たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

にんにん介護時代

2008-12-17 16:53:54 | 私の意見
「にんにん介護時代の環」        南野 狐
 人気の朝メロ「だんだん」は双子の姉妹が音楽の世界にデビューするのか、親の轍(てつ)を踏むのか、緊張の毎朝である。
 どこの家庭にもある挫折した経験を持つ親と、多感な夢みる子供達との葛藤は何故か身につまされる。
 姉のめぐみが好きな音楽を捨ててまで、高齢者ホームでの介護の道を選ぶ「けなげさ」には共感を覚える。

「老老介護」という表現が、いまや「認認介護」と言われる。認知症者が認知症の連れ合いを介護する時代となった。しかし、目標は「人人介護時代」ではなかろうか。
「街づくり」はつまるところ「人づくり」にある。さらには、人づくりが希望に満ちて出来る環境の整備が必要である。
身近にいる、高齢者や障害者、あるいは権利の主張のできない子供たちへの施策は「公共の責任」である。

眼の見える地域における、総合的な実績のある社会起業家を中心とした医療や介護・看護、あるいは教育関係者、ソシャルワーカー等々の有機的な「環」が活動出来る場所が必要である。

認認介護社会での現状は深刻である。ここでの行政施策の不作為は許せない。
協働の「ネットワークなんて不要」論は「理論ばかりの現場知らづ」ではなかろうか。

今や何時でも何処ででも支えあいが可能となる「協働オープンスペース」の開設が望まれる。切羽詰った高齢化時代に於ける緊急解決策だと考えるが如何。

姉妹が唄う「袖すり合うも他生の縁」ではなかろうか。   だんだん。

たま多摩自由

2007-04-17 17:42:54 | 私の意見

   多摩自由大学シンポジウム速報
                        2007年4月15日発行



多摩市民は市議会に何を求むべきか
――市民発の逆マニフェスト

 多摩自由大学は標記のテーマで4月7日、シンポジウムを開催しました。81名が参加して、活発な発言がありました。ここで論議された項目の中から「市民発のマニフェスト」として以下の項目を選定しました。市民が市議会と行政に求めるマニフェストはこれにとどまらないと思いますが、市議選を目前に控えて、緊急にまとめたものです。

第27回多摩自由大学創立3周年記念!シンポジウム
日 時:4月7日(土)午後1時30分~4時30分
場 所:多摩市永山公民館・ベルブ大ホール(永山駅下車2分)
「多摩市民は市議会に何を求むべきか」
―市民発の逆マニフェスト-
コーディネーター    山内和夫(東海大学教授)
パネリスト     阿部裕行・江川美穂子・西田昌弘
司会  大津山壽久










編集・発行 多摩自由大学
事務局・〒206-0032多摩市南野3-5-29 大津山方
電話・FAX042-376-0038
MA=ohtsu@tama.jp
 Ⅰ マニフェストをなぜ作ったか

いま多摩市では市議選を前にして、各候補者の鎬を削る戦いが展開されている。
候補者はそれぞれ政策を掲げているが、自分たち市民が作るなら、どんなマニフェストになるか?考えてみよう、と言う事になった。
   私たち市民は、主権者だ!主役様だ!と謳い上げられながら「選択権」「信託権」しかないのか。何故?オーダーメードは出来ないのか?
氾濫する「選挙公約」に対峙するマニフェストを発信してみようじゃないか?
議員が市民の鏡なら。市民は議員の何か。
   会場での発言は活気に満ちた。そこで以下の「市民発マニフェスト」が出来上がった。多摩市民はやはり政治的関心の高い人が多い。

 Ⅱ マニフェストの内容

■多摩市自治基本条例を多摩市の憲法として明確に位置づける。
平成16年8月に施行された多摩市自治基本条例は間もなく丸3年を迎えるが、これを生かすためには職員・市民研修の徹底が必要である。

■市議会の効率化と機能強化のための方策を講じる。
 市議会が行政のチェックを行なうことは当然であるが、それのみではなく、条例提案・
制定など立法機能を発揮することが必要である。そのためには、議員同士が問題意識を共
有し、議論を重ねる制度を議会内に設けるとともに市民と連携した調査・分析機能を備え
ること。

■議員は市議会活動の透明化と情報の公開を行い、積極的に説明責任を果たすこと。
 議会は会期ごと、市民との間で市政の報告と意見交換を行う制度をつくること。 この場
合、議員は少なくとも年一回これに出席すべきこと。また、議員報酬・政務調査費の使途
の徹底的な開示と説明を行なうこと。

