たま多摩自由

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筍(竹の子)生活

2008-05-25 09:54:11 | つれづれなるままに
「筍 生 活(たけのこ)」      南の狐
 雨後の筍(たけのこ)とはよく言ったものだ。
雨の日には人が竹林に入らない所為もあろうが、難なく獲物にありつける。
 雨の休日明けと言ったら、こたえられない。
 ここぞと思える盛り上がった感じの地面を探ると思いのほかの硬さを感じる。これこそ筍の当たりで、登山靴にさえ厳しく感じる。
味から言うと孟宗竹は大きいほどおいしい。歯ごたえを感じるコリコリした感触は、翌日の快便の証につながる。
 期待以上の獲物にありついたときは、料理が一仕事だ。
一枚ずつ皮を剥いでいく。一枚、一枚、丁寧に剥いていく。そして白い柔肌のような中身からはツーンと筍の香がする。
何故か60年も前の戦後の食糧難の時代を思い出す。
 職業軍人だった我が家の戦後の家計は母の細腕と、箪笥にしまった着物を一枚、一枚売っては食いつないだ。底を突くまでいくらも掛からなかったろう。
 子供三人には母親の行商と、お宝は勿論の事、あらゆる物を売り捌くことだけが生活のすべてだった。
 食べるものも、着るものもなかった時代だ。本家から借り受けた畠に麦、薩摩芋、南瓜、じゃが芋、里芋、南京豆、玉蜀黍をはじめ我が家の自給自足の食料だった、二反分程は作ったろうか。
 我が家の戦争に対する憎悪はこの食糧難の経験からのものであり、理屈や条理の世界ではなく本物だ。
戦争体験は高齢者なら、誰でも語れる。それも生々しく。駆け出しの革新派が他国での戦争に反対し、聞きかじりの戦争の悲惨さをどんなに訴え様が、何か空々しい響きでしか感じられないのは何故だろうか。
 私らの世代は戦争への拒否反応についてだけは理屈抜きに共有し共感できる。
 母が「筍生活たい」と戦後の苦しい中にあって、明るく振舞っていた健気さを筍を剥くたびに思い出す。
 筍の美味しさは、戦争の苦い実体験さえ赦し、郷愁の世界に導いてくれるものがある。
一枚、一枚と。   (了)写真は南関大津山神社



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