「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武士道の言葉 その29 「頭山満」その1

2014-12-23 16:11:16 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第二十九回  頭山 満 その一(『祖国と青年』平成26年12月号掲載)

日本人全てを武士の様に
民権を固守して、日本人民をすべて確りとした武士にしたいと云うのが、おのれどもの志だった
                                        (晩年・『玄洋社憲則』について)

 明治の日本人は、日本の独立だけでなく西欧列強に抑圧されているアジア諸国の解放を真剣に考えていた。正に強きを挫き弱きを助ける義侠心に溢れていたといえよう。その代表的な集団が「筑前玄洋社」であり、玄洋社を代表する頭山満である。日本に亡命して頭山満の庇護を受けた人々は、朝鮮、支那、印度の志士から比律賓、安南、土耳古、アフガニスタン、波蘭にも及びその数は数百人とも言われている。自由民権運動で有名な中江兆民は「頭山満君。大人長者の風あり。且今の世、古の武士道を存して全き者は、独り君あるのみ。」と記した。

 玄洋社は自由民権運動から起こり、対外的には日本の国権の確立、アジア諸民族の独立支援、世にいう「大アジア主義」を貫いた。その玄洋社の「憲則」は次のものであった。

  皇室を敬戴す可し

  本国を愛重す可し

  人民の権利を固守す可し

そして、「これらの条項は人々の安寧と幸福を保全する基であるから、子孫の子孫にまで伝え、人類の存在する限り決して換えてはならない。後世の人々が之に背く様なら、それは日本人の子孫とは言えない。」と、永久不変の原則である事を強調している。

 この憲則について、晩年頭山翁は、玄洋社が自由民権運動に起ち上がったのは、日本の人民総てを武士の様に国家に責任を持つ高潔な国民にしたいと志しての事だったのだが、結局は自分の権利だけを主張する、利に聡い町人民権に落ちてしまい国家の事など考えなくなってしまった、と嘆いている。今日に於ても選挙が有る度にテレビが報道するのは自分の利益要求の「町人民権」ばかりである。国家社会を第一義に考える「武士民権」の復権こそが、今も尚求められている。



大義の前には障害は何もない
自分はナンケ主義(筑前の方言、眼中何物もなしの意味)の開祖だ。
                          (「長く志を政界に絶つ」)

 頭山満は、自分や玄洋社の主義を「ナンケ主義」と称している。自らが大義と確信する事の前には、障害となるものは何も存在せず、不動の信念で突き進むのみ、という意味である。実際頭山満の生涯はその実践であった。孟子に言う「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん。」の精神である。

 頭山は、時の政府に対して自らが大義と信じる事については、要路の人物と直接会って談判した。日露開戦の前にロシアを恐れて中々決断しきれない青木周蔵外務大臣に会って、「そんなに心配せんでもよい。どうせ一度は戦争をせにゃならんのじゃから、それは必ず覚悟を定めておれ。しかし、今が今、戦争にはならん。大体の見当をして置いて、余りくよくよ心配せん事じゃ」と述べ、次の話をしたという。

「わしが地獄のような処へ落ちて行って、閻魔と戦った話じゃ。閻魔が高い処におって、行く手を塞ぎ居る。後の門は厳重に閂がかかって逃げる口はない。そこで、わしは覚悟を極めて閻魔に突っかかると、閻魔が一堪まりもなく瀬戸物の様に砕けたのじゃ。」

 頭山の談判には政府要人は震え上がったという。頭山は言う。「こちらは生一本の真剣で打つかって行く。何のわだかまりもないから強い。彼方は何か胸の中に弱点があって、びくびくして居るようじゃ。」と。

 「ナンケ主義」とは、頭山の言葉によれば「自分は宇宙あらざるなしという気なんだ。未だないということはあるも、どういうことでも絶対にないなどということは、小さい人間の料簡だ。どういうことがあろうとも、ただ自分の魂でそれに相対してゆけばよい。惑わず。驚かず、恐れず、それに打ち克って行きさえすればよい。自分はナンケ主義の開祖だ。何事をどうしようと、それ位のことは何かということ、自分の心を以て何物でも圧倒して行きさえすればよい。それを一心に思ってをると、声無きに聞き形無きに見るようになる。それが一番大切なものだ。」

「如何なるものよりも玄洋社が一番強いという自信、我が道の妨げになるものは、何物でも悉くやっつけるという意気があれば何でもやれる。」

 頭山満の如き気迫を擁して政治家と相対する事が出来るのか。国民運動のリーダーは自らを鍛え上げねばならない。



道義日本の確立こそ世界に対する大使命
日本は道義の中心とならねばならぬ。それが日本の世界に対する大使命である。
                              (昭和14年「道義を世界に布け」)

