たま多摩自由

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白山神社と土公神

2008-04-09 12:28:03 | つれづれなるままに
   白山神社の“土公神"
“白山神社”はグリーンライブセンターの東側に隣接する。
”神社案内書“によると「三匹獅子舞用具ほかの、江戸時代末期から昭和初期の民俗資料が納められている。」とある。また、神社の上段には“土公神"が祀られている。「年貢の厳しい時代にあっても、土に生きる当時の農民が土の偉大なる恵みに感謝し、土を愛する心のよりどころに聖なる祈りと願いをこめて建てた(”落合名所図絵=峰岸松三著“)」とある。
 また、神社の近くには“東福寺”、“吉祥院”があり、それぞれ手入れの行き届いた、樹木と大きな鐘楼・野仏が両寺とも、ところ狭しと鎮座する。
 青木葉通りをさらに一本杉方面に向かうと、開発前の「青木葉の辻」(現青木葉公園前)がある。つい半世紀前までは小字“宝野”を経由し、天道松から唐木田方面へ。
辻を東南に進むと現存する文化財“平久保(ビリクボ)の椎の大樹”、まるで小山のような、ずっしりとした雄姿を見ながら、一本杉から小野路へと行くことができる。
 ニュータウン大型開発によって、昔日の面影を一変したとはいえ、地名は旧小字名であった豊ヶ丘、長久保、鶴ヶ峰、亀ヶ谷、青木葉、宝野など今も名残が留められている。
昭和初年の調査では110戸の集落によって構成されていたが、いま、豊ヶ丘、落合だけの所帯数でも実に9,572所帯という。
ムジナ、山ウサギ、タヌキ、キツネ、テン、イタチ、ムササビが谷戸に棲み、めじろ、山ガラ、ウグイス、キジ、タカ、ムクドリなどともに豊かないのちを、かっては共生していたようだ。
今は滅多にお目にかかれない。生き物たちは、み―んな小野路、や図師、小山田に避難してしまった。
 いま、「終の棲家」と勝手に決め込んだ1人として、余りに身勝手過ぎないか。
「愚者は経験を尊び、賢者は歴史に学ぶ」というが罪悪感に苛まれるのは、私だけだろうか。
はたして、白山神社の土公神はどんな審判を下すだろうか。            南の狐
  

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