映画と渓流釣り

物忘れしないための処方箋

彼岸に思うこと 黄泉がえり

2016-09-21 14:19:07 | 旧作映画、TVドラマ
秋のお彼岸が近い。久しくお袋のおはぎを食べていない事に気づく。

洋の東西を問わず、あの世(彼岸)からこの世(此岸)に帰ってくるお話は多い。
宗教も民族もなく、人は愛おしい人との想いを後生大事にしていく生き物なんだろう。

沢山あるその手の名作映画から、「黄泉がえり」を取りあげた。




先ず、脚本がすこぶる良く出来ている。
ファンタジーなので辻褄の合わないところも多々あるけれど、竹内結子が実はもう彼岸の人だったという件には思わずうなってしまう。愛する人を蘇らせるためにはいくつかの条件が必要なのだけれど、後々考えるとその条件をみんなクリアしている。シャマランの「シックスセンス」も、ラストに実は・・・という衝撃的なオチが用意されていて驚かされたが、同じような仕掛けが上手に敷かれていた。
「シックスセンス」がネタばれ後の鑑賞に耐えられないのとは違い、オチがわかっていても二人の想いがつのってゆくラストは何度観ても感動的だ。劇中RUIが歌う文語調歌詞も切なく心に残り、未知なる奇跡を素直に信じられるつくりとなっている。

さて、人の一生で、蘇って欲しいと願う人がどれほどいるだろう?
幸福にもわたくしにはそう願う身内が今のところいない。

ただ、小学四年生が終わろうとしていた三月末に幼馴染を水の事故で亡くしている。事故の当日、学校から一緒に帰る道すがら玩具のスーパーボールを獲り合い喧嘩別れになったまま、それが今生の別れとなった。真夜中に雪代で濁る冷たい川底から引き上げられた姿を煌々と照らすライトが眩しかった。
蘇ってくれるなら、あの日の喧嘩別れの事を素直に話したい。運命を変えることが許されるなら、そのまま夕方まで一緒に遊んでいたかった、そうすれば事故になんかあわなかっただろうに。

もう一人、高校のバスケット部のチームメイトを山の事故で失った。彼は早朝家の裏山に登り、反対側の登山道を下山してから学校に来ると言い残し、永遠にわたくしの前から去ってしまった。可否に700円を賭けていた。それがその日わたくしの持っている全財産だったからだ。
蘇ったら、賭けた700円を請求しなければならない。
もしかして、わたくしがお金を渋って賭けが成立しなかったならば、彼は山になど向かわなかったのではないかと、あの事故から40年近く経って今更悔やむ。









豊作の秋 怒り 多分今年の一番

2016-09-20 09:48:59 | 新作映画



 「シン・ゴジラ」からここのところ、当りばかり観ています。
期待はしていましたが、「君の名は。」の衝撃的な感動を超えることは無いとふんでいたのですが・・・

なんかね、吼えたくなるような映画なんですよ。ラスト一緒にね、すずと一緒に吼えたくなるんです。まっとうに怒りを抱えているのはすずだけでしょ。オジサンもなんかやってあげたくなるんですよね。でも、それは彼女には迷惑なのかな。
沖縄問題をこんなに身近に感じた事ありませんでした。ニュースになる度に毎度毎度、米兵はしょうもねぇなぁと思っていたんですけど、身内や知人に起ることだとは思っていないですもんね。内地の人は。すずは「海街diary」「ちはやふる」以来、わたくしの娘ですからね。そりゃ憤りMAXなわけです。同級生の男の子以上に怒り心頭だっつうの。(誰にキレてるんだ?)頭の悪い野獣のような米兵個人への怒りだけじゃないから根深い問題です。米軍の沖縄在留を必要悪なんていう言葉で濁らせても仕方ないし、沖縄の人はそんなことを何時までも言ってる政府や米軍にイラついているんでしょう。そのもっと根源的な恨みは、見てみないふりを続けている内地の人たちへの不公平感じゃないかな。