 頭山満はアジアを人間の身体に例えて「大アジア主義」を説明している。「アジアは大きな蛇の為に臍の所まで呑まれて居る。印度という両足は勿論とっくの昔に呑まれ、支那という腹も大部分呑まれて居る。日本が腹から上の頭位のもので、これだけが呑まれずに残って居る。(略)身体は呑まれて居って如何とも仕様が無いから、自由の利く日本の手や頭で束縛を解いてやり、立派に歩行が出来る様に、義気を出して、うむと一骨折ってやらねばならぬ。仲々日本の仕事は多いのぢゃ。」と。

 昭和十四年には「道義を世界に布け」と題して青年を激励した。頭山翁八十五歳の時である。

「日本は道義の中心とならねばならぬ。それが日本の世界に対する大使命である。それには先ず、差当って支那事変を解決して、日満支三国同盟の実を挙げると共に、更に印度を加えて東洋に仁義道徳の理想国を築き上げることぢゃ。(略)道を行い、敬愛の心を以て宇内万邦に対して居さえすれば、国は期せずして世界の鑑と仰がれるに違いない。それが日本国民の一大使命で、正道のためには、進んで国を以て斃るゝの精神を貫いてこそ却って国を興し、又世界人類の上に貢献する所以となるのである。(略)孔子の生れた支那、釈迦の生れた印度を、情けない状態、すなわち白人の覊絆から解放してやって、住みよい支那、住みよい印度にしてやるのが、日本国民の道義的事業である。これはなかなか高尚な事業、すなわち聖業ぢゃよ。日本国民全体が釈迦や孔子の意気でやるべきぢゃ。」

 国家理想という言葉があるが、明治を生きた先達はそれを確と持って、世界に相対していた。西欧列強によって抑圧され植民地化されていたアジアの現状に強い怒りと深い悲しみを持って、アジアで唯一植民地化を免れた日本国の使命を考えたのだ。自らの独立と平和に安住するのではなく、アジアの諸民族の独立と平和の為に日本の力を尽すべきだと本気で考えたのである。

その精神の高尚さと比べた時、占領憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義」という虚言に依拠して一国平和主義に甘んじて復興を実現し世界の大国となった後でも尚、「利己的平和主義」に執着して安逸を貪っている戦後日本人の精神の低劣さは、同じ日本民族なのかとの疑いさえ抱かせるのである。



神になれる日本人と人間にしかなれない西洋人
日本人は一奮発すれば神になる、西洋人は一奮発すれば人間になる。
                           (「日本に生まれた幸福」)

 十一月十八日、本会の参与で、日本会議福岡副理事長・救う会福岡会長を務められていた福岡黎明社代表の辻幸男氏が逝去された。享年六十五歳だった。

 辻さんは、福岡大学在学時に九州学生会議と出会い民族派学生運動に尽力し、卒業後も志を貫く可く福岡憂国忌を守って来られた。後には後進の為に黎明社の学習会を始められ、福岡文化会議の学生や全九州学生ゼミナールも大いに支援して戴いた。辻さんは三歳の時に患った小児麻痺の為両足が不自由で松葉づえを使って生活されていた。それにも拘らず拉致問題・尖閣問題・憲法改正と、毎月街頭での演説を続けられていた。日本会議福岡では議員連盟の担当として折衝に当られ国会議員署名や地方議会決議の為に尽力されていた。

 だが、辻さんは数年前から年に複数回、癌の手術での入退院を繰り返されていた。身体は傷だらけにも拘らず、すさまじい気力で生き抜き、戦い続けて来られたのである。通夜祭で拝した辻さんはとても穏やかで綺麗なお顔で永眠されていた。

 熊本から福岡箱崎での通夜祭に駆けつける車中で思い起こされたのが、頭山翁の「日本人は一奮発すれば神になる、西洋人は一奮発すれば人間になる。」だった。勿論、辻さんは日本人だから神になられるのである。私が拝した晩年のお姿は正に憂国無私の「一奮発」であった。

 頭山翁は言う。「世界中で一番立派なものを持っているのは、日本を措いて外にはないのぢゃ。世界の人類が何十億あろうと、旭日輝く日の丸の旗の下に、なびかぬものはない筈ぢゃ。日の丸を押し立てとる国は、世界を仁義に統一する使命を有しとるのぢゃ。そこには神意が存しとる。神が二つのものを作る筈がない。世界一家の御天業は、神様が定めて置かれたのぢゃ。遅かれ早かれ、そうなるに決っとる。ただ時の人がだらしなければ暇がいるだけのことぢゃ。日本即世界ぢゃ。誠の一点において神人合一するのぢや。誠の心即ち高天原ぢゃ。国も人も魂ぢゃ。魂のない国、魂のない人は国でも人でもない。不滅の魂を以て国と人とが事に当れば何事も成らんということはない。日本は魂の国ぢゃ。」と。

 「不滅の魂」を示し続けられた頭山満翁、そして同じ福岡の地で戦い抜かれた辻幸男氏、その不屈の魂こそが、日本武士道の精華である。
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