映画と渓流釣り

物忘れしないための処方箋

隊長おさかな日記 4

2015-05-26 13:28:02 | 釣り
 漸く隊長と連絡がとれた。
少しずつ動くようになってきた指で短いメールのやり取りだけど、
隊長らしくまったり治してくれれば良いと思う。
本人も輪をかけてご家族の方達も一日も早い完治を望んでいるだろうけど、
長い人生の短い休息だと割り切り、これから待つリハビリもつかの間の修行。
渓に復帰するまでは応援しよう。


鰭が大きく美しいわりに頭の小さな虹鱒
 
  この春、隊長が仕留めた美形


体高のある輝く銀鱗


 口が大きくなると迫力が増すのだけれど
 

 隊長と釣り歩いた20年のうち、このところ頓につり以外の時間が増えてきた。
吉田うどんを食べ歩いたり、焚き木をしながら昼寝を楽しんだり。
沢山釣り上げる楽しさも、大きな魚を手にする興奮も、
美しい魚に出遭える喜びも一入だけど、人の気配を感じない渓流に佇む幸せが一番だ。
ふたりとも東京近郊の都市部に住んではいるけれど、根本的には田舎者。
だから、こんな風景がしっくりする。

             

 山の緑は心の浄化剤



隊長おさかな日記 3

2015-05-20 17:18:23 | 釣り
 都留漁協になってから隊長が夢中になったのは数釣りより大物釣りだったと思います。
桂川中流域は毎月の成魚放流の生き残りが巨大化する地区でもあります。
水温が年間通してあまり変動しないこと(富士の湧水のお陰)により、水生昆虫が数多く生息します。
特に黒川虫の多さは他の川では見る事ができません。
通年を通して餌の多さは魚の巨大化を加速させますので、20cmで成魚放流された虹鱒は翌年間違いなく尺を超えます。うかうかしていると40cmオーバーのモンスター級もそれ程珍しくないものですから、釣り人も持ち帰ることなくリリースしますので更に巨大化してゆくことになります。

 掛かれば糸切れる心配ないフライやルアーに比べ、一本竿での大物とのやり取りは一度経験すると病みつきになります。風にビュービュー糸鳴りがして、五間竿も手元からしなる様は大物釣りの醍醐味です。
下流に走られないよう上げ竿で耐えていると、水面を割って飛翔する虹鱒の神々しいこと。
大山女魚はジャンプこそしませんが、水中で縦横無尽に駆け巡りクルクル錐揉みします。陽に銀鱗が煌めきドキドキがとまりません。

 隊長もわたくしもこのところ、どんな大物を獲ってもトキメキがなくなっています。
いつまでも恋する気持ちを忘れちゃダメですね。


隊長おさかな日記 2

2015-05-18 16:15:03 | 釣り
 ’98年は大河 利根川にも遠征しました。
大した釣果はありませんでしたけれど、あんなにも大きな川の真ん中に立っていると途轍もない大物が針掛かりするのじゃないかとワクワクするものです。
隊長はこの頃からどちらかと言えば開けた渓流域か本流での釣りがお気に召すようなっておりました。

 ’99年のホームグラウンドを山梨秋山川に移しました。
道志は美しい川なのですが、釣り人が多いのと釣れる魚が小さいので段々敬遠するようになりました。
尺山女魚が釣れるようになったのもこの頃です。
隊長にはなかなか大物が針掛かりしなかったけど、時間の問題でした。
翌2000年には今のホームグラウンドである桂川(都留漁協)の組合員になり、一番渓に通っていた頃です。
年40日は竿を振っていました。その大半は隊長との釣行です。
ゲストもちらほら来たりこなかったりしつつ、いつしか殆んど二人だけで遊ぶようになってましたなぁ。



それが好きだということ 5月の頃

2015-05-16 17:11:03 | 旧作映画、TVドラマ
   5月の頃 「フェリーニのローマ」


フェリーニなんて知らなくとも、映画の楽しさは充分伝わるから良いのでしょう。
でも、フェリーニを知っていると、今まで出会った事の無い映画の楽しさを味わう事ができます。

わたくしがフェリーニ映画にのめり込むきっかけとなったのが、「フェリーニのローマ」でした。
「道」でも「甘い生活」でもないところが面白いでしょ?
高校生の頃、部活動禁止の中間試験真っ只中、学校から早く帰ってきた中途半端な時間に東京12チャンネルでやってた、午後のロードショウ的番組でやっていたんです。
それまではハリウッドメジャー作品が正しい映画だと思っていたので、本当にびっくりしました。

そもそも、統一された物語が存在しない事に面食らいましたね。ある時はドキュメンタリーのように映し出され、エピソードが変わると人工的につくられたセットにこってりした物語が始まるというように、何のことやらチンプンカンプン。挙句の果てには監督自らカメラの前に立ってしまうなんて、わたくしが持っていたそれまでの映画常識を悉く覆していったのでした。
地下鉄工事の遺跡遭遇場面や、教会のファッショーを見せられた頃には寒気もしました。ラスト、駆け巡るバイクのライトが照らし出す夜のローマに浮かぶ歴史的建造物は禍々しく映り、光の向こうにある闇へ引き込まれてしまいそうでした。



隊長おさかな日記 1

2015-05-13 14:21:15 | 釣り
 まだ、隊長はこのブログを見る事ができないようだけど、直ぐに復帰でき、お魚釣りの感が戻るよう昔のお話しを沢山しましょう。

1995年3月5日
初めて隊長が渓流釣りに行った日です。
立ち呑み屋で釣り仲間と釣行の相談をしている時、たまたま居た隊長が連れて行って欲しいと言うので出かけたのが東丹沢の小渓流谷太朗川です。
解禁後最初の土曜日でもあり、隊長も山女魚を手にすることが出来ました。

その年は計17日一緒に渓に通いました。
主に西丹沢の狩川や山梨秋山川、道志川へ行ってます。
隊長はその頃からデブでまったりしておりましたから、カモシカ君と呼ばれておりました。
釣り好きなだけあって、覚えも早く、感も良かったので一年もたたず先輩釣り師より上手になりました。

’96、’97もほぼ毎回同行するようになり、腕もメキメキ上達してゆきます。
虫好きである割にはミミズが触れず、餌のチョイスには苦労していたのもこの頃です。
道志川で釣果を上げるために零竿を購入し、細糸で数釣りに凝り始めたのもこの頃でした。
居並ぶ釣り人の間でお魚を掛けるのは優越感がありましたなぁ。(若かった)