たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

教育という隠れ蓑

2006-08-20 18:42:05 | 私の意見
難しいことは易しく
易しい事はジョークで
近時、頭の体操に取組まされている。
この子はと信じていた“カグヤ姫”の謀反的かつ脅迫的教育に出遇った。
この種の教育はリハビリと称するが、時として苛めに近いものがある。
そう、教育は所詮「人間的な教師、あまりに人間的な教師」の気分次第によるところが大きい。
易しい事をわざわざ難しく言うのがこの手の教育者だと。
なんとこの種の教育者の多かった事か。
易しく整理し、思考する事を殊更に難しくした“職業としての教育”の無意味さを!。
つまり、難しく考える事を「疑問を持つ」という逃避的な習性!或は大衆化すべき教育を自己保身本能からのみの擬似教育がまかり通る聖域であることを。
こういったマヤカシを許すほど世の中は甘くない。経験と洞察力、つまり一言で言うと「眼力」に富む高齢者が一挙に増えてきた団塊世代の己を捨てた自然な発言に期待しよう。
何だかんだと、言い訳か、単なる屁理屈に過ぎない物事を、暇つぶしに難しく捏ね回す「教育」と称する欺瞞さを許すわけにはいかない。
そうだ、難しい事を易しく整理し主張する世捨て人に期待しよう。
  写真はインパチェンス

改革革新とは

2006-08-08 09:21:57 | 私の意見
 挑戦のすすめ
 このところ友人の訃報に接する事が多い。チョッと早すぎる嫌いはあるが。
 息子の挨拶で「父の信条は、失敗の反省より挑戦を躊躇うことによる後悔を憎んだ」。
かねがね、堂々たる人生だった奴。と思っていたが。この子にしてこの親ありと。
 得てしてこの世の中、雁字搦めの法のピラミッド。これを法の解釈という判例によって補完されるし、今日の市民社会は市民の納得を得ながら運営されている。
 これこそが真のコンプライアンス。書き古された法を絶対視する事は誤りだ。
 時代遅れといって良い。
 法の前に怖気づく市民は多い。言い換えると「物分りの良い市民」はある意味、不作為の犯罪を侵していると言っても良い。少し言い過ぎだろうか。
 社会の進歩はこのピラミッドをこの権力者の象徴たる土塊を大衆のために整地し、時代という水を引き入れながら現代社会を一つ一つ創りあげてきた。
 長野県知事は大衆の共感を得る努力を怠ったように伝えられるが。6年間の功績は大きい。
 こんな時代を見据え大胆にチャレンジする人生である点、今日の友に共通する。
 少なくとも大衆運動に当たっては駆け引きと言う姑息な手段。つまり、やるべきことからの逃避は絶対に赦さなかったこの友の意思は多くの後輩に引き継がれるだろう。
 市民感覚を何より優先させ大事にしながら。写真は多摩川の花火


8月盛夏に鍛える葉牡丹

2006-08-03 07:26:54 | 私の意見
 8月盛夏に鍛える葉牡丹の苗
 永い梅雨がやっと終り真っ赤な8月となった。
子供を連れて房総や湘南の海の家、そして野尻湖や軽井沢での避暑を楽しんだのも一昔の事だ。
 我が家の老神様は老老介護に追いまくられ、九州との往復に消耗しきっている。
 そんな中にあっても梅雨時こそが正月を飾る葉牡丹の播種と鍛錬、育成の時期である。
この花は梅雨に蒔き、酷暑で鍛え、秋の成長、そして真冬の寒冷気で鮮やかな紅白に色づく。
 その生命力は双葉から枝葉が2・4枚くらいになった頃移植し、さらに枝葉が8枚頃に再度本植えすることになっているが、この梅雨明けの時期の毛細根の根張りは見事と言えるほどに繊細だが力が漲っている。
 これこそが正月を飾る頃見られる、貧弱な根張りからは想像も出来ない程の格差がある。
 きっと若い頃の基本がシッカリしていると花や実となるに及んで結実する。見る人を喜ばしてくれる典型的な例である。
 そう。わが人生とは全くの逆さまに。反省!。
  写真は葉牡丹苗