一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『サバイバルファミリー』 ……電気のなくなった世界で生き残るには……

2017年02月24日 | 映画

オリジナル脚本で勝負する、矢口史靖監督作品である。
矢口史靖監督といえば、
『ウォーターボーイズ』(2001年)兼脚本
『スウィングガールズ』(2004年)兼脚本
『ハッピーフライト』(2008年)兼脚本
『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』(2014年)兼脚本
など、ヒット作も多く、
私の好きな監督である。
『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』の頃は、
まだブログをやってなかったでレビューはないが、
(もちろんどちらも映画館で鑑賞している)
『ハッピーフライト』『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』は、
このブログにレビューを書いている。
(赤い字のタイトルをクリックするとレビューが読めます)
そんな私の好きな矢口史靖監督作品であるので、
本作『サバイバルファミリー』が完成したと聞いた時は嬉しかった。
で、さっそく見に行ったのだった。



東京に暮らす平凡な一家、鈴木家。
さえないお父さん・義之(小日向文世)、


天然なお母さん・光恵(深津絵里)、


無口な息子・賢司(泉澤祐希)、

スマホがすべての娘・結衣(葵わかな)。


一緒にいるのになんだかバラバラな、ありふれた家族。
そんな鈴木家に、ある朝突然、緊急事態が発生する。
テレビや冷蔵庫、スマホにパソコンといった電化製品ばかりか、
電車、自動車、ガス、水道、乾電池にいたるまで、
電気を必要とするすべてのものが完全にストップしたのだ。
ただの停電かと思っていたけれど、どうもそうではないらしい。
次の日も、
その次の日も、
1週間たっても電気は戻らない……
情報も断絶された中、突然訪れた超不自由生活。


そんな中、
鈴木家の亭主関白な父・義之は、家族を連れて東京を脱出することを決意する。


家族を待ち受けていたのは、
減っていく食料、1本2500円まで高騰する水、慣れない野宿。


高速道路は、車ではなく徒歩で移動する人でいっぱい、
トンネルは真っ暗すぎて、一歩も進めない。
しまいには食糧確保のために、必死で野ブタを追いかけることに……


一家は時にぶつかり合いながらも、必死で前へと進むが、
さらなる困難が次々と襲いかかる。


果たして、サバイバル能力ゼロの平凡一家は、
電気がなくなった世界で生き延びることができるのか?
今、鈴木家のサバイバルライフの幕があがる……




ハードなテーマの映画ではあるが、
矢口史靖が原案、脚本、監督を務めているだけあって、
ユーモアあふれる佳作となっている。
電気を必要とするあらゆるものが使えなくなるという、
本当は笑えない設定の映画ではあるのだが、
終始、笑いながら映画を鑑賞することができた。


当たり前のように電化製品に囲まれた生活を送っていたある日、
原因不明の電気消滅によって、
電気を必要とするあらゆるものが使えなくなり、
交通機関や電話、ガス、水道まで完全にストップした生活が、
2年半も続く。
それも、世界中が……だ。
ちょっとありえない設定であり、
リアリティに欠ける映画ではある。
私は、この映画を見た当初、
笑わされつつも、そこにひっかかりを感じた。
これまでの矢口史靖監督作品とは違うものを感じたのだ。
これまでの作品は、
学校(『ウォーターボーイズ』、『スウィングガールズ』)
空港(『ハッピーフライト』)
村(『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』)
というように、閉じられた世界の、ちょっとマニアックな物語が多かった。
だが、『サバイバルファミリー』は、
ロードムービー的な映画で、閉じられた世界の映画ではない。
あまりにも空間的な広がりのある映画なので、
矢口史靖監督作品とは言え、所々にほころびが見え、
リアリティの欠如も相俟って、
これまでの矢口作品とは違った評価を下しそうになった。
(レビューを書かなくてもいいかな……とまで思った)
だから、映画公開(2月11日)直後に見たにもかかわらず、
今日(2月24日)までレビューが遅れてしまったのだ。
ところが、映画鑑賞後、時間が経つにしたがって、
『サバイバルファミリー』という映画は、
シミュレーションムービー、
もしくは教訓や風刺を織りこんだ寓話ではないか……と考えるようになった。
(東日本大震災や熊本大地震を経験した日本だからこそ、の)
シミュレーションムービーと考えれば納得できる。
「原因不明の電気消滅によって、電気を必要とするあらゆるものが使えなくなった世界」に、
鈴木家の一家4人を、まずは放り込んでみる。
そこから生まれる可笑しさや滑稽さをあぶり出して見せる。
リアリティの無さは、矢口監督の「わざと」なのだろう……という考えに至った。


