たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

お稲荷さん

2006-02-28 20:35:40 | Weblog
小野路には歴史を感じさせる道祖神やお地蔵さんがある。
古道を行き来する人々の心を慰めてくれた事だろう。
小銭入れから1円玉をおきながら健康ばかりか株の値上がりまでお願いする。

鎌倉古道2

2006-02-27 18:25:24 | Weblog
一本杉公園の南門を出て梅林の脇の細道を入ると、この古道に繋がっている。
かけがえの無い古道だ。
小野寺へ通じるこの道を出稽古に通ったと言われる土方歳三の心境は・・・

団塊の皆さんへ

2006-02-26 10:52:51 | 私の意見
     団塊の皆さんへ
長い間の勤めを終え、様々なしがらみや義理から解放されたとき、人は自由の有難さに畏怖し感謝する。
私もご他聞にもれず定年退職当時は心底やっと自由を手に入れたと開放感に浸った事を想い出す。
過ぎ去った思い出に浸り、これからの人生を否応無しに考えることとなった。
おおかたの者が、若気の恋や、親しい人との別れや遭遇以外に、それ程深刻に人生観や死生観と向き合うこともなく、生活や仕事に追いまくられる四十年位の勤めからの解放感は寂しくもあり不安でもあった。
夫婦の間でも大した感激も無く、それどころか生きてさえいれば何事も自由にどうぞという冷めたものだった。
こんな時一念発起して趣味として絵や写真、詩、文章に精を出す人が多い。
そんな時、小生もご多分に漏れず、ちょっと気取ってパソコンに手を出した。
どうせこんな事なら勤めている頃からやっておれば良かったと悔やみながらも。
 
 パソコンと言うやつは何故か時間の観念が無くなるのと、目がチカチカする。
 そんな時、健康にもと考え近所を歩きまわることとした。
郊外にあるこの団地は、緑を生かした都市計画によって見事な構成となっている。
 公園と次の公園は遊歩道で結ばれ様々な街路樹や草花で人に安らぎと息吹を感じさせてくれる。
 こんな手近にこんな気配りがなされている等とは露知らなかった。

一本杉公園球場

2006-02-25 19:26:52 | つれづれなるままに
一本杉公園球場 
 江夏豊の野性味溢れたファイティングスピリットはただただ大勢に順応したがる私への激励と叱咤のメッセージとなって思い出される。
江夏と縁のある多摩市民にとってはなおのことに思える。
一本杉公園で彼の姿を見た市民には野球に余り関心を持たない人々を含め思い入れひとしおの感がする。
 紹介するまでもないが巨人阪神戦で江夏・田淵のバッテリーが猛虎そのものに王・長島巨人に噛付いたかっこよさ良さは万人の認めるところだ。ただ私はトラキチではない。
 この江夏豊が日本球界からのリストラ通告を意にも介せず、下腹のつき出た身体で大リーグミルウオ-キ・ブルワーズに挑戦した。結果なんてものはどうでも良い。
 そんな勇姿を見れた「一本杉球場」が私の毎日のウォーキングコースだ。
蛇足ながら紹介するとあれほどのビックの引退式が開かれた、昭和65年1月19日は寒い寒い日だったが、誰も使ってくれる人のいない空いている、この球場で行なわれた、それも月曜日だった。
 その年の、翌20日の朝日の縮刷版を調べてみたが“江夏は地元少年野球チームのセー ブ役として阪神28のユニホーム姿でマウンドへ。山本浩、落合、岡本、江藤らと”最後の対決“試合後約16,000人の観衆を前に「胸を張ってアメリカに行ってきます」と挨拶した。”(原文のまま)とある。私もその挨拶に涙した一人だ。
そして、話題にも上らない事だが、今もその日付けの江夏豊の名前入りの軟式ピッチングマシンが地元少年野球チームに寄贈されたことを知る人は少ない。
極々自然に使われている。目立たずひっそりと。
そこが、いかにも江夏らしいと思う。
 また、この球場入り口に川上哲冶の植樹記念碑があるが、“1日だけの引退式を企画呼び掛け人の一人となった赤バットの川上が少年野球の指導をしていた球場だった。
 しめ縄の似合いそうな記念碑だ。
 そんな一本杉公園は南野にある。
 球場を見下ろすようにスダジイの巨木が堂々たる年輪を重ねている。
春先になると咲き誇る桜並木となる。球場を下ると石庭がある。心の休まる落ち着いた雰囲気は岩清水を模して造られた水の音とともにこの公園を清浄にしてくれる。
 そして枯れ山水に沿ってトンネルをくぐると多摩市の旧民家2軒が紅白黄の手入れの行き届いた梅園に囲まれている池の見える一本杉公園に導かれる。
 この池には昨年までは三組の鴨と何故か一匹になってしまったシングル鴨がやって来ていたが、今年は市役所が清掃した所為で1日だけ姿を見せただけですぐ居なくなってしまった。
 私に似てお節介の嫌いな鳥のようだ。
この民家の崖下には炭焼き小屋がある。時々わが友人主催の炭焼きコンサートが開かれる。
 南野はこんな風情に包まれている。
 その友人にお前の音が煩くて鴨がいなくなったと抗議をしたが。結果は友をなくした。
 自然が隣り合わせの町田市小野路一帯を含めて小鳥や昆虫が飛び交う、そんな南野だ。
 暖かくなると蝶が舞い、小鳥が我が物顔に囀る。梅雨になり田植えが終る頃になると蛍が幻想の世界を醸しだしてくれる.、暑くなるとノーブルな顔をした蛇が舌を出しながら挨拶してくれる。詩情溢れる南野だ。
 一本杉公園の南門を抜け横山道を更に下ると雑木林の木漏れ日に浮き出た赤土の土手を縫うように鎌倉古道が走っている。
 土方才蔵が日野から小野路の道場(現小島資料館)に剣術指南のため通った道はこの路に違いない。
 こんな自然に囲まれながら、美味しい空気を吸いながらずっとずっと歩き続けていきたい。