■適正にして公正な市民協働を実現すること。
議員は市民活動・協働の場への積極的参加と情報提供すべきである。また、自治基本条例の規定をもとにして、具体的な手続きを定めた市民協働推進条例の制定が必要と思われる。その場合、行政が主導する行政補助の支援体制を廃し、市民と行政が対等に共管する市民協働の推進機関を設けること。市長部局に市民協働局を設置することも考えられる。

■ まちづくりについて具体的な施策を立てること。
「まちづくり条例」は施行されたが、これだけでは不十分である。乱開発を防止するためには高さ制限等を設けた「景観条例」が必要で、速やかにこれを制定すべきである。また、ニュータウン開発が終息した現在、改めて多摩ニュータウンの未来像を明確にすることが求められる。
 Ⅲ その他アンケート、会場で出された提案・意見等

■ 議員・議会に対して
・議会、議員の条例をつくる。2年以内の施行をめざす。
・議員相互の議論の活性化。
・政務調査費は上限を決めてその範囲内で住民(第三者機関の設置)が認めたものだけ
についてその運用を認める。
・議会議事録のあり方の見直しは必要と同時に市民の考えがある程度まとめ市民同士に伝えていける発行物も必要。
・議員活動の情報公開を。ブログ、HPなどで日常活動をガラス張りに。市民対話の機会を会期毎に。住区ごとに。
・現場を知らない議員は要らない。
・根回しの為の懇談は密室で開かれ、市民の目に見えない。公開されないので、市民には何も判らない。議事録には根回しの記録は残らない。市民の前で、正々堂々の論戦を繰り広げてもらいたい。
・市民の生活現場(問題箇所、紛争地区など) に常に足を運び市民と対話を。
・行政チェックを議員の本分とすること。
・議員の通信簿(含む自己評価)を是非作っていただき、市民1人1人にPR出来るように努力していただきたい。

■情報公開について
・ 現在の「行政資料室」は図書館本館の移転にともなって、旧西落合中学跡地に設置されると思うが、これを機会に拡大充実を図る。専門職員を置くように議会からも働きかける。なお、議員図書室についても、充実を図り、市民に開放すること。
・ 予算編成権は市長にあるとしても、議会が編成にあたって関与する余地は大きい。従来のように内密で行なうのではなく、どのような経過で行なわれたかを市民に明らかにすること。また、予算書の作り方についても、市民に分かりやすい予算書を作るように、行政・議会が協力すべきである。
・ 三年前に発表された「財政診断白書」についての検証と、今後の財政計画について、行政はもちろん、議会もともに研究して、その経過と結果を市民に明らかにすること。市税は国の増税策などもあって増加していると思われる。三年前より増加した分は、どのように使うのか。積立金などはどうなっているのか、議会としても積極的に財政計画立案に関与すべきであるし、市民に情報を開示すべきである。

■行政改革について
・ 市は現在、行政組織の改編を計画中である。教育委員会については社会教育部門を教育委員会専属から市長部局との合同とし、市長部局内部の組織も改編を検討中という。この改編については行政内部で専決するものもあるが、条例として市議会の議決を要するものもある。行政組織の改編は市民生活に影響するところ大である。この問題は、行政と議会が協力して慎重に研究・審議すると同時に、市民の意見も取り入れるよう努めるべきである。6月議会までに研究会を組織し、一年程度をかけて論議すべきである。

■教育について
・一昨年策定された総合計画・戦略プランでは、地域の教育力を高めると謳っている。多摩市の学校教育も少子化と二年前に導入された選択制の影響を受けていると見られる。地域の教育力を高めるためには、何をすべきか。市議会の常任委員会でも、これについて教委と協働して、研究をすべきである。その場合、学校選択制の検証、廃校校舎の問題などが議題になろう。市民の力を求める市民協働も必要である。

■まちづくりについて
・1年以内に廃校利用のグランドデザインを創る
・行政と対立ではなく、お互いに協力してよい街づくりを願う。
・高齢者の居場所をもっとつくってもらいたい。ニュータウン区域の近隣商店街の空
き店舗を利用してNPO団体などが高齢者の憩の場をつくっているが、これをもっと増
やすよう、議会も積極的に応援して欲しい。市も思いきった助成策をとって欲しい。
年寄りの行き場がない街は悲しい。
・この街の行方を示す。ニュータウンの再生をどうするのか?少子高齢化社会、人口減少社会の街の姿を具体的に。
・.モラルハザードにどう立ち向かうのか? 行政と業界との癒着、国、都、UR,など機関との馴合い、教育、地域の絆喪失など。
・自治区の創設に提案を。自治基本条例をほんとに市民のものに。

