「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

「わが君にまさるきみなし、わが祖にまさる祖なし」(『日本の息吹』熊本県民版・令和元年12月号)

2019-12-06 14:51:00 | 錬義堂通信
【連載】 錬義堂通信 ② 
       
「わが君にまさるきみなし、わが祖にまさる祖なし」

 第百二十六代天皇陛下の御即位をお祝いする「国民祭典」が十一月九日に皇居前広場で開催された。私は上京できなかったが、日本会議熊本からは片岡事務局長を十一月一日から十日迄中央に派遣してその運営の一端を担った。又、古庄会長御夫妻や熊本県奉祝委員会の笠会長御夫妻を始め多くの方々が上京して国民祭典に参加して感激を共にされた。
 私は、自宅のテレビで国民祭典の中継を拝観しながら、天皇皇后両陛下を戴く日本に生れた幸せをしみじみと感じ涙した。
その時に思い起こされたのが、幕末の志士・佐久良東雄の次の和歌(長歌)である。

     詠人道歌
わが君にまさるきみなし、わが祖(おや)にまさる祖なし、わが
君は今の現(をつつ)に、天(あま)照(てら)す日の大御神(おほみかみ)の珍(う
づ)の御子(みこ)、わが祖は日の若宮におはします、神伊邪諾(かむい
ざなぎ)の大御神(おほみかみ)、わが君に勝(まさ)る君なし、わが祖(おや)
に勝る祖なし、尊き此の身、嬉しき吾が身

東雄は、天照大御神の御子孫である天皇様に勝る主君は居らず、イザナギの大神から生まれ歴代の天皇様に仕えて来た自分の祖先に勝る祖先は居ない。その幸せをしみじみとこの和歌の中で謳い上げた。最後の「尊き此の身、嬉しき吾が身」の言葉が胸に沁みて来る。是非声に出して拝誦して戴きたい。
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