日本協議会理事長 多久善郎 ブログ

日本協議会が推進する「日本会議の国民運動」と「青少年育成の教育事業」、熊本・東京・全国を巡る中での体験と思索を発信。

志士を育てた心の学問 佐藤一斎1

2010-02-16 19:26:02 | 【連載】 先哲に学ぶ行動哲学
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人 第七回(『祖国と青年』22年10月号掲載)

志士を育てた心の学問 佐藤一斎1
十年ごとの心境の深まりを綴った求道録『言志四録』

 中江藤樹の門人達は全国各地でその道統を広め、京都学派(淵岡山)・大阪学派(木村難波)・美作学派・伊勢学派・江戸学派・会津学派・熊本学派などが形成された(木村光徳『日本陽明学派の研究』)。更に、三輪執斎(1669~1744)は正徳2年(1712)に『伝習録』の和漢における最初の注釈書として『標註伝習録』を刊行し、日本陽明学「中興の祖」と仰がれた。

一方、幕府に重んじられた朱子学は、三代将軍家光・五代将軍綱吉の庇護を受けて、元禄三年(1690)には湯島に聖堂が完成する。更に幕府は、朱子学を中心とする文教確立の為に、寛政二年(1790)に湯島聖堂での朱子学以外の異学の講究を禁じる「寛政異学の禁」を発令した。寛政九年(1797)、幕府は林家経営の湯島聖堂を官営化し、昌平坂学問所(昌平黌)を開設した。更にこの様な幕府の文教政策に呼応すべく、全国的に「郷校」や「藩校」が、次々と設立されて行く。陽明学は、寛政異学の禁の余波を受けて下火になるが、あくまでも官学に於ける排除であり、王陽明全集や伝習録などは朱子学にあきたらぬ人々によって愛読されていた。その様な中、官学の中心に立つ学者の中に、朱子学と共に陽明学を体認した人物が現れ、学問を志して全国から集う青年達に多大なる影響を与えた。それが佐藤一斎である。

 佐藤一斎は安永元年(1772)十月二十日、岩村藩の家老佐藤信由の二男として、江戸浜町の下屋敷(現東京都中央区日本橋浜町)で生まれた。名は坦、字は大道、一斎は号である。通称は捨蔵。幼くして読書を好み、水練・射騎・刀槍などに優れ、小笠原流礼法を身につけていた。十四歳から学問に励み、二十歳で朱子学、二十一歳で陽明学を修め始めた。十九歳の時のエピソードで、「拳法は匹夫の技に過ぎない。天下第一等の事をすべき」と読書に励んだという。十九歳の時に藩主の近侍に抜擢されるが、二十歳で免職し士籍を脱する。隅田川の舟遊びの事故が原因かと推測されている。二十一歳で大阪に遊学し懐徳堂の中井竹山に学ぶ。二十二歳で大学頭林錦峰に入門。錦峰歿後、林述斎(岩村藩主松平乗蘊の三男・佐藤一斎の父が元服時の烏帽子親であり、述斎と四歳年下の一斎は義兄弟)の門人になる。文化二年(1805)三十四歳で朱子学の宗家林家の塾長(私塾)となり、幕府の学問所を統轄する大学頭林述斎と手を携えて、多くの門下生の指導に当たった。
 
  孔子の志を己が志として綴った『言志四録』

儒学者としての道を歩む佐藤一斎は、孔子の生き方に準うべく、道に於いて自得する所を、書き綴って行き、遂に『言志四録』として結実した。四十二歳から始まり八十二歳まで、実に千百三十三条に及ぶ箴言を刻み続けた。著作は四回に分かれ、最初の「言志録」が四十二歳~五十三歳で246条、「言志後録」が五十七歳~六十六歳で255条、「言志晩録」が六十七歳~七十八歳で292条、最後の「言志耋録」が八十歳~八十二歳で340条である。「言志」の文字に現されている様に、総てが一斎の「志」を記したものと言って良い。それは、「聖人」たらんとする一斎の激しい求道心の迸りからの叫びである。

『言志四録』に記された言葉の数々は、借り物では無く、一斎が体得し血肉化した言葉になっている。中国の儒教の経典の言葉が、一斎を通じて「日本人の教え」として結実したのである。それ故に、『言志四録』は幕末の志士達の生き方のバイブルとなり、現代でも尚愛読され続けているのである。西郷南洲は『言志四録』を愛読し、その中から101条を抜き書きして座右の戒めとした(従兄弟の為に手抄した全28条のも伝わっている)。佐藤一斎は、学問について次の様に記している。

●此の学は、吾人一生の負担なり。正に斃れて後已むべし。道は固と窮り無く、堯舜の上にも、善尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜々として自ら彊め、老の将に至らんとするを知らざりき。(中略)凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。(「言志後録」1)(私が志している学問は、生涯を懸けて追い求めるべきもので、古人が言う様に、斃れて息が絶えるまで止まないものだ。この道は窮まる所が無く、中国の聖人である堯や舜の事績を超えて善の道は限りないものである。孔子様は十五歳で学問に志されて以来、三十歳から七十歳迄十年毎に心境の進むのを実感され、日日休む事無く務め励まれ、老いが身に迫っている事も実感されない程だった。(中略)孔子を学ぶ者は、生涯道を求め続けられたその志を自らの志とせねばならない。)