■マニフェストについて
・逆マニフェストが提案される以上、市民にもそれだけの責任を持たなければいけない
・私が思うマニフェストは具体的な数値目標を示したもの。さらには、それが何故必要で、何が問題で如何すれば達成できるかの提案などを含めてその人のマニフェストと思う。また、市民発なので多摩市民が本当に必要だと思っている要望をアンケートして意見を集約して逆マニフェストとして突きつければ良いなと思う。

■シンポジウムについて
・このようなシンポジウムを行うことで、市民が市政へ発言することの大事さを感じることが出来た。しかし、このような取り組みは一度だけで終る事でなく、継続的に行うことも重要だ。
・このシンポジウムが市民と議員をつなぐ為のお目付け役としての団体として発足して欲しい。

                                    以上

野党精神

2007-02-10 21:34:55 | 私の意見
  野党精神
 現在多摩市には数多くの「まちづくり」を標榜するサークルがあまた存在する。特定政治団体を除いて野党的と言うか、批判的な団体は何故か数少ない。
 団塊世代の要領のよさから「観念左翼行動右翼」批判と言う名の足の引っ張り合いが多すぎる。と思うのは言いすぎかな。
 多くが行政のお先棒担ぎと言われても仕方ないような団体が多い中で、この点、多摩自由大学は講演会活動や月報・多摩ジャーナルという市民へのアピール面において確実に多摩市地方政府に対しの批判勢力として野党的な地歩を確実に固めていると言って過言でない。かといって何でも反対の安易さも無い。自負はある。
革新と言われる政治団体が陥りがちな教条主義ないしは金太郎飴的な締め付け的な統制もない。まさにリベラリズムに徹した構成メンバーの一匹狼的な要素が大きい。つまり、革新と言う名の守旧はここには存在しない。
その原因は推察するに、宮仕えから解放された年配者が多いところから来る、大人の自由さ勝手気侭さに起因するからだろう。

ワイドショウ評論家

2006-09-06 08:24:16 | 私の意見
似非評論家に踊らせられるオヤジ、オカカ諸君!目覚めよ!
 お茶の間政治評論が豪放磊落な細川隆元。藤原公達の時事放談によって切り拓かれて以来、政治が判り易くなった。しかし、いまや週末の午前中はNHKを始め民放のワイドショウとなり、各局鎬を削っている。
 ここで、世論が形成され、終には左翼学生の専売特許であった構造改革をさえ「劇場型選挙」によって奪い獲られてしまった。
鵜呑みする視聴大衆者が己の考えなり、意見の整理も束ぬまに受け売りを始める。
当に衆愚政治は窮まれりの感がある。
元々。元祖はラジオ株価市況の実況に始まったと記憶するが、今日では政治分野から経済・財政さらには地域行財政、さらには法律論までが面白可笑しく大衆の中に浸透されてしまった。
特に、週末の番組どころか毎朝のワイドショウに政治家や法律家、そしてコメンテーターと思われるTVタレントが時宜的ではあるがいい加減な評論を展開する。
そして結果したのは「首相の靖国問題参拝、肯定50%以上」となって表れるに及ぶと、一見根拠、或は論拠付けられたように錯覚し、己のアナクロニズムと合わせて世論調査に騙されてしまう。問題は深刻だ。
こうなると、メディヤによって歴史や宗教や民族問題に至るまで世論が形成されてしまう。
そして、金権の支配する政党だけが世論を操作してしまうこととなる。
かって、安倍がメールマガジンによるITの公共性を踏みにじり、政府スポークスマンとして大統領以上ともいえるこの国の権限と権益を支配した確信犯的戦略は、流石。
A戦犯・岸の孫だけの血統書付だけの事はある。
岸を殺せとデモッタ団塊諸君。あの熱気は何処に仕舞い込んだか。
まさか、ジジーババーに成り下がったんじゃネーダロー。!!



教育という隠れ蓑

2006-08-20 18:42:05 | 私の意見
難しいことは易しく
易しい事はジョークで
近時、頭の体操に取組まされている。
この子はと信じていた“カグヤ姫”の謀反的かつ脅迫的教育に出遇った。
この種の教育はリハビリと称するが、時として苛めに近いものがある。
そう、教育は所詮「人間的な教師、あまりに人間的な教師」の気分次第によるところが大きい。
易しい事をわざわざ難しく言うのがこの手の教育者だと。
なんとこの種の教育者の多かった事か。
易しく整理し、思考する事を殊更に難しくした“職業としての教育”の無意味さを!。
つまり、難しく考える事を「疑問を持つ」という逃避的な習性!或は大衆化すべき教育を自己保身本能からのみの擬似教育がまかり通る聖域であることを。
こういったマヤカシを許すほど世の中は甘くない。経験と洞察力、つまり一言で言うと「眼力」に富む高齢者が一挙に増えてきた団塊世代の己を捨てた自然な発言に期待しよう。
何だかんだと、言い訳か、単なる屁理屈に過ぎない物事を、暇つぶしに難しく捏ね回す「教育」と称する欺瞞さを許すわけにはいかない。
そうだ、難しい事を易しく整理し主張する世捨て人に期待しよう。
  写真はインパチェンス

