師匠さんとお会いしましたよ。
トルキアで検索してる時に、こちらのサイト
の米軍再編の感想文を見ました。
この中の'辺野古は米国に「押しつけられた」わけではないという事実’とはどう言う意味でしょうか?