たま多摩自由

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一本杉公園球場

2006-02-25 19:26:52 | つれづれなるままに
一本杉公園球場 
 江夏豊の野性味溢れたファイティングスピリットはただただ大勢に順応したがる私への激励と叱咤のメッセージとなって思い出される。
江夏と縁のある多摩市民にとってはなおのことに思える。
一本杉公園で彼の姿を見た市民には野球に余り関心を持たない人々を含め思い入れひとしおの感がする。
 紹介するまでもないが巨人阪神戦で江夏・田淵のバッテリーが猛虎そのものに王・長島巨人に噛付いたかっこよさ良さは万人の認めるところだ。ただ私はトラキチではない。
 この江夏豊が日本球界からのリストラ通告を意にも介せず、下腹のつき出た身体で大リーグミルウオ-キ・ブルワーズに挑戦した。結果なんてものはどうでも良い。
 そんな勇姿を見れた「一本杉球場」が私の毎日のウォーキングコースだ。
蛇足ながら紹介するとあれほどのビックの引退式が開かれた、昭和65年1月19日は寒い寒い日だったが、誰も使ってくれる人のいない空いている、この球場で行なわれた、それも月曜日だった。
 その年の、翌20日の朝日の縮刷版を調べてみたが“江夏は地元少年野球チームのセー ブ役として阪神28のユニホーム姿でマウンドへ。山本浩、落合、岡本、江藤らと”最後の対決“試合後約16,000人の観衆を前に「胸を張ってアメリカに行ってきます」と挨拶した。”(原文のまま)とある。私もその挨拶に涙した一人だ。
そして、話題にも上らない事だが、今もその日付けの江夏豊の名前入りの軟式ピッチングマシンが地元少年野球チームに寄贈されたことを知る人は少ない。
極々自然に使われている。目立たずひっそりと。
そこが、いかにも江夏らしいと思う。
 また、この球場入り口に川上哲冶の植樹記念碑があるが、“1日だけの引退式を企画呼び掛け人の一人となった赤バットの川上が少年野球の指導をしていた球場だった。
 しめ縄の似合いそうな記念碑だ。
 そんな一本杉公園は南野にある。
 球場を見下ろすようにスダジイの巨木が堂々たる年輪を重ねている。
春先になると咲き誇る桜並木となる。球場を下ると石庭がある。心の休まる落ち着いた雰囲気は岩清水を模して造られた水の音とともにこの公園を清浄にしてくれる。
 そして枯れ山水に沿ってトンネルをくぐると多摩市の旧民家2軒が紅白黄の手入れの行き届いた梅園に囲まれている池の見える一本杉公園に導かれる。
 この池には昨年までは三組の鴨と何故か一匹になってしまったシングル鴨がやって来ていたが、今年は市役所が清掃した所為で1日だけ姿を見せただけですぐ居なくなってしまった。
 私に似てお節介の嫌いな鳥のようだ。
この民家の崖下には炭焼き小屋がある。時々わが友人主催の炭焼きコンサートが開かれる。
 南野はこんな風情に包まれている。
 その友人にお前の音が煩くて鴨がいなくなったと抗議をしたが。結果は友をなくした。
 自然が隣り合わせの町田市小野路一帯を含めて小鳥や昆虫が飛び交う、そんな南野だ。
 暖かくなると蝶が舞い、小鳥が我が物顔に囀る。梅雨になり田植えが終る頃になると蛍が幻想の世界を醸しだしてくれる.、暑くなるとノーブルな顔をした蛇が舌を出しながら挨拶してくれる。詩情溢れる南野だ。
 一本杉公園の南門を抜け横山道を更に下ると雑木林の木漏れ日に浮き出た赤土の土手を縫うように鎌倉古道が走っている。
 土方才蔵が日野から小野路の道場(現小島資料館)に剣術指南のため通った道はこの路に違いない。
 こんな自然に囲まれながら、美味しい空気を吸いながらずっとずっと歩き続けていきたい。

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