改革革新とは

2006-08-08 09:21:57 | 私の意見
 挑戦のすすめ
 このところ友人の訃報に接する事が多い。チョッと早すぎる嫌いはあるが。
 息子の挨拶で「父の信条は、失敗の反省より挑戦を躊躇うことによる後悔を憎んだ」。
かねがね、堂々たる人生だった奴。と思っていたが。この子にしてこの親ありと。
 得てしてこの世の中、雁字搦めの法のピラミッド。これを法の解釈という判例によって補完されるし、今日の市民社会は市民の納得を得ながら運営されている。
 これこそが真のコンプライアンス。書き古された法を絶対視する事は誤りだ。
 時代遅れといって良い。
 法の前に怖気づく市民は多い。言い換えると「物分りの良い市民」はある意味、不作為の犯罪を侵していると言っても良い。少し言い過ぎだろうか。
 社会の進歩はこのピラミッドをこの権力者の象徴たる土塊を大衆のために整地し、時代という水を引き入れながら現代社会を一つ一つ創りあげてきた。
 長野県知事は大衆の共感を得る努力を怠ったように伝えられるが。6年間の功績は大きい。
 こんな時代を見据え大胆にチャレンジする人生である点、今日の友に共通する。
 少なくとも大衆運動に当たっては駆け引きと言う姑息な手段。つまり、やるべきことからの逃避は絶対に赦さなかったこの友の意思は多くの後輩に引き継がれるだろう。
 市民感覚を何より優先させ大事にしながら。写真は多摩川の花火


8月盛夏に鍛える葉牡丹

2006-08-03 07:26:54 | 私の意見
 8月盛夏に鍛える葉牡丹の苗
 永い梅雨がやっと終り真っ赤な8月となった。
子供を連れて房総や湘南の海の家、そして野尻湖や軽井沢での避暑を楽しんだのも一昔の事だ。
 我が家の老神様は老老介護に追いまくられ、九州との往復に消耗しきっている。
 そんな中にあっても梅雨時こそが正月を飾る葉牡丹の播種と鍛錬、育成の時期である。
この花は梅雨に蒔き、酷暑で鍛え、秋の成長、そして真冬の寒冷気で鮮やかな紅白に色づく。
 その生命力は双葉から枝葉が2・4枚くらいになった頃移植し、さらに枝葉が8枚頃に再度本植えすることになっているが、この梅雨明けの時期の毛細根の根張りは見事と言えるほどに繊細だが力が漲っている。
 これこそが正月を飾る頃見られる、貧弱な根張りからは想像も出来ない程の格差がある。
 きっと若い頃の基本がシッカリしていると花や実となるに及んで結実する。見る人を喜ばしてくれる典型的な例である。
 そう。わが人生とは全くの逆さまに。反省!。
  写真は葉牡丹苗

ダビンチコード

2006-05-31 19:12:42 | 私の意見
 久し振りに映画を楽しんだ。
 ミニシアターとは言え青春時代の宿や袋の格安の名画館よりはるかにゴージャスだし快適な劇場である。
 封切のダビンチコードを愉しめるとあってワクワクして行ったが、TVに較べストーリーが全く違う。
 最後の晩餐の原画をローマで見た時のあの感激に何か水を掛けられた。
 しかし大画面と音響の迫力にはカンシャしなければ。
 ミニシアターの選別も自己選択・自己決定・自己責任と言うことだろうか。
 写真は山鹿温泉

山鹿温泉八千代座

2006-05-23 07:12:28 | 私の意見
 肥後の国の山鹿温泉が発見されたのは景行天皇の熊襲征伐の時代と言われている。なんでも傷付いた鹿が湯浴みをしていた。と伝えられている。
 写真は山鹿市「八千代座」。

是々非々

2006-05-22 10:51:45 | 私の意見
 今やTVの政治番組と称するワイドショウによってお茶の間政治評論家が口角泡を飛ばす風景に接する。
 その中でも最も鼻持ちならないのは「批判精神自己陶酔症候群」の特に高齢者。
 所詮は論拠の無い、自己陶酔に酔い痴れているから酒でも入ろうものならもう大変。
 そんな輩が「是々非々」という隠れ蓑に使う常套語。
 これを称して「霏霏ジジー」。
写真は肥後の銘酒「千代の園」酒蔵。山鹿市下町。