たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

福祉センター南側を望む

2006-03-31 15:39:58 | Weblog
 隣の芝はまだ茶色。
福祉センターから真下に見えるゴルフ場には年度末の金曜と言うのにゴルフにうつつを抜かす若者が下手なヨセに四苦八苦していた。
 こんな奴にはマダマダ託せない。
 芝はまだ枯れたままだがこんな時は耕さないで欲しい。
手前は雪柳。

「芽吹く」多摩

2006-03-30 08:44:18 | Weblog
 「芽吹く」とは5月末の北海道の桜・梅・ライラック・菜の花、あらゆる花木に草花、そして一面の新緑とともに、永い永い白一色の世界から怒涛のように生気を取り戻してくることを表現した言葉だ。
 この言葉を最初に使ったのは「私が一番」と芥川受賞作家が論争していたのを札幌のプラザホテルで聞いた事がある。
 本当に良い表現だ。多摩の梅も遅く、早いのが桜。そして椿だ。
 花は愛でるもの。
画は椿ですよ。名は確か”クレマンス”。

自炊生活

2006-03-28 18:34:57 | Weblog
 私達の学生時代はお金のある奴は3食、つまり昼弁つきの下宿だったが我々は自炊が当たり前であった。
 勿論、安上がりの食べ物は鯨のベーコンにコッペパン。
 贅沢品でマーガリン。バターは高くて喰えなかった。
そんな時代から60年しか経ってないのに今や鯨は滅多に手の出せるものではない。
 画は庭先の椿。多分”羽衣”。
椿に付き物の”チャドクガ”が間もなく現れる。ご用心。
 美しきモノには。

お彼岸

2006-03-27 14:08:45 | つれづれなるままに
         お 彼 岸
 公園墓地の朝まだきは何時も霧が立ち込めている。
そんなに高いとは思えない高尾城址から滑るように落ちてくる風は縦横、行儀良く並んだ墓石の間を、丁寧に遍く平等に気配りさながら四季の香りを配達して回る。
 八王子の北外れにある多摩御陵の裏手に都営霊園は拡がっている。
この霊園に生後三ヶ月で亡くした長男と両親を納めている。
 この墓地にくるようになった当初は彼岸の中日にお参りに行って、あまりの人ごみに懲りてからというもの、抜け駆けのような後ろめたさはあったが早朝の暗いうちに家を出る習慣が身についた。
 朝露にぬれた芝生を歩きながら長男が生きていれば間違いなく酒の相手をしてくれていただろうし、きっと外国に行かしてくれと梃子摺らせたに違いないと、為しえなかった手前の繰言のみがほろ苦い願望となって次から次えと思い出されてくる。
 いやいや息子は隔世遺伝としてならきっと理系に違いない。親父譲りの秀才だったろう。
 これも古女房と嫁いだ娘二人の女ばかりに囲まれた我が家の実体は、まさに敵の勢力まっただ中の繰言。
 そういえばこの霊園には孤軍奮闘する男の悲哀をなごませてくれる包容力がある。
 余り仲の良くなかった両親が同じ穴の中でどんな痴話げんかに明け暮れているだろうかと覗いてみたくさえなる。
 同郷であった父母の結婚は家を中心とする村長の采配する命令に従ったままの結婚であった。封建時代の熊本の因習に従っただけの話だった。
 村長の権威と両家の思惑とが調整された婚姻であった。若い本人同士の意思なんて入り込む余地は全くなかった。帝国陸軍将校の結婚は陸軍省の認可を必要としたし家族だけ決める事さえ許されなかった。
 墓地はこんなとり止めもない想いに耽るには格好の場所でもある。
 毎年、お彼岸、お盆、そして年末になるとお墓の掃除にやってくる。
 何故か決まって思い出すのが、土葬の風習の残っていた頃の深い墓穴と
野辺送りの葬儀の風景だ。本家から桶に入れられた伯父を担ぎ出し、荒縄でバランスをとりながら深く深く収めた光景だ。
 この墓前では親父と息子の二人の男が加わる。賑やかに酒を酌み交わし、天下国家を論じ高歌し酔郷にさまよう事が出来る場所でもある。男の、そうオノコの天下となる世界であり、幸せ一杯の大草原でもある。
 今年も大事な従弟や友人を多く亡くした。きっとあの世とやらでは皆仲良く遊んでいるに違いない。賑やかな事だろう。

炭焼き小屋コンサート

2006-03-26 14:06:59 | Weblog
 3月26日(日)炭焼きコンサートが開かれ、例年どうり開催された。
MさんYさんが豚汁のサービス。
 多摩丘陵病院のお医者さんの演奏や唐木田和太鼓のねじり鉢巻の若者の勇壮な鼓音が一本杉公園にこだましていた。

スローライフ

2006-03-26 07:56:46 | 私の意見
 ”公から民へ””民のことは民で””行政改革”の美名に酔いしれて指定管理管理者制度が確たる議論もなしに推し進められている。
 元々、経費節減を絶対視する無責任な市民活動家が無原則に吼えまくるのを聞くと、「大丈夫かな」と心配になる。
 安上がりの安易さは、経験則とか、文化とか教育とかには土台、異質なものではないだろうか。
 公共サービスに最も要請される質・確度・品格は歴史に学ぶ以外に無い。市場原理とは相容れない。
 覆水盆に返らず。スローライフは多くの場合、亀に似て歴史の勝利者となる。
 
 

川井家

2006-03-25 19:12:14 | Weblog
 今年は梅の開花が遅れ桜が早まった。北海道なみの”芽吹く”時期の到来。
 例年、川井家の枝垂桜は多摩市では一番先に開花する。これから乞田川・宝野公園・一本杉の順に。
 昨日は二分咲きかと思ったが今日はもう7分か6分か。
 桜を見ると何故か浮き浮きする。
気の所為か、スギ花粉も忘れ歩き回るのに忙しくなる。

多事多難

2006-03-20 19:20:40 | Weblog
 今年は例年に無く大雪に見舞われ北国の人にとっては大変なご苦労で察する余りある。
 これは異常気象の所為か或は驕れる人類に対する天の怒りに違いない。
 この世に生を享けた者として、今一度自然への回帰を願ってやまない。
 写真はメラコイレス。