中盤に差し掛かった秋ドラマについて。
期待していた野木=新垣ペアの「獣になれない大人たち」にのりきれない。脚本も演出も演者も高水準の仕事をしているのは良くわかる。巷で云われているように、「あまりにも現実感がありすぎて観ているのが辛い」とまでは感じないけれど、確かに胸躍るような展開や感情移入できるような恋の顛末があるわけではない。新垣結衣の役どころは視聴者が望むような清潔感ある背筋の伸びた女性像だ。前にも書いたけれど、吉永小百合と新垣結衣は永遠にイメージどおりの役を演じきって欲しいし、多分誰もがそう望んでいる筈だ。煮え切らないまま他の女と一夜を過ごしてしまう彼氏に嫌気をさして、税理士の部屋で抱き合う寸前まで行くが事無く朝を迎えるところは、ガッキーファンをヤキモキさせただろうけど落ち着くところに落ち着いた感じ。題名の通り、松田龍平もガッキーも獣になれないままだ。お互い嫌いではないけど、一線を越えて今の現状から踏み外そうとはしない。プロデューサーが言ってたが、世の中の殆どの人は世間体とか良識とか倫理とかの社会に縛られて獣になれないのだ。小説や映画やTVドラマの中だけで頻繁に人は獣になる。
それは本当にそうなんだけど、モヤモヤした先行きの見えないドラマはやっぱり辛い。幸せになるでも不幸に打ちひしがれるでも、感情の蠢きを観ることで視聴者はリアルな毎日から逃避したいのだ。
五話で本編とは全然関係ないけど、彼氏の母親の若き挿話が映画的な色味で魅力的だった。今後、仕事も恋愛も生きることの毎日をどう舵を切ってゆくのか、野木脚本の真価が問われる。もう少し我慢して観てゆこう。
毎回応援したくなるように二人の感情が分かりやすく描かれているのが「大恋愛」。副題の(僕を忘れる君と)に切なさは募る。徐々に進む女医の病状が、癌や白血病のように見た目の身体を蝕むのとは違うだけに一層切ない。三話終わりに抱き合いながら名前を呼び間違えるシーンがあり、背筋が凍る思いがした。実際アルツハイマーを患うと近しい人の名前さえ混同してしまうものなのか。ドラマだからセンセーションに描かれたのだろうけど、いくら病気だとはいえ、好きな女に抱き合う耳元で違う男の名を呼ばれたら辛いだろうなぁ。四話になってちょっと違和感を覚えたのが、女医の元婚約者で若年性アルツハイマーの権威である医師が、女医に想いを募らせているところ。彼は優秀な医師(科学者)だし、結婚も論理的で現実的な選択をするキャラクターとして描かれていた。患者として手厚く接するのはいいけど、変に三角関係に引き吊り込まないで欲しいものだ。恋愛ドラマのセオリーとして、ある程度の障害がないと物語が進まないことは理解しているけれど、メインストーリーの味付け程度にしないとこの手の恋愛ドラマはかえって興ざめになる。視聴者が観たいのは消えてゆく記憶を支える無私の愛なのだから。
ムロツヨシと戸田恵梨香の相性は非常に良いと思う。二人のイメージをちゃんとベースにおいて、ほんの少しだけアレンジしているのが成功の要因だろう。喜劇的な役ばかりのムロツヨシに大真面目な恋愛を宛がうことで、普通の男たちの視座がさがり自分にも起こりうるドラマになった。意外に包容力と忍耐力を演技の行間に垣間見ることもできる。戸田恵梨香は強気で男勝りな明け透けさが持ち味だろうが、病に侵されてゆく恐怖心や男に対するベタ甘な依存性を可愛らしく演じている。わたくしのようにあまり彼女に魅力を感じていなかった者でさえ応援したくなる健気さがある。前編は結婚式で折り返した。これから辛く切ない話になるのだろう。
大石静の脚本も今のところべた付くくどさは無いので楽しめている。
朝ドラ「まんぷく」に関しては、奇を衒う事無く王道なつくり方がされている。毎回欠かさずこの時間に視聴している年配の方にとっては、安心して観る事ができるだろう。空襲疎開から転々と舞台は移ろっているが、主要人物に変わりはなくこれも安定した物語の進行に寄与している。判子の次は塩作りになって、派手さは無いが面白さも増してきている。
難点は、やっぱりヒロインの安藤サクラに思い入れができないことか。生理的にあの顔が嫌いなのと、従順な若妻を持ち前の演技力で一生懸命演じているが、その過剰な人物造形に馴染めないでいる。反面、松坂慶子や瀬戸康史のとぼけた味わいが癒しの潤滑剤になっているのが良い。
気になって四話から観始めた「今日から俺は」が面白い。福田雄一ドラマは癖が強く、嵌れば中毒になる。清野菜名と橋本
環奈のタイマンバトルが凄いらしいと聞いたので録画をしておいたのだが、最初から観ればよかったと後悔している。誰もが福田ワールドの中で振り切った見せ方をしているのが愉快だ。これからは必ず観てゆこう。

橋本環奈どこまで行っちゃうんだろう