多摩の原風景

2006-02-24 08:34:37 | つれづれなるままに
 町田図師小野路歴史環境保全地域=全行程約5kM 

 南野交差点からゴルフ練習場を左に見ながら町田市に向かって「よこやまの道」を越えたところに野仏13体がある。
 
此処を小野路方向に降り5・6軒目を右折する。と間も無く浅間神社がある。ここを過ぎ小野路城跡行きの山道の入る。
 
最初の三叉路を真中に進む。左手には山間の畑が拡がる。
ついで畑に沿うように下ると竹やぶの中を進むことになるが、足元に注意しながらT字路になったところを左折すると直ぐ標識「緑の指」がある。この指示に従い細い赤土を進む。木漏れ日の爽やかな山道を登る。

どんぐり・椎の木・樫がこんもりと茂っている。
やがてこんもりとした丘に小野路城跡がある。(小山田有重開祖源頼朝の家来)
関東武士団の小山田家のお城であった。
いかにも城跡らしく360度グルッと見渡す事ができる。現在は小さな祠が奉られている。
狸が出没し、人を騙すとか。
この城跡を下りたところにその名も小町井戸がある。(小野小町の病を治した湧水)
案内板によると「平安朝の昔、小野小町が病に罹りこの山に千日こもり此処に沸き出でる水で目を洗ったところ全快した」とある。
武蔵名勝図会に仙人水と記されている。
この水が小野路城の水源であったと書いてある。「ひでりにも枯れることのない水が深く静かに沁み出している」。ヤマゴボウ・シダ・が水辺を飾っている。

此処から園芸場を見ながら古道に沿って進む。梅園過ぎると大きな道に出る。やがて牛糞の臭いが流れてくるが陽だまりの丘に萩生田牧場がある。

此処から南斜面を南に下ると小野路の小野神社に至る。
小野道風を奉ってある。平安時代を代表する書家であり。また、小野道風は学問の神さま菅原道真の書道の師匠だったとか。

この地が小野路の交差点で宿場町だ、小野神社前を中心に集落となっている。
近くには土方歳三や近藤勇・沖田総司が剣道指南に通ったと言われる
小島資料館がある。また、此処には自由民権運動関係の資料がある。

此処から、狭い道を南野方面に500m位歩き、鎌倉古道に入る。
いかにも古道の雰囲気を持った山隘の道を登るとお稲荷さんやお地蔵さんが手招きしてくれる。

この道を上り切ったところが一本杉公園南口である。此処で乾杯。