渡辺謙と宮崎あおいの父娘には思う存分感情移入をしました。泣いた泣いた。
少し頭の足りない娘を思いやるが故に強面の父親の哀愁は観る者の心を揺さぶります。惚れた男を信じきれず、殺人犯じゃないかと通報した娘が放つ慟哭に正面から付き添う姿は、同じ年頃の娘をもつわたくしとして同化するしかないっしょ。結果、犯人ではなかった(彼の言う事を信じ切れなかった)事がわかった時、娘にかかってきた携帯電話にかぶり付いて帰ってきてくれと懇願する姿はかっこ悪いけど、とってもかっこ良かった。
宮崎あおい、文句の付けようがありません。天真爛漫だけど少し足りない感じって、微妙に難しいと思うんですね。オーバーにやっちゃうと、少しじゃなくなるし、抑えちゃえば語りの中での説明になっちゃう。上手いんですね。今年の助演賞は決まりじゃないかしら。



昔「ブロークバックマウンテン」を観て泣いたんです。同性愛者の話し観て泣くなんて思いもしなかったんですけど、ラストにヒース・レジャーが死んでしまった彼のシャツを抱きしめて嗚咽するシーンに感動しました。
妻夫木聡が綾野剛を信じきれずかかわりを断った後、彼の死を知り街をさまようシーンでやっぱり泣いてしまいました。一緒の墓に入るなんて日本人的感覚、今時仲の良い夫婦だってもたない考え方かもしれません。「一緒は無理でも、隣りならいいかな?」・・・ってさ、そんな愛情だってあるんだよな。
文字通り二人とも身体を張った熱演でした。


火曜サスペンス劇場なんかに毒されてしまった観客には、犯人が誰だとか気になっちゃうのかもしれないけど、テーマは人を信じられますか?と言う事です。三様の真実と信頼がしっかり描けていた脚本と芸達者な演者、そして効果的な音楽。それらを得て、李相日監督の揺るぎない代表作となりました。

最後にもう一度申し上げます。
怒りをまっとうに抱えているのはすずだけです。
ラストカットのアップはその事をわたくしたちに訴えています。






子供たちに観て欲しい 聲の形

2016-09-20 09:27:15 | 新作映画

  「君の名は。」効果なのか、劇場は満杯

 「君の名は。」鑑賞時に宣伝されていたのがひとつ。「けいおん」の京都アニメーション(山田尚子監督作品)であることが決め手となり、続け様にアニメ作品を観た。

原作を知らないので、原作ファンの方からしたら間違った解釈なのかもしれないけれど、いじめっ子の男の子と耳に障害をもった女の子のラブストーリーではなかった。と、感じた。

個と集団 個性と迎合 多分、そんなことの軋轢がいじめを生むのだろうし、助長してゆくのだろう。教育者でもないし、教育評論家でもないから、いじめとは云々を語るつもりもないしそもそも語れない。

映画もいじめを描いているけれど、語ってはいない。障害者への差別も同様、語ってはいない。ここが素晴らしいと思う。如何にもな三文ドラマになっていないので、一層受け手の感性に染み入る。

少しずつ形の無い顔から×のレッテルが剥がれてゆく演出は原作のままなのだろうか?わかりやすい語り口なので、是非小学生~中学生あたりのど真ん中世代に観て欲しい作品だ。

いじめを加害被害と括るのは違うかもしれないが、それだけの相関関係で描かれていないのも優れたところ。大なり小なりの関わりをもった同級生や親兄弟の目線は必要だ。

障害を持った女の子が勇気を振り絞り好きだと告白し、いじめっ子だった男の子が自分が生きるために一緒にいて欲しいと願う。それだけでいい。

今はそれだけでいい。








ささやく夜

2016-09-13 03:06:58 | 歳時記雑感
昔 ジャケットが気に入っただけで衝動的に購入したLPアルバムがあった。

Karla Bonoff「Restless Nights」

タイトル曲がしっとりと素敵な歌だった。



夜明けにはまだ遠い真夜中にふと目覚めると、秋を感じさせる虫たちの声。

出逢いを求めて、夜通し愛をささやく。









完成された映画 君の名は。

2016-09-10 22:21:09 | 新作映画


新海誠らしさを少し削ぎ落とし、映画作品としての完成度を格段に高めた。
その事が本当に良いのか悪いのか、今答えを出せないけれど、でも、わたくしは映画館の最前列でいつもの様に泣いていました。惹かれ合う二人の想いが、55歳になったわたくしにも狂おしい程の熱さで迫ってくるのですもの、(今、振り向いて!)そう、言葉に出してしまうのでした。

