たま多摩自由

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にんにん介護時代

2008-12-17 16:53:54 | 私の意見
「にんにん介護時代の環」        南野 狐
 人気の朝メロ「だんだん」は双子の姉妹が音楽の世界にデビューするのか、親の轍(てつ)を踏むのか、緊張の毎朝である。
 どこの家庭にもある挫折した経験を持つ親と、多感な夢みる子供達との葛藤は何故か身につまされる。
 姉のめぐみが好きな音楽を捨ててまで、高齢者ホームでの介護の道を選ぶ「けなげさ」には共感を覚える。

「老老介護」という表現が、いまや「認認介護」と言われる。認知症者が認知症の連れ合いを介護する時代となった。しかし、目標は「人人介護時代」ではなかろうか。
「街づくり」はつまるところ「人づくり」にある。さらには、人づくりが希望に満ちて出来る環境の整備が必要である。
身近にいる、高齢者や障害者、あるいは権利の主張のできない子供たちへの施策は「公共の責任」である。

眼の見える地域における、総合的な実績のある社会起業家を中心とした医療や介護・看護、あるいは教育関係者、ソシャルワーカー等々の有機的な「環」が活動出来る場所が必要である。

認認介護社会での現状は深刻である。ここでの行政施策の不作為は許せない。
協働の「ネットワークなんて不要」論は「理論ばかりの現場知らづ」ではなかろうか。

今や何時でも何処ででも支えあいが可能となる「協働オープンスペース」の開設が望まれる。切羽詰った高齢化時代に於ける緊急解決策だと考えるが如何。

姉妹が唄う「袖すり合うも他生の縁」ではなかろうか。   だんだん。