たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

上野の啄木歌碑

2012-11-03 | 啄木歌碑
啄木の東京での生活は、盛岡中学中退後、明治35年11月1日から翌年2月26日までの4カ月、詩集「あこがれ」を刊行のための37年10月31日から翌38年5月20日までの7カ月、父の宝徳寺住職復帰運動のために39年6月10日から10日程千駄谷の新詩社に、最後は、41年4月28日、北海道流転の後上京し、以後明治45年4月13日の逝去まで4年間で、合わせて5年ほどになる。啄木にとって東京は、最大の文学活動の場であった。

上野駅構内にある啄木歌碑は、昭和60年3月14日、東北新幹線上野乗り入れが実現し、これを記念して鋳鉄製の丸い歌碑が建立された。







ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

啄木



この歌は、東京毎日新聞(明治43年3月28日)に発表、雑誌「学生」(明治43年5月号)、「創作」(明治43年7月号)、一握の砂「煙二」に掲載されている。

上野駅の歌碑が建立されたと同じ頃、上野駅前通り商店街の入り口に、駅構内と同じ短歌が刻まれた少し赤みを含んだ御影石の立派な啄木歌碑が建立されている。









この歌とは対照的に次の歌もある。啄木の故郷を思う複雑な心境を表している。







石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなし
消ゆる時なし

啄木



この歌は、雑誌「スバル」(明治43年11月号)、一握の砂「煙二」に掲載されている。なお、この歌碑は、盛岡市玉山区の渋民公園から啄木記念館までの道路を「啄木ふる里の道」と称し、路上に歌を刻んだ石を埋め込んおり、その中の一つです。





左側は渋民小学校






上野駅広小路口前に「あぁ上野駅」の歌碑が建立されている。啄木が聞きに行った「そ」(それ、なまり)がこの歌にも出ています。










「あぁ上野駅」

一、どこかに故郷の 香りを乗せて
入る列車の なつかしさ
上野は おいらの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった

二、就職列車に 揺られて着いた
遠いあの夜を 思い出す
上野は おいらの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
止めて聞いてる 国なまり

三、ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は おいらの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある














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