「ほしのこえ」が距離と時間(8.6光年)に引き裂かれた恋人同士であるなら、三葉と瀧の間には光でも届かない距離と時間が存在しているのです。そんな果てない間を、二人の想いは何度もすれ違いながらも縮め最後には辿り着く、その過程をわたくし達も一緒に体験してゆきます。三葉の手のひらに書かれた(すきだ)の文字。
やられたな。
あんなにストレートで心に刺さるラブレターを書けますか?・・・ごめんなさい。先走り過ぎました。観ていない方にとって何のことやらですね。



文頭について言葉を足しましょう。
今までの新海作品で繰り返されたのは、好きな女の子を失う事による虚無感だったり喪失感を、雨や雪や雲や空といった美しい自然描写を背景に、取り戻せない時間軸の中で観せることでした。今回も同様の演出は全体を通して健在でありますが、一番の違いは、大切なものを失わない事。
二人の想いが最後に結実できるところは、これまでの新海作品との大きな相違点です。

ずっと彼の作品を観ていますので、隕石の片割れが墜ちて・・・の辺りから、やっぱりこの二人は惹かれ合いながらも出逢う事のないまま終わってしまうのかなと覚悟したものです。今までの作品なら、瀧はとっくに諦めてしまい自分の殻に閉じこもって行っただろうと思います。
あんなに親身になってくれる友人や先輩も今まではいませんでしたしね。



女の子の魅せ方もかなり変化しました。
物語上、心(性格)が入れ替わるわけなので、二面性のキャラ設定がそもそも必要であり、その事が功を奏したと思います。どちらも魅力的でした。淑やかな田舎の女子高生とガサツで行動力のある女の子を、髪型と制服の着崩しでアイコン化し分かりやすく観せた事も上手でした。
終盤髪を切らせたのも、三葉の覚悟を鮮明に印象つける為にはアッパレな演出です。



それまでの作品はキャラクター設定などの部分も監督が負っていたのでしょうが、苦手なところは得意なクリエイターに任せれば良いのだと割り切れたのでしょう。そこはプロデューサー川村元気の力ですね。
お陰でキャラクターが生き生きしました。
主人公の二人は当然のこと、瀧の憧れるミキ先輩・友人、三葉の女友達とその彼氏・祖母と妹。皆んな愛すべき人々です。

声をあてた役者も褒めましょう。
神木隆之介が上手なのは知っていました。期待通り上手かった。
作品成功の一翼となったのは、上白石萌音の達者ぶりだと思います。「舞妓はレディ」と「ちはやふる」しか知りませんけど、こんなに声で人を惹き揉む演技ができるんだと驚きました。
ミキ先輩の長澤まさみもしっとりしていて良かった。妹の四葉を演じた谷花音ちゃんも良かったですよ。専門の声優があてないと今ひとつかなと思っていたけれど、演技力は声にもちゃんと表れるのですね。



それでも改めて感じたことは、高層ビル群に降りしきる雨粒や雪の舞う美しさです。
飛騨を舞台にした素のままの自然は、宮崎駿や細田守が描いたとしてもそれほど大差がないと思うのですが、都会の風景をあんなに美しく描写できる作家はいないでしょう。
そして残酷な災害をもたらしてしまうことになるけれど、1000年に一度やってくる彗星が降る美しさは特筆すべきです。

東日本大震災で現代の日本人が受けた心の傷は、昨日まで当たり前にあった街とか畑とか学校とかを薙ぎ払い、その上で父母息子娘近所の知人友人を持っていってしまった事による喪失感です。もしかしたら、結婚したばかりの夫婦や明日出逢う筈だった恋人も引き裂いたかもしれません。その傷がまだ癒えない今、時間も距離も超えて想いは必ず繋がることを新海誠は示してくれました。

音楽も物語に合っていましたね。
前から聞いて知っていたのですが、RADWIMPSのベースを弾いてる人、長男しんくんの高校部活の先輩だそうで、しんくんは直にベースの手ほどきも受けているんだとか。世間狭いですね。