「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

父の教え 「青年教師心得」

2006-06-23 22:49:07 | 父の教え並びに祖先の事について
 
昨年天界に旅立った、私の父が遺した「青年教師心得」について、『祖国と青年』平成十八年一月号掲載の「日本の誇り復活ーその戦いと精神」の中で触れたが、その全文をここに紹介する。教育者を志す方々の生き方の指針にして戴ければ幸いである。

「青年教師心得」……(先輩より心をこめて)       多久久男

一、 青年教師は、一校風紀の根元、士気、元気の源泉たることを自覚し、青年の特徴、“元気と熱”、“純真さ”を忘れずに大いにやれ。

二、 教師としての品位を常に保ち高潔なれ。自己の修養は勿論、厳正なる態度・動作に心懸け、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養う事は、教師の最も大切なる修養なり。

三、 宏量大度、精神爽快なるべし。狭量は学校の一致を破り、陰うつは士気を阻喪せしむ。忙しい校務の中に伸び伸びした気分を決して忘れるな。細心なるは勿論必要なるも「コセコセ」する事は禁物なり。

四、 礼儀正しく挨拶等は厳格にせよ。青年教師は“自分は教師の新米であり、何も知らぬのである。”と心得、譲る心懸けが大切だ。親しき中にも礼儀を守り先輩の顔を立てよ。

五、 容姿端正、服装は清潔なれ。常に教師としての品位ある身だしなみを保て。おしゃれと身だしなみは違う。だらしない格好は児童(生徒)のみならず父母の顰蹙(ひんしゅく)を買い、ひいては教師への不信感へと発展するやも知れぬ。

六、 旺盛なる責任観念の中に、常に生きよ。是は教師としての最大要素の一つだ。

七、 青年時代はこれからが本当の勉強時代。一人前になり、吾が事なれりと思うは大の間違いなり。公私を誤りたる糞勉強は吾等の欲せざる処なれども、専門家として学術方面に修得しなければならぬ処多し。忙しく校務に追われて是を蔑(ないがしろ)にする時は悔を来す時あり。忙しい間にこそ緊張裏に修業は出来るものなり。寸暇の利用に努むべし。

八、 “常に研究問題を持て”平素に於いて常に一個の研究問題を自分に定め、是に対し成果の捕捉に努め、一纏(まとめ)となりたる処にて是を記し置く。種々の問題に対しても、かくの如くし置き、後になりて再び是について研究し、気付きたる事を追加訂正し保存し置く習慣を作れば物事に対する思考力の養成となるのみならず思わざる参考資料を得るものなり。

九、 少し、校務に習熟し己が力量に自信を持つ頃となると、先輩の思慮円熟なるが却て愚と見ゆる時来ることあるべし。是即慢心の危機に臨みたるなり。此慢心を断絶せず増長に任じ人を侮り自らを軽んずる時は、技術・学芸共に退歩し、終には陋劣の小人たるに終るべし。

十、 オズオズしていては何も出来ぬ。図々しいのも不可なるも、さりとてオズオズするのは尚、見苦しい。信ずる処をハキハキ行って行くのは我々に取り最も必要である。

十一、 何事にも骨惜しみをしてはならない。新任当時は左程でもないが、少し馴れて来ると兎角、骨惜しみをするようになる。如何なる時でも進んでやる心懸が必要だ。身体を汚すのを忌避するようではもうおしまいである。

十二、 上司の命は、気持よく笑顔を以て受け、即刻、実行せよ。如何なる困難があろうと、命を果たし「御苦労」と言われた時の愉快さは何とも言えぬ。

十三、 不関旗を掲げるな。一生懸命にやったことに就いて手酷しく叱られたり、平常からわだかまりがあったりして不関旗を揚げると言うようなことは慎むべきことだ。自惚れが余り強過ぎるからである。不平を言う前に己を省みよ。我が慢心増長の鼻を挫け、叱られたる中が花だ。叱って下さる人もなくなったらもう見放されたのだ。叱られたら無条件に有難いと思って間違いは無い。どうでも良いと思うなら、誰が余計な憎まれ口を叩かんやである。意見があったら蔭で「ぶつぶつ」言わずに順序を経て意見具申をなせ。之が用いられると否とは別問題である。

十四、 すべて事を成すには、充分なる“時間と心の余裕”をもって、早目々々に成すの心掛けを忘れるな。朝は真先に出勤し、先輩や児童(生徒)に、元気に朝の挨拶をかわし、当日予定の指導計画が準備万端整っているか、の確認をなせ。かりそめにも先輩より遅く出勤するが如きはざまは青年教師にあるまじきことと思え。

十五、 校内における諸行事、会合、報告等においても、常に五分前の精神で早目々々に行動する心掛けこそ肝要なり。会合に遅れたり、提出ぎりぎりいっぱい、或いは催促されるが如きは恥であり、又、間違いを生ずる基である。
「遅し悪し、丁度良し危なし、早し良し、」

十六、 上司に提出(報告)する書類は必ず自分で、直接差し出すようにせよ。上司の机の上に放置し、甚だしいのは他人をして持参させるような不心得のものが間々ある。これは上司に対して失礼であるばかりでなく、場合によっては質問されるかも知れず訂正されるかも知れぬ。この点疎(おろそか)にしてはならない。

十七、 出張(研修)等の命を受け職場を離れる際は、所定の事を整えた上、必ず校長へ「只今より○○へ行ってきます。」と告げて行き、また出張(研修)等の要務を終えて出勤した時は、先づ校長へ口頭で簡単な報告をする等の礼儀を弁えるべし。

十八、 成すべき仕事をたくさん背負いながら忙しい忙しいと言わず片づければ案外容易に出来るものである。

十九、 物事は入念に、心を込めてやれ。委任された仕事を「ラフ」にやるのは、その人を侮辱するものである。遂には信用を失い人が仕事を任せぬようになる。

二十、 要領がよい。という言葉もよく聞くが、あまりよい言葉ではない。人前で働き、蔭でズベル類の人に対する尊称である。特に教師たる者、裏表があってはならぬ。常に正々堂々とやらねばならぬ。

二一、健康には特に留意し、若気にまかせての不摂生は禁物、健全なる身体なくては充分なる仕事はできぬ。

二二、近頃、巷間に現代青年の退廃的特徴として、「無気力・無関心・無感動・無責任・無作法」などといわれるが、いやしくも青年教師には、このような姿は最も不釣合いの言葉であることを肝に銘じよ。

二三、教師は地方公務員であると同時に教育公務員であり、それだけ社会全般の目も厳しい。それに応え、信頼をかち得るには、常に己を律し、誠心誠意職務に盡くす心掛けこそ肝要なり。



※多久久男(旧姓 田邉) 大正十三年生まれ。熊本師範学校より学徒出陣。第十五期海軍飛行予備学生・海軍少尉任官。復員後、教諭として、城西小学校・白川中学校を経て、熊本大学教育学部附属中学校にて十八年間教鞭を執る(専門は理科第一分野)。天草・玉名教育事務所指導主事の後、玉名郡山北小学校・阿蘇郡黒川小学校で校長を務める。この文章は黒川小校長時代に若手教諭に書き与えたものである。退職後、特別養護老人ホーム「天望庵」施設長を十年間務める。平成十七年十一月逝去
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