たま多摩自由

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老いてこそ市民

2009-03-27 19:32:38 | Weblog
「老いてこそ市民」
 「先輩は引っ込んでて呉れ」!。
血気盛んだった若い時代、年長の上司や先輩に、「蟷螂の斧」とは知りながら闘いを挑んだ青二才の頃を思い出す。
同時に、生涯賃金・年功序列で安穏と野党精神がたやすく通用した現役時代の古き良き時代を懐かしく思い出す。
かといって、今日の役所の若者達の元気のなさ。上司の酒場での悪口をさえくちに出来ない無気力さには情けなくなる。
市民活動だって、NPO活動だって補助金欲しさにぺこぺこと、「恥知らずめ!」と怒鳴りたくなる。こんな市民やNPO活動者に改革や革新を期待するのは無理。
多くの志高い人たちが救われない。
頼まれもしないで、役所の下請け走狗と成り果て、自己満足の体制内怠け者。
こいつ等の権力迎合型と闘うには納得できる理論が必要となる。
こんな時は早速図書館へ。税を払わない高齢者であっても文句のひとつも言える論理的根拠を求めに。
 あった。「老いてこそ市民」と叫ぶ小田実だ。彼は60・70年代のオピニオンリーダーであった。鶴見俊輔、開高健等と並んだ「べ平連」の呼び掛け人だ。
 彼は言う“市民がデモ行進一つせずに問題が解決されるとしたら、それは「官的解決」であるし「企業的解決」である”。言い換えると人任せの解決は“「主権在民的」ないしは「市民社会的」解決ではない”。と、小田実の「戦争か平和か」を見つけ出した。
定年退職した当初、私が諦観に似た、妥協は「政治とか教養だとかと全く縁の無い世界」で老後を安穏に唯ひたすら趣味に生きることであった。
外国旅行であったし、市民活動として仲良しサークル活動であった。高校時代以来の絵筆を持ってみたり、記録としてのエッセイに取り組んだり、健康第一とウォーキングに精を出したり。しかし、こんな生き様では、何かが不足。
「何故、役所や政治や権力と対決してはいけない」のか。何か釈然としない。
「老いてこそ市民」のアピールは老いたからこそ納得出来る共感を覚えさせてくれた。
小田実は言う。「名刺交換などの肩書きは一切不要」。ともかく「デモに参加しよう」それからだ。
折りしも、まちづくり運動の中で似非市民派組織が「世代交代」を説く事に疑問を感じた。「チョット待てよ」「高齢化時代においてはその知恵とアイディアじゃなかったか」と。「歴史に裏付けられた高齢者の経験を活かす事ではなかったか」と。
 サムエル・ウルマンの詩「青春」に「青春とは」人生のある期間ではなく、心のもち方を言う。青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも60歳の人にこそ青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を喪う時初めて老いる。と。
 そうだ、生きてる限り自由と責任を持って胸を張って生き抜こう。
 日々是革新の御旗を掲げて。老旬を汚さぬ為に。歩き始めよう。
「行不由径」(往くに小道に由らず)。

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