一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ダンシング・チャップリン』 ……美しき草刈民代のラストダンス……

2011年04月17日 | 映画
「美」は、時と共に流れ去る。
「世」が無常であれば、「美」もまた無常である。
一所に留まることはできない。
人そのものの「美」も、
人が創造する「美」も、
時が奪い去ってしまい、
やがて消える。
それが「美」の宿命といえるだろう。
残酷…‥であるが故に、尊い。

ここに、
時と共に消え去ろうとする「美」を記録に残そうとする男がいる。
その名は、周防正行。
『Shall we ダンス?』や『それでもボクはやってない』などで有名な、
私の大好きな映画監督である。


彼が新作(2011年4月16日公開)に選んだ題材は、
2009年にバレリーナを引退した妻・草刈民代のラストダンス、
『ダンシング・チャップリン』。

『ダンシング・チャップリン』とは、
振付家の巨匠であるローラン・プティが、


チャップリンの数々の名作を題材に、バレエとして表現された作品。
1991年の初演からチャップリンを踊り続けるダンサーはルイジ・ボニーノ。


彼のために振り付けられた作品であり、
世界で唯一この作品のチャップリンを踊ることができるバレエダンサーである。
しかし、このルイジももはや還暦。
肉体的に限界を迎えつつあり、
このままでは幻の作品になってしまうとの危機感を抱いた振付家ローラン・プティと、
その妻(元バレリーナのジジ・ジャンメール)が映像化を提案。
プティやルイジと仲の良い草刈民代と周防正行監督に話が来たのだった。

周防監督は語る。(『キネマ旬報2011年4月下旬号』より)

プティが敬愛するチャップリンに捧げた踊りなわけですよね。映画から生まれたバレエならば、それを映画監督である僕がもう一度映画に戻すのは面白いとも思いました。
なおかつ僕は妻である草刈民代の踊りをフィルムに残していないんですよ。草刈がこの『ダンシング・チャップリン』で何役も踊ることで、彼女がどんなバレリーナだったかも残せる。多分、草刈民代という名は知っていても彼女がどんなバレリーナだったか、具体的に知る人は少ないと思います。だから草刈民代を知らない人にこういうバレリーナだったと見せるには、すごくふさわしい作品だと。いろいろなキャラクターをいろいろな形で踊るから、バレリーナとしての幅を見せることもできる。とくにプティの作品は誰にでも踊れる作品じゃないんです。実際、プティは気に入ったダンサーにしか自身の作品を踊らせないですし。


この映画、
第1幕「アプローチ」
第2幕「バレエ」
という構成になている。
第1幕「アプローチ」は、撮影を始めるまでの60日間の記録。
振付家プティと周防監督の攻防や、
ルイジと草刈民代の稽古風景などが描かれる。
いわゆるメイキング・フィルムである。
本編の前にメイキングを見せる、意表を突いた構成。
バレエになじみのない人でも楽しく本編を観られるようにとの工夫がなされているのだ。


第2幕「バレエ」に入ると、
冒頭の「チャップリン~変身」から、
「黄金狂時代」「モダンタイムス」「ライムライト」「キッド」「街の灯」など13演目が、
息つく暇もなく演じられる。
すべてが密度の濃い踊りで、
ひとつの演目が終わる度に、思わず拍手したくなるほど。
私が映画を見に行った時、私の隣りには、バレエを習っているらしい少女とその母親がいたが、音が出ないように小さく拍手していて微笑ましかった。

この『ダンシング・チャップリン』は、
女性はひとりで残りはすべて男性で構成されている。


全部で6~7人で踊るのだが、女性ダンサーはひとりなので何役も踊ることになる。
酒場女、


少年、


盲目の花売り娘、


バレリーナ……


……すべてを巧みに演じ踊る草刈民代が、とにかく美しく撮れている。
妻・草刈民代への愛のメッセージがビシバシと伝わってくる。

周防監督も、
単なる舞台の記録でなく、
一本の映画としてその魅力を余すところなく捉え、
エンタテインメント性豊かな作品として完成させている。
周防監督で思い出すのは、2008年の古湯映画祭。(←見てね)
その人柄に触れ、ますます好きになった。
またいつの日か、古湯映画祭に来てほしいと思う。

36年のバレエ人生に終止符を打ち、女優へと転身した草刈民代。
夫・周防正行との出逢いとなった『Shall we ダンス?』ではヒロインを務め、
映画初主演にして日本アカデミー賞の主演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞。
2009年にバレリーナを引退した後は、
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』や、
究極の肉体美を披露した『BALLERINE』などで話題を呼ぶ。
これからの活躍が大いに期待される。

私の大好きな周防監督と草刈民代が取り組んだ映画『ダンシング・チャップリン』。
時が奪い去る瞬間の「美」が、確かにそこにあった。
そしてその「美」を、存分に堪能させて頂いた。
「一瞬の中の永遠」というものがあることを知ってはいたが、目にするのは初めての体験であった。

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