●学を為す。故に書を読む。〈「言志録」13〉(私は、聖人に成る為の学問をしている。その為に書物を読んでいる。知識を増やす為に読書しているのではない。)

  壮年時の求道心がほとばしる「言志録」

 42歳から52歳にかけて記された「言志録」には、一斎の激しい求道精神が伺え、大いに励まされる。

●志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫す。〈33〉(志は鋭い刀の様な物で、志が無ければ子供からだって馬鹿にされる。)

●世間第一等の人物為らんと欲するは、其の志小ならず。余は則ち以て猶ほ小なりと為す。(中略)志有る者は、要は当に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。〈118〉(歴史に名を残す第一等の人物こそを目指す。)

●憤の一字は、是れ進学の機関なり。「舜何人ぞ、予れ何人ぞや」とは、方に是れ憤なり。〈5〉(発奮する事で学問は進んでいく。聖人の舜だって人間、俺だって同じ人間。)

次の二条は自己を超越した「天」(宇宙に満ちている真理・自己の命を生み出した大本)を実感して生きる事を訴える。

●凡そ事を作すは、須らく天に事ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。〈3〉(人に仕えず天に仕えよ。)

●人は須らく自ら省察すべし。「天何の故にか我が身を生出し、我をして果して何の用にか供せしむる」と。〈10〉(天は何の為に私をこの世に生み出したのか、常に考えよ。)

●今人率ね口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二、閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事となす。宜なり其の多忙なるや。志有る者誤つて此の窠を踏むこと勿れ。〈31〉(多忙の中の八割はどうでもよい事ではないのか。時を惜しめ。)

●士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都べて一己より締造す。〈119〉(自己を頼め、全ては自らの決意によって生み出される。)

●己を喪へば斯に人を喪ふ。人を喪へば斯に物を喪ふ。〈120〉(自分を見失った人間は人も物も全て失う。)

●雲烟は已むを得ざるに聚り、風雨は已むを得ざるに洩れ、雷霆は已むを得ざるに震ふ。斯に以て至誠の作用を観る可し。〈124〉(自然現象の如くやむを得ずして行う事が人間の誠心の発揮である。)

●急迫は事を敗り、寧耐は事を成す。〈130〉(決して慌ててはいけない。じっくり待つ事である。)

●面は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。〈19〉(冷静な頭と暖かい背中、胸は虚心で腹には信念が満つ。)

●真に大志有る者は、克く小物を勤め、真に遠慮有る者は、細事を忽せにせず。〈27〉(目前の事物を疎かにするな。)

    晩節を全うする分かれ目の「五十歳」

 文政四年(1821)五十歳を迎えた佐藤一斎は、自らの「志の原点」を再確認すべく故郷を訪問、郷里の岩村など美濃の先祖の遺跡・墓地を巡拝、近江で藤樹書院を訪れ、京都で林羅山祠堂に参拝した。「言志後録」に次の様に言う。

●齢五十の比ほひ、閲歴日久しく、錬磨已に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於ても、亦政治の事に従ふ時候と為す。然るに世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、其の晩節を失ふも亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。(中略・この箇所に故郷訪問について具体的記している)時に齢適に五十なりき。因て益々自警を加へ(後略)〈241〉(人間五十歳も過ぎると世の中の事にも馴れて驕り昂ぶり天狗になり、終には晩節を汚してしまう事になる。ここが身を慎む正念場である。故郷を訪ね「自警」を深めた。)

57歳から66歳にかけて記された「言志後録」には、教育者としての一斎の面目躍如たる文章が掲載されている。

●誘掖して之を導くは、教の常なり。警戒して之を喩すは、教の時なり、躬行して以て之を率ゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の神なり。抑へて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。教も亦術多し。〈12〉(教え導き、間違いを戒め、自ら身を以て示し、自ずと教化し、けなしたり誉めたり励ましたり、と教育の仕方は様々にある。時と相手に応じて使えれば達人だ。)

●聖賢を講説して、之を躬にする能はざるは、之を口頭の聖賢と謂ふ。吾れ之を聞きて一たび然たり。道学を論弁して、之を体する能はざるは、之を紙上の道学と謂ふ。吾れ之を聞きて再び然たり。〈77〉(講義する内容を自ら体現出来ねば「口先だけの聖賢」「紙の上だけの道学」だとと聞いて、わが身に省みさせられ、つつしんだ。)

●春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む。〈33〉(人には暖かく、自らには厳しく。※広田弘毅を始め多くの先達が座右の銘とした名言「以春風接人・以秋霜自粛」)

●克己の工夫は一呼吸の間に在り。〈34〉(克己心を養うのは瞬間瞬間の自らの有り方にある。)

●終年都城内に奔走すれば、自ら天地の大たるを知らず。時に川海に泛ぶ可く、時に邱壑に登る可く、時に蒼奔の野に行く可し。此れも亦心学なり。〈66〉(部屋に閉じこもらず大自然の中に出でよ。大自然の中で心を磨け。)

●好みて大言を為す者有り。其の人必ず小量なり。好みて壮語を為す者有り。其の人必ず怯愞なり。唯だ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢の人物なり。〈68〉(大言壮語する人間は信用ならない。)







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