私は、常々、このブログでも言っている通り、
「一芸に秀でた人」よりも、「何でもできる人」を評価し、尊敬している。
日本では、「一芸に秀でた人」のみを評価し、勲章を与える。
そんな人は、余計な事は考えず、従順で、国の為になるからだ。
一方、「何でもできる人」は、国をそれほど必要としない。
自分で家を建て、自分で食料を作り、自分で衣服まで作れる人は、
誰に頼らずとも生きていける。
働いて「お金」を得なくても、生きていけるのだ。
だが、「お金」を必要としない人は、
「お金」がないのだから、税金も払わない。
「何でもできる人」が増えることは、
国にとっては死活問題なのだ。
はっきり言えば、
「何でもできる人」は増えて欲しくないのだ。
「何でもできる人」がいない方が、国は国民をコントロールしやすいのだ。
事実、今の日本は、「何でもできる人」が極端に少ない国になっている。
そんな日本で起こった、原因不明の電気消滅。
何でも自分でしなければならなくなった人々の滑稽さは、
可笑しくも哀しい。
映画『サバイバルファミリー』では、
これだけ国民が困っているのに、国が何かしてくれているようには見えない。(笑)
警察や自衛隊が少しだけ出てくるが、国は知らんぷりなのだ。
「自分のことは、自分でしろよ」とでも言っているかのよう。(爆)
実際そうなったならば、そうなのかもしれないが、(核爆)
これも、矢口史靖監督の「わざと」であるのだろう。
国の助けなしで「自分で生き延びよ」ということなのであろう。


電気消滅によって、交通機関や、電話、ガス、水道まで完全にストップし、
都会は廃墟寸前となるが、
自給自足できる農村や漁村は、(映画でも)それほどの変化はない。
あらゆるものが使えなくなり、大混乱をきたす都会と違って、
自然の恵みがあるからだ。
だから、鈴木家だけでなく、人々は田舎を目指して移動する。


現代社会は、田舎が過疎化して、人口は都会に集中している。
電気が無くなることで、逆転現象が起きるのだ。
逆転現象を起こさせることで、
矢口史靖監督は、見る者に、何が一番大切なのかを解らせてくれる。


東日本大震災や熊本大地震の時に日本人が決意した事も、
月日の経過と共に、忘れ去られている。
「喉元過ぎれば……何とやら」で、
日本人の意識は、元に戻りつつある。
そんな時に公開された『サバイバルファミリー』は、
我々にとって何が真に幸福なのかを思い出させてくれる作品となっているのだ。
映画館で、ぜひぜひ。



【追記】
佐賀県には「古湯映画祭」というものがあり、
昨年(2016年)の「第33回富士町古湯映画祭」は、
「矢口史靖監督と鈴木さんたち」をテーマに開催予定であった。


なぜ「鈴木さんたち」なのかというと、
矢口史靖監督作品の主人公は、
デビュー作以降、ほぼ全員が「鈴木」姓なのだ。
この映画祭で、矢口史靖監督作品を中心に、10作品を上映予定であった。
矢口史靖監督を招いてのトークショーも予定されていた。


ところが、台風来襲で、映画祭そのものが中止になってしまった。
矢口史靖監督の話が聴けるチャンスだっただけに、本当に残念であった。
今年(2017年)の古湯映画祭がどうなるのかはまだ分らないが、
もし、「矢口史靖監督と鈴木さんたち」をテーマに再度開催されるならば、
ぜひ聴きに行きたいものである。
毎年9月中旬に開催されているので、(映画祭の雰囲気はコチラから)
機会がありましたら、古湯映画祭にも、ぜひぜひ。

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