たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

お彼岸

2006-03-27 14:08:45 | つれづれなるままに
         お 彼 岸
 公園墓地の朝まだきは何時も霧が立ち込めている。
そんなに高いとは思えない高尾城址から滑るように落ちてくる風は縦横、行儀良く並んだ墓石の間を、丁寧に遍く平等に気配りさながら四季の香りを配達して回る。
 八王子の北外れにある多摩御陵の裏手に都営霊園は拡がっている。
この霊園に生後三ヶ月で亡くした長男と両親を納めている。
 この墓地にくるようになった当初は彼岸の中日にお参りに行って、あまりの人ごみに懲りてからというもの、抜け駆けのような後ろめたさはあったが早朝の暗いうちに家を出る習慣が身についた。
 朝露にぬれた芝生を歩きながら長男が生きていれば間違いなく酒の相手をしてくれていただろうし、きっと外国に行かしてくれと梃子摺らせたに違いないと、為しえなかった手前の繰言のみがほろ苦い願望となって次から次えと思い出されてくる。
 いやいや息子は隔世遺伝としてならきっと理系に違いない。親父譲りの秀才だったろう。
 これも古女房と嫁いだ娘二人の女ばかりに囲まれた我が家の実体は、まさに敵の勢力まっただ中の繰言。
 そういえばこの霊園には孤軍奮闘する男の悲哀をなごませてくれる包容力がある。
 余り仲の良くなかった両親が同じ穴の中でどんな痴話げんかに明け暮れているだろうかと覗いてみたくさえなる。
 同郷であった父母の結婚は家を中心とする村長の采配する命令に従ったままの結婚であった。封建時代の熊本の因習に従っただけの話だった。
 村長の権威と両家の思惑とが調整された婚姻であった。若い本人同士の意思なんて入り込む余地は全くなかった。帝国陸軍将校の結婚は陸軍省の認可を必要としたし家族だけ決める事さえ許されなかった。
 墓地はこんなとり止めもない想いに耽るには格好の場所でもある。
 毎年、お彼岸、お盆、そして年末になるとお墓の掃除にやってくる。
 何故か決まって思い出すのが、土葬の風習の残っていた頃の深い墓穴と
野辺送りの葬儀の風景だ。本家から桶に入れられた伯父を担ぎ出し、荒縄でバランスをとりながら深く深く収めた光景だ。
 この墓前では親父と息子の二人の男が加わる。賑やかに酒を酌み交わし、天下国家を論じ高歌し酔郷にさまよう事が出来る場所でもある。男の、そうオノコの天下となる世界であり、幸せ一杯の大草原でもある。
 今年も大事な従弟や友人を多く亡くした。きっとあの世とやらでは皆仲良く遊んでいるに違いない。賑やかな事